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(一)コンクール編 ⑤

 この記事のタイトル通り、3年でプロのシナリオライターとしてデビューするために、あなたが真っ先にすべき事は、シナリオの入門書を買ってきて、独学でシナリオを書くことではなく、いいシナリオコーチ(師匠)に出会うことです。
 その前にいかほどのものが書けるか、腕試しに独学でシナリオを書いてもいいのですが、撮影現場では一行たりとも使えないシナリオが出来上がるだけです。それは、時間とエネルギーの無駄です。
 いいシナリオコーチ(師匠)との出会いがなければ、3年でプロのシナリオライターになるどころか、永遠にプロのシナリオライターとしてデビューすることはできないでしょう。それほど、この事は最重要項目です。
 私自身の経験から、いい師に出会い、遠回りをせず、最短距離を突っ走れば、この記事のタイトル通り、3年でプロのシナリオライターになれます。
 デビューまで3年以上かけるのは、無駄な労力、遠回りです。遠回りは、プロになってからでも遅くありません。
 事実、プロになると、思い通りに行かないことばかりで、カーナビのような便利な物はないので、嫌になるほどGoalまで遠回りをさせられます。直線コースを走れる自由は、今だけかもしれません。
 直木賞受賞者を何人も輩出している小説教室で教えている講師の話では、3年教えればこの人はプロの小説家としてやっていける才能があるかどうか分かるそうです。
 何故3年にこだわるかというと、私の経験上、逆算すると3年で十分だからです。この分野に限って、遠回りは必要ありません。
 この事は、スポーツの世界に例をとれば分かりやすいと思います。
 野球の場合、高校3年間で全国レベルの実績を残せば、プロ野球のドラフト会議にかけられることも可能です。
 ボクシングでも、ほとんどの人が、ジムに入門して3年あればプロデビューできますし、早い人なら1年でプロテストに合格して、プロとしてデビューできます。
「ハードパンチャーは作るものではない。生まれるものだ」
 と言われているように、パンチ力は生まれついてのものです。それゆえ、生まれついてのハードパンチを持っていれば、あとはプロで通用するテクニック(攻撃力、ディフェンス)を身につければ、3年で世界タイトルに挑戦することも、決して夢物語ではありません。
 この場合も、有能なトレーナーに出会うことが必須です。
 かつて、プロボクシングの世界に、“ミスター・ノックアウト”と呼ばれた、世界バンタム、フェザー級チャンピオン、ルーベン・オリバレス(メキシコ)というボクシング史上に残る名選手がいました。戦績88勝(77KO)13敗3分。
 彼が、ボクシングをやろうと、初めてボクシングジムに入ってきたとき、その姿をたまたまジムにいて見ていた、12人の世界チャンピオン(カルロス・サラテ、アルフォンソ・サモラ、アレクシス・アルゲリョ-----etc.)を育てたクーヨ・エルナンデスという名トレーナーは、オリバレス少年を一目見ただけで、「この少年は将来、世界チャンピオンになるだろう」と、思ったそうです。
 身長162cm、リーチ172cm(普通の人は、身長とリーチが同じ長さ)、カモシカのようなよく引き締まった細い脚、小さい顔、厚い胸板、どっしりした腰回りを見て判断したと思われます(まだ少年の面影を残したオリバレスは、もっと小柄だったことでしょう)。
 目利きとは、そういうものです──。
 元世界ヘビー級チャンピオン、マイク・タイソンも、刑務所に服役中にカス・ダマトという世界ヘビー級チャンピオン、フロイド・パターソンを育てた名トレーナーに出会い、ボクシングに人生の再起を賭け、世界チャンピオンにまで上り詰めました。しかし、カス・ダマトの死によって、心の支えを失った彼の凋落が始まったと言っても過言ではありません。
 プロ野球の世界でも、王貞治選手には、荒川博、イチローには仰木監督、新井宏昌コーチ、落合博満選手には、山内一弘という名コーチの存在がありました。
 マラソンでも、アベベにはオンニ・ニスカネンという名コーチがいましたし、瀬古利彦選手には、中村清という名コーチがいました。
 名選手の陰に、名コーチありというところでしょう。
 みなさんも、本気でプロのシナリオライターになるつもりならば、そういう名コーチに出会うことが先決です。
 よく見受けられるのが、シナリオを書いてコンクールに応募する前に、友達に読んでもらって感想を聞く人がいますが、これはまったくの無駄な行為です。
 シナリオは、映像のプロ(プロデューサー、監督、俳優、カメラマン、照明、音声-----等々)の為に書く映像の設計図なので、ある程度の経験、読解力が必要です。
 小説は読者という一般人に読んでもらう物ですが、ことシナリオは、プロがプロのために書く“映像の設計図”と言っていいでしょう。
 かつて日本映画全盛時代、イチスジ、ニヌケ、サンドウサと言われていました。
①  スジ(ストーリー・脚本家)
②  ヌケ(映像・監督)
③  ドウサ(演技・役者)
 つまり、脚本が良くなければ、どんなにいい監督がメガホンをとって、いい役者がキャスティングされていても、傑作はできないということです。
 そういう脚本が分かる読み巧者、ゴルフで言うところの、優秀なレッスンプロにつく必要があるのです。誰につくかで、その作家人生が決まると言っても過言ではありません。
 私の好きな言葉に、
「一日に千里の道を行く馬はいつもいるけれど、それを見つける伯楽は、いつもいるわけではない」という中国の諺があります。
「才能のある人はよくいるけれど、それを見つけ育てる人は、なかなかいるものではない」ということです。
 この言葉通り、名伯楽に出会うには、運が左右します。が、『孟母三遷の教え』のように、シナリオを独学で学ぶ以前に、まずは名伯楽を探すことから始めるのがいいかと思われます。
 スポーツでも、最初にダメなコーチについて、変な癖をつけると、あとあと矯正するのが大変です。まったく白紙の状態のときに、優秀なコーチにつけば、あなたの未来は約束されたようなものです。
 東京から北海道に行くのに、自分では方向が分からず、西の方に第一歩を踏み出しては、いつまで経っても、目的地の北海道にたどり着くことはできないでしょう。逆に、西に向かってどんどん目的地から遠ざかっていくようなものです。
 そんな初歩的な過ちを犯さないためにも、まずはこの業界の事をよく知っているベテランのシナリオライターに、的確なアドバイスを受けることが肝心です。
 その為にはどうするか-----? 
 シナリオ教室に通うのもいいでしょう。基礎科では、多数のシナリオライターの先生の講義が聴けます。研修科にいけば、個人的に教えてもらえます。
 前にも書きましたが、私の場合いい師に出会ったのは、2ヶ所目のシナリオ教室、5人目の先生でした。最初のシナリオ教室の研修科は、教えてもらう先生を、自分で選ぶシステムではなく、その期によって先生が違い、今回の研修科の教師は、この人たちですと、主催者側で指定してくるので生徒の方では選べませんでした。
 残念ながら、このときの教師は、三人とも私の書きたかったエンタテインメントの作品を書く人たちではなく、小説で言えば、テーマの先行した純文学風の作品を書くシナリオライターで、ドラマでは芸術祭風で、いまいちしっくりいきませんでした。
 2ヶ所目に通った教室の研修科で最初に教えてもらった先生には、
「あなたは、絵で語りすぎる」と言われ、「シナリオって、文字で絵を描くことだって入門書に書いてあったけどなあ-----?」と思い、「こりゃあ、あかん-----!!」と、その先生はラジオドラマが主戦場のライターだったので、さっさと見切りをつけて、映画の大御所と言われていた脚本家の先生の教室に移りました。
 この決断が大正解で、やっと運命の扉に手がかかったと言っていいでしょう。
 ここで、師を選ぶ場合気をつけないといけないのは、私にとっていい先生が、あなたにとってもいい先生ではない言うことです。
 人間には、相性という物がありますから、それを考慮にいれて先生を選ぶ必要があります。
 先生を選ぶ基準は、生徒から何人コンクール入選者が出ているか、あるいは、プロになった生徒が何人いるかでしょう。
 中には、何人もコンクール入選者が出ているのに、プロになった人が少ないという現象もあります。それは、その先生が原稿を添削し、その通りに書き直せば入選ラインに達します。しかし、そのやり方では、先生が浮袋になってしまっていて、いつまで経っても、プロで独り歩きできなくなってしまいます。
 2ヶ所目の研修科の教室は、最初に通った教室とは違い、研修科では1人の先生がそれぞれ1クラス受け持っていて、希望する教室に空きがあれば入れるシステムでした。私の場合は、運良く、書きたかったエンタテインメントの映画シナリオを書く先生の教室に入ることができたことは、幸運でした。
 それが、私の運命を切り開いたと言っていいでしょう。
 まさに「人が、運とカネとチャンスを持ってくる」と言われる通り、その先生との出会いが全てでした。
「成功の秘訣は、決して諦めないことだ。成功するまで、やり続けることだ」「目的地を持たない船には、追い風は吹かない」というところでしょうか。
 それまでコンクールに応募しても、一次は通るのですが、なかなか二次まで行かなかったのが、通るようになり、あっさりと最終まで残り、あれだけハードルが高かった入選というラインもクリアしてしまいました。
 その作品は、師が病気だったこともあり、誰にも添削してもらわずに書き上げました。
 しかし、その作品を出したとき、
「これは、ひょっとすると、ひょっとするのでは-----」
 という確かな手ごたえ、予感がありました。
 コンクール入選の連絡の電話がかかってきたときは、
「やっとこれで世に出られる!!」と、思ったものです。
 その日のことは、月並みな言葉ではありますが、昨日のように鮮明に覚えています。忘れもしない、6月1日でした。
 その電話を切ったあと、世の中がどう変わって見えるのか、自転車で多摩川土手をサイクリングしてみました。きっと今までくすんで見えた景色が、バラ色に見えるのかと思いましたが、いつも通りだったのには、ちょっとがっかりしましたが-----。

 最後にこの章の結論を言いますと、コンクール入選という感動は、一生に一度しか味わえない、何物にも代えがたいものがありますが、あくまで目的はプロのシナリオライターになるということです。その感動を実感するために、遠回りして時間を浪費するのは愚かなことです。
 プロになれば、脚本料で寄り道の資金は、いくらでも調達できます。デビュー前のカネのないときは、直線コースを走って、ムダ金は使わないことです。私のように、一本の脚本料50万円以内の投資(授業料)で済まして下さい。
 コンクール入選は、この業界へのパスポートにはなりますが、座席指定のチケットにはなりません。
 新幹線で言えば、1号車から3号車、9号車から11号車の自由席のホームに並んでいても、必ず座れるとは限りません。座れるまで何本か見送らなければならないでしょう。それに耐えられることができる人だけが、この業界行きの電車に乗れます。
 私のモットーである、「忍耐する者は、欲しい物を手に入れる」 というところでしょうか。
 プロのシナリオライターとしてデビューするということは、あくまでゴールではなく、スタートラインです。この記事を参考に、少しでも多くの方が、プロデビューというスタートラインにたどり着かれることを願っています。

 今回は、『コンクール編』を投稿しましたが、近日中に、デビューの方法として、『売り込み編』『依頼・紹介編』と、順次投稿していく予定です。
 乞うご期待のほどを-----。

プロフィール

http://ameblo.jp/ikusy-601/

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