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(二)売り込み編 ②

 さて前置きが長くなりましたが、この回の本題に入ります。
リード(導入部)が長いのが、私の欠点ということなので-----。
 コンクールの次のデビュー方法といえば、売り込みでしょう。
しかし、この売り込みという方法も、コンクール同様、向き不向きがあります。
 私も以前、某大手飲料メーカーの飛び込み営業の仕事をしていたことがあり、赤字だった販売所を1ヶ月で黒字にしたほどの営業力がありましたが、この業界はガードが堅く、テレビ局に飛び込みで企画の売り込みに行っても、入り口に守衛がいて、アポがないと絶対に入れてくれません。
 昭和40、50年代のテレビドラマ全盛時代には、
「ちょっと赤坂に来たので、寄ってみました。新宿に来たので、寄ってみました。渋谷に来たので、寄ってみました」と、気軽にTBS、フジテレビ、NHKに入れたらしいですが、今は守衛が立っていて、アポなしでは、まず中に入れてくれません。
 電話でプロデューサーにアポを取ろうとしても、
「今、忙しいので」
の一点張りで、なかなか容易に会ってはくれません。
 昔は、ちょっと近くに来たので寄って、雑談の中からいい企画が生まれ、ドラマ史上に、あるいは映画史上に残る傑作ができたそうですが、今はそんなことは夢のまた夢、古き良き時代の話です。
 現在のように、やれ企画書だ稟議書だと言って時間をかけているうちに、今が旬の企画が旬でなくなってしまいます。企画は、採れたての野菜同様、旬が命ですから、時機を逸すると商機を失ってしまいます。
 報道の分野でも、ニュースの語源は、“新しい”を意味する言葉ですが、ニュースペーパー(新聞)やテレビのニュースは、現在では、ワンテンポもツーテンポも遅れて、瞬時に報道されるネットニュースに比べ、最早ニュースとは言いがたいものがあります。
 ビジネスは、何よりスピードが大切です。特に生き馬の目を抜くこの業界は、早い者勝ちです。
「それと同じ企画、自分も考えていたんだけどなあ-----」
 では、この業界では遅いのです。たとえ盗作であろうと、先に作品化した方が勝ちです。
 盗作とは真逆の、こんな話を聞いたことがあります。
 日本映画史に残る、ある傑作映画の裏話です。
 その作品は、某シナリオ教室で、一生徒さんが教室の卒業制作で提出した映画のプロットでした。
 数年後、そのプロットを目にした映画関係者(プロデューサーか脚本家か監督)が、これを映画化しようと思い立ち、それを書いた人をシナリオ教室の名簿を頼りに、アパートに訪ねて行ったそうです。しかし、彼はもう引っ越してそこにはいませんでした。
 登録しない限り、プロットには著作権はありません。(注)
 しかし、その映画関係者は良心的な人で、彼の承諾を得ようと、わざわざ彼の出身地まで訪ねて行きました。
 しかし、彼はもうシナリオライターになることを諦め、生まれた土地で結婚し子供もでき、家族と共に、平和で人並みの生活を送っていました。
「あなたの書いたこのプロットを、映画にしたいので、ぜひ使わせてもらえないだろうか?」
 と、その映画関係者が言うと、
「はい、いいですよ。もう私は、シナリオライターになろうなどと、大それた夢は持っていませんから、どうぞ、ご自由にお使い下さい」
 と、彼は迷うことなく答えたそうです。
 もし、シナリオ教室で、そのプロットに目を止める人がいて、その時点で彼に声を掛けてくれていれば、彼の人生は変わっていた筈です。シナリオライターになるという夢を実現して、今では売れっ子のシナリオライターとして、山田太一、倉本聰氏のように、名を成していたかもしれません。
 人の一生は、ちょっとした行き違い、すれ違いで大きく変わってしまいます。
 人生とは、そうしたものかもしれません-----。
 
(注) どこかに企画書を登録すれば、その時点で、当方は、この年月日に確かにこの企画書を受理しましたという封をして、その上に年月日の判を押してくれるそうです。そうしておけばアイデアを盗まれたという場合、訴えればこれが証拠となって裁判で有利になります。
 
 もとよりシナリオは、小説と違って作品ではなく、商品と言っていいでしょう。それゆえ芸術ではなく、ビジネスという感覚でやらないと失敗します。つまり、ドラマや映画の企画書は、ビジネスの企画書を書く感覚で書いた方がいいようです。下手に肩肘張って、
「自分は、芸術をやるんだ!!」
 と企画書を書いていては、いつまで経っても企画は通りません。
 芸術祭賞というのがありますが、あれは、視聴率度外視で、こむずかしい題材を書いて、賞を狙って書く物らしいです。
 小説で言えば、ストーリー主体のエンターテインメントではなく、テーマ重視の純文学というところでしょう。
「うちの社は、文学してます」
 とステイタスを保つために、赤字覚悟で、売れない文芸雑誌を出しているようなものです。
 
 経験上、企画の売り込みはお手の物なので、プロデューサーとタイミングが合って、コンタクトができて企画書を渡すことができたとしても、まず返事は来ません。しびれを切らして、電話をしても、
「いやー、バタバタしていて、まだ読んでないんだよ。読んだら、こっちから電話するよ」
 と言われます。しかし、その後、連絡が来ることは、まずありません。
 どういうわけか、「バタバタしていて-----」というのが、業界用語なのか、10人中、半分以上がこの言葉を発します。
「引っ越しでもしとったんかい-----!?」
 と、思わず突っ込みを入れたくなります。が、そんなことを言ってはいけません。あくまで営業は、下手(したて)に下手にが原則です。高飛車、タメ口は厳禁です。そんな態度をとろうものなら、すぐに出入り禁止になってしまいます。
 キー局のプロデューサーは、給料も社会的地位も高いので、上から目線で、妙なプライドを持っている人が多いのも事実です。
 その点、女性のライターは得かもしれません。
 一時期、“オヤジ転がしのお姉ちゃんライター”と言われたように、ルックスに恵まれた人は、時代劇ではありませんが、
「愛(う)い奴、近(ちこ)う寄れ」となります。
 何故かこの業界の女性ライターは、
「道を間違えたんじゃないの? 女優になった方がいいんじゃないの?」
 と思うほど、ルックスに恵まれている人が多いです。まあ、仕方がありません。
 小説は、「作品さえよければ、容姿は問わず」というところがありますが、シナリオの場合は、小説と違って、個人作業ではなく、プロデューサーやスタッフとの打ち合わせがありますから、共同作業という面が強く、人に好かれないと具合が悪いようです。
 それに、今はいわゆるF1層(20~34歳)、F2層(35~49歳)と言われるテレビドラマのメイン視聴者層がターゲットですから、その年齢のシナリオライターが重宝(ちょうほう)がられます。
 制作会社のプロデューサーに聞いた話では、今は昔と違って、
「よろしくお願いします」
 と、シナリオのすべてをライターにお任せではなくて、あらかじめ局のプロデューサーが、ストーリー、キャラクターを作っていて、パズルを埋めていくように、リアルタイムでその年齢層を生きている女性ライターの、リアルなセリフを求めているそうです。
 そういうやり方では、どういう現象が起きるかというと、山田太一、倉本聰、向田邦子氏などのような、作家性が出てこないということです。
 もう賢明なるこの記事の読者はお分かりでしょうが、作家性が失われたということは、どのドラマもテレビ局こそ違え、右向け右、左向け左で、金太郎飴のような、既視感満載のドラマになってしまいます。
ついでに言わせていただければ、金太郎飴現象は、作品だけではなく、制作者サイドの人にも言えます。
 かつて映画、テレビ業界の草創期には、現在のように大卒の受験エリートの集まりではなく、学歴は関係なく、玉石混交(ぎょくせきこんこう)で、ダメな人はからっきしダメだが、優秀な人は、飛びぬけていたそうです。
 その代表が、黒澤明監督、木下惠介監督、(ともに中卒)、溝口健二監督、新藤兼人監督(ともに小卒)さんたちでしょう。
 しかし、今は、この業界は大卒しか採用しないので、発想が似たり寄ったりで、人としても苦労していないので、面白みに欠ける人が多いのも事実です。
 かつて、ダスティン・ホフマン主演の、『トッツィー』という傑作映画がありましたが、売れない男優が、女装して女優になったとたんに売れっ子になったというストーリーです。
 残念ながら、シナリオライターは、男と女では発想、タッチが違いますからその手は使えません。と思っていたら、少女漫画などの原作者が男なのに、読者が女の子なので、作者名を女性の名前にしていると聞いたことがあります。
 まあ、夢を売る職業ですから、商魂たくましいと言うか、何というか-----。
「売れれば、それが正義だ!!」というところでしょうか。
 あなたも、男女を問わず、「愛い奴、近う寄れ」と思われるようにしましょう。
 そうすれば、いつか道は開けます。嫌われれば、その“いつか”は、永遠に訪れないと覚悟しておいて下さい。あなたの後ろには、順番待ちをしている大勢のシナリオライター予備軍がいることを、忘れてはいけません。
 これは、大手出版社の小説雑誌の編集長から直接聞いた話ですが、小説家はシナリオライターとは逆に、わがままで、あまり人に好かれない人の方が不思議と成功するそうです。
 シナリオと違って、共同作業ではなく、あくまで編集者は、伴走者的な位置取りなので、作品さえよければそれでいいみたいです。「嫌な奴」と思われても、作品が良ければノープロブレムです。
 それゆえに、小説家は個性的な人が多いです。曲者ぞろいと言ってもいいかもしれません。
 ある高名な推理作家の人は、出来上がった原稿の中の、1ページか2ページぐらい、わざと抜いて編集者に渡して、その旨、編集者から連絡が来たら、
「あれッ、抜けてた?」とすっとぼけて、あとで取りに来させていたそうです。
 そうかと思えば、原稿を取りに来た編集者を外に待たせて、二階から「いちま~い、にま~い、さんま~い」と、番町皿屋敷のように、投げて渡していたそうです。
 その作家は、小卒の学歴で、編集者はみな大卒のエリートなので、学歴コンプレックスがトラウマになっていたのではと思われます。
 自分のルックスや性格に自信がなければ、ペンネームを使用して、打ち合わせには、アシスタントか個人マネージャーを行かせて、決して姿を見せない、年齢も本名も明かさない覆面作家、謎の作家、“現代の写楽”を目指すのも手かと思われます。
                  
      ③に続く

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