相良育弥

1980年生まれ 株式会社くさかんむり代表 茅葺き職人 兵庫県神戸市北区淡河町を拠点…

相良育弥

1980年生まれ 株式会社くさかんむり代表 茅葺き職人 兵庫県神戸市北区淡河町を拠点に、 空と大地、都市と農村、日本と海外、昔と今、百姓と職人のあいだを草であそびながら、 茅葺きを今にフィットさせる活動を展開中。 https://kusa-kanmuri.jp/

最近の記事

植物のような

とある茅葺き屋根にお住まいのおばぁちゃんに、「何かやりたいことはある?」と問うと、「別にないな。」とそっけない返事が返ってくる。 「どこか行きたいところは?」と聞くと「それも別にない。」と、 基本的に欲も自我もあまりないような答えが返ってくる。 もちろん歳をとったから今更という側面もあるのだと思いますが、 そういう前提とはまた違う、静かなニュアンスが含まれた佇まいで、 とつとつと答えてくれる。 これはこのおばぁちゃんに限らず、今まで出逢ってきた田舎にお住まいの おじぃちゃ

    • いなす にがす

      茅葺きの仕事をしていたり、農村で暮らしていると、よく「いなす」や「にがす」という言葉を使う場面に出逢います。 漢字で書くと「往なす/去なす」や「逃す」で、一見するとネガティブで消極的な印象を受けますが、実際はそうでありません。 例えば茅葺き屋根の修復をしていて、予期していなかった損傷を発見した時や、台風などで雨漏りしてしまった時など、その損傷に真正面から向き合っていると工期も予算も合わなくなってしまうし、雨漏りの下には現在進行形の生活があるので、本格的な解決は将来に託し、

      • sustainable と survival

        コロナ禍以降、「sustainable」という言葉を、今まで以上に目にも耳にもするようになった。 そのまま「持続可能な」という意味で使われていて、環境破壊や気候変動などの問題に、事の発端はどうあれ企業や社会がマジメに向き合い出した事に関しては良い事だとは思う。 茅葺きに関わるものとしては「やっとか。」と言ったところで、身の回りの自然環境とダイレクトに関わるような職種は、持続可能性はデフォルトの思考なので、自然の持つ生成力や回復力を超えた量や速度の物事は、初めから実現不可能な

        • わしら世代

          十数年前まで茅葺き屋根のお施主さんといえば、十中八九おじぃちゃんおばぁちゃんでした。 それも当時の年齢で80歳前後くらいの年代で、今も生きていれば90〜100歳くらいの方々です。 当時そんな年代のおじぃちゃんおばぁちゃん達に、ほんとうにたくさんお逢いしました。 茅葺き屋根の仕事で毎日お宅に伺い、縁側で様々なお話を伺ったのが懐かしい。 そしてその世代がお話をする時に共通している事があり、 自分の話をする時に一人称複数形の「わしらは」から話を始めます。 「わしらはこうやって生

        植物のような

          三十姓であるという事

          20代前半の頃、僕は百姓になりたいと思っていた。 当時、百姓になりたいと言うと、農家になりたいのだと思われる事が殆どだったが、そうでは無くて歴史学者の網野善彦さんの言う「百姓〜ひゃくせい〜」としての百姓になりたいと思っていた。 網野善彦さんの言う百姓とは、今で言うと兼業農家に近いのだが、 かつては多少の田畑を耕作して食料を作るというのはごくごく当たり前の事で、 大工や鍛冶屋、石工など何らかの専門的職能を身に付けていて、 それ以外にも生きてゆくための様々な技を身に付けていた。

          三十姓であるという事

          Old School,Respect,Fresh

          茅葺きに出逢う前の、僕がまだ10代の頃にHipHopに傾倒し、 趣味レベルですがDJを20代の前半くらいまでしていたりしました。 僕たちの先輩世代がPunk Rockを聴いていたように、 僕たち世代の社会に不満のある若者の、有り余るエナジーの受け入れ先のひとつを、当時のHipHopが担っていたように思います。 初めてクラブに行った夜の、鼓膜では無く皮膚で感じる爆音やタバコの匂い、呪文の様なRapや、音と共に縦に揺れる Heads達、薄暗く熱気が満ちた濃密な空間体験は、今でも

          Old School,Respect,Fresh

          人間と自然の間合い 〜不自然の力〜

          “人間の自然とは反自然である” 心理学者の河合隼雄さんの著書の中にこのような一文があった。 人間を含む哺乳類は、進化の過程で大脳新皮質を獲得したそうだが、 特に人間はそれを発展させて、 他の生物とは一線を画し、自ずから然らしむ自然の中で不自然な存在となった。 しかしそれは決して悪い事ではなく、人が人以外の存在にも耳を傾け、 自然の大きな生態系の中に積極的に参加した時にだけ立ち現れるものがあると思う。 artの語源はラテン語のars(アルス)で、arsはギリシャ語のte

          人間と自然の間合い 〜不自然の力〜

          晩翠、そして草青む  〜茅葺きをあらたしく〜

          大きな暖流に撫でられた、温暖湿潤で自然の生成力が豊かなアジアの東の島国日本。 その足元から湧き立つような自然の力と、人は永い時間を共にする中で、 自然と人のお互いの言い分の調停点を見つけ、奪いすぎず、奪われすぎず生きてきた。 茅葺きはそんな自然と人の絶妙な間合いのシンボルとして、 日本列島の其処ここに、まるでその地域固有の植物の如く生えるように存在し、 地域ごと時代ごとの、多種多様な美を見い出しながら、 人という種の住処として今日まで続いてきた。 しかしながら戦後の高度

          晩翠、そして草青む  〜茅葺きをあらたしく〜

          先人に対する敬意と反発と

          僕達のような伝統的な仕事は、世間的には絶滅危惧種扱いで、社会というよりも国レベルで庇護される対象になっていたりします。 そういった前提のもと、「技を受け継ぐ」ということが修行の大前提としてあって、教本やYouTubeで学んで茅葺きが出来るようになる事は現状不可能に近いので、誰かに就いて学ぶしか方法がありません。 そうなると必然的に縦社会のような構図が発生し、経験年数が絶対的評価軸となり、現代のデジタルネイティブ世代が、デジタルが苦手な先輩世代よりも始めから優れているといっ

          先人に対する敬意と反発と

          下を向いて歩こう

          茅葺きのような昔々から続いている仕事をしていると、 現代の中で評価されている、新しいと言われる価値観やサービスに違和感をおぼえることがあります。 持続可能性なんかが代表的ですが、パーマカルチャーやマクロビオティック、マインドフルネスなど、 そもそも自分達の生まれたところに元々ある伝統的な衣食住の知恵や、 心のありようを発端とし、それが一度海外に出て逆輸入で戻ってきたようなものが、何故かしら現代社会の中で評価されている。 戦争に負けて、自分達の価値観を否定し見直してきた日本

          下を向いて歩こう

          道の辺の花に、いちいち感動できるかどうか

          田舎に住んでいると、たまに田舎に移住したいという人に色々と質問される事があります。 「田舎暮らしってどんな感じですか?」 「村の付き合いって大変なんですか?」 「交通の便が悪いので大変じゃないですか?」 などなど、あげ出すとキリが無いですが、田舎という未知の世界で、 どうやらキチンと「ご飯を食べる事が出来てそうな事例1」として、 そんな感じのザックリした質問をされます。 そう言われてもこちらは孫ターンみたいなものですが、子供の頃から田舎に住んでいるので、デフォルトの思考

          道の辺の花に、いちいち感動できるかどうか

          縁側と畔と車移動と。

          茅葺きのお家には必ず縁側があります。 同じように田んぼと田んぼの間には必ず畦がある。 どちらも特に何をするでも無い場所でもあるのですが、 そんな農村の営みの余白のような場で、 実は結構大切なやり取りが行われていたりします。 そんなに大した用事ではなく、家に上がらせてもらって腰を据えるまでもないような、日々の何でもないやり取りの際は縁側に腰掛けて話したり、 ちょっと通りすがりに用事を思い出したり、農作業の休憩をしに家に帰るのも億劫な場合は、田んぼの畦に腰掛けて話したり。

          縁側と畔と車移動と。

          正気と狂気

          茅葺きに関わっていると、(と言うかくさかんむりには)よく鬱々とした若者が流れ着きます。 どうやら僕にはそう言う人たちを惹きつける何らかのフェロモンかバイブスが出ている様なのと、有難いことに他薦もいただいている様で、自動的にくさかんむりに悩める若者が送り込まれてくるというシステムが、外部に出来上がっている模様。 そんな事なので、たくさんの悩み多き若者と話す機会があるのですが、 そのほとんどのケースは頭だけで考えすぎていて、身体を置き去りに思考している事が原因で、脳からの指令で

          正気と狂気

          道草 草分け 草枕

          皆さま新年明けましておめでとうございます。 noteを始めると言ってはや2ヶ月。 案の定何も投稿でき無いまま新年を迎えました。 とは言えお正月休みで少し心身共に落ち着いたので、 ぼちぼちと筆を取る余裕も出来てきて、 今年は可能な限り書いてみようと思います。 去年は(も)忙しすぎたので、今年の抱負は「余白」にしました。(ちなみに去年の抱負は「休む」でしたが、、) 去年東京で見た、李禹煥の展示のような、あんな美しい余白をスケジュールにつくりたいなと。 茅葺きにも、くさかんむりに

          道草 草分け 草枕

          みなさまはじめまして。

          神戸市北区淡河町という、神戸市とは名ばかりの小さな農村を拠点に、 茅葺き職人をしている相良育弥と申します。 茅葺きとは何ぞや?みたいな声も聞こえてきそうですが、 そこはまぁ各々調べていただくとして、 茅葺きという古から連綿と続いてきた草で屋根を葺く技を、 なんの因果かこんな時代に受け継がせてもらい、 日々仕事をする中で気付いた、現代では忘れ去られてしまっているような 本当に大切だと思う事や、 忙しさの加速度の中で、こぼれ落ちてしまいそうな愛おしい事、 そして最近増えてきてい

          みなさまはじめまして。