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遺書。(第2章〜計画的偶発性〜)

親愛なる君たちへ。
君たちがこの記事を読んで理解できているとしたら、おそらく早くても今から10年後くらいだろうか?

この記事を書いている今、2024年。
世の中は日々進化・変化し、特に社会のあり方や働き方が大きく変化しつつある時代の過渡期に差し掛かっている。

君たちが成人する頃にはそれはさらに加速し、今現在では考えられない混沌とした社会の中で、さぞ生きづらさを感じながら生きていることだろう。

しかし時代が変わっても普遍的なマインド・行動原則があり、私はそれを指針に今を生きている。
10年後生きていたとしても、おそらくそれは変わらないだろう。
そんなエッセンスを、何章かに分けて書き、伝えていきたいと思う。

さて、今日のテーマにいこう。

「大切なのはどの道を選ぶか?ではなく選んだ道をどう進むか」

以前、「"良い偶然"を引き寄せる習慣」と題して、計画的偶発性について書いた。
計画的偶発性とは、「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される」とし、その予期せぬ偶然の出来事にベストを尽くして対応する経験の積み重ねで、よりよいキャリアが形成されるという考え方だ。

この記事を読むと、「なんか、とりあえず色々やって繋がってとりあえず何かになった人。」というイメージを持つだろうか。
はたまた、「地に足が付かないフラフラしたおじさんが、たまたま上手く行ったストーリーじゃないか?」と思うだろうか?
だとしたらそれは違う。

私のこれまでのキャリアについては上記の記事で述べたとおり。
決して夢見たものを掴んで幸せを実現させた人間ではない。
幸か不幸か、意図しない偶発的な機会や人との出会いによって、それなりに小成功を達成してきたと自負している。

そこには常に、"一所懸命"があった。
念の為に言っておくが、意図しない機会が起点で物事が始まったことが多かったが、いい加減にやってきたことは一つもなく、どれも真剣にやってきた。

悲しいかな今現在の日本では、「色々なことに手を出している人=中途半端=信用できない」というようなイメージが少なからずあると思う。
そういった人種がいるのは事実ではある。

だが、"一所懸命"の連続でキャリアアップし、社会に大きく貢献している人々がいるのも事実だ。

生きていく上では、さまざまな選択を迫られる。
もはや、人生においても仕事においても、常に選択の連続だ。
そこで伝えたいのが"大切なのはどの道を選ぶかではなく、選んだ道をどう進むか?"だ。

多くの日本人は、失敗を最大限回避するために綿密な計画を立て、着実な道を進もうとする。
それが故に、戦後以降の日本の高度経済成長が成されてきたことは事実だ。

しかし時代は大きく変わり、物事が加速度的に変化し、世界はボーダレスになり、各所でさまざまな選択肢が出現し、もはや”正解”というものの定義は今まで以上になくなっている。

上述の、高度経済成長を支えた日本人の気質、つまり、”どの道を選ぶか”に時間とリソースを割いていたことが功を奏した時代はすでに終わり、スピーディーな選択と行動を常に求められる世界になっている。

そこで重要なのが、選んだ選択にどれだけ価値を創出できるか?
に自ら挑戦することだと私は強く思う。

上述のとおり、私は夢を持ち、計画を立て、着実に進み、夢を掴んだ、というような美しい人間ではない。

しかし今、計画的偶発性のもとに物事がうまくいき、充実した人生を歩んでいるし、君たちにもそうなってほしい。

具体的な話をしよう。
例えば大学受験に失敗し、志望校に行けなかったとする。
そこで腐れば試合終了だ。
しかし、まずは与えられた学びの場で何か一番を目指して頑張ってみる。とか、空いた時間を活用して学外の活動に力を入れてみる、とか、いろんな人に会ってみる、など、能動的に行動してみることで、偶発的な機会を積極的に探してみてほしい。

腐ったり、手を抜いてダラダラしてしまえば、もう成長はない。
計画的偶発性の恩恵を受けるには前向きな気持ちと積極的な行動が必要不可欠なのだ。

もし反抗期だったり、やさぐれた状況の時にこの記事を読んでいたら、「綺麗事を抜かすクソ親父が」とでも思うだろうか。
しかし、これは私の40年の人生の経験に基づいた事実だし、学術の世界でもさまざまな研究で明らかになっている。

つまづいた時、不安になった時にこそこの言葉を思い出してほしい。

"大切なのはどの道を選ぶかではなく、選んだ道をどう進むか?"

ここまで読んでくれてありがとう。

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