見出し画像

あなたも、3年でプロのシナリオライターになれる!!(売り込み編) ④

 一般社会の売り込みと言えば、不動産、車、生命保険がありますが、この業界の売り込む商品は、テレビドラマ、映画と言った、映像の基となる企画書です。
 いい企画を考えて、何人もの制作会社の人が読んで、「面白い。すぐに映像化できる」と絶賛されても、即あなたに脚本執筆の依頼が来ることは、ほとんどありません。
「悪い、僕はあなたに脚本を書いてもらうつもりだったんだけど、局のプロデューサーがどうしても視聴率的に、名のあるシナリオライターがいいって言うんだ。だから、今回は泣いて。次回で必ず、書かせてあげるから」
 と、言われるのがオチです。そんなことは最初から決まっていたことで、シナリオは、すでに実績のあるシナリオライターに発注済みです。
 長い間温めていた企画が、人の手に渡り、鴨が葱(ねぎ)を背負(しょ)って来る状態で、悔しい思いをするのは、あなただけではありません。こういうことが繰り返されると、やっていることがバカバカしくなり、そういう仕打ちに耐えられない人は、この業界から去っていきます。
 あたら才能がありながら、こういう理不尽なことで、優秀な人たちが、あれほど憧れていたシナリオライターになることに見切りをつけ諦めるのは、もったいないことです。しかし、それが現実です。
 かといって、宮本武蔵のように、名のある武芸者に果たし状を叩きつけて相手を倒したり、道場破りをして名を上げるという戦法はとれません。第一、倒す相手は誰だよって話です。
 
 もうひと昔もふた昔も前に、あるシナリオライター志望の若者が、何度も何度もテレビ局のプロデューサーに企画書を持ち込んでいました。が、とうとう一本も映像化されなかったそうです。
 いつの間にか、その若者は、そのテレビ局に足を運ばなくなりました。それから数年後、そのプロデューサーが、小説の月刊誌を手に、
「今度の小説現代の新人賞をとった作品、面白いなあ-----」
 と、他のプロデューサーに言いました。それを聞いたプロデューサーは、
「それ書いたの、以前、あなたの所によく企画書を持ってきていた○○君ですよ」
 と言いました。その若者こそ、その後、出版業界で一時代を築くことになる、五木寛之さんです。
 こんな話も聞いたことがあります。
 あるテレビの時代劇で、プロットを公募したそうです。そのとき、多数の応募作品の中から入選したプロットを映像化しようと、担当プロデューサーが、その若者にシナリオを書かせました。  
 しかし、何度書き直しをしても納得するシナリオにならず、もう限界だと思って、ベテランのシナリオライターにシナリオを依頼しました。
 その後、その若者は小説の新人コンクールに応募して、その作品が入選し、小説家として華々しくデビューしました。
 彼の書く作品は時代にマッチしたのか、ことごとくベストセラーとなり、長らく小説家の長者番付1位に君臨していた松本清張氏を抜いて、1位に躍り出ました。
 その若者こそ、赤川次郎さんです。
 
 こういうことを回避するためにはどうすればいいでしょう?
 前回のコンクールの項で書きましたように、良きアドバイザー、師が必要になります。そういう人が傍にいてくれれば、その人と共同脚本という形で、クレジットタイトルに名を連ねることができ、無事デビューできます。そして、何本かそういう形でシナリオを書き、実績を重ね、プロデューサーとの信頼関係を築くことができれば、そう遠くない日には一本立ちができます。
 そのときのアシスタントプロデューサーとの打ち合わせの後か、ドラマの打ち上げの飲み会の席で、
「僕がプロデューサーになったときには、一緒にやりましょう」
 と言ってくれるかもしれません。結構こういう話はあります。私も一度言われたことがありますが、そのアシスタントプロデューサーは、何か嫌なことがあったのか、この業界に嫌気がさして、この業界から去っていきました。そういう人が多いのも、この業界の特徴かもしれません。何せ、入れ替わりの激しい業界です。“去る者は追わず”といった、シビアな世界です。
 クレジットに名前が出れば、しめたものです。そのドラマなり映画なりを観ていた他のプロデューサーから、お声が掛かるようになります。
 ここでも、前回のコンクール編でも書きましたが、
「何人の人を知っているかではなく、何人の人に知られているか」が、重要なポイントになります。
 政界でよく言われる、「悪名(あくみょう)は無名に勝(まさ)る」というところでしょうか。
 そういう良心的な師につくことが、この業界のデビューの方法としては、理想の形だと思います。
 良心的で実績のあるシナリオライターについていれば、見ず知らずのシナリオライターに、みすみす功を持っていかれるという、最悪の事態は回避されます。
 そのときの脚本料は、制作会社なり、テレビ局で払ってくれますが、3、7にするか、4、6にするかは、その先生との相談で決まります。
 脚本料では、直居氏からこんなことを聞いたことがあります。
黒澤明監督作品は、一人で書くことはなく、すべて共同脚本ですが、小国英雄、橋本忍、菊島隆三といった、日本の映画史に名前を残す錚々(そうそう)たる脚本家です。しかし、共同脚本だからといって、脚本料は分配式ではなく、一人で書いたときと同じ脚本料を、黒澤さんが東宝に請求してくれていたそうです。そうなれば、みんなやる気にならざるを得ないでしょう。
 直居氏は、黒澤作品の常連脚本家だった菊島隆三さんとは、軽井沢の土地を一緒に買って、隣同士に別荘を建てたほど仲が良かったので、黒澤監督や三船さんの裏話をよく聞かされたものです。
 残念ながら、私の場合は、師が高齢だったこともあり、もうほとんど現役を引退していた状態だったので、共同脚本という形でのデビューはできませんでした。
 
 最近、米倉涼子、柴咲コウさんなど、大物女優が大手芸能事務所から独立する現象が続いています。
きっと、大手の芸能事務所に所属していても、制作者サイドからのオファーが来るのをひたすら待っているだけでは、フラストレーションが溜まるからでしょう。
 ふと立ち止まって考えたとき、自分のやりたい仕事、つまり方向性が事務所の考えと違っていることに気づいたのでしょう。
 そうなると、“独立”という二文字が、ドンドン膨らんでいきます。しかし、独立したものの、なかなか思い通りにいくものではありません。そういうとき、ハリウッドのようなエージェントシステムがあれば、うまく行くのですが、日本にはまだそういうシステムはないようです。
 ハリウッドでは、エージェントが自分の抱えている監督、脚本家、スター俳優をセットで映画会社に企画を売り込みに行くそうです。そうすれば、その俳優さんに合った作品が作れるという好循環が生まれます。
 かつての黒澤明監督作品が、いわゆる“黒澤組”と呼ばれ、このシステムに近かったようです。監督・黒澤明、脚本・小国英雄、橋本忍、菊島隆三、俳優は三船敏郎、志村喬、加東大介、千秋実といった常連でした。
 最近、韓国のスター、イ・ビョンホンの事務所がそのことに気づき、イ・ビョンホンに合った企画を、監督、脚本家のセットでハリウッドに売り込んでいるそうです。
 このことは俳優さんだけでなく、制作者サイドの人にも言えます。自分のやりたい企画をやりたいと、テレビ局の看板プロデューサーが、親しい仲間であるディレクターなどと共に、テレビ局を辞めて独立します。
 しかし、今までは、東京キー局の中にいたから企画も比較的簡単に通ったのですが、独立するとなかなか思い通りに企画は通らなくなります。みんな、自分の実力で仕事をしていたと思っていたのでしょうが、いい仕事ができたのは、テレビ局に所属していたからです。芸能事務所のマネージャーや社長さんが、
「○○さん、○○さん」と崇(あが)めていたのは、その後ろにテレビ局という大組織があったからです。それが独立して、一個人になったとき、急に態度が冷たくなることはよくあることです。
 大いなる勘違いというところでしょうか。
 
 芸能界には、
「俳優殺すのには、刃物はいらない。下手なマネージャーをつければいい」
 という言葉があります。
 俳優さんにとっては、どこの芸能事務所に所属しているかで、運命が決まります。
 いくらルックスに恵まれて、演技もうまくても、それだけではこの芸能界では成功しません。売れっ子の俳優を何人も抱えた大手の芸能事務所に所属することが、成功の秘訣です。
 制作者サイドのプロデューサーの顔は、売れっ子の俳優を大勢抱えた芸能事務所の方に向いています。
 そう思って、私も大手芸能事務所に文化人枠で入れてもらおうと思い、最大手の芸能事務所の社長さんに手紙と作品を送りました。幸い、その社長さんは、物わかりのいい人で、しばらくして担当の人から連絡があり、その事務所所属になることができました。
しかし、残念ながらその担当者は、マネージャー業の人ではなく、シナリオに関しても、まったく分からない人でやりにくく、見切りをつけて、別の大手芸能事務所に所属しました。
 その事務所は、今流行りのネットドラマを配信していて、企画を探しているというので、「待ってました!!」とばかりに、今まで制作会社、テレビ局、映画会社に通らなかった企画を次々と提出しました。これだけ出せば、一本ぐらいは通るだろうと思って期待していたのですが-----。
 それから数日後、その担当者から会いたいという連絡があったので、
<スワッ、企画が通って、ひょっとして監督もやらせてくれるのでは!?>
 と、喜び勇んでその会社に行きました。
「私の勘違いで、企画書を出したら、うちの会社の担当者に、ネットドラマは、うちは配信だけで、制作は制作会社に丸投げで、うちから企画書を出しても、ダメらしいんです。無駄足させて、すいませんでした」とのこと。
 やっと念願のメジャーデビューできると、小躍りして行っただけに、梯子を外されて地下に真っ逆さまに落下した気分でした。   
 表参道の雑踏の中を歩きながら、
<いつになったら、自分は、この雑踏の中から抜け出して、メジャーな人間になれるのだろう-----?-----?>
 と思いながら、渋谷駅までの道のりが遠く感じられました。
「あたら才能がありながら、このまま自分は、この雑踏に埋没してしまうのか-----」
 と思うと、足取りの重かったことを今でもハッキリと覚えています。
「また、負け戦だった」という、黒澤明監督『七人の侍』のラストの、侍のリーダー・島田勘兵衛(志村喬)のセリフが頭の中をよぎっていました。
 その後、歌手のPV(プロモーションビデオ)の仕事を依頼され、何度か企画書を頼まれて書きましたが、この業界は生き馬の目を抜くスピードが必要なのに、その担当者はとにかく返事が遅い人で、イライラのし通しでした。
 結局、その仕事も、相手の歌手がドタキャンしてしまい、日の目を見ませんでした。普通は、ここまで拘束期間が長く、何回も企画書を書き直せば、キャンセル料として何万円かのギャラが発生するのですが、
「この埋め合わせは、次の仕事で必ずしますから」
 と言われ、ノーギャラでした。そして、“次の仕事”はとうとう来ませんでした。
 こういう無責任な人が多いのも、この業界の特徴です。
 しばらく経って、その会社に電話をすると、その担当者は会社を辞めたとのことでした。この業界、そういうことが多いです。 
 これにて、私も見切りをつけてその芸能事務所は辞めました。
 その後、『作家マネジメント』でネット検索し、10社以上のマネジメント会社に問い合わせてみましたが、ほとんどがなんの返事もありませんでした。中には、「私のTwitterにフォローしてくだされば、あとで連絡方法をDMします」とあったので、フォローしましたが、なんの連絡もありませんでした。
 どういうわけか、小さいマネジメント事務所は返事一つ来ません。作家マネジメントに特化している会社だから、小回りが利くと思ったのですが、電話で問い合わせても、電話に出た女性は、何も把握していないらしく、
「まだ返事がないのなら、今、上層部で検討中ではないですかね。もう少しお待ち下さい」
 と、要領を得ない返事でした。
 結局、そういう曖昧な会社は、マネジメント契約しても、うまくいかないと思われ、こちらから見切りをつけて、その後問い合わせをしませんでしたし、結局返事も来ませんでした。
 その点、大手の事務所は、問い合わせの手紙を書いて出したり、メールを送信すると、大体返事が来ました。
 一番記憶に残っているのは、やはりディズニー・ジャパンでしょう。外資系なので、どの部署に問い合わせていいのか分からず、直接代表取締役の外人社長に手紙と企画書を郵送しました。
 世界のディズニーだから、自分のような無名のシナリオライターなど、相手にされないだろうなと諦めかけていたら、
「私どもの会社では、持ち込み原稿は採用しないという社内規約がありまして、残念ですが-----」
 と、丁重な断りの手紙が担当部署から来ました。ここまで断りの理由を具体的に書いてくれれば納得です。と同時に、やはり世界的な一流企業は違うなと感心したものです。

                 ⑤(最終章)に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?