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① (ビデオは10/9まで) 【世界が戦慄した 日本陸軍の実力】〜【イカヅチ・艦長:工藤俊作】 // ② 気になるツイート…💉 👈ツイートを沢山貼り付けると重くなるので、かなり削除しました。

メルマガの転載などです…✍️🐧💦  それにしても【イカヅチの工藤俊作艦長】の実話は、何度聞いても良いですね。動画と、惠隆之介氏の記事を貼っておきましたので、よろしかったらどうぞ〜。

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① 世界が戦慄した日本陸軍の実力 👇  10月9日まで公開です。


< バカにされた日本が世界を驚愕させた事件 >

日本が清に戦争を仕掛けると言った時、世界は笑った。しかし、実際に戦争が始まると...

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突然ですが、あなたは「日清戦争」と聞いて何を思い浮かべますか?日本が清に勝利したと思い浮かべると思います、、しかし、当時の世界各国は、日本が清に負けると思っていたのです。

その理由は、戦艦の重量差があったからです。清はドイツから購入した、7400トン級の「戦艦定遠」を持っていました。それに対して、日本は、清のような大きな戦艦を持っていませんでした。つまり、日本は戦艦の大きさで負けていたのです。

さらに、当時の清はアジアの大国だったので、日本のような小さな島国に
負けるなど思われていなかったのです。実際に、世界各国は、清の勝利に70%以上を賭けていたのです。

しかし、あなたもご存知の通り、日本が清と戦争を始めると日本が勝利をしたのです。では一体日本はどのようにして清に勝利したのか?その真相はこちらのビデオでご確認ください…

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< 世界から認められた日本の海戦術 >

あなたは、知っていますか?日本が日清戦争で巧みな海戦術を使って、清に勝利したことを、、日清戦争当時の海戦術は、「横陣」による戦いが主流でした。横陣とは、戦艦が横一列に並び、砲弾で戦艦を射撃する戦術です。また、横陣の海戦術は戦いで不利になった時に、戦艦自ら敵の戦艦に、突撃することもできる海戦術です。

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つまり、大砲の大きさがものをゆう海戦術です。一方で、「縦陣」による戦いの海戦術あります。縦陣とは、戦艦が進行方向に対して一列に進んでいき、敵艦の横や背後をとり射撃する海戦術です。

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つまり、機動力や統制力が重要になる海戦術です。当時の日本は縦陣の海戦術で清と戦いました。なぜ日本は縦陣の海戦術を選んだのか?なぜなら、日本は清のような大きな戦艦「定遠」を持っていなかったからです。

さらに、横陣の戦いでは、大砲と戦艦の大きさが勝敗に大きく関わってくるからです。そして、日本が縦陣の海戦術で清と戦うことを決めると、、当時の清は、お互いが横一列に並び砲撃をしあうと予測していたが、裏切られる結果となったのです。

そして、縦陣の海戦術を使い、日本の戦艦は敵の背後、横から砲撃を行いました。しかも、その時、大きな大砲を使わず、小さな大砲のみを使用しただけだったのです、、そして、この海戦を目撃した米国少佐マギフィン氏は、センチェリー誌でこう述べています。

「日本戦隊が終始一貫、整然たる単縦陣をまもり、
 快速力を利して自己有利なる形において攻撃を反覆したのは驚嘆事であった。
 清国戦隊は、いきおい守勢に立ち、混乱させる陣形において
 応戦するほかはなかった」

つまり、米国少佐を驚かせるほど、日本の縦陣と呼ばれる海戦術がすごかったのです、、のちに日本のこの単縦陣は「19世紀における機動海戦の標本」と言われるのです。そして、歴史に刻まれている通り、その後、日本は日清戦争で勝利を収めたのです。

しかし、あなたは不思議に思いませんか?一般的に「日本は弱小国」だと言われていることを、、しかしながら、歴史の教科書やテレビでは「日本が強かった」
ということは伝えてくれてません。

では一体なぜこのような真実の歴史を教えられていないのか?それには、GHQが恐れていたあるものが日本にはあったからなのです、、、

PS

「あまりに戦前の日本の歴史が、正しく教えられていないのではないか?」

そんな想いから、誰でもわかりやすく理解できるようにと製作することにしたのが
上島嘉郎氏による「帝国陸海軍の軍事力」〜本当は軍事大国!
米国とソ連が恐れた最強軍団の全貌です。

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この講座を見れば「日本は弱小国」ではなく、実際には「日本は強かった」ことがわかります。そして、今まで教えられていた歴史の真実と違うので、視点が180度変わって、スッキリと歴史の真実が見えてきます。

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< 戦前の日本陸海軍が強かった秘密 >

上島嘉郎の人気講座

「帝国陸海軍の軍事力」〜 本当は軍事大国! 米国とソ連が恐れた最強軍団の全貌

講座の中身をお伝えすると、、、

「帝国陸海軍の軍事力」〜本当は軍事大国!米国とソ連が恐れた最強軍団の全貌

【第一章】
歴史教科書が教えない「大日本帝国陸海軍」という大革命の秘密
〜 明治日本の国家存亡をかけた挑戦、そして、封印された偉業

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講義1:「薩長と陸軍士官学校」
暴発する旧士族 vs 維新政府軍…そして決着の「西南の役」へ

講義2:「新徴兵令と帝国主義時代」
兵役は苦役という嘘。左翼学者が知らない世界の常識

講義3:「激動の朝鮮半島と拡大する陸軍師団」
朝鮮軍、台湾軍、関東軍…重い税負担と国民の共通了解

講義4:「長崎海軍伝習所」
勝海舟からスタートした近代海軍への道

講義5:「陸海軍の同床異夢」
世界で王座を争う戦闘力。それでも大東亜戦争で敗れた訳とは?

【第二章】
日清戦争勝利と帝国陸海軍のインパクト
〜20世紀の世界史の行方を変えた衝撃の軍略的イノベーション

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講義6:「遵法精神を貫いた日本  vs  野蛮を極めた清国」
東京裁判史観が言わない日清戦争の真実

講義7:「日本の三景艦と連合艦隊の誕生」
外注した巨大戦艦で示威する清国と国産を目指した日本の違い

講義8:「明治天皇と海軍」
建艦闘争勃発!政党政治が生んだ闇と神国日本の一致団結

講義9:「昭和の海軍まで 引き継がれた元祖・肉薄戦」
戦後の教科書が語らない日本将兵の精神とは?

講義10:「北洋艦隊撃滅」
伊東祐亨が敵将に日本亡命を提案? 日本人が語り継ぐべき民族の記憶

講義11:「闇に葬られた三国干渉の真実」
勝っても孤独、負けても孤独… 立ちはだかった列強の壁

【第三章】
世界の海戦軍略を覆した日露戦争勝利の光と影
〜世界をリードする日本人の「技術力」と大東亜戦争への布石

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講義12:「英国の支援と露国の謀略戦」
日露戦争前夜、戦艦調達の駆け引きと窮乏する日本財政

講義13:「軍神・広瀬武夫の旅順閉塞作戦」
フランス艦船武官が見たロシア・コサック兵の堕落と際立った日本軍の武士道

講義14:「世界の常識を覆した日本海海戦」
“我が憧れは東郷平八郎”米海軍少尉が畏れた世界水準の戦い

講義15:「科学大国日本!下瀬火薬と伊集院信管の発明」
“砲戦では沈まない”という海軍界の定説を覆した日本の技術力

講義16:「山本権兵衛と米英の警戒」
PR運動に奔走する海軍、そして弩級戦艦時代へ


【第四章】
世界が恐怖した大日本帝国陸海軍のクオリティ〜「無謀な戦いを挑んだ小国日本」の嘘。誇るべき日本軍の実力と敗戦の真相

講義17:「司馬遼太郎が語らない最強陸軍の真相」
なぜ“乃木希典愚将論“の嘘が広まったのか?

講義18:「第1次世界大戦と日本の国際連盟加入」
“地中海の守り神”と謳われた日本海軍の実力

講義19:「日米対立と太平洋の覇権」
大和、武蔵、零戦…高まる緊張と海軍による対米作戦構想の変遷

講義20:「山本五十六の MADE IN JAPAN構想」
三菱、中島、愛知時計…世界の海空軍を驚かせ、アメリカ空軍を圧倒した零ファイター

講義21:「世界初の空母機動部隊」
昭和16年12月8日、アメリカを凌駕していた日本の戦闘力

講義22:「ソ連将軍が恐怖したノモンハン事件」
“日本陸軍の大敗”は嘘。23万のソ連軍が 2万の日本軍に大苦戦した訳

講義23:「世界一だった日本の軍事力」
勝てたはずの大東亜戦争で、なぜ惨敗を喫したのか?

さらに、本講座には特典講座がついており、その内容は・・・

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【特典講座】「日清戦争」戦後教育の嘘を暴く

講義1:「江華島事件の真実」戦後左翼が語らない日朝関係の封印された闇

講義2:「日清戦争開戦と高陞号事件」“戦前の日本は好戦的国家“という大嘘

講義3:「黄海海戦と東郷平八郎」世界の予想は、清国・七、 日本・三

講義4:「“軍国主義国家”の嘘」
タクシー、ジャズ、映画…戦前の日本は、こんなに豊かだった

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特典講座で学んでいただければ学校教育ではあやふやだった「日清戦争」の流れがスッキリ身につくと同時に、中国・韓国の人たちが主張する嘘を鵜呑みにしなくてもよくなるはずです…

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PS

すでに講座を受講いただいた方から寄せられたお声を紹介します。

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「納得ばかりの講座です」  ★ ★ ★ ★ ★ 石渡様

1)大日本帝国陸海軍建軍の由来に関して、年次を追って詳細に解説していること

2)大東亜戦争前半頃までは、軍隊生活は若者の多くにとって
  歓迎し得るものだったこと

3)歴史上良く知られた各種の事件についても、関与した帝国陸海軍を
  貶める目的で捏造・歪曲・虚偽によるプロパガンダが繰り広げられたこと、
  特にこれは中国大陸覇者が、常套的に利用する手法であること

などの指摘は、納得し得るものでした。

さらに、日清・日露戦争に関して、当方が知らなかった各種逸話と共に、
当時仮想敵国としていた米英の戦力と比較して、
大東亜戦争開戦当時の大日本帝国陸海軍の戦力は殆ど遜色のないもので、
無謀な戦争を引き起こしたと言う非難は当たらない、と言う指摘も
納得の行くものと思いました。

全体的印象として、大日本帝国陸海軍将兵の武士道精神に対する上島先生の
敬慕と愛惜の念が色濃く滲み出た講座であると思えました。

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「学んだことを誰かに伝えたい」  ★ ★ ★ ★ ★ たけやん様

近代化を目指して走り始めた日本国が、明治の終わりには国家予算の半分を軍に
投じていたと言うお話しには驚きました。このような予算組みが当時の日本で本当に必要だったのかと考えると疑問に思う箇所もあります。

国民を、国を豊かにする事が本来の目的であったはずの近代化は列強に対峙していく当時の世界状況の中で軍事に傾かざるを得なかったのではないかと言う思いを持ちます。確かに世界に誇る海軍は持ち得たかも知れません、また、当時、海軍力が国の力を現すものだったと言うのも理解できます。それでも、国家予算の半分を軍に投ずるのは異常だと思うわけです。

選挙が始まり、政党政治が実現しても、国民の代表であるべき政治家が集う政党は党利党略に明け暮れ、挙げ句の果ては明治憲法の脆弱性に乗じてそれを
利用する始末。本当に情けない話です。

なかなか、本当に人が平等に生きる事の出来る社会が実現する道は険しいのだなと思います。しかし、その中でも有色人種の中で唯一世界に通用する力を持ち、そして、自国の為に戦った先祖を誇りに思い今一度、GHQの呪いをほどき、人に伝える努力を惜しまずに、正しき道を目指して力強く進まなくてはならないのだと思う次第です。

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いかがでしょうか?

歴史に限らず、世の中の情報の多くは「こうあってほしい」「こうだったはずだ」
という思い込みから情報が切りはりされたり、意見ばかりが並べられて根拠が弱かったり、結果から見て断罪したり...そのようなものが多くあります。

しかし、上島嘉郎の講座は「右や左に偏ることなく 事実に基づき多面的に日本の真の歴史を知ることができる」のが特徴です。

もしあなたが
・歴史の真実を知りたい
・自分の頭で考えたい
・日本をなんとかしたい

そうお考えなら、ぜひ…
「帝国陸海軍の軍事力」
〜 本当は軍事大国!米国とソ連が恐れた最強軍団の全貌 〜

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戦後よく言われる「弱小三流国家日本」
というイメージとあまりにも違いませんか…?
一般的に言われているような、「日本は弱小国」だという説は、あまりに実態とかけ離れた妄説であることがおわかりいただけたのではないでしょうか?

たしかに、明治初年の日本は艦隊わずか6隻で…その戦力をすべて足しても、フランス、イギリス、ロシアの軍艦1隻に及ばないと言われていました。しかし、西洋列強のアジアに対する侵略意図を嗅ぎ取ってからというものの、地道に軍事力を蓄えていったのです。

いえ、地道というにはあまりに急速な成長でした。明治初年から日清戦争までのわずか20数年で、総重量20倍以上の海軍を作り上げるとは、驚くべきスピードです。

結果、日清戦争当時、「定遠」のような巨大戦艦は擁していなかったものの...清に劣らぬ55隻、6万トン余りの大海軍を建設していましたし、、それを操る兵士の練度はとても高く、「必敗」と予想されていた戦争を、優れた戦術で勝利に塗り替えました。

そんな破竹の快進撃を見せた大日本帝国ですが、なぜか大東亜戦争時には「弱小国家」で「身の丈に合わない無謀な戦争をした」などと言われています。

そんなことがありうるでしょうか?いいえ、ありえません。

実際、日露戦争ではかのロシアの「バルチック艦隊」を破り、、大東亜戦争海戦直前には、イギリスの最強戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」をも撃沈、、大東亜戦争時には、アメリカに「ゼロ(零戦)に遭遇した場合は、命令に反してでも逃げて良い」と言わしめるほどの実力を見せていました。

最新の技術、兵器があればそれをすべて国産化...
世界最初の空母を作ったのも日本...
独自の魚雷やロケットまで作成していた…

その科学力は世界最高クラスでしたし、それを扱う兵士の練度も非常に高かったと言われています。

本当は世界最強だった大日本帝国
しかしながら、歴史の教科書やテレビでは「日本が強かった」ということは全くと言っていいほど伝えてくれません。かわりに、、

・いかに日本軍が愚かだったか
・組織の体質がダメだったか
・圧倒的物量を誇る連合軍にどのように打ちのめされたのか

といったことばかりにフォーカスを当てます。
私たちの先人の強さ、強靭さを正当に評価することは一切ないのです。
(挙句の果てには狂人扱いするものまであります…)

これでは、私たちが先人たちを誇ることはできません。
もちろん、自分たちの国の歴史も誇ることができません。
そんな状態で、誰が国を守りたいと思うでしょうか?このままでは、強くて気高く美しい日本を、私たちの子供や孫の世代に遺すことはできません…そう思いませんか?

もう戦後70年以上経っています。
いつまで経っても、根拠なく日本を悪く言われ続ける...
そんな事態から早く脱しましょう。

自ら「能力が低い」と思い込み、
そのせいで本当に衰退していっている今の状況から抜け出しましょう。

西洋列強の侵略の魔の手から逃れるため、
国をあげて必死に「世界最強の大日本帝国」を築き上げた...
そんな先人たちの血と汗の結晶を知り、
日本人としての誇りを取り戻しましょう。

そのために、まずは「戦前の日本は強かった」こと。
そして、「そこへ至るまでの道」「乗り越えてきた困難」等を知ってください。

そのために上島嘉郎氏と共同制作したのが、大東亜戦争の研究 vol.4「帝国陸海軍の軍事力〜本当は軍事大国!米国とソ連が恐れた最強軍団の全貌」です。

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しかし、太平洋戦争開戦2日後の12月10日に「プリンス・オブ・ウェールズ」は、日本海軍航空隊の攻撃で撃沈されてしまいました。

 歴史学者であるアーノルド・J・トインビーは「1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のヴェトナムに明らかである」と後に評しています。

 太平洋戦争後から急速に、それまでの各国の植民地体制は崩壊していきます。「プリンス・オブ・ウェールズ」の亡失が、チャーチルにとって回顧録に残すほどの衝撃だったのは、お気に入り艦だったからではなく、相手が航空機だったことでもなく、トインビーが後に評したように、イギリスの絶対的と思われていた植民地権益がアジア人に脅かされる危険性を感じ取ったからではないだろうかと、筆者は思います。

 2021年現在、「プリンス・オブ・ウェールズ」は比較的、浅い水深に身を横たえ、条件が良ければ海面からもその姿を見ることができるといいます。空母「クイーン・エリザベス」の来航と、南シナ海に覇を唱えようと進出してきた五星紅旗を掲げる艦の往来を、海底の彼女はどのように見ているのでしょうか。イギリスは現在でも地政学的に「太陽の沈まない国」です。80年前と同じ歴史が繰り返されないことを、彼女は海底から祈っていることでしょう。

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最期の一撃 第七話 プリンス・オブ・ウェールズ撃沈の衝撃 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4aT21EWDr8c

七つの海を支配したイギリス東洋艦隊は日本軍の航空機攻撃であっけなく壊滅した。当時、戦艦の脅威になる航空機攻撃は九六式陸攻のような水平爆撃機ではなく、雷撃機や急降下爆撃機だから、航続距離はせいぜい350キロしかない。

シンガポールの近くに基地を持たない日本軍が戦艦を撃沈させるほどの攻撃はできないと思っていたし、イギリス軍司令部にはすでに真珠湾攻撃の報が入っていたが、

「東洋の小国のオンボロ飛行機で、真珠湾のアメリカ軍をやっつけるはずはない。あれは ドイツ空軍が パイロットを 乗せ 日の丸をつけて やったのだ 」

と、話していたと記録されている。 アジア人が航空機を操縦でいるはずもなく、まして白人をやっつけることなどあり得るはずもないと信じていたのだった。

イギリスのチャーチル首相も、イギリス旗艦の沈没の報を受け、艦長は救助の士官に ”No thank you” と言って艦と運命を共にしたことを知って、「生涯で、かくも大きな痛手を受けたことはなかった」と慨嘆した。

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イギリス将兵を救った日本海軍の駆逐艦「雷」艦長 工藤俊作 - YouTube

日本軍が英国に対して見せた武士道精神とはいかなるものであったか。なぜ、日本では語られることが無かったのか。「いかづち」の艦内を案内された元英国海軍将兵フォール氏は、九死に一生を得たある出来事を静かに語り始めました。今回は、駆逐艦「雷」工藤艦長の奇跡の物語をご紹介します。

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英軍将兵422名の命を救った帝国海軍中佐 いまも英米で称賛

https://www.news-postseven.com/archives/20180812_714163.html?DETAIL

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カミカゼでもバンザイ突撃でもない、旧敵が真に畏敬し、戦後も尊崇の眼差しを送るのは、自艦乗員よりも多くの敵兵を救助する、前代未聞の英断を下した帝国海軍の武士道だった。作家、ジャーナリストの惠隆之介氏が、いまなお英米で讃えられる工藤俊作海軍中佐の「武士道」についてお届けする。

 * * *
 平成20年(2008年)12月7日、元英国海軍大尉で戦後外交官として活躍したサムエル・フォール卿(当時89歳)は埼玉県川口市、薬林寺境内にある工藤俊作海軍中佐の墓前に車椅子で参拝し、66年9か月ぶりに積年の再会を果たした。卿は大戦中、自分や戦友の命を救ってくれた工藤中佐にお礼を述べたく、戦後、その消息を探し続けて来たが、関係者の支援の結果、ようやく墓所を探しあてたのである。

 卿はこの直後、記者会見で、工藤中佐指揮する駆逐艦「雷(いかづち)」に救助され厚遇された思い出を、「豪華客船でクルージングしているようであった」と語った。

 フォール卿は心臓病を患っており、来日は心身ともに限界に近かった。これを実現させたのは、何としても存命中に墓参したいという本人の強い意志と、ご家族の支援があったからである。付き添いの娘婿ハリス氏は「我々家族は、工藤中佐が示した武士道を何度も聞かされ、それが家族の文化(Family Culture)を形成している」とさえ語った。

 なおこの時は英国海軍を代表して同駐日海軍武官チェルトン大佐が参列、また護衛艦「いかづち」(4代目)艦長以下乗員多数が参列した。まさに敗戦で生じた歴史の断層が修復される瞬間であった。

◆「総員敵溺者救助用意」

 第二次大戦中、昭和17年(1942年)3月1日午後2時過ぎ、ジャワ海において日本海軍艦隊と英国東洋艦隊巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」が交戦し両艦とも撃沈された。その後、両艦艦長を含む乗員420余名の一団は約21時間漂流した。当初、「友軍が間もなく救助に来る」と互いに励ましあっていたがその希望も絶たれていた。

 彼らの多くは艦から流出した重油と汚物に汚染され一時目が見えなくなった。加えて灼熱の太陽、サメの恐怖等で衰弱し生存の限界に達しつつあった。中には絶望し劇薬を飲んで自殺を図る者さえいた。

 翌2日午前10時頃、日本海軍駆逐艦「雷」は単艦で同海域を哨戒航行中、偶然この集団を発見した。工藤艦長は見張りの報告、「左30度、距離8000(8km)、浮遊物多数」の第一報でこの集団を双眼鏡で視認、独断で、「一番砲だけ残し総員敵溺者救助用意」の号令を下令した(上級司令部には事後報告)。

 一方、フォール卿は、当時を回想して「日本人は未開で野蛮という先入観を持っていた、間もなく機銃掃射を受けていよいよ最期を迎える」と覚悟したという。ところが「雷」マストに救難活動中の国際信号旗が揚げられ救助艇が降ろされた。そして乗員が全力で救助にかかる光景を見て「夢を見ているかと思い、何度も自分の手をつねった」という。

「雷」はその後、広大な海域に四散したすべての漂流者を終日かけて救助した。120名しか乗務していない駆逐艦が敵将兵422名を単艦で救助し介抱した。勿論本件は世界海軍史上空前絶後の事である。

工藤艦長は兵に命じ、敵将兵一人一人を両側から支え、服を脱がし、真水で身体を洗浄させた。フォール卿の回想では、「帝国海軍水兵たちは嫌がるそぶりを全く見せずむしろ暖かくケアしてくれた」という。その後、英国海軍将兵に被服や食料が提供され、士官には腰掛も用意された。しばらく休憩した後、艦長は英国海軍士官全員に対し前甲板に集合を命じた。

 士官全員が恐る恐る整列を終えると、艦橋から降りて来た工藤艦長は彼らに端正な敬礼をした後、英語で次のスピーチを始めたのだ。「貴官達は勇敢に戦われた。本日は日本帝国海軍の名誉あるゲストである」と。さらに士官室の使用を許可したのである。

 一行は翌3日午前6時30分、オランダ病院船「オプテンノート」に移乗した。その際舷門で直立して見送る工藤艦長にフォール卿は挙手の敬礼を行い、工藤は答礼しながら温かな視線を送ったと言う。

◆天皇訪英反対論を黙らせた

 平成10年(1998年)4月29日、フォール卿は本件を「英タイムズ紙」に投稿し、「友軍以上の丁重な処遇を受けた」と強調した。

 英国には戦後、日本軍の捕虜になった英軍将兵たちが「虐待された」と喧伝し、我が国に賠償を求める動きがあった。またこの年の5月には今上天皇皇后両陛下が訪英される予定であった。そこで元捕虜たちは訪英に反対していたのだ。天皇の謝罪を求める投稿文もフォール卿の投稿文と同時に掲載された。

 ところがフォール卿の投稿文によって、これらは悉(ことごと)く生彩を欠いたのである。

一方、工藤艦長の英断は戦後米海軍をも驚嘆させている。米海軍は昭和62年(1987年)、機関誌「プロシーディングス」新年号にフォール卿が「武士道(Chivalry)」と題して工藤艦長を讃えた投稿文を7ページにわたって特集したのである。同誌は世界海軍軍人が購読しており国際的な影響力は大きい。

 これから4か月後、東芝機械ココム違反事件が発覚し、我が国は国際社会で孤立した。これは対共産圏輸出統制委員会(ココム)が輸出禁止にしていたスクリュー製造用精密機械を、東芝の子会社がソ連へ不正輸出し、ソ連原子力潜水艦の海中における静粛性を飛躍的に向上させた事件である。このような情勢下で米国の対日貿易赤字は拡大しており、米国民は『安保ただ乗り』と批判し全米で日本製品不買運動が起きていた。

 このとき日本海軍と交戦した米海軍の提督たちが帝国海軍の後継である海上自衛隊を称賛し、「同盟軍中、最も高いポテンシャルをもつ組織である」(アーレイ・バーク大将)とまで強調したのである。米国内の対日バッシングはこの結果沈静化した。✨工藤艦長らの遺産✨が寄与したものと思われる。

●めぐみ りゅうのすけ/1954年生まれ。1978年、防衛大学校管理学専攻コース卒業。1979年、海上自衛隊幹部候補生学校卒、世界一周遠洋航海を経て艦隊勤務。1982年退官。金融機関勤務などを経て、ジャーナリズム活動を開始。『海の武士道 DVD BOOK』(育鵬社)、『敵兵を救助せよ!』(草思社文庫)など著書多数。

※SAPIO2018年7・8月号

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                マジですかぁ〜? マスゴミですかぁ〜? 

「恐怖を煽って視聴率を集めるメディア」の信頼回復は、もう無理だろうね〜

     「日本食〜和食」は、素晴らしい〜✨。

 💉接種後亡くなった方の情報は、マスゴミは報道しない…

 「Climategate・クライメートゲート事件」で要検索です‼️

ノーベル賞は、ロックフェラーとかのプロパガンダ機関らしい〜

        日本の若者は大丈夫? バカ者でない事を願います。。。

  マスゴミ。 バカらしくて何も言いたくなくなる。。。絶句。

東京ドーム21,000個分!長野にも要塞みたいな別荘がある…

【異状死】が「流行語大賞」になる日が来るかもしれない…🐧💦

   この👇イカ🦑れた2人まとめて、🗑ゴミ箱に🚮…。

 【公明党】とつるんでいるうちは、自民党はダメかもしれない…

とりあえず副大臣が代わって良かったぁ〜。 今度は、大丈夫でしょうか?🐧💦 日本の防衛を、よろしくお願い致します・・・。

中山副大臣👆は、No Thank You!だったのでホッとしました。この方は、ユダヤ系日本人ですよ。 祖母の中山マサが、ユダヤ人とのハーフでしょ!? だから親子して、「親イスラエル」という珍しい人。 父親は、北朝鮮に行ってから180度変わり急に親北朝鮮になってしまった国会議員で有名。 北朝鮮で何かあったのは確実。。。🍯ハニ〜💋トラップ🐝〜に北朝鮮で引っ掛かったのでは?…と、誰もが思っているけど、 経験体験者は皆ダンマリ…。

        



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