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【2020/07/20→→→2020/07/11】 。 。 。 。【宮崎正弘の国際情勢解題 】 🐧💦

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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月20日(月曜日)
       通巻第6596号  。。。。。明日21日~22日は休刊です。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「習近平の国賓来日は中止するべき」が62%(日本経済新聞調査)
   28%が来日を望むとか、この世論調査は本当か?
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 日本経済新聞の「安倍内閣支持率」は43%、不支持は50%。ほかのメディアに比べると安倍支持率が高い。なにを財界人や投資家は評価しているのか。町の声とは異なる。

 そして町の声は90%が習近平来日反対である。ところが、中国に甘い報道しかなさない日本経済新聞の調査(7月20日)では
 「習近平の国賓来日は中止するべき」が62%。「来日を望む」が28%もあるという。

 五輪は絶望的とするのが大方の国民の見方だが、政府も五輪委員会も東京都も、まだ来年の開催に期待を繋いでいる。
インバウンドが99・9%も減っている現状を目撃すれば、どうやって東京五輪が開催できると考えているのだろうか? これも不思議である。
 
(休刊のお知らせ)地方講演が続きます。明日21日~-22日は休刊です
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集中連載「早朝特急3」(第56回)  第三部の最終回
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その15)  第十五章 アイルランド

 ▼岩肌、曠野でバイキングとケルトの戦いがあった。名残りが各地に

 かねてからダブリンに行きたいと思っていた。
 理由は至極単純で、ジョイスの『ダブリン市民』を読んで強い刺戟を受けたからだ。
 ジェイムズ・ジョイスと言えば『ユリシーズ』のほうが有名だが、短編集の『ダブリン市民』は彼が欧州で過ごした時期(22歳ー25歳)に、ダブリンの少年時代の鮮烈な記憶を綴った佳品である。ユリシーズは多くの人が翻訳したが、丸谷才一訳のものを筆者も途中まで読んだ。あまり長いので、全部読み切れなかった。
 ジョイスはダブリンを「腐敗の特異な臭い」と譬喩した。その腐敗は精神の退廃を意味したのか。
 「日差しの明るい朝だった。橋の笠石の上に乗って、勤め人をいっぱい乗せ、丘を登ってくる馬車のおとなしい馬をながめていたりした。散歩道に沿った高い並木の
枝枝が、すべて小さな淡緑の若葉で華やいでみえ、日の光はそこを斜めに通り水面へ落ちていった。橋の花崗岩の石が暖かくなりかけていた」(中略)「ダブリンの交易風景がほしいままにながめられたーーーもくもくとのぼる煙が遠方からも目じるしとなる荷船やリングズエンドの向こうにいる一団の茶色の漁船や、向こう側の埠頭にいま陸揚げしている大きな白い帆前船。。。。。。。」(安藤一郎訳、新潮文庫)。

 こうした古めかしい文明の風景は消えていた。
まことにダブリンは緑の多い街である。交通網が縦横に発達しており、辻ごとにあるかを思えるほど公園が多い。
 いずれも敷地が広く、緑豊かであり、日が昇ると市民がどっと湧くように出てくる。日中、誰もいない日本の公園とは違って子供が賑やかに遊んでいる。犬の散歩も目立つ。
 ジョイスのトルゾは「聖スティーブンソン公園」の南端にあり、美術館の西隣「メリソン・スクエア公園」の入り口にはオスカー・ワイルドの気障なオブジェが飾られている。ここは中高生の遠足コースでもあるらしく、多くの学生が集まっていた。
 街の中心部には聖パトリック教会(「ガリバー旅行記を書いたスィフトは、この教会の司祭だった)、中世の「ダブリン城」もあるが、ぎょっとするほどに観光客が溢れるのが名門トリニティ大学である。
 この大学はエリザベス女王一世によって1592年に設立された。
 キャンパスの中に世界最古の福音書(『クルズの書』)をガラスケースに飾る図書館がある。蔵書は五百万冊。映画「スターウォーズ」のロケ地にもなった。
 この図書館を見るために朝から長い行列ができていた。
 もちろん内部を見学したが、天井の高い書棚は立ち入り禁止で、新宿の雑踏のような通路には歴代哲学者の白い彫刻が置かれている。ソクラテス、プラトン、ベーコン、そしてバークも。ひとりひとりの風貌をのぞき込む時間もなく、人並みにぐいぐいと押されるように外へ出た。

 ▼トリニティ大学の正面玄関の立像はエドモンド・バーク

 トリニティ大学正門にはエドモンド・バークの銅像が聳えている。
 バークは日本のような左翼教授の強い大学では人気がないが、政治哲学の先駆者にして英国の国会議員、しかもフランス革命を正面から否定し保守主義を広めた人物である。レーガン大統領も愛読した。日本に最初にバークを紹介したのは金子賢太郎で、近年のバークの愛読者には西部邁、中川八洋氏らがいる。
 筆者はこの場所をゆっくりと撮影した。
 さてトリニティ大学の裏門をでるとすぐに見つかるのが国立美術館だ。
 欧州の多くの美術館が無料開放であるように、ここも入場料金は無料だ。展示されている絵画と彫刻は所蔵する16000点の一部でしかないが、筆者はフェルメールの「手紙を書く女」だけを目指した。運良くじっくりと観賞する機会に恵まれた(帰国して一年後、フェルメールの傑作群が上野の森美術館にやってきた)。
 ことほど左様にダブリンは芸術の街でもあり、ジョイス、ワイルドのほかにベケット、バーナード・ショーらを輩出、ちなみにラフカデル・ハーンこと小泉八雲もダブリン生まれで生家跡が残る(改装中で見学できなかったが。。。)
 ダブリンでもう一ケ所有名な「観光地」はギネスの工場だ。
見学コースがあって、入場料金も12ユーロと高いが、屋上レストランでビールの試飲ができる。中国人がごろごろといて黒ビールを飲んでいた。ここもまた新宿歌舞伎町の雑踏のごとし。
 お土産コーナーにはギネスのロゴが入ったシャツ、帽子、コースターからトランプまで夥しく摘まれている。勢いに押されて筆者も「ギネス・チョコレート」を十枚も買ってしまった。

 ▼タラの丘、石棒は縄文の祭器と同様に男根を象徴する

 翌日、北へバスで三時間、「タラの丘」を見に行った。
 伝説のタラ王に因み、アイルランド独特のハイクロスの十字架、そして男根を象徴する石棒(出羽三山のひとつ、湯殿山の神殿を連想する)などを見学したが、「ここがアイルランド人の心の故郷です」などと言われても、ぴんとこない。「こころの故郷」と言われたら、♪「われらが母校」早稲田じゃないか?
入り口に屹立するタラ王の銅像とて後世の想像による彫刻だからちっとも神々しさがないのだった。高台の草原にぽつねんと屹立する石棒は、広場にかざされた技術作品のオブジェのようでもある。

 三日目にはもっと西の海岸まで足を延ばした。バスで三時間半、途中のバレン高原には「巨人のテーブル」という別の惑星から降ってきたような奇岩がある。飛鳥の石舞台も墓だが、この奇岩は緑のない岩の台地の象徴であり、やはり自然石で出来た墓だという。殺風景な光景にむしろ別の感動があった。
 その昔、こんな不毛の荒野をめぐってバイキングとケルトが戦ったのか、と。
 マンスター州の「モハーの断崖」は観光名所、世界中から年間百万人が烈風に足が竦みそうな岩場を訪れる。8キロに亘って太平洋に着き出した絶壁の一番の高みは海抜214メートル、高所恐怖症の人は怖くて行けない。岩棚にはウミカラス、ウミバトの巣がある。
鳴き声が不気味だ。雨の日は強風に煽られ、呼吸も出来ないほどというが、筆者の訪れた日は初夏のように穏やかな日差し、のどかな風情を楽しめた。
 観光センターは洞窟風で岩に組み込むように建築されていて、その前の広場には観光バスが数十台も犇めいていた。寒いのでジャンバーやジャケットも売っている反面、アイスクリームが飛ぶようにうれていた。

 ダブリン滞在中に椿事があった。
 2018年7月19日、トランプ大統領の訪英を迎え、BREXIT交渉が本格化する準備のため、メイ首相(当時)は北アイルランドを訪問し、アイルランドとの国境地帯を視察したのだ。
 これは地元紙にも大きく報じられたばかりか、欧米各紙が問題点を指摘した。EUから離脱すれば、アイルランドと北アイルランドの間に再度、検問所と税関を設け、出入国審査をすることになるのかという懸念が拡がったからである。
 なぜなら現時点では北アイルランドは英国の構成国であり、そのため車にはEUナンバープレートがなく、しかも国境に税関がない。入国審査がEU諸国で一番厳しいのは、むしろアイルランド共和国である。目的、期間、宿泊先などを必ず訊かれる。
 両国の違いはカソリック(アイルランド)と英国国教会派(プロテスタントに色分けされる)の北アイルランドの差であり、ではなぜ英国国教会派が誕生したのかと言えば、離婚を認めないカソリックから離反した国王が独自に教会をつくったからである。

 1913年、英国内に留まろうとする義勇軍と独立志向の義勇軍との間に戦闘が始まった。
 その内戦の最中に第一次世界大戦が開始されたため、双方は大英帝国軍として参戦し、激戦を果敢に戦って、英国への忠誠度を示した北アイルランド軍とは対照的に、ダブリンで蜂起した共和主義者の反乱は、英国から利敵行為と非難された。
 アイルランドは英国と独立戦争を戦って、主権国家として存在する国であり、宿敵となった北アイルランドは、英国の一部であり、お互いが反目しあってきた。
 IRSなどのテロ活動が活発だったのは、北アイルランドでは首都ベルファストより第二の都市ロンドンデリーだった。
 アイルランドでは首都ダブリンもテロの対象となって、爆弾が炸裂した。サッチャー首相の宿泊したホテルも爆弾テロの標的とされ、首相は無事だったが、財務相らが爆死するという惨事も起きた。
 そうした苛烈な激突がつい先年まで繰り返されていたのだ。夕方、3ユーロの市電に乗って街に繰り出した。そうだ、ダブリンはジェイムスンに代表されるアイリッシュ・ウィスキーの街、そして無数のパブの街だったっけ。音楽を奏でる大道芸人があちこちで楽器演奏をしている。
 ジョン・F・ケネディ一家も先祖はアイルランド人だ。大統領時代にダブリンのパブに来たことがあり、その店はいまも混んでいた。
繁華街から抜け出すと河の両岸がスラム、どことなくオランダの「飾り窓の女」の街に似ているなと思った。
    
(編集後記)
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「地球の裏側」と一口に言っても、山のようにたくさんの国があり、すべてを廻るには、もはや時間がなくなったようです。くわえて年初来のコロナ禍で飛行機が飛んでこない。国際線は限られた地域にしか往復しておらず、ちなみに筆者が二月に計画していたガダルカナルも、四月に行く予定でチケットとホテルも手配していたパラオ、ペリリュウ、アンガウルも、コロナの所為で行けなくなり、いずれも旅行代金は戻ってきました。
 ガラパゴス、イースター島については拙著『地図にない国を往く』(海流社)をご参照ください。
また南太平洋の島々(フィジー、パプアニューギニア、トンガ、バヌアツなど)は、拙著『日本が危ない 一帯一路の末路』(ハート出版)をご参照下さい。
 旧ソ連圏のウクライナ、ベラルーシ、トルクメニスタン、グルジア(ジョージア)など旧東欧を含む30ケ国紀行は拙著『日本が全体主義に陥る日』(ビジネス社)でカラー写真入りです。
 ほかにジャマイカ、タヒチ、ニューカレドニア紀行は、この連載では紙幅の関係で割愛しました。もうひとつ、連載49回の「スペイン、ポルトガル」は旧稿が見つからず、結局、連載欠番とします。単行本上梓の際には追補します。

(予告編)連載「早朝特急1-3」の次は第四部です。旅の随想を日記風にまとめた紀行文を基軸としつつ、国内編となります。
県別人物紀や風土記はすでに多く存在し、おおくの作家も国内旅行記は綴っているので、「早朝特急4──暴走老人 日本国内旅行、酒と放浪」は、角度を変えて「新撰組の旅」から始まり、「明智光秀の旅」、「吉田松陰の旅」、「西?隆盛の旅」として、戊辰戦争のコース、吉田松陰の日本列島踏破、そして西?さんの鹿児島、京都、江戸から戊辰戦争、西南戦争の跡をたどる旅、もうひとつが「縄文の旅」というアングルから綴っていく予定です。連載開始は秋からを予定しています。
したがって、連載はしばらくお休みです。
なお「第一部」は『早朝特急1 暴走老人、中国全三十三省踏破』として大幅に加筆され、秋頃に出版される予定です。
     
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樋泉克夫のコラム                            【知道中国 2105回】                      
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘65)
「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

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 「亞細亞諸民族の中で世界史上に偉大なる文化的寄與をなしたるものに、中國人の外に印度人及びアラビヤ人がある」が、この3者は「中國の所謂王道思想」では括れないだろう。
やはり「大亞細亞主義と云ふ事が理論的及事實的根據を缺」いているばかりか、アジアの諸民族が地理的に近隣関係に在り、加えて被抑圧的立場に置かれたという歴史的条件が似通っていることから「同類意識を根據として薄弱な紐帶を結び得た」としても、だからと言って「中國文化の特色たる所謂王道思想」によってアジアを一体化せよという主張に根拠を与えることはできない。

だから「王道思想なる」「幼稚な發達をしか遂げて居ない此の政治學説を買被つて、孫氏の樣に大袈裟に吹聽することは愼むべきだ」との橘の主張は、蓋し至言というべきだ。

毛沢東や?小平のみならず所謂民主派やら共産党独裁を批判する知識人、さらには共産党政権の経済政策を擁護・称賛する経済学者の類まで、日本人は中国で「幼稚な發達をしか遂げて居ない此の政治學説を買被つて」、「大袈裟に吹聽」してはこなかったか。

たとえば『現代中国事典』(講談社現代新書)である。当時の日本における毛沢東礼賛派の頭目でもあった「アンピコ」こと安藤彦太郎を編集代表に、彼に連なる学者・研究者・ジャーナリストを網羅したかのような執筆陣によって、林彪が失脚し四人組の暴政が猖獗を極めていた文革後半の1973(昭和47)年に出版されている。

 アンピコは同書の「はじめに」で、次のように綴っていた。ある時代のブザマ(いや滑稽)な精神の“残骸”として振り返ってみることも必要だろう。

「さいきんの報道が伝えるように、中国の社会主義建設は、文化大革命を経過することによって、ますますその特色を発揮しつつあるようである。生産手段の
社会主義的所有制が実現した段階でおこされたこの革命は、政治・経済・文化・芸術その他の諸分野で、社会主義とは何か、という根本的な問いかけをおこない、近代社会がつくりあげた諸価値と対決し、それをのりこえようとする、あたらしい変革への途をきりひらいたといえる。したがって、この革命は、たんに中国独自のものにとどまらず、普遍的な問題を世界にむかって投げかけたのである」。なんとも大仰なもの言いだ。

あれから半世紀近く過ぎた現在、改めて読み返してみて思うことは、アンピコらの試みも、やはり「幼稚な發達をしか遂げて居ない此の政治學説を買被つて」、「大袈裟に吹聽」したことではなかったか。

 もう一例として『現代中国事典』より4年早い1969年──毛沢東が文革の大勝利を宣言する一方で、中ソ国境衝突が起こった記念すべき年だ──に大修館書店から出版された全3巻の『講座 現代中国』(『1
 現代世界と中国』『中国革命』『文化大革命』)の「はしがき」に記された「編集趣意書」を示しておきたい。
中国革命のこれまでの経過とプロレタリア文化大革命は、ひとり中国の社会主義の問題だけではなく、世界史のうえに決定的な重要性をもつものと考えます。
そこでは、現代世界に対する絶対的批判があるからです。現代中国は、いまや、現代における“普遍”を争っている、と考えます。/本講座は、中国革命史における主要な問題点と最近の動向としてのプロレタリア文化大革命を通じて中国はいつから、どのようにして、このような課題をになうようになったのか、また中国は現代をどのように批判し、どのような解決の方法を示そうとするのか、そこを明らかにしようとするものです」。
これまた大袈裟が過ぎる、

 さて文革は「世界史のうえに決定的な重要性をもつもの」だったのか。「現代世界に対する絶対的批判があ」ったのか。「現代における『普遍』を争ってい」たのか。
      
(休刊のお知らせ)地方講演が続きます。明日21日~-22日は休刊です
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(読者の声1)貴誌7月18日付け、宮崎先生の「米中対決、いよいよ最終局面に。気がつかない日本政府の鈍感」は俯瞰的な状況解説であり、且つ今後のなり行きを鋭く説いておられます。
 最近本屋で5年前に発刊された『CHAINA 2049』(原題=「100年マラソン」マイケル・ピルズリー著 日経BP社)が再び店頭に並び始めたので、ピルズベリーが書いたことがほぼ正確であり、その感想が多くの人に共有され始めたのだろうと思い、私も5年ぶりに再読しました。
 本の力とは時としてすごい力を発揮するモノだと思います。何しろピルズベリーは一人でこの本で米国を、そして世界をすっかり変えてしまう発端をつくったからです。
でも宮崎先生もご指摘のように、政治・経済界などにはこの変化が全く見えていない人も多いようです。2年前からビジネスは脱中韓、社内の通信体制などではファーウエイ等からの脱IT網を促してきた企業の経営幹部の一人に、この本を読んだのか聞いたところ、驚いたことに「まだ読んでいないのですぐ読みます」と。
つまり国際経済情勢に精通していると思われがちな企業人でも、国際情勢に全く「疎い」人もおおいのです。
果たしてこの本を読まずして米中関係を理解できるのでしょうか?あくまで国益をふまえた商売ができるのでしょうか?
 再読した私の感想は、「中国という世界の覇権と富の独占を窺う重商主義国家が、常に新しい市場を獰猛に追い求めるアメリカが『おいしい飯にありつけると涎を拭いながら』アプローチし、あらゆる面で支援し育ててきたところ、なんと中国は『才能や野心を隠して油断させて相手を倒す』とした古来からの伝統的策略を以って軍事・経済力を飛躍的に増強し、育ての親に刃向かう程の国になってしまった』ことにアメリカは気付き、この本の出版以来5年たってようやく本格的に動きだした」と云う事。
ですから一過性の単なる経済問題としては終わらず、武漢ウイルス案件も重なり、これから長期戦になるのだろうと思いました。     (SSA生)

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(読者の声2)西村幸祐先生『「武漢ウイルス」後の新世界秩序』出版記念講演『武漢ウイルスと朝日デミック』
https://www.kokuchpro.com/event/c958fe0d2663d2fc4908b45bea6f16b0
 世界で猛威をふるう新型コロナウイルスは人類にとっての新たな試練だ。同時にメディアの劣化は日本にどんな脅威をもたらすか?批評家・ジャーナリストの西村幸祐先生が多角的に語ります。
      記
【日時】令和弐年7月25日(土) 18時30分~20時30分(開場:18時05分)
【講師】西村 幸祐(にしむら こうゆう)先生 批評家・関東学院大学講師
 昭和27年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科在学中より「三田文学」編集担当。著書に『ホンダ・イン・ザ・レース』『幻の黄金時代 オンリーイエスタデイ'80s』『「反日」の構造』『「反日」の正体』『マスコミ堕落論』『NHK亡国論』『21世紀の「脱亜論」』『日本人に「憲法」は要らない』『報道しない自由』『西部邁・日本への警告』等多数。近著『朝日新聞への論理的弔辞』。『「武漢ウイルス」後の新世界秩序-ウイルスとの戦いである第三次世界大戦の勝者は?』(ワニプラス) 
【会場】文京区民センター2F 2-A会議室(文京シビックセンター向かい側)
文京区本郷4-15-14(都営三田線・大江戸線「春日駅」A2出口から徒歩10秒、東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園駅」5番出口から徒歩3分)
【参加費】事前申込1500円、当日申込:2000円、事前申込の大学生500円、高校生無料
【申込先】7月24日21時迄にメール又はFAXにて下記で受付(当日受付も可)
     FAX:0866-92-3551 E-mail:morale_meeting@yahoo.co.jp
【主催】千田会 https://www.facebook.com/masahiro.senda.50
https://twitter.com/Masahiro_Senda
【参加される皆様へお願い事項】発熱などの症状がある方は来場をご遠慮ください。予防的な観点を熟慮し、マスクの正しい着用、手指消毒・衛生的手洗いなど十分な対策を各自で行って下さい。
※マスクを着用されていない方の御入場はご遠慮申し上げます。
           
 ●宮崎正弘の新刊 ●宮崎正弘の新刊 http://miyazaki.xii.jp/saisinkan/index.html
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『WHAT NEXT(コロナ以後大予測)』(ハート出版)
https://www.amazon.co.jp/dp/4802400993/
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1) 米中の失業者増大で大恐慌
2) 米中対決が激化し、日米同盟に亀裂、
3) 株式暴落と倒産ラッシュ
4) 世界中の航空会社が国有化
5) 企業会計制度の変革
6) 世界の決済システムの中断
7) 金、プラチナの高騰
8) 中国で食糧不足から暴動多発
9) イナゴ害で南アジアに食糧危機勃発
10) 同様にイナゴ害で中国に食糧危機勃発
11) 東京五輪中止
12) 北朝鮮情勢が急変し、日本を含む周辺国に難民殺到
13) 産油国でデフォルトが発生し政変に発展
14) 地域紛争が多発し、在日米軍が撤退
──コロナ禍で人生が変わった人が多い
──誰もが気にし始めた「WHAT NEXT」
日本はこの「鎖国」をチャンスに活かせないか?
大きな流れは(1)グローバリズムの大後退。(2)ナショナリズムの復権。(3)中国基軸のサプライチェーンが全世界的に改編となってあらわれている。
(4)「コロナとの「共存」時代」の到来だ。長期的には思想、哲学に大きな変化があらわれ、多死社会(看取り社会)の到来に死生観の適正復帰が行われる。輪廻転生の考え方が真剣に考え直される。
 地政学的には「米中対決が最終戦争」段階へ、つまり「金融戦争」。すでに香港への優遇措置剥奪を表明した米国は中国の「在米資産凍結」を視野に入れた。対抗する中国はドル基軸態勢の崩壊を企図して、「デジタル人民元」を「次のウィルス」とするだろう。


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月18日(土曜日)弐
       通巻第6595号 
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(休刊のお知らせ)明日7月19日(日曜)、小誌は休刊です!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2035年、中国軍の空母は六隻体制に
  三号艦、四号鑑、上海江南造船所で竜骨の据え付け工事が完了
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 『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』(2020年7月18日、電子版)に拠れば、中国新型空母が二隻、すでに竜骨を据え付け、建造最終段階に入っていることが判明したと報じた。

 上海の江南造船所で2015年に建造が開始された新型空母は二隻。コード名は002,003.いずれも電磁作動による発・着艦を目指しており、F15ジェット戦闘機を24機搭載するとされる。コロナで工事は遅れ気味で、進水式は2021年7月頃という。

 中国初の空母はウクライナから1998年に鉄の塊のまま購入し、ボスポラス海峡から喜望峰を迂回して、「マカオでカジノホテルという購入目的」をかなぐり捨てて、そのまま大連へ曳航したシロモノだった。

以後、八年の艤装工事を経て、空母「遼寧」としてお目見えした。その後、発着訓練で失敗を繰り返した。死亡事故は判明しているだけ六件。ボロ船、旧式すぎると笑われたが、この体験をもとに国産空母を建造し、二号鑑は「山東」と命名された。
空母「山東」は黄海から南シナ海を航行するようになった。

 上海で建造中の空母はカタパルト方式ではなく電磁発進型とされ(搭載機の訓練が始まらないので不明だ)、その能力はアメリカの最新空母「ジェラルド・フォード」に並ぶものと中国海軍は自慢しているらしい。ただし002,003はともに原子力駆動ではなく、五号鑑から原子力船となりステルス戦闘機搭載になるという。

 中国軍の青写真では2035年までに空母六席体制とする。
 空母は上空にAWACS(早期空中警戒指令機)を飛ばし、潜水艦が先行潜行し、後方に駆逐艦、巡洋艦、さらに後方に輸送艦などを従える編成で、『空母攻撃群』と呼ばれるのがアメリカ方式である。
 中国の練度ではまだ、このような段階に達していないが、アメリカと異なって世界各地に配備する必要なく、太平洋での展開となる。
 

集中連載 「早朝特急3」(第56回) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その15) 第十五章 北アイルランド

 ▼名物は牧畜と蒸留ウィスキー。世界中から飲んべえの観光客が結集

 アイルランドは南北を問わず古代からのケルトの文化、文明が色濃く残る。キリスト以前に自然崇拝の土着的信仰があり、輪廻転生がひろく信じられていた。
 その地盤のうえにキリスト教が重なったため独自のクロスの十字架、ユニークな宗教解釈が積み重なった。
マリア信仰が稀薄なのが特徴的である。
 
それなら北アイルランドとアイルランドは、いったい何が違うのか?
 現地ですぐに差違が認識できるのは通用する通貨だ。北アイルランドでは英国ポンド、アイルランド共和国はユーロと、決定的な差である。
 宗教はおなじキリスト教だが、前者はプロテスタント系、後者はカソリックという違いも重要な区分けである。文化的にケルトの伝統が色濃く残り、牧畜と農業が主体であり、国民はビール好き、ウィスキー大好きというあたりは両国に区別がない。
 ケルト民族は古代に中央アジアからおこり、東へ渡ったのが縄文時代を北日本に築き、西へ流れた集団もローマに追われ、グレートブレテン島へ膠着したとされる説がある。

 スコットランドやウェールズにも我が国の縄文文明と比較される遺跡が夥しい。とりわけストーン・ヘンジやストーン・サークルは縄文時代の日本人の信仰に酷似している。
 すなわち「物理的な生産活動ではなく心理的な精神活動のために働く建造物を生み出す」(松本武彦『縄文とケルト』、ちくま新書)。
 さて筆者は最も近道となるロンドン乗換の航空券を手配したところ満員。しかたなくアムステルダム経由となった。
 オランダのスキポール空港で乗り換え待ちが五時間。すぐの便が満席だったので致し方なく、ラウンジでビールを飲みながら日本から持参した新書を読んで過ごした。ビールはハイネッケンだけ。ワインは安物しか置いてない。
 このラウンジには意外なことに台湾の自由時報、工商時報などが置いてあって、台湾の利用客が多い事態をあらわしている。日本語の新聞はなかった。
 アムステルダムからダブリンへ飛ぶ。僅か一時間半。東京から鹿児島の距離だ。ここからバスで三時間かけて、北アイルランドの首都ベルファストにはいった。ホテルに旅装を解いたのは午前一時だった。

 ベルファストと言えば年配者にとって「爆弾テロ多発地区」の記憶が甦るだろう。
 とくに東ベルファストはビクトリア通りのオペラ座と隣のヨーロッパホテルが狙われた。殺風景な、荒廃した街だった。
 IRA(過激武装集団)との和平が成立し(1998年、ベルファスト合意)、すっかり治安が回復すると、ベルファストの再建が急ピッチで進められた。いまでは「テロがあったって、本当?」というほど落ち着いた街である。
 ベルファストの中心は市庁舎で、古めかしくも、いかめしい白亜の殿堂という風情を誇り、一偶に「タイタニック号」の記念碑が建っている。
 タイタニックはサザンプトンを出港した筈だから「何故?」と訝しんだ。すぐに了解できたのはタイタニックはベルファストで建造されたのだ。ベルファストは造船業が栄えるという意味で愛媛県の今治と似ている?

▼「テロがあったって、本当?」というほど落ち着いた街に様変わり

 そういえば北アイルランドと日本の姉妹都市はないが、鎌倉市に「日本ブッシュミル協会」があって、毎年、ベルファストの北郊外にあるブッシュミルの桜祭りに参加している。
 そこで筆者もブッシュミルを訪問した。バスで一時間半ほど。スコッチと並ぶ蒸留酒はアイリッシュ・ウィスキーだ。
 その一つ、ブッシュミル工場で大麦の醸造から次の工程が蒸留、つまりビールからウィスキーへの変化の工程を見学した。葡萄を醸造すればワイン、それもさらに蒸留し直すとブランディになるように、ビールが蒸留されるとウィスキーになる。
 驚いたのは世界中から工場見学のツアーがあることだった。そういえば観光ブームに沸く欧州でも二・三倍増の観光客増が北アイルランドを訪問した。
 試飲したウィスキーはまろやか、琥珀色の酒色は格別の味だ。
 サントリーがウィスキー生産を2割増やしたほど日本でもブームが起きている。本場のアイリッシュ・ウィスキーも俄然人気沸騰で、日本では品薄だという。新幹線で帰京するときは「響」や「余市」のポケット瓶を飲むこともあるが、日本では「白洲」が品切れと聞く。
 ブッシュミルのブランドを誇る工場では樫の木の樽、芳しいアルコールの薫り、陳列には5年、10年、20年と寝かせた原液の展示もあって、「一年に2%蒸発するので、年期が重なるほど味が濃厚になるのです」とウィスキー好きのガイド嬢が説明した。
 見学が終わると敷地内のパブへ。ここで世界中からの賓客の写真パネルを見ながら、3年物、5年物、10年物のうちから一種、試飲ができる。もちろん10年物にトライした。なみなみとコップに注がれたので、隣の売店でクラッカーを買いサイドウォーターと共にコップを干した。ブッシュミル・ウィスキーの小瓶が土産だった。外に出ると寒さを吹き飛ばすほどに身体が温まっていた。

 次に北のジャイアンツ・コーズウェイという名勝地へ足を運んだ。ベルファストから三時間のバスの旅だ。
 途中、ダークヘッジスという景勝地があって、最近テレビ映画のヒットにより降って湧いたように観光客であふれ出した。韓流ドラマのロケ地・北海道の辺鄙な場所にどっと外国人観光客があふれ出したように。
 こんもりと木の陰に日光が隠れ、暗いユートビアのような、鬱蒼とした印象を抱いた。荒涼とした風景はブロンデの『嵐が丘』の舞台のようだ。
 英国人、アイルランド人の次に多いのは西欧からのツアーだが、ここでもダントツに目立つのは中国人である。お喋りと一眼レフ。大股で歩くからすぐに識別ができる。 
ジャイアンツ・コーズウェイというのは奇岩と大岩の畳が自然現象で産まれた海岸の?一帯を指し、世界遺産として登録されているのは六角形の石柱群だ。乗り入れはエコバスだけで、殆どの観光客はかなりの距離を歩く。ここへは鉄道も繋がっているが、もっぱら観光用。オフシーズンには予約しないと運行休止である。
 コーズウェイには古城、要塞が随所にあり、断崖絶壁に建てられている。その設計思想はバイキングの攻撃を追い返す軍事要塞であり、一番有名なのがダンルース城だ。

 ▼ガリバー旅行記の初版本は、ここにある

 アーマーという古都がある。
 ここがアルスター神話の舞台である。この神話はケルト民族の勇敢なる戦士たちを称える物語が多く、伝承文学の一種だ。
 アーマーには「聖パトリック教会」が二つあってミニ・ダブリンのような風情。メインストリートには陶磁器、家具、スーパー、眼鏡屋、アイスクリーム、ネットカフェとそれぞれが特有のインテリアを誇示している。
 「聖パトリック」は実在の人物で建国の父として尊敬されている。
 ぶらぶら町歩きしていても飽きない。
 小さな街なので、二回メインストリートを往復し、スーパーでじっくりとアイリッシュウィスキーの土産を選んだ。

 二つの「聖パトリック教会」のうち、アイルランド教会のほうは西暦445年に聖パトリック自らが石つくりの教会を工事した。十三世紀になってゴジック・スタイルに改装された。緩やかな坂の上にあっていかめしく聳え、街を見下ろしている。
 もうひとつの聖パトリック教会はカトリックで、規模も大きく、尖塔が二本。
 入り口には多くの聖人の彫刻があり、前庭も広い。おりからミサをやっていて地元のひとたちが静かに集まってくる。老人が多いのも、若者たちは都会へ出るか、外国へ出稼ぎに行ってしまったからなのだろう。アーマー市も過疎なのである。

 カトリック教会のほうは百年もかけて建造された。途中、大飢饉があって資金が途切れ、ようやく1904年に完成した。
 北アイルランドの大飢饉ではジャガイモさえ払底し夥しい餓死者がでた。生き延びた多くの困窮者は、心機一転、移民となってアメリカ大陸へ渡った。当時のアメリカは安い労働者としてアイルランド系を歓迎した。
 そのあとドッとやってきたシナ人クーリーのほうが低賃金だったため、職を奪われ、かれらが反漢、そして反日運動の原動力となった。アメリカでは当初、アイリッシュ移民は英独仏系移民から差別を受けていた。
 街には古い図書館(アーマー図書館)があり、そこにスイフト『ガリバー旅行記』の初版本が展示されている。
同市は天文台でも有名だが、見学する時間がなかった。
 北アイルランドは政治的にはいま珍しく静謐に囲まれている。けれども英国の構成国である以上、EU離脱後の波乱に備えていた。
        
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(読者の声1)記事前号にヨーロッパ各国人を評する言葉が出ていましたが、私が1970年代の後半フランスに駐在した時に経験した、フランス人がよくする小話(イストワール)で、一番取り上げられ馬鹿にされていたのがベルギー人でした。
日本人が朝鮮人を悪く言うなど物の数ではありません。これを聞いて、ベルギー人もある種の半島人だと思いました。ここでいう半島人とは、海上強国と陸上強国に挟まれ事大主義になるということです。企業グループのヨーロッパ国際会議にフランス人と一緒に出席すると、そっと耳打ちしてきて、見てろ、ベルギー人は、必ず強い勢力のほうに靡くぞと言いました。
やはり、そういう意味の半島国家の陥る宿命なのかなと思った次第です。
一緒にドライブしていても、何か不具合があると、ベルギーだから、こんな可笑しな道路のつくりをするなどと言います。
今でも覚えている一つの小話は、「マッチ箱のなかに軸木があるかないかを調べるのに、普通は、耳の脇でマッチ箱を振って、カシャカシャと音がするかどうかで確認する、ベルギー人は、自分の頭を振って確認しようとする」というものでした。
まさか、ベルギー人に聞こえるようには言いませんでしたが。  (関野通夫)
    
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   ♪
「コロナ以後の世界」(『夕刊フジ』、7月20日から連載)
「米国・中国激突、金融戦争へ」(『テーミス』8月号)
「米中金融戦争のゆくえ」(『月刊日本』8月号、7月23日発売)  
「憂国忌の半世紀」(『季刊文科』、夏号。「三島由紀夫特集号」)。
「コロナ、こころ、孤独」(『北国新聞』、コラム「北風抄」、7月7日号)
「コペンハーゲン民主主義サミットに蔡英文、黄之鋒」(『エルネオス』7月号)


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月18日(土曜日)
       通巻第6594号 
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(休刊のお知らせ)明日7月19日(日曜)、小誌は休刊です!

ハルノートを突きつけられた中国、「真珠湾」を待つ米国
  米中対決、いよいよ最終局面に。気がつかない日本政府の鈍感
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 香港民主人権法、香港自治法に署名したトランプ大統領。そして香港優遇措置の廃止。 これらは戦前の「ハル・ノート」に匹敵するのではないか。

 日米激突の最終局面は、ABCD包囲網。その挙げ句がハルノートという事実上の宣戦布告だった。日系人の強制収容所入りと在米資産の没収があった。
 後者は「留学封鎖」(中国人留学生ヴィザ条件の規制強化)、企業ならびに大学ラボ、大学院からの中国人排斥、スパイ容疑での逮捕。そしてファーウェイ社員へのヴィザ発給中止。ついには中国共産党員の米国入国禁止の検討。まさしく、戦前のFDR政権が日本を追い込んだプロセスに酷似してきた。交換船でそれぞれ在留人を送還した。

 トランプ政権下の対中封じ込め作戦、最初は貿易戦争だった。
 実質的には高関税を掛けて、中国が世界の工場の地位からずるっと後退させ、外国企業のみならず中国企業さえも、賃金の安いベトナム、カンボジア、タイ、バングラなどへ生産拠点を移動させた。サプライチェーンの大がかりな改編が始まった。
 とはいえ米国市場に溢れる中国製品は雑貨、アパレル、スポーツシューズからXマスカードまで。代替生産をほかの市場では短時日では出来ない。ゆえに貿易戦争は続行される。

 アキレス腱はいくつかあるが、第一に医薬品。マスクに代表される医療関連、ならびに製薬、その薬剤生産が中国に握られていること。第二がスマホ、コンピュータに欠かせないレアアースだ。いずれも米国などで埋蔵があるが、発掘、精製など「汚い仕事」を中国に任せてきたツケがまわった。

 実業界の対応が鈍いのは日米共通である。
 GMなど米国企業は、いきなり中国とのサプライチェーンを断ち切れないで立ち往生している。GAFAも最終決定を出しかねている。
サプライチェーンの改編にはどうしても五年の歳月が必要だろう。日本企業に到っては、ことここに到るもサプライチェーンの変更を考えていないばかりかトヨタや本田のように、中国投資を増やし、工場を増設するところがある。中国との商いを続けるとしているのが、中国へ進出した日本企業の70%である。

 ▼最終局面に入った。だから米国は真珠湾攻撃を待っている

 ついで次世代ハイテクの争奪戦争だった。
 米国はELリストを作成し、現在までに85の中国企業をブラックリストに載せた。
 中国資本の米国企業買収を安全保障の理由から阻止し、スパイに目を光らせ、ファーウェイ、ZTE、ハイクビジョン、ダーファなど中国企業との取引を8月14日から禁止する。これは二年前の国防権限法に明記されていた。日本企業はのほほんと何も対策を講じなかった。撤退して日本に工場を移したのはスタンレー電気だけ。上記五社と取引のある日本企業は800社。
いずれ「第二の東芝ココム事件」に類することがおこるだろう。

 5G開発で中国のリードに焦る米国は一方において6G開発を宣言し、他方では断固として中国人スパイのハイテク窃取阻止に動いた。
 象徴的な事件はファーウェイCFO孟晩舟を「イランへの不正輸出に関与した」との理由をつけてカナダに拘束させ、リチャード・リーバー・ハーバード大学教授の中国代理人としての行為を起訴に持ちこんだことだ。
中国の「千人計画」の全貌が明らかとなった。内偵をうけていたスタンフォード大学の張首晟教授はサンフランシスコで謎の「自殺」を遂げた。

 ▼そして金融戦争が開始された

 以前から筆者は「次に米国が仕掛けるのは金融戦争だ」と予測してきたが、こんどの「香港自治法」には金融機関への制裁、取引停止、ドル封鎖が含まれている。
 金融戦争はドル封鎖(つまり中国はドル決済に支障をきたし、国際取引が出来なくなる)、そのために香港自治法には金融機関との取引停止が謳われているのだ。米銀ばかりか、中国の四代銀行に融資した銀行は軒並み経営危機に陥る可能性がある。

 FDRは宣戦布告前からフライングタイガーを「志願兵」を募り、中華民国空軍として参戦していた。
いま、これに匹敵するのが台湾への武器供与である。

 米中激突の最終局面が「戦争」だと言っても、重火器、武器をともなう戦争には到らない。万一に備えて米国は真珠湾攻撃をまっているかのように南シナ海から東シナ海、とくに台湾海峡へ空母攻撃軍を派遣し、空には偵察機、戦略爆撃機を飛ばして「自由航行作戦」を展開している。
英国海軍の新鋭空母クイーンエリザベスも、南シナ海へ派遣される。豪、インド海軍も米軍との共同軍事演習に加わり、日本も参加する。

 しかし中国は金融戦争での「真珠湾」に値する次なる攻撃は、おそらく武器をともなわない手段で、挑戦してくるはずだ。
ハッカー、サイバーを駆使してのウォール街の混乱。金融取引でのデジタル戦争、しかし過去の中国からの執拗なハッカー攻撃を受けて、米国は十分に対策と傾向を研究してきた。中国軍のハッカーの手口を米国は掌握した。仕掛けられたときに、その報復手段は、整えていると思われる。

 中国の報復は、NYタイムズ、ウォールストリートジャーナルなどの米人記者の追放、米国系外食チェーンへの立ち入り検査という嫌がらせ、ルビオ、クルーズ議員らへの名指しの制裁予告ていどだ。
これでは、まだ蚊にさされた程度である。
豪やカナダになした嫌がらせの強さに比べれたら、米国には手を出しかねているようにも見えるが、舞台裏では選挙妨害のためにハッカー、フェイク情報流布などを国籍を偽って仕掛けている。

 冷戦終結以後、米国の敵はサダム、IS、ビンラディン、バグダディなど、小粒の標的でしかなかった。しかし、こんどは巨大なフランケンシュタインが相手である。

 ▼金融戦争の最終兵器(原爆)は在米資産凍結と香港ドルベッグ制だ

 「これは単なる恫喝ではない。中国はこのリアルを理解し、本気で準備をしておかなければならない」との警告が中国の担当部署の本丸、「中国証券監督監査委員会」からでた。
 方星海は清華大学から米国留学、奨学金でスタンフォード大学などで現代経済学を学び、周小川(当時、中国人民銀行総裁)に見出された。それゆえ発言が注目され、2019年のダボス会議では中国金融界を代表してスピーチを行った大物である。
 現在、国際取引での通貨シェアはSWIFT(国際支払い管理システム)の調べで米ドルが40・88%、ユーロが32・8%,日本円は3・53%に対して中国人民元はかすかに1・79%でしかない。
方星海は「人民元で国際取引ができる方策を早急に整え、増やしておかなければドル決済システムからはじかれることになる」と警告した。
 トランプの金融戦争の次の手を正確に予測しているからこそ飛び出した発言である。

 ならば勝負を決める原爆は何か?
 香港のドルペッグ制が最終の標的である。
 中国四大銀行との取引停止、ドル交換停止を香港自治法では謳っているが、香港優遇政策の廃止に「香港ドルと米ドルのペッグ制」に関して、どうするのか、米国側からは一言も言及がないのである。
 つまり、今回のトランプの措置は、ピンポイント空爆であり、まだ序幕戦の段階である。

  
集中連載 「早朝特急3」(第54回) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その13)  第十三章 オランダ

 ▼風車、海面下の国土

 オランダというと日本人のイメージはチューリップと風車、「海より低い国土」が全体の三分の一とか、そういうひと昔前の連想しか浮かばないかもしれない。
 オランダの通商集団は江戸時代に唯一貿易相手国として許され長崎出島にいた。江戸参府のチャンスが年に一度あって、そのとき見聞した記録がヨーロッパに誇張されて伝わり、またシーボルトは美人画から地図など数千点を持ち出したことでも知られる。ライデンという田舎町にはシーボルト記念館がある。
 筆者にとって最初に知ったオランド人といえば、柔道で日本を負かしたヘーシングである。かれは198センチの大男、1961年の第三回世界柔道大会で、日本の伝統とされた武術競技で、日本人選手を破って優勝、当時のメディアは衝撃のあまり「柔道にも黒船」と書いた。
 凱旋したヘーシングをオランドの人々は30万人が歓迎に出迎えた。「神風」を破ったという国民感情が炸裂したからだろう。
 逆に言うとオランダ人は他の欧米人から莫迦にされていたからでもある。
 欧州全体に流布するジョークに各国の国民性を端的に揶揄する「あるはずのない人たち」というのがあって、曰く。英国人「コメディアンとうまい料理人」、イタリア人「法を順守する人」、スペイン人「勤勉な人」、ポルトガル人「時間を守る人」、ロシア人「素面の人」。ならばオランダ人は?「太っ腹な人」。
 「オランダ人」というイメージにはそれくらい小ずるくて吝嗇という侮蔑のニュアンスがあって「ダッチ・ディール」とは「割り勘」を意味する。
 ならばダッチ・ワイフは? 日本ではラブドールと呼ばれ、またAI搭載のセックスロボットが2030年頃には登場するといわれるが、ようするに代理妻のことだ。いかにも吝嗇なオランダ人が、妻をめとる代わりに用いたなどと言われたが語源はまったく異なり、この場合の「ダッチ」はオランドを意味しない。

▼「赤線地帯」の路地裏に迷い込んでビックリ。チャイナタウンが出現していた

 アムステルダム中央駅から南東側に広がるのがいわゆる「レッドライト・ディストリクト」(赤線地帯)。つまり「飾り窓の女」が昼間からガラス越しにビキニ・スタイルで客を呼び込み、営業をしている。アジア系の美人が多いが黒人の出稼ぎもある。
 オランダでは売春は合法、しかも世界的な美人がいるというので愛好者には結構な人気もあるとか。一帯は撮影禁止、小さな運河の両岸にはセックス・ショップが店を広げ、川岸にはオープンカフェが店を広げている。
 ヒょいと横丁に入って驚いた。
路地裏に中華料理レストランがひしめき合っていることだった。
 いつの間にか売春地帯に分け入ってチャイナタウンが拡大しており、周辺の店舗を飲み込んで肥大化。仏教寺院まで建立されていた。排斥されてきた中国人が、この治安の悪い地区で商売を展開していく裡に定着した経過にはたいそう驚かされた。筆者は四十八年前にもこの辺りを取材したことがあるがチャイナタウンはあるはずもなく、淫らな店がもっと多かった。
 
 さて日本人なら教科書でもならう「国際裁判所」はオランダのハーグにある。アムステルダムから一時間ほど南下するとデン・ハーグという都市があり、これが所謂「ハーグ」、じつは政治首都であり国会があり、各国の大使館も、このハーグに設置されている。アムステルダムは一応「首都」だが、政治の中心ではないのだ。
 ハーグで是非とも見たいと思っていたのはフェルメールとレンブラントの名画が飾られている「マウリッツハイス美術館」だ。
 ここには「真珠の首飾りの少女」(フェルメール)、「デュルプ博士の解剖学講義」(レンブラント)など多彩な名画が展示され、しかも写真撮影は自由(フラッシュ厳禁)なのである。日本の美術館、博物館とは異なり、世界の名画が至近距離で看られるばかりか、入場者が少ない。だからゆっくりと観賞できることである。ただし時折お目当ての作品が「貸しだし中」。それも東京へ行っていたりする。
 フェルメールには「デルフトの眺望」という作品があり、つまり彼はデルフト出身だが、ハーグから南へ30分もかからない。
 そこでデルフトへも足を延ばした。
 伊万里焼、有田焼の影響を受けて白と青の陶磁器で有名な町でもあり、いまでは「デルフト焼」も世界に知られる陶器となって欧州ばかりか日本にも輸出されている。
 町の中心はマルクト広場、国際法のグロチウゥの像があたりを睥睨している。広場を囲んで市庁舎、新教会、フェルメールの住んでいた家などもあるが、圧巻は「フェルメールセンター」である。前述の「デルフトの眺望」は、この地で描かれた風景画で、フェルメールは生涯に37点しか残さないほどの寡作だが、多くが室内の女性を描いた。風景画は稀有であり、雨雲の向こう側に白雲が描かれ、川を挟んでの当時のデルフトの眺望が精密に、地誌学的にも正確に描かれていて世界的傑作とされる。

 ▼「名画バベルの塔」は、ロッテルダムにあった

 デルフトからさらに南下した。
 ロッテルダムはオランド第二の都市だが、最大の産業都市であり最大の港湾を誇り、働き者が多いとされる。
 デン・ハーグからはメトロも繋がって三十分の距離。ところが政治都市やデルフトのような田舎町の静けさはない。活力に溢れているという意味でオランダでもっとも繁栄した近代都市になりおおせた。
 ロッテルダムで真っ先に行ったのは「ボイマンズ・ファン・ベーニンゲン博物館」で、この館内にブリューゲルの「バベルの塔」がある。
 じつは2017年に、この「バベルの塔」は日本に来ており、筆者は上野の美術館でみた。長蛇の列、満員、束の間に観賞しかできなかったので分厚いカタログを購入した。
 この美術館ででは、じっくりと悠然と、角度を変えながら何回でも観賞できた。

 アムステルダムに戻った。
 中央駅は裏側が海である。大きな客船、クルーズ船が入港するターミナルは鉄道駅の北、昼間でも人通りが少なく風が強い。
 中央駅の南側が繁華街で世界中の観光客がここに犇めくために交通渋滞がひどい。うっかり駅前のレストランに入ったらごった返して注文を取りに来るまでに三十分もかかるほどの繁栄ぶりだった。
 観光のことは飛ばして、やはりアムステルダムで見るべきはゴッホ、そしてレンブラントの「夜警」、フェルメールの「恋文」と「青衣の女」「牛乳をそそぐ女」である。
 これらは宏大な国立博物館にある。ゴッホは他に「ゴッホ美術館」があって、ここに「向日葵」「寝室」「黄色い家」などが飾られている。 
 ゴッホほど江戸の浮世絵から影響を受けた画家はいないだろう。ライバルのゴーギャンも日本の浮世絵、それも北斎に影響が顕著だが、ゴッホは自らも浮世絵を収集しており、漢字を模写したりした絵もかなり存在している。 
 しかしゴッホと言えば、欠かせない美術館、じつはドイツとの国境に近い森の中にある。5500ヘクタールという宏大な森林公園は「デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園」。付近の町オッテルローからバスが公園の入り口まで出ている。この自然の森林公園のなかに「クレラー・ミューラー美術館」が鎮座ましまし、付近一帯は野外の彫刻の森美術館。じつは箱根のそれは、この「クレラー・ミュラー」の影響を受けた。

 ▼ゴッホの本場はドイツ国境の森の中

 クレラー夫妻は早くからゴッホを収集しており、「向日葵」「夜のカフェテラス」「郵便配達府」「自画像」「糸杉」「アルルのハネ橋」などは、ほとんどが、この美述館にあるのだ。
 しかも説明に来てくれたのがオッテルローにタダ一人住む日本人女性。夫君の赴任地のため移住してきたという。だから日本語で説明が聞けた。
 ゴッホは生存中はまったく恵まれず、画廊に勤めていた実弟に生活費を負担させ、しかし兄の才能を信じて疑わなかった弟は、仕送りを死ぬまで続けた。だからゴッホは書き続けることができた。
 弟の間に手紙のやりとりはいまでは出版されていて、その兄弟愛が果てしなくも美しく、いかなる破天荒な生涯を送ったが詳らかになった。最初にゴッホに着目して、爾後、購入を続けてきたのがクレラーミュラー夫妻だったのだ。

 筆者はゴッホを見ながら、三島由紀夫の『絹と明察』を思い浮かべていた。主人公の駒沢善次郎をして、三島は広重と北斎をこう評価させている箇所である。
 「どないいうても広重ですわ。風景の心いうものを、ぐっとつかんどるさかい」。
 「北斎は風景ばかりか人間まで怖ろしいほどによく知っていた。それを存分に描いて後世に伝え、外国人にまで愛された。(中略)北斎にしろ広重にしろ、あんなに逆巻く波や噴火する山や横殴りの雨を描き、そこに小さく点綴(てんてい)される人間の貧しい重い労働を描き、それをすべて世にも幸福な色彩で彩(いろど)った」(新潮文庫)。
 
 ゴーギャンとの対比がよくなされるが、ふたりは画風が違ううえ、性格も異なり、お互いは喧嘩別れとなって、ゴーギャンはタヒチに旅立った。
 さて図らずも、いつもの筆者とは違って絵画鑑賞の旅となったきらいがあるが、オランダは単に風車観光の国ではなく、けちな人々ばかりでもなく、絵画の天才たちを輩出させた国なのである。
        
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樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 2104回】           
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘64)
「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

        △
 やはり西洋(=覇道)対東洋(=王道)と単純に線引きした図式の持つ曖昧さの根源と問題点を解き明かさないままに時を過ごしてしまい、同じ「東洋人」として中国・中国人との交流を重ねたことが、その後の日本の大陸政策の躓きを誘発したと考える。 

同じく漢字を使ってるからといって、互いに分かり合えるわけはない。近くに住み、同じような姿形をしているからといって、互いに胸襟を開いてウソ偽りのない付き合いができるなどと考えるのは幻想に過ぎない。分かり合えるなどと言った浅はかな姿勢を後生大事に抱えて出発していたからこそ、過去の失敗があった──

 たとえば「東洋」「東洋人」の捉え方である。
 中国人一般の見方に従うなら、東洋とは中国大陸の東方の海洋を指す。台湾もフィリピンも東洋に含める文献も見られるが、一般に東洋は殊に日本を、東洋人は日本人を、東洋刀は日本刀を、東洋鬼子は日本兵を、東洋車は日本オリジナルの人力車を指す。だが日本では殊に明治以後はオリエントの訳語として東洋が充てられ、西洋(欧州)の対義語としてアジア全域を指すようになった。だから漢字に足元を掬われる。要々々々・・・要注意。

 さて幾度も、大いに回り道をしてしまったが、どうやら本題である橘が記した「王道論の註釋及批評」に行き着いたようだ。

 橘は孫文の説く王道は「さつぱり要領を得ない」が、「恐らく仁義道?を基調とする政治と云ふ意味であらう」と捉えた。だからこそ「我々が今、『王道』なる
ものゝの正體を見極めようとするには、先づ王道に事實と理想とを區別してかゝる必要がある」とし、孫文に加え彼の理論面の秘書であり、中国人による日本論の白眉と今もなお評価されている『日本論』を記した戴天仇の見解を引用する。だが、「孫文氏や戴天仇氏の意見を聞いたゞけでは、中國で發達した王道思想と云ふものが果してどれ程の價値を持つものであるか一寸見當がつかない」と率直に疑い、「從つて王道思想を其の理論的根據とするところの大亞細亞主義の權威も亦不明であると云ふ事になる」と結論づける。橘のこの姿勢に異議な~しッ!

 いわば「西洋の覇道文化に對して東洋の王道文化が優れた價値を持つと云ふ判斷の眞實性も疑はしくなる」から、「日本人が孫氏の勸めに從つて王道の提燈持ちをしようと云ふ奮發心を起さうにも甚だ心許ない氣がするのである」。たしかにそうだ。
「日本人が孫氏の勸めに從つて王道の提燈持ち」などを断固として為すべきではなかった。にもかかわらず「王道」の2文字に目晦ましされたまま、無自覚に「(孫文式の)王道の提燈持ち」に奔ってしまった。これが当時の日本におけるアジア主義者の「不都合な真実」ではなかったか。

 だが「提燈持ち」という悪癖は、その後も治癒されることはなかった。
 「百戦百勝」と讃えられた毛沢東の「提燈持ち」から始まって、周恩来、林彪、文革派、紅衛兵、?小平、江澤民、胡錦濤、習近平、天安門のみならず中華圏全体の「民主派」まで・・・時代や社会状況を問わず生まれては消える種々雑多なスターを、日本人は余りにも無自覚に、そして無反省に粗製乱造してきたように思う。「提燈持ち」が過ぎたのである。

『毛主席語録』の一節を綴ったプラカードを首から下げ文革最盛期の中国を得意然と歩いたバカな日本社会党員や紅衛兵然と「革命無罪」「造反有理」を叫びながら大学の施設を打ち壊したノンセクト・ラジカルと称したバカから始まった「子々孫々までの日中友好」分子まで・・・数多の「提灯持ち」の跳梁跋扈を忘れるわけにはいかない。

 さて橘だが、「孫氏の大亞細亞主義に關する講演」における「誤謬」として、「西洋勢力の下に呻いて居る弱小民族の不平と云ふ事と、亞細亞と云ふ一種の地理的觀念とを非論理的に結び付けて居る」ことを指摘した。
けだし名言、いや慧眼と言っておこう。


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月17日(金曜日)参
       通巻第6593号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~バア司法長官、中国に協力するディズニーなどハリウッドを痛烈批判
  アップルやシスコシステムズも、中国の情報統制に貢献した
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 レイFBI長官は「スパイ行為で調査中の5000の案件があり、その半分は中国が関与している」とハドソン研究所の講演でのべた。

引き続き発言したのは、バア司法長官である。
4月16日、ミシガン州のフォード記念館(ジェラルド・フォード元大統領ライブラリー、日本政府も建設費に応分の寄付をした)で45分間講演し、「ディズニーなどハリウッドの映画業界は、中国の宣伝のためのフィルム政策に貢献している」と非難した。

ハリウッドは昔から左翼、リベラルの巣くう業界として知られ、リチャード・ギアは干された。ギアはチベット仏教徒でダライラマ支援の映画に主演したからだ。チャイナマネーの乱舞に血迷って、中国を批判しないばかりか、中国共産党のウイグル弾圧にも怒りの声をあげる俳優はほとんどいない。ま、日本の映画界も似たようなものだから。

またバア長官は中国の情報操作、情報管理にソフトやノウハウを提供した米国企業としてアップル、シスコシステムズを名指しした。
 こうした米国企業の名前がでてくるのは、バア演説の骨子が、中国の世界戦略に関したもので、「2025 MADE IN CHINA」と[BRI(一帯一路)]は、中国の世界覇権達成のための両輪であり、この中国の大きな戦略に米国が、無意識的に飲み込まれているとする警告の文脈からでてきた。
  
(休刊のお知らせ)7月19日(日曜)は小誌、休刊となります
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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 

 歴史の法則、戦争は「兵站をめぐる攻防」である。
戦史解釈で強調されすぎた戦略論、頭脳部分だけでは論理欠陥あり。

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福山隆『重要なのに軽んじられる兵站』(育鵬社)
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 大東亜戦争で日本が敗れたのは兵站のまずさにあった。日清・日露戦争で日本が勝利できたのは兵站が優れていたからだ。
 兵站とは後方支援と解釈するだけでは軽薄な理解になってしまう。
 戦争は「兵站をめぐる攻防」でもあり、戦略は頭脳部分だが、兵站は心臓と血流、これに支障が出てれば健康体ではなくなる。
 戦争で、攻撃側は「敵の策源地や兵站拠点を破壊し、兵站ルート、すなわち輸送ならびに連絡線となるシーレーンや鉄道・道路(とくに橋梁)の切断を追求すること」である。
 対して守勢する側は「相手の攻撃から策源地や兵站拠点を防御し、シーレーンや鉄道・道路(とくに橋梁)の切断を阻止する」のである。

 戦争は戦略が最初にあって戦術が選択され、行使される。
その判断材料となる事柄は、敵戦力に関しての情報であり、それには相手の兵器、その種類から兵隊の配置と士気、指導者の個人的な情報に到るまでが必要である。インテリジャンスが勝敗を決める裏の要素である。
 従来、日本史の解釈で多くが述べられたのは戦略論、つまり頭脳部分のことだけに焦点をあて、大事なことをすっぽりと忘れている。頭でっかちの参謀本部は作戦をことのほか重視した。だから負けたと言える。
 作家たちの武将物語も、将棋盤のうえの展開であるかのように戦略と士気、そして浪花節的なお涙頂戴ストーリーが多く、兵站を理解した小説はすくない。
 戦意に富んでいても兵站が貧弱では、戦いにならない。あの西南戦争で西?軍はなぜ負けたのか? 
劣悪な兵器、弾薬不足、そしてなきに等しかっ情報網。兵力の差が西?軍の戦意を次第にそぎ落としていった。
 兵站は武器、兵器、弾薬、輸送燃料の調達、輸送ばかりか、兵隊の食糧、飲料水、医薬品、軍医の手配。宿営地の選択、行った先の食糧事情から、人間ばかりではない軍馬、軍用犬の食糧、宿営地。これらを支える財政(つまり軍資金)、これらが兵站であり、総合戦を下支えする。
 荷駄隊、とか輜重部隊といわれ、戦闘をしないので兵役検査では乙種合格組が多かった。帝国陸軍で輜重部隊は非エリートと扱われた。これが大東亜戦争の基本の間違いである。
 ナポレオンもロンメルもアレキサンダーも、武田勝頼も、この兵站の不備で最後には敗北したのだ。
 英雄譚は、戦闘能力、士気の高さ、指導力、決断力が強調されるが、戦争の裏には情報戦がある。インテリジャンスとは情報の蒐集だけと考えていると、これも誤りで敵戦力を分断し、敵を内訌させる諜報工作が必要である。
 評者の独断で言うと、日本でもっとも兵站に優れていた武将、じつは豊臣秀吉である。
 秀吉の高松城水攻め、三木城干し殺し、鳥取城包囲作戦など、いずれも戦闘というより、兵站の優劣が勝敗を決めた。徳川家康との宿命の対決は小牧・長久手の戦役だが、両者ともに兵站に優れ、結局、勝負には勝ったが試合には負けた家康。秀吉の諜報、謀略工作が家康のレベルを少しだけ超えたいたからである。
 本書で福山将軍は、豊富な経験を元に古典に教訓を求め、世界的視野での兵站の実態を研究した。
 北アフリカ戦線、バルバロッサ作戦、タンネンベルクの戦い、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦い、インパール作戦、日露戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争等の兵站の展開をしらべての労作である。ただし、論考の中に無造作にでてくる日中戦争とか、太平洋戦争とかのGHQ史観の語彙は気になった。
     
集中連載 「早朝特急3」(第53回) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その12)                                                       第十二章 ベネルクス三ヶ国に舞い降りた
 
 ▼チョコレート、刺繍、ダイヤモンドのベルギー

 ベルギーと言えばチョコレート、ダイヤモンドの研磨。EU本部。ほかに思いつくことは少ないような気がする。
 人口は一千万人強。欧州では「小国」ということになる。
 このベルギーがドイツを超えるほどのビールの名産地であることは存外知られていない。銘柄だけでも六百品目もある。消費量こそドイツにかなわないが、世界に輸出されており、稼ぎ頭はハイネッケンだ。
 もう一つ、レース編みが有名なのである。
 ブラッセルで断トツの観光名所は、「小便小僧」。別名「ジュリアン君」はその昔、敵に包囲されたとき、仕掛けられた火薬の導火線に小便をひっかけて消し止めたとかで、爾来、町のマスコットとなった。
 小さな像の前に観光客がたかっているが、そこから横丁に百メートルほど入ると「小便少女」がある。こちらを見に来る観光客はほとんどいない。
 付近の商店街にいくつもチョコレート専門店があり、ゴドヴァのほかに「BS40」という商品が日本人に飛ぶような人気があるとか。
 ブラッセルは本来「湿地帯」という意味で、だからビール醸造が発達したのかと誤解するほど。
 「ブラッセルの銀座」は嘗てジャン・コクトーが「豊穣なる劇場」と褒めた「グラン・プラス」だ。
 長くて広い屋根つけアーケードを通り抜ける。市役所前広場を四方に取り囲む小路が交差し、観光客が必ず訪れるのも、チョコレート、ダイヤモンド、有名レストラン、レース編みのブティクが集中しているからだ。
 そのBS40というチョコレート店には日本人中年女性グループが押しかけて満員だった。しかも店員が日本人だったのは驚きである。


 ▼コクトーもユーゴも、ダリも愛した町

 老舗ホテル、博物館もあるが、おやと思ったのはダリ記念館だった。
 なぜ幻想的神秘主義の芸術家でスペイン人のエルサルバドール・ダリの博物館がここにあるのかと訝ったが、絵画より彫刻、オブジェなどが飾ってあった。そうだ、ベルギーは嘗てスペインに征服された歴史がある。
 広場でアイスクリームを頬張っていた美女たちに話しかけると、「スペインからきました」。
 古色蒼然として建物が広場を囲んでいるが北側のビルの一部に『レ・ミゼラブル』を書いた文豪ビクトル・ユーゴが弾圧を逃れて一時期隠れ住んだ部屋が残る。
 EU本部はこのブリュッセルにある。
 もちろん、EU議会とEU本部の撮影に行った。この一帯は「インタナショナル・ヴィラッジ」とでも呼ぶべき場所でEU加盟国のエリートが集まり、机上の空論を戦わせながら、贅沢な官僚生活を送っている。ナショナリズムを異端視するリベラルの巣窟である。
 ところがベルギー国民の大半がEU官僚どもを「税金の無駄つかい」と批判する。ベルギーのような小国に、しかしなぜEU本部を置いたかと言えば、国際組織の本部を誘致することでベルギーの経済的飛躍を狙ったからでもある。
 イタリア総選挙で左翼が惨敗し保守系の三つの政党が大躍進を遂げ、ドイツで「ドイツのための選択肢」などの反メルケル運動が台頭し、フランスでルペン率いる「国民戦線」が第二党に躍り出てきたようにベルギー政治の変革を希望している。EU本部の、グローバリズムのお膝元で、保守派が台頭してのだから、皮肉というほかはない。
 EU本部というグローバリズムを鼓吹し、移民政策を推進しているお膝元で!
 北西部の古都ブルージュへはバスで入った。
 ここに有名な教会群、修道院が林立するのも十二世紀から商業港として栄え、貿易の中心地だったからである。
 もともと「ブルージュ」とは「橋」のことを意味し、じっさいに運河にかかる古式ゆかしい橋は50もある。聖母教会の内部は荘厳で奥行きが深く、ミケランジェロの聖母子像など数多くのキリスト教にまつわる名画がまぐしいほどに飾られている。
 時間があれば、もっとゆっくり見たいものだと思った。


 ▼オランドでは美術館をめぐった

 ついでオランドに近いアントワープへ入った。
 芸術の都とも言われたアントワープは前から行ってみたいと思ってきた。
 ここも港町として栄え、主力産業ダイヤモンド研磨工場が密集する街でもあるのだが、ゴシック建築とバロック建築が聳え、中世の面影を残す風情豊かな、それでいて静かな町である。
ここに長期滞在するヨーロッパ人が多いと聞いて得心する。ヨーロッパの金持ちも好む町なので、中心部のホテルはパリ並みに高い。石畳、タクシーも入らないような細い小道の奧に位置するホテルでも、一泊三万円が相場だ。
 このアントワープでぜひとも見たいと考えていたのはルーベンスの名画群である。
 ルーベンスは七ケ国語を操った外交官でもあった。富裕層に知り合いが多く絵の注文が殺到、したがって弟子も多く二千点もの作品を残している。
 制作場所は「ルーベンス工房」と呼ばれ、名画量産のメーカーと揶揄(からかわ)れた。
 30年住んだルーベンスの家は現在市立博物館として保存されている。
 また「ノートルダム大聖堂」の名画を鑑賞するために世界中から芸術ファンが押し寄せる。広大な教会内部のあちこちにルーベンスの祭壇画「キリスト昇架」「キリスト降架」「聖母被昇天」などがある。 
 じっくり見入っていると先客の日本人と目が合った。俳優の柄本明だった。休暇を利用してひとりで鑑賞に来ているという。
 アントワープにはこのほかに王立美術館、野外彫刻美術館、ニード博物館、マイエルアンデンブルグ美術館、プランタンモレトゥス博物館、ロコックスの家(ルーベンスの友人でアントワープ市長だった)など、芸術鑑賞が目的なら一週間は滞在しても足りないほど芸術の都でもある。
 眼が疲れるほど名画をみたので、郊外の空気を吸おうと、緑豊かな公園を歩く。
 ちょっと郊外へ出ると牧畜、農耕馬、あちこちに牛がかわれ、また犬が多い。風力発電機が随所でうなりを上げている。天然記念物的な水車も残っている。

 さて、もう一度、ベルギーへ戻った。
 寒冷地なので葡萄の栽培ができず、レストランでのワインは主としてフランス、イタリア、そしてスペインからの輸入品。だからベルギー人はビール嗜好なのか。
 残雪が農地に目立つのも農作物に限界があることを示し、また雪では機能しない太陽光パネルが目立たなかったことも納得がいく。
 そういえば冬場に運河が凍結し、スケートができるとガイドが言っていたが、帰国後のニュースでは大寒波が襲来し、ほんとに運河が氷結したそうである。
 このベルギー、小国なれど北と南で言語が異なり(北はドイツ語圏、南はフランス語圏)、カタロニアのように独立運動がある。
 欧州はいま、どこでも独立志向が旺盛なようだ。(オランダに関しては次号に詳述)。


▼ルクセンブルグ大公国

 ベルギーとドイツに挟まれた、もっと小さな国が「ルクセンブルグ大公国」で、国王並みの「大公」が統治している。
 人口わずか60万人、国土面積は神奈川県くらいしかない。
 ところが独自のルクセンブルグ語を喋る。ドイツ語の放言の流れにある言語だ。
 じつは「ひとりあたりのGDP」が11万ドルで世界一。ルクセンブルグは金融都市でもあり、ブレクジット(英国のEU離脱)のあと、ロンドンの「ザ・シティ」の役割を頂こうと必死でもある。
 世界企業が法律的な優遇メリットを求めて会社登記を行うので歳入も豊かだからだ。世界一の鉄鋼企業「アルセール・ミタル」も、ルクセンブルグが本社である。だからタクシーの列を見ると、ベンツとトヨタが多い。贅沢である。
 この国の見どころと言えば、「大公宮」とイエズス会系のノートルダム寺院くらいしかない。大公宮にアンリ大公は不在だが衛兵が歩哨に立っている。こうなると観光用としか思えない。
 十世紀に築城された城砦は、軍事要塞でもあって絶壁に位置していた。いまは破壊された城壁に一部しか残っておらず、中を歩くにはでこぼこ道の急坂を下る。
 所得は大きくとも税金が高く、人々の風貌にそれほどの明るさを感じなかった。それでも工業国家の本社登記と税収で持っており、くわえてタックスヘブンの役割を果たしているルクセンブルグゆえ、物作りの工場がないから空気が澄んでいて、夕日の美しさには感動した。 
 これらベルギーとルクセンブルグという小国を回って感じたことは、弱小国の智恵である。
生き延びるためには国際社会との連携が外交の第一目標となり、EUの団結を損ねるような動きを警戒する。そのうえで独仏の主導権争いにも絶えず嘴を入れる。
 アウトバーンが発達しており、通勤時の醜態は予測通りだが、アジア諸国の交通渋滞は無秩序、錯乱であり、中国は交通ルール無視の大渋滞が引き起こされる。
 EU各国の渋滞には信号を守り、運転手のマナーがしっかりしている。
 大型バスや長距離トラックにはタコメーターが取り付けられ、三時間ごとに30分の休憩も義務づけられ、最初から終わりまで「規則、規則」である。それもまたEUの官僚どもが考えそうなことだ。
        
   ♪
(読者の声1)有馬哲夫氏の『日本人はなぜ自虐的になったのかーー占領とWGIP』(新潮新書)は、WGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)を、みっちりと取り上げていて、江藤淳、高橋史郎、それに私、関野通夫に続いて4冊目です。
幅、深さともに深く、WGIPだけでなく、幅広く解説論評されています。お勧めできる新刊書です。この本の題名、日本人の自虐的考え方は、わかる人は良く分かっていますが、この洗脳をどうすれば解けるのか、特効薬を見つけて方は、勲章ものだと思います。
一方、WGIP論を「陰謀論」的に論評するのは、秦郁彦氏だそうです。秦氏は、例の慰安婦問題の火付け役の一人吉田清治の嘘を済州島まで調査に行って突き止め、最終的には、朝日新聞に記事の取り消しをさせたのは立派ですが、南京事件については、虐殺数について4万人という中間派のようですし、他にもあまり賛成できない論もある、評価の難しい方です。              (関野通夫)


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月17日(金曜日)弐
       通巻第6592号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~世界はファーウェイにつくのか、つかないのかで大分断が鮮明に
  米国は更に加速的圧力をかけ始めた
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 筆者が『大分断する世界』(渡邊哲也氏との共著、ビジネス社)を上梓したのが、昨年一月だった。
一年半後の今日、世界はまさしく『プロ華為』か、『アンチ華為』かで分断された。
この場合の『アンチ華為』とは、ファーウェイ、ZTE、ハイクビジョンなど中国のハイテク産業全体を意味する。

 まず「アンチ」に立つ陣営をみると、「ファイブ・アイズ」のメンバー(米・英、カナダ、豪、NZ)を基軸に、日本、インド。はじめから反中スタンスの台湾とベトナムも、この陣営に加えてよいが、二股をかけているのは韓国である。なぜなら韓国はサムスンとLGが基地局ビジネスを独自に開発してきたからだ。

 「プロ華為」の陣営には、ロシア、南ア、トルコ、中東諸国。ここにアセアンのタイ、カンボジア、フィリピン、マレーシアが加わる。華僑人口の多いマレーシアは前首相のマハティールが来日の折、明言した。「ファーウェイを使うとスパイされる? 我が国には機密がないから、構わない」。
 フィリピンも華僑が金融と物流を握っておりファーウェイ側に立たざるを得ない。

 中立、もしくは態度不明はEU諸国、とくにドイツ、フランスだ。基本的にEU諸国も仲間のノキア、エリクソンを使いたいが、ファーウェイがすでに基地局を構築しており、システムを最初からやり直すには投資が莫大になる。
 
 シンガポールは『アンチ組』への合流を検討している。インドネシアは、どちらにつくかどうかより、まだ5G通信システムのインフラがない。

 ファーウェイの売り上げは国内で59%、欧州・中東で35%,アジアで15%、アフリカ市場はまだ僅か1%でしかない。

 米国政府内部では香港自治法、国防権限法などにより、中国共産党員とその家族の入国も禁止する方向にあるという。

 トランプ大統領は『中国の五社製品を使う企業を8月1日から取引停止にする』とした。中国五社とはファーウェイ、ZTE、ハイクビジョン、ダーファ、ハイテラだ。この強硬措置で甚大な影響がでる日本企業は800社になる。
 分断はさらに加速する。

  
(休刊のお知らせ)7月19日(日曜)は小誌、休刊となります

 第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その11)  第十一章 イタリア 

 ▼陽気で享楽的な国民性は国家財政が赤字でも気にしない、展望なき生活にも焦らない

 日本人の抱くイタリア・イメージはすこぶる良い。
 ダビンチ、ミケランジェロ、映画「ローマの休日」。そのわりにイタリア語を喋る日本人は少ないが、イタリアでは日本語熱が盛んである。
 映画をみてもソフィア・ローレンの熱情的な、人生への前向きな姿勢を受け入れ、それでいて暗い方面には目を向けたがらない。ロバート・デニーロにシルベスタ・スタローンと、ハリウッドの有名俳優にはイタリア人が多い。デニーロはカポネの役をこなした。そうだ、イタリアはマフィアでも勇名なのだ。

 冬のイタリアは寒かった。
 ドイツ経由でミラノから入国した。空港は人種のるつぼ、世界各地から観光客がやってくる。まさか、このミラノ観光客から武漢ウィルスの第二次感染が世界に広がるとは、誰も考えなかったのではないか。
 北イタリアと言えば自動車産業。トリノにはフィアットの大工場がある。1972年に、このフィアット工場を見学したことがある。当時から日本のラインの方がスピードは速かった。
 ともかく世界の富裕層が買うフェラーリ、人気の高いマセラティの製造元であるフィアットは航空機から鉄道車両にも手を広げ、サッカーチームから新聞などメディアも抱える一大コングロマリットである。空港のロビィにはフィアットの新車が飾られている。
 フェラーリは中国共産党幹部で失脚した薄熙来の息子が米国で乗り回していたし、胡錦涛の番頭格だった令計画の息子はフェラーリに女性二人を乗せ、北京市内で交通事故を起こして死んだ。
 フィアットは2009年からはクライスラーと事実上合併し、また日本ではスズキと提携している。つまり北イタリアは近代化に成功し経済的にも豊かで、フィレンツェ、ローマ、ナポリなど中央部から南部イタリアを寄せ付かない経済力を誇る。

 コロナ前、ミラノとベネチアは世界からの観光客に沸いた。
 北イタリアの物価はローマ以南と比べるとやはり高い。レストランに入ると、ワインだけが安い。各地に日本料理店も看板を出しているが、高いというイメージがあってツアー客は敬遠する。「やっぱりイタリアに来たのだからとピザ、ラザニア、パスタだ」とばかり地元の店が大繁盛だ。

 ▼プラトーに、いつのまにか五万人の中国人が棲み着いていた
 
 治安はどうかと言えば、嘗てジプシー少年団の窃盗、置き引きがイタリア名物だった。
 いまは様変わりである。新参者の犯罪が凶悪化しているのだ。なぜならシリアとアフリカからの経済難民、不法移民の群れが混入し始め、EU全域が混乱状態だが、とくにイタリアはバルカン半島と並んで難民の玄関口だからである。
 冷戦が終わったときは東海岸の対岸アルバニアから難民がアドリア海をこえてどっとやってきた。
 いまは真南のチュニジア、その両脇のアルジェリアとリビアからどんどんやってくる。イタリアのマフィアと組んでいるからたちが悪いうえ、この不法移民が窃盗では飽き足らず、婦女暴行、強盗などをやらかす。ひところイタリア人から「ゴキブリ」のようにいわれた中国人も目立たないくらいだ。
 フィレンツェもナポリも、そしてピサの斜塔も観光客で超満員。ローマならコロッセオ、サンピエトロ寺院、トレビの泉、スペイン階段。バチカン。とりわけ後者の美術館は開館前に二時間待ちの長蛇の列ができる。ガイドは常に「掏摸にご注意」と警戒を喚起する。
 筆者が見たいところはイタリアの観光地ではない。
 フィレンツェの隣町プラトーは人口18万の小さな町だが、いつのまにか五万人の中国人が住み着き、小・中学校のクラスは半分がチャイナとなった。イタリア語で中国人はチーノである。
 かれらはブランドの偽物製造も手掛けるが、皮革製品を独自のデザインで「MADE IN ITALY」として輸出する。
 イタリア人経営の零細中小企業を中国人は次々と買収し、気が付けばプラトー市はイタリア最大のチャイナタウンとなっていた。
 実際にはベルルスコーニ時代から中国人は不法就労と脱税をにらまれ、当局の手入れが厳しくなったため中国語の看板を取っ払った。だから街を歩いても、中華レストランが目立たない。街の表情だけでは写真にならない。
 しかしプラトー市は中国人マフィアの街でもあり、イタリア警察が手入れして、数十の中国人を麻薬、売春、違法博打で逮捕した。この中国人マフィアにも浙江省閥と福建省閥がってお互いにいがみ合い、過去十年間に40人が殺し合って死んだほど物騒なのだ。

 ▼イタリアの闇将軍

 イタリア政界に「闇将軍」がいることは広く知られる。
 首相の座を追われても、永田町の陣笠代議士らを束にして動かした田中角栄のような存在といえば誰あろう、醜聞ばかりのベルルスコーニ前首相である。有罪が確定し自らが議員に返り咲く可能性はないが、その影響力は依然甚大であり、フィクサーである。
 それでなくともイタリア政界は右から左まで少数政党が乱立し、常に連立政権の中味が変わる。
 くわえて「都民ファースト」のブームよろしく、突如ネットからでてきたポピュリスト集団「五つ星運動」がミラノとローマ市長を抑えたから大変だ。政界不安定はとりも直さず経済不安定。EUの主要国の中で独仏に次ぐ影響力をもつ国なのに、多重債務、デフォルトの危機が市場では囁かれる。

 ともかくイタリア人は陽気である。
 率直にいうと、イタリアではフリンを気にしない。亭主が愛人を持とうが、もつまいが、関心がない。フランスにしても、下半身スキャンダルは、メディアも取り上げない。米国と日本くらいだろう、愛人をスキャンダラスな問題として空騒ぎするのは。
 借金を気にしない。明日のことはケセラセラ、その日一日が楽しければ良いと享楽的であり刹那的であり、本当にこの人たちがローマ帝国の末裔なのかと疑ってしまう。
 古代ローマには切腹があった史実を知らない読者がいるかも知れない。。
政治家カトウは屈辱をうけた後、切腹した。
 イタリアの大半の国民は無関心とはいえ、ローマ帝国からの伝統を重視する保守派のイタリア人に国粋主義が引き継がれており、ムッソリーニは尊敬されている。
 四半世紀前、ロマノ・ヴィルピッタ(京都産業大学前教授)を通して「ローマ憂国忌」が行われるので講演に赴くよう言われ、慌ただしくローマへ向かった。この集いに参加した若きイタリア人たちが三島由紀夫の「檄」や「文化防衛論」を読んでいることに驚嘆した。
 フランスと異なって三島の政治的書籍はすべてイタリア語が出ている。いまもムラカミハルキより、イタリアではミシマである。
 在日サンマリノ大使のカデロ氏は騎士道の勲章をもつ人だが、イタリアに『サンマリノ神社』(祭神は天照大御神)を造営され、しかもイタリア人が日本の神職資格をとって宮司を務める。日本の神道は宗教を超えているのである。

 すべてのイタリア人がそういうわけではないが、インテリ層の日本理解はほかの欧州諸国より遙かに進んでいる。スペイン、ポルトガルもこれに次ぐが、よく考えるとカソリック国家であり、ラテン系であり、天正少年使節団や支倉常長から明治新政府の遣欧使節にいたるまで、リスボン、マドリッド、ローマとは特別の縁があった。
 イタリアでは三島由紀夫の「楯の会のこと」など全集でしか見ることもない政治論文まですべてイタリア語に翻訳されている。小説ももちろんすべてだ。

 ▼「輪廻転生」という仏教哲学を信じている人が多い 

 前首相のレンツォも伊勢サミットのために来日したおり、伊勢神宮に参拝し、次のように感想を述べた。
 「このような歴史を持ち、示唆に富む場所で、人間の尊厳を保ちながら、経済成長および社会正義のための諸条件をより力強く構築できることを祈念する」

 ローマ憂国忌に前後して主催側の学者、学生らと話し合って分かったことは「輪廻転生」という仏教哲学を信じている人が多いことだ。これはキリスト教の教えにはない、東洋の哲学に惹かれるうえ、イタリアの保守派ヤングには明治維新から昭和維新までの思想の流れを研究して学究がいる。
 「ローマ憂国忌」の帰り道、筆者はせっかくの機会だからと単身でシチリアへ飛んだ。四日間ほどパレルモを拠点にシチリアのあちこちを歩こうと思い立ったのだが、この島は文明の通り道だけあって人種混交、ユダヤ鼻から蒙古系まで人種の坩堝、したがって料理も多彩で、とくに中華レストランが夥しく、どの店へ入っても中国人と間違えられたことを思い出した。

 観光地の現況をもうすこし見ておくと「ピサの斜塔」は写真でしか見てなかったが、やはり傾斜角度がひどく、よく崩れおちないものと感心した。

 ▼文明が災害で滅びることは昔からあった

 衝撃的だったのはポンペイである。写真家の細江英公氏から広島と原爆の実験場となったネバタの砂漠と、そしてこのポンペイをモチーフの写真集を頂き、筆者は以前から深い興味があった。
 南部のナポリからバスで一時間。途中に世界遺産のアマルフィ海岸を通過する。ここで大雨に遭遇した。

 よく知られるようにポンペイはヴェスヴィオス火山の大爆発と火砕流で多くが犠牲となり、火山灰に埋もれた。西暦76年におきた大災害は18世紀に発見されるまでイタリアの歴史から消えていた。
 ポルトガルのリスボンは地震と津波(1755年)によって海抜三十メートルの丘にあった宮殿までが破壊され、カントは「神はいない」と嘆いた。
 ポンペイの災害はローマがキリストを国教とする以前のことだった。当時の人々の信仰は太陽神、ゾロアスター教の源流で、日本の弥勒菩薩に似たミトラ教だった。宮崎市定説ではミトラ神が漢訳されて「毘沙門天」となったという。 
 残念ながらいまのポンペイ遺跡の展示にはこのミトラ教の痕跡はない。

 火山で文明が滅びた例は日本にもある。
 7500年前に栄えた上野原縄文集落は三内丸山に匹敵するほどの規模を誇り、豊かに暮らした。突然の火山爆発で、火山灰のなかに滅亡した。詳しくは拙著『一万年の平和』(秋に刊行予定)に書く。

☆○◎☆◎○☆○  突然ですが書評です。来月はもう8月  ◎☆◎○☆○◎☆   

『 目覚めよ! 日本 』  ヘンリー・ S・ ストークス、 植田 剛彦      宮崎正弘さんによる書評👇  

快著であり、同時に画期的な問題を提議する著作である。 脳幹に爽やかな一陣の風が吹いた。

ストークス氏が担った歴史的作業とは、欧米ジャーナリストのなかで、とくに在日外国人特派員のなかにあって最古参の氏はただひとり敢然と
「東京裁判史観は間違い」 であり、「日本の大東亜戦争の目的はアジア植民地の解放戦争だった」 と正当に評価した初めての英国人であり、
南京大虐殺の嘘を世界に向けて発信している稀有の存在である。

慰安婦、強制連行、性奴隷に関しても資料をふんだんに使っての反論がなされる。
ストークス氏は 「GHQ史観」 とも 「東京裁判史観」 とも言わず、独自の 「連合国戦勝史観」 と定義されるように、
歴史に対する凛とした態度が明瞭に示されている。

ストークス氏とて、東京赴任当時から上記のような歴史観を抱いていたわけではなく、英紙フィナンシャルタイムズ、ロンドンタイムズ、
そしてニューヨークタイムズの東京支局長として滞在半世紀におよぶ裡に、三島由紀夫氏ら多くの友人・知己を得て、考え方が自然と固まってきた、
日本に対する冷静な視点から到達した結論である。

ストークス氏は英語で三島伝記を書いた初めての外国人でもある。 だから率直にその思想遍歴を次のように語る。

「私はいわゆる 『南京大虐殺』 をはじめとして、マッカーサーが日本占領下で演出した東京裁判が、一部始終、虚偽にみちたものであり、
日本が侵略国家であったどころか、数世紀にわたって、白人による植民地支配のもとで苦しんでいたアジアを解放した、
歴史的におおいに賞賛するべき偉業を果たしたことを、(半世紀の滞在を通じて) 理解するようになった」 と。

また対談相手の植田剛彦氏は辣腕のジャーナリスト、アメリカ通として活躍され、多くの著作がある論客だが、
鋭い筆法のなかに独特のユーモアが含まれ、つい笑いに誘われた箇所も数カ所ある。

その植田氏がストークス氏の発言を継いでこう言う。
「マッカーサーは、日本に 『平和憲法』 を強いたり、トンチンカンなことが多かった。
日本国憲法は、占領軍に銃剣をつきつけられて、1946年に公布されましたが、日本を土足で踏みつけたようなものでした。

(中略) それなのに、今日でも多くに日本人がこの土足を頭の上に戴いて、満足している」

そして惰眠をむさぼり続けてきた日本の平和ぼけはヒトラー台頭時の英国に似ているとして植田氏が続ける。

「ヒトラーが1939年にポーランドに侵攻して、第二次世界大戦の火蓋が切られたときに、イギリスは不意を突かれた(中略)。
いまの日本の状況と、驚くほどよく似ています」

ストークスはその後 『右翼』 といわれたチャーチルが登場し、勝利に導くのだが、「今日の日本に、もし、チャーチルのような人物がいたとしたら、
跳ね上がりの 『右』 だといって、白い目で見られてきたことでしょう。

だから三島由紀夫はいまでも、『極右』 ときめつけられている」
だから、日本は東京裁判の再審をおこなうべきなのだとストークス氏は貴重な、大胆な提言をされる。

「東京裁判では、一方的に、敗戦国のみが、裁判を装った 『復讐劇』 によって、私刑を受けたわけです。

ブレイクニー弁護人は 『侵略戦争それ自体は犯罪ではない』 と主張し、
さらに 『もし侵略戦争が犯罪であるというなら、原爆を投下した者、その命令を下した司令官、その国の指導者の名も挙げられる。

彼らは、この法廷のどこにいるのか』 と、裁判が一方的であることを訴えました。
私は、『東京裁判』 それ自体を、国際法に則って、『再審』 することで、日本の正義は充分に立証されると、強く思うのです」。

そうだ、戦後七十年をむかえて歴史戦で大外交攻勢をかける中国、韓国と、それを背後で黙認し、
いや擁護さえしながら米国は 「安部談話」 に介入している。 内政干渉である。

このような未曾有の歴史戦を前にして、私たちは東京裁判の再審を行わなければならないのである。
本書の最後にはケント・ギルバート氏の解説が光る。


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月17日(金曜日)
       通巻第6591号 <前日発行>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~米国、ファーウェイ社員のヴィザも制限へ
  「ウイグル族の人権弾圧に協力し、情報を盗み取っている」と批判
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 ポンペオ国務長官は7月15日に「中国政府による人権侵害に加担している」として、中国人のヴィザ発給を制限する声明をだした。とくに「華為技術」(ファーウェイ)を名指しで批判し、「人権を抑圧する中国政府の監視網の一翼を担っている」とした。

 同長官は「中国政府は反体制派の検閲や、新疆ウイグル自治区での強制収容施設の運営に携わり、ファーウェイ社員らは人権侵害政策を支援している」と認定した。またファーウェイ製品を使用すると、「重要情報が窃取される恐れがある」として西側諸国に警告を発している。

 そのファーウェイのスマホ、欧米で劣勢、売れ行き激減にある。
 しかし13億の市場がある中国国内で覇を握るのが、西側が制裁しているファーウェイなのだ。中国市場で売れ行きが回復し、対照的に首位のサムスンのスマホは、出荷が減っている。サムスンの第二四半期の出荷台数は30%以上の落ち込みと報じられている(日本経済新聞、2020年7月8日)。

 嘗てのスマホの王者はアップルだった。米中貿易戦争、ハイテク戦争の波をもろにかぶった同社は、このところ大きく後退し、中国のスマホ廉価OPPOや小米にも追いつかれそうな気配だ。だが、ファーウェイの天下は長続きしないだろう。アップルの王座奪還も視野に入ってきた。

 第一にファーウェイの基本OSはグーグルで、この使用が禁止されたため、中国国内ですらユーザーは他機種への乗換が顕著になっている。加えてインドでの中国製品排斥運動は中国製スマホがボイコットの主標的だ。
あまつさえ、これらのマイナス要因に、半導体に自製化が遅れていることだ。
半導体、中国の次世代技術開発で死命を制する要素である。中国自製の半導体メーカーはSMICのほか、「ハイシリコン」や紫光集団があるが、台湾と比べても四年から五年の遅れがある。

 第二に半導体製造装置を中国は、外国に全面依拠している。米国、日本で全体の80%以上を占め、ここにオランダと韓国が加わる。

 第三に半導体の設計は英国アーム社である。ファーウェイ子会社の「ハイシリコン」が猛追してはいるが、特許の関係など問題が多い。

 第四に設計ツールではケイデンス・デザイン・システム、シノプシス(いずれも米国)が圧倒的である。

 第五に液晶パネルは近未来には旧型となり、有機ELが代替する。つまり、パネル産業界が再編されようとしているのだ。
 ファーウェイは、2020年上半期までに二兆円以上を投じて、弐年分の半導体在庫を抱えている。半導体は日々変化して向上しており、在庫だけでは新型開発と販売は難しくなるだろう。


 ▼半導体供給切れを見越して、二年分をストック

 従来。半導体の中国への供給源はサムスンと台湾のTSMCだった。米国の圧力で、TSMCが脱落し、ハイテク工場を米国アリゾナ州に建設する。F35の部品にもつかわれるから、べいこくは安全保障上の理由を挙げたのだ。

 したがってファーウェイは、今後、中芯國際集積電路(SMIC)に半導体を依拠せざりを得ない。中国の自製率は2020年7月現在35%まで躍進したというが、その量ではなく自製製品の「質」が問題なのである。

 ファーウェイが半導体自製化と言っても、根本は半導体製造装置であり、これを中国は作れない。だからオランダ、日本、米国に全面依存してきた。
 トランプのファーウェイ排斥路線は、オランダASLM社の半導体製造装置の出荷を止めさせた。ASLM社の寡占以前はニコンとキャノンが競合していたが、ともにレースから脱落した。

日本は日米同盟という基本的な条件があって、米国追随路線だから、もちろん中国への輸出は出来ない。そこで中国が目につけたのは日本の半導体製造メーカー「東京エレクトロン」のエンジニア確保だったのである。
コロナ災禍でANAがチャーター機を武漢に飛ばしたが、半分が自動車部品関連、のこりの多くが半導体製造装置のエンジニアだったことをお忘れなく。

 さらなる問題点は液晶パネルである。これまでも現在も、パネル・ディスプレーの主力は液晶である。日本ではJDI、シャープが大供給源だったし、材料も日亜化学、三菱ケミカルなどだった。

 ところが、アップルが新機種を「有機EL」とすることになり、産業地図ががらりと塗り変わる。有機ELは、その材料を日本の出光興産、住友化学、日鉄ケミカル・マテリアルなどが生産している。有機ELは、発光する赤緑青の有機化合物で映像を表示するので、液晶パネルより画像が鮮明になる。次期5G対応のスマホすべてを、アップルは有機ELに切り替え、首位奪還を目指す。
 この趨勢を見越した韓国LG化学は、中国の武漢と広州にある液晶向け偏光板工場を、中国企業の杉杉集団に売却する。お得意の高値売り逃げ? 


 ▼最大の難関は次世代の半導体製造装置だ

 そして最大の難関は次世代の半導体製造装置である。EUV(極端紫外線)ではシェアの100%を持つのが日本の東京エレクトロンなのである。しかも同社は1350億円を研究開発費に投じる。このニュースで同社株は200%の値上がりを示したが、他方で中国へ相当数のエンジニアを派遣している実態が気になるところだろう。

 EUV(極端紫外線)はシリコンウエハーに塗布現像(光りに反応する薬品を塗る)、辻で極端紫外線を当てて、不要な部分を取り除く(エッチング)、そして洗浄である。このプロセスにおける露光装置はオランダのASMLが世界唯一のメーカー、ほかのプロセスでは日本勢が強く、光源装置ではキガフォトン(コマツの子会社)、検査機では日本のレーザーテックが気を吐いている。

こうした次世代技術開発戦争の下、順風満帆にみえたファーウェイの前途には祥雲どころか暗雲が立ちふさがり始めた。
  
(休刊のお知らせ)7月19日(日曜)は小誌、休刊となります

集中連載 「早朝特急3」(第51回) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その10)

 第十章 デンマーク、ノルウエイ、スウェーデンへ

 ▼北海油田で景気がよいデンマークも、経済停滞のノルウエイも夏場は観光客で満員

 デンマークと言えば日本人の印象はアンデルセンの人魚姫、酪農、北海油田。。。。
 他に思いつくことと言えば哲学者のキルケゴールの名前が浮かべばかなりの読書人だろう。庶民にとっては女王の国、ちょうど皇太子殿下が親善訪問を済まされ帰国された翌日に筆者はコペンハーゲン空港に降り立った。
 初夏というのに寒い。さすがに北欧である。そのうえ白夜。午後十一時でも明るい。人通りのない道路が真昼の明るさ!
 町を歩いて最初の驚きは自転車の列、自転車専用道路が歩道と車道の間に色違いのタイルでしつらえてある。そればかりか通勤電車に自転車のまま乗車できる。通勤・通学の足である。ヘルメットを被っている人が少ない。そのくせやけにスピードを出すのだ。
 続けての驚きは駐機場の支払いから公衆便所、コカコーラ一本に到るまですべてがクレジットカード決済だったことである。
 食堂でビール一本でもコンビニでアイスクリーム一個でも、現金ではない。ちなみに北欧四ヶ国の現金決済率は平均で4-5%。スエーデンは2%である。
 世界最先端のキャッシュレス社会だ。中国は、この国をモデルにしたのかな?

 コペンハーゲン中央駅は国際列車が頻繁に行き交うが、そこから繁華街へ歩くと、やたら目につくのが寿司バアではなく中華料理レストランだった。
 もちろん時期的には「コロナ以前」の頃である。
 歩行者の蝗の大群は中国人ツアー。北欧は旅行シーズンだったせいか、何処へ行っても行儀の悪い、大声を響かせる中国人の団体客ばかりだ。外貨持ちだしがひとり年間五万ドルに制限されているため爆買い風景はなかった。
 冷気を感じるのだが、現地の人は半袖、南国からの旅人はコートを羽織り防寒頭巾のいで立ち、季節感がちぐはぐである。オープン・カフェではストーブが焚かれている。
 怪しげな一角はストリップ劇場、街娼が立っている。セックス器具を扱う店が並ぶ裏道は入れ墨屋が軒を連ね、治安が悪そう。
 疲れたので「東京」という日本食レストランに入ると現地人で賑わっている。店員は全員が日本人だ。朝日ヒールがチェコ製、麒麟ビールはドイツ製だった。小瓶が一本800円。物価が高い理由は消費税が25%だからだ。
 物価の話をすればタバコは一箱800円、コンビニでビールを買えば一本200円ほど。デンマークの物価は高いと思うが、通貨高の所為もあって逆にスエーデンやノルウエイなどに比較すると安い。
 ビール二本程度では飲酒運転とは見なされず、規則は寛大である。
 北欧四ヶ国のうち、フィンランドだけがユーロ。残り三ヶ国(デンマーク、ノルウエイ、スエーデン)はそれぞれが王国でもあり独自通貨クローネである。デンマーク・クローネが飛び抜けて高いのは北海油田のせいで景気が良いからだ(1デンマーク・クローネは16円74銭。スエーデン・クローネは12円21銭。ノルウエイ・クローネは11円52銭。いずれも2020年7月14日のレート)。

 酪農国デンマークは食糧自給率が200%。輸出の稼ぎ頭の豚肉は日本でも有名だ。本国の45倍の面積をほこるグリーンランドはデンマーク領である。ほかに漁業国でもあり近年は胃袋の大きい中国への輸出に熱い目を注ぐ。どうやらデンマークにとっても、中国は大事なお客様だ。
 ユーロには加わらないがNATOのメンバーであり、しかも徴兵制がある。ただし定員がいつもオーバーするため18歳以上の男子はくじ引き(四人に一人の割合)で軍隊へ入る。

 ▼シェンゲン協定に加盟して、何が起きたか?。

 デンマークは域内の人の移動を自由とする「シェンゲン協定」を締結しており、したがって移民には寛大だからイスラム教徒がとくに目立つようになった。黒人も多い。
 キリスト教はプロテスタントが主流で、所得の1%を教会税として納める。だから若者の宗教離れはドイツとそっくり。
 この国には専業主婦がいない。女性の就業率は世界一。育児休暇は一年。出産も同時に奨励されている。
 教育制度は実にユニークで義務教育は九年だが、クラス替えが九年間ないのだ。担任教師もずぅっと変わらない。しかも大学まで無償。ついでにいえば医療も無償でサウジアラビア並み。
 このシステムが軋むのは移民の流入によって基金が欠乏しつつあり、今後、学費と医療費の無償という福祉システムは徐々に失われるだろうと予測される。
 もっとユニークなことがある。
 市会議員はボランティアだから無給。したがって午前7時開会、ときに午後八時から。投票率は90%あって、ボランティア市会議員への立候補者が犇めく。労働組合は産業別で編成されており、会社毎の労組はない。

 翌朝、人魚姫の像を見に行ったが、海に突き出しており、そのうえ夥しい人出。撮影したいという意欲が失せた。
 アマリエンボー宮殿は女王陛下が不在だったが、たとえおられても中庭まで自由に出入りできるほどに開かれている。

 衛兵の交代式が一時間毎に行われ、近くの波止場には女王陛下専用の大型ヨットが停泊している。貴賓を迎えてのパーティはこのヨットで開催される由だ。
 対岸はオペラハウスで、冬は屋上がスキー場、夏は高飛び込み場に利用されるとか。このオペハウスは世界一の海運会社マースクの社長が寄付した。
 興味があったのは運河を挟むニューハウン地区である。中世の船乗り宿、居酒屋の名残がある小さなタウンだが、狭い運河の両岸の路地に建物がせせっこましく建ち並び、中世の面影を留める町並みだ。道路はぎっしりとレストランの椅子がはみ出している。
 小さな公園にはハトが飼われ、おまけに運河からは観光船がひっきりなしに発着するので付近は慢性的な交通渋滞。駐車場は国外の長距離バスが鈴なり、デンマークの運転手は止めるところがないと不満たらたらである。陸続きだからドイツ、ポーランド、チェコから安いツアーが集中するためだ。
 ストロイエ地区はコペンハーゲンの銀座、ショッピング通りでブランド品の旗艦店も軒を競う。歩行者天国と聞いて歩いてみた。どこの国にもある町並みとほとんど変哲がなかった。

▼「コペンハーゲン民主サミット」にポンペオ、蔡英文、黄之鋒が勢揃い

 2020年6月18日から二日間、コペンハーゲンで、世界の民主活動家、政治家を集めた「コペンハーゲン民主サミット」が開催された。今年はコロナ禍のため多くの参加者はテレビ会議によった。
 ポンペオ米国務長官は「中国の西側への挑戦」と題して基調演説を行い、「中国は香港の言論の自由を封鎖し、中国の一部として扱う懼れが強い」とした。
 コペンハーゲン民主サミットは元デンマーク首相(元NATO事務局長)のラスムセンが組織した「自由同盟」が主催、EUの政治家が一堂に会して自由と平和を議題にする。
 初日のトップバッターは、なんと「香港民主化運動」のリーダー、黄之鋒だった。
 「香港安全法が北京で具体的討議にはいり、私の自由な発言はこれが最後かもしれない」と悲壮な表情で語った。
 ポンペオは「コロナ災禍で情報を隠蔽した中国を非難し、ウイグルの強制収容所における洗脳教育は人権に悖る」と中国を激しく攻撃した内容と歩調をあわせた。
 二日目の台湾の蔡英文総統のスピーチが注目を集めた。プログラムの扱いも別格で、蔡英文の顔写真はポンペオや米国歴代国務長官のジョン・ケリー、オルブライドよりもターンブル前豪首相、ブラッド・スミス(マイクロソフトCEO)よりも大きい。蔡総統は「台湾はコロナの防疫で成功した。民主主義の勝利である」と訴えた。 
 欧州各国は5月28日の中国全人代で「香港安全保障条例」が採択されたことを非難し、「自由、民主、法治、人権を脅かす」との共通認識をもっている。
 この会議の前段は6月2日だった。ポンペオ国務長官は往時の天安門民主化運動の活動家だった四人をワシントンに招いて懇談したのだ。招かれたのは王丹、李蘭菊、李恒青、蘇暁康。王丹はウアルカイシに替わって民主派のスポークスマン的な役割を演じてきた。
 席上、ポンペオは「中国民主化のために米国が支援できることは何か?」と問い、王丹らの説明に熱心に耳を傾けた
 天安門の虐殺を逃れ、欧米に亡命した民主活動家たちは、強い連帯も何時の間にか分裂を繰り返し、往時の影響力を失ったかに見えた。反政府、反共、反共産党で顕著な戦いを続けているのは法輪功くらいだったが、昨今の中国の横暴に勢いが盛り返したのだ。

 ▼ノルウェーの森

 森と湖のくにはノルウェイだ。
 コペンハーゲンから飛行機でノルウエイのベルゲンという町へ飛んだ。シェンゲン協定加盟国だから入国審査はない。
 ここが世界遺産に登録されているフィヨルド観光の拠点である。
 100キロ東に位置するヴォスという町へ、ここからフイヨルドを廻遊する鉄道がミュルダール、フロムへと繋がる。世界遺産のネーロイ・フイヨルドから、ツギニソグネ・フィヨルドへは湖を二時間かけてクルーズ船が出発し、つぎにハンダゲル・フィヨルドへ到る。かなりの強行軍だが、この行程だと三つのフィヨルドを一日で見たことになる。
 峻険な?、峨々たる岩山、深い湖。これらが氷河期の氷が溶けて地形を荒削りに変えて渓谷を形成した。日本人から見れば奇観である。
 クルーズ船ではビールが1500円、いきなりデンマークの倍の値段になる。ノルウェイの自慢は「デンマークはたった三時間でナチズに降伏したが、われわれノルウエイ人はは三日闘った」ことらしい。しかし三時間と三日は何が違うのか? 差違は空爆の被害である。デンマークはすぐに降参したので無傷だった。
 共通するのはドイツへの敵愾心と警戒であり、これがスエーデンからフィンランドへ行くとロシアへの警戒心が露骨になる。
 村上春樹『ノウウエィの森』は世界的ベストセラーで、どの書店にも積んであるが、中国では『ノルウエイに森はない』という類似亜流小説まででたことを思い出した。

 ▼オスロで見たムンクの「叫び」

 次の日、バンダゲル・フィヨルドを後に、一日がかりのバスの旅は渓谷、トンネル、高山を越え、首都のオスロまで365キロの長いドライブとなった。
 坂道を上り降りし、くねくねと回り、途中に名物の瀧が何カ所もあるので休憩をとったりするので、朝九時にでても、オスロ着は午後五時になった。
 山頂には残雪、針葉樹、高山植物と山羊、馬、スキー場のあるリゾートは世界から登山客やトレッキング愛好者を集める。どこへ行っても中国人だらけである。
 首都のオスロは想像してきた以上に狭い町だ。こざっぱりとして清潔だが、なにし小粒で、これが首都か、という感じである。
 大聖堂もさることながら、やはり見たいのはオスロ市庁舎ホールである。小さな公園広場を横切ってゆるやかな階段を登ると、ノーベル賞受賞式の開かれるホールがゆったりと広がって、四方の壁画は平和のシンボルだらけだ。
 ここで国王陛下主催の晩餐会が開かれ、世界のテレビが報道する。

 もう一つ、オスロで是非とも見たかったのはムンクの「叫び」だった。
 セザンヌ、ゴッホ、ピカソなど名画が揃う同美術館は世界から美術愛好家、美大生徒らが押し寄せるので、ムンクのコーナーは人がひしめきあい、撮影が自由なので、絵画をバックに記念撮影に熱中している。筆者はほかの絵に目も呉れず「叫び」を見続けた。
 この絵は四枚あって、一枚はオスロのほかの美術館に、もう一枚は世界の何処かに、そして最後の一枚は米国の大富豪が96億円をはたいて買った。
 「叫び」は索漠荒涼なる町を背景に、耳をつんざくようなまがまがしい音響に耳を塞ぐという図柄である。
 ムンクの狙いは愁い、孤独、寂寥にあるとされるが、絵画の解釈は見る人の自由であり、ほかの傑作マドンナのほうが芸術性が高いと言われる。
 批評家はなぜか、この絵に熱中するのだが、筆者にとってもやはり「叫び」の絶望的孤独のモチーフに惹かれるのだった。
        
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(読者の声1)中国はV字回復し、GDPは3・2%のプラスと中国国家統計局が発表しました。[V字回復]とは劇的な、あまりにも劇的な印象ですが、これは本当の数字でしょうか?    (TY生、三鷹)

(宮崎正弘のコメント)コロナは「退治した」そうです。王毅外相は先日の記者会見で「中国は過去五千年、他国を侵略したことはない」と言い放ちました。
 そしてV字回復です。中国人だって、誰も信用しないでしょう。
 


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月16日(木曜日)弐
       通巻第6590号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~トランプは「ルビコン河」を渡った
  香港自治法に署名。米中金融戦争、ついに本格化
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 7月14日、連邦議会で可決された香港自治法(中国制裁法案)にトランプ大統領が署名した。資産凍結、融資禁止、貿易決済の禁止。そして香港への優遇措置撤廃などを基軸に、中国の金融活動にトドメを刺す強烈な武器となりうる。

 制裁対象は、香港の自由の侵害に関与した個人(林鄭月蛾・行政長官や香港担当トップの韓正ら)と取引関係のある米国外の金融機関(つまり中国銀行、中国工商銀行、中国建設銀行、中国農業銀行など)。だが「米国外」という意味は、中国と取引している日本の三菱UFJ、みずほ、三井住友なども制裁対象に当然、含まれる。

 施行後90日以内に国務省が個人、団体を特定する。実際の制裁発動には一年間の猶予を与える。

  実際に適用されるとなると、予測される結果は、
(1)米国金融機関からの融資が禁止される。中国の四大銀行が米銀などから借り入れているドルは3兆ドルを超える。
(2)米国債券を優先入札できるプライマリーディーラーから排除する
(3)米国が管轄する外為取引、資金の移動を禁止する
(4)対象となる金融期間への商品、ソフトウェア、技術などの輸出禁止もしくは制限。

 これにより、一年後、中国の國際金融取引は大幅に制限されることになる。
 究極的には中国のドル調達を封じ込める狙いがあるが、香港優遇措置は撤廃するとしながらも、香港ドルの米ドル・ペッグ制に関してはなんらの言及もない。

 中国にとって香港市場は資本調達の命綱である。
 人民元を米ドルと交換できる為替機能ばかりか、ここで中国企業はドル建ての社債を起債し、世界から資金を集め、あるいはマネロンで不法な収入の海外への送金移転、香港株式市場への上場など、ありとあらゆる資本主義の取引が出来るからだ。これまでにもアリババや「JDドットコム(京東集団)」や、「ネットイース(網易)」など有力企業が香港に重複上場してきた。

 ▼懸念される香港の株式市場暴落

 米国の制裁法が一年後に発動されると、まず予測されるのは香港株の暴落である。
 すでに中国が7月1日に施行した「香港国家安全法」に対して、西側の猛反発と制裁の連発に遭遇した中国は、香港の市場安定、為替レートの堅持、投資家の懸念を払拭する目的で、さかんに中国企業の香港上場を奨励している。
とりわけ半導体大手の「中芯國際集成電路製造」(SMIC)の上場に期待している。香港株の暴落を防ぐためである。

「中芯國際集成電路製造」は、これまでファーウェイに半導体を供給してきた台湾のTSMCや韓国のサムスンに代替することになり、発展が望まれるので、個人投資家に応募を呼びかけた。

 香港株式市場に中国企業の重複上場は、中国政府主導の「株高」を演じさせている。つまり官製相場である。
香港市場の安定維持が目的だ。表向きはウォール街から中国企業が排除されつつあり、香港への回帰と解説されている。

だが、これまでの措置は、米国の中国制裁の一環ではなく、以前から指摘されていた不明瞭な会計報告、会計監査の介入妨害と虚偽申告によるもので、典型はラッキー珈琲の上場廃止だった。
 たとえば、或る貴金属会社(湖北省の金属加工「武漢金凰珠宝」)は担保に差し出していた金塊が偽物だった。ネット金融「微貸網」は貸し倒れ、焦げ付きで経営難に陥っていた。
 ほかに2020年にウォール街の上場をやめるとされる中国企業は「聚美優品」、「58同城」、「貿易車」。MBOによる非公開を検討しているのが「新浪」など、新興企業である。

 ともかくトランプは「ルビコン河」を渡った。
米中金融戦争はついに最終局面に入る。
  
  ♪
樋泉克夫のコラム 
@@@@@@@@  【知道中国 2103回】              
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘63)
「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

        △
 やはり習近平を筆頭とする現在の共産党指導層は、毛沢東の教えを「好好学習 天天向上(しっかり学んで、日々に向上)!」したからこそ現在があるはず。ここで注目すべきは何を「好好学習」したのか。つまり学習内容になる。そこで典型例を1つ挙げておく。

 『怎樣學習歴史(どのように歴史を学ぶのか)』(崔巍著 兒童讀物出版社 1955年)が出版された当時、現行簡体字は未採用。だから横書きながら繁体字で全42頁である。

 物資不足を物語るザラ紙の表紙を開くと「歴史ジイサン」なる狂言回しが登場し、「子供たちよ! ワシがキミらの友だちになって1、2年になるかのう」と切り出す。「ワシは歴史という名前じゃが、みんなも知っているだろう」と語り掛け、「歴」は「経歴」で「史」は「記録」だと説明しながら、「ワシが歴史を記すようになってから、かれこれ4000年ばかりにもなるかのう」と、それとなく中華民族の歴史の長さを刻みつけようとする。

「遥かに遠い昔だ。ワシが生まれて間もない頃、人々は農業を知らず、河南省一帯の黄河の辺りで魚を捕ったり、猟をしたり、放牧などして苦しい生活を送っておった」。こいう勤労人民の力によって現在の中国がある。「考えてもみてくれ、中国の国土はこんなにも大きいが、隅から隅まで我らが祖先の熱い汗と涙が流されなかった場所はないんだよ」と。

 その昔は支配も被支配もなく、誰もが同じく汗を流し平等な生活を送っていた。やがて「奴隷の持ち主、大地主、資本家など働かない奴らが生まれ」ると、ヤツらは「日々に悪知恵を働かせて土地、工場、人々の労働の果実を掠め取る」ばかりか、「『国家』や王朝をでっち上げて労働人民を圧迫し始めた」。そこで「陳渉、張角、王薄、黄巣、李自成・・・」など民族英雄たちが「搾取鬼たち」に次々に戦いを挑み勝利した。

 だから中国の広大な領土は革命烈士の鮮血で彩られている。ここで奇妙にも歴史は一足飛びに20世紀に移り、「八路軍、新四軍、中国人民解放軍、中国人民志願軍など、彼らは祖国人民にとっての最も優秀な児女だ。いいかい、中国の広大な領土は祖国防衛のための英雄たちの鮮血に染まっているんだぞ」と畳みかける。

「将来の人民は共産主義の生活を過ごすことになる。これは全く正しいことだ。キミは共産主義の生活が好きかい。だったら共産主義を実現させ、誰と戦い、どうすれば勝利できるのか。キミが指導しなければならないのだ。さあ、キミたち! ワシはキミにとってかけがえのない友達なんじゃ。キミが一日たりとも離れることのできない素晴らしい友人じゃよ!」と熱を込めて語り掛け、柔らかい頭脳に共産主義思想を刻み込んでいく。

 今になっても頭の中に「歴史ジイサン」が生き続けいればこそ、習近平が「中華民族の偉大な復興」などといった戯言に血道を上げているのも判ろうというものだ。

 いやはや橘から遠く離れてしまった。軌道修正して橘に戻る。
 明治以来、日本においてアジア主義者を自称した多くの人々は、はたして西洋(=覇道)対東洋(=王道)といった単純図式が持つ矛盾に気づかなかったのか。それが日本式理解でしかないことを弁えたうえで国際政治上の戦略論として喧伝していたというのならまだしも、この単純図式になんらの疑念をも抱かずに頭から信じ込んでいたなら困ったこと。やはり国際社会は強欲で卑怯で巧妙で抜け目なく強か、つまり利害打算の塊だろうに。

 であればこそ敗戦で茫然自失だった日本に向けられた「怨みに報いるに徳を以てする」との蒋介石の巧妙な仕掛けに『恩義』を痛感した人がいたとしても、強ち批判できそうにない。
「新中国は道義国家だ」などという愚にもつかない戯言を妄信した一部の日本人が、「日本軍国主義の犠牲になった点では日中両国人民は共に犠牲者だ」との毛沢東のネコナデ声に「拝跪」してしまったとしても、これまた不思議ではないだろう。ヤレヤレ!
     
集中連載 「早朝特急3」(第50回) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その9)

 第九章 フィンランド

 ▼IT先進国だが、サンタとムーミンが同居する不思議のくに

 フィンランド。日本人の大方の連想イメージは「ムーミンのくに」かも。
 ムーミンはカバではなく、トロールという妖精と妖怪のあいだの想像動物で、女流作家トーベ・ヤンソンがつくりだした。芸術一家にうまれたヤンソンは結構難しい小説も書いている。
 フィンランドの西のはずれ、トゥルクからさらに西へ十三キロ。ナーンタリという二万人足らずの小さな町がある。ここへ観光客が山のようにやってくる。もともと保養地として有名だったが、沖のカイロ島にまることテーマパークの「ムーミンワールド」があるからだ。日本人ツアー客も多い。
 ムーミンは森と湖のくにが産んだ妖精なのだ。国土面積は日本よりちょっと小さく人口は日本の二十分の一、560万人しかいない。
 ほかに大作曲家ヤン(ジャン)・シベリウスの故郷であり、音楽ファンには憧れの地かも知れない。彼のつくった交響曲に親しむ日本人ファンも相当数おり、「日本シベリウス協会」があるほどだ。
 その作曲家を記念する「シベリウス公園」はヘルシンキ市内に宏大な敷地を誇り、中央に大きな彫刻がある。
 晴れた日に散歩に来る市民も多いが、観光名所ゆえに駐車場は大型バスで一杯である。
 ここで写真を大袈裟に撮るのは例によって中国人。日本製の一眼レフを持っている。驚くことに、そのツアー客に中国語のビラを撒いているのが法輪功である。
 全世界どこへ行っても有名な観光地で中国人にアンチ中国共産党の情宣活動を積極的に行っている。こんなところでも法輪功の宣伝隊に遭遇するとは思わなかった。

 市内の北西にあるクラウン・プラザホテルに旅装を解いた。
 ヘルシンキはさほど大きな町ではないので、ホテルから市内繁華街まで歩いても二十分ていど。トラム、バスが走っているが、町の表情を知りたくてひたすら歩いた。旅の実感を得るには歩くのが一番である。
 いかめしい古い建物をみてハタと気がついた。この国の風情はヨーロッパ的ではない。むしろスラブの風景である。
 ラップランド地方へ行くと雪橇をトナカイが引き、サンタクロースが乗っているイメージがあるが、ヘルシンキは国際都市、アラブ人も黒人もアジア系も出稼ぎに来ている。この首都の人口は62万人だから千葉県船橋市と同じである。

 ▼白夜、妖精、寒いのにオープンカフェ

 ヘルシンキは折からの白夜、やけに明るい。
 筆者夫妻が真っ先に向かったのはムーミン・ショップ。孫たちにベッドカバーや枕カバーが半額セールという宣伝に惹かれたからだ。長身の店員は親切で、ちゃんと免税書類も整えてくれた。
 繁華街はアレクサンテリン通りとエスプラナーディ通りで、無数のオープンカフェ、デパート、ブランド専門店が軒を競い、大通りの下は地下鉄が走る。だが路線が圧倒的に多いのはトラムである。
 ちょっとした広場や公園で眼にしたのは市民が半袖でいることだ。
 すぐにやってくる冬を前に少しでも太陽がでれば人々は日光浴を愉しむ。じっと太陽に肌を晒すので美人でもシミ、ソバカスが目立つけれど気にしている様子はない。
 それより日焼けした肌を見せるのが自慢なのである。
 マーケット広場と呼ばれる波止場からは小型船が頻繁に近くの島へ向かう。世界遺産のスオメンリンナ島へは二十分。この島、じつは軍事要塞である。
 テントがならぶ市場には魚介類、果物、雑貨も混じるが、キャビアがロシアより安い。それでも薄っぺらな缶詰が二万円。タバコは一箱800円もする。この国の消費税は24%だ。屋台で焼き鳥を売っていたのは日本人留学生だった。
 ベンチに座って食事をするとカモメが襲ってくる。欧州のカモメはいまや社会問題になるほどに凶暴化し、食事中の人の手からパンやソーセイジを盗むのだ。写真を撮っている間にも老人夫妻からハンバーガーを奪うカモメがいた。
 これも地球温暖化で海に獲物がいなくなったからで、欧州でとくに被害が深刻なのはローマだという。
 さてマーケット広場から海を背にすると右奧にロシア正教最大のウスペンスキー教会のタマネギ型の塔が光って見える。真ん前が市庁舎で、石畳をさらに進むと元老院広場、カルヴァン派の大聖堂、左手がヘルシンキ大学である。付近で女子学生らが演劇の練習をしている風景に出くわした。風景をスケッチしている若者もいる。そういえば音楽祭、ジャズ喫茶に加えてヘルシンキにはやたらと美術館が眼についた。

 フィンランドはスエーデンに600年間領有され、ついでロシアに百年。1917年のロシア革命のどさくさに独立した。
 ということは建物、教会がロシアの甚大な影響を受けているわけだ。 
 1970年代まで日本でも安全保障議論をするときに「第二のフィンランド化」という論争が喧しかった。
「フィンランド化」という専門用語は、独立国家でありながら周辺の大国に遠慮しなければならないという主権制限状況を象徴した。つまり議会制民主主義の独立国家でありながらもフィンランド外交はロシアの立場を顧慮せざるを得ない。NATOに近づくと、いまでもロシアが抗議する。
 「フィンランド化」という語彙を最初に使ったのは西ドイツのブランド首相(当時)だった。
 冷戦時代にデンマークとノルウエイは米国寄り。スエーデンは中立、フィンランドは地政学的位置からソ連寄りだった。これを「北欧の均衡」(ノルディック・バランス)と国際政治学では譬喩したものだった。ソ連崩壊後、「フィンランド化」というタームは死語になり、さっさとEUに加わり、通貨はユーロ。暗かった時代を思い出さないように努力している。
 ただしフィンランドはロシアに遠慮し、NATO加盟を控える。

 ▼フィンランド実業界は一時期チャイナマネーに目の色を変えた

 安倍首相は2017年7月9日にフィンランドの首都ヘルシンキを歴訪している。
表向きの親善訪問はともかくとして、裏側で意図されたのは中国への牽制だった。
 2017年6月30日、中国遼寧省の大連で毎年、中国版「ダボス会議」が開催される。中国側の責任者は李克強首相で、フィンランドからはユハ・シピラ首相が訪中した。両国の首脳会談で経済協力の推進が合意された。
 中国北欧経済協力の強化は「北極圏プロジェクト」と謳われる。中国にとって「一帯一路」構想の北欧拠点とすべき案件である。
 ノルウエイの東北端、北極海に面した小さな港はヒルケネス(英語読みはカーケネス)。ここは地図をみると明らかになるようにフィンランドの北への出口を塞ぐようにはみ出している。

 ということはヒルケネス港はフィンランドのほうが近い軍事的要衝なのである。大戦中はソ連が空爆した。なにしろ現在のロシア国境へは僅か七キロ。ヨーロッパ最北端の町をみようと近年は観光客のすがたがちらほらあるという。
 中国の狙いは、ここへ鉄道を連結し、フィンランドの南北を縦断し、ヘルシンキへ運び、さらにはヘルシンキが海運のハブとして活用すれば、ロシアのサンクトペテルブルグ、エストニアのタリン、ラトビアのリガ、そして対岸はスエーデンのストックホルムと従来の航路に繋げることだ。ちなみにヒルケネス港は不凍港である。
 フィンランド政財界の目の色が変わった。中国様々になったのである。
 「北極圏回廊」と中国が名付けたこのプロジェクトは総額34億ユーロ(邦貨換算で4350億円)、フィンランドにとっては涎が垂れる魅力的プロジェクトである。したがってフィンランド財界は大いに期待し、学界もフィージビリティスタディに弾みをつかせる。
 中国とフィンランドの結び付きは意外と早く、1950年代に西側で英国についで外交関係を樹立し、2017年四月には習近平主席がフィンランドを訪問している。

 ▼そうだ、フィンランドはIT先進国なのだ 

 とはいうものの中国の大風呂敷、実現すれば中国主導の世紀のプロジェクトだが、英米やカナダ、西ヨーロッパ諸国には脅威論より、懐疑論が多い。
 第一に北極圏のガス、石油掘削、精製など、現在の市場価格に照らしても、元が取れる採算ベースには乗りにくい。
 第二に鉄道輸送に比べると海上輸送コストは遙かに安いが、はたしてそれだけの需要が本当に見込めるのか。ちなみに2016年の中国─欧州間の輸送は20万コンテナに過ぎなかった。
 第三に鉄道の敷設工事は、峡谷が多いフィンランドとノルウエイ北部で、工事現場への道路整備など、インフラ建設にたいそうな時間とエネルギーと費用をともなう。
 インフラ建設を、いったい誰がファイナンスするのか。そもそもこのプロジェクトは今後のフィージビリティスタディに数年を要し、さらに工事に十年を要する。冬場は工事ができないからだ。
 そういう政治情勢を考えながら、琥珀ショップを冷やかしてホテルへ戻ると夕暮れ。ホテルの裏手に日本料理があるというのでぶらぶら散歩にでるとコンビニが何軒かあり、寿司セットも売っている。
 日本食レストランの名前は「イザカヤ」。店内は障子に行灯、浮世絵。20ユーロで三点(枝豆、焼き鳥、刺身盛り合わせなどから撰ぶ)とビール付きだった。
 客に日本人はおらず、デート、ビジネスの打ち合わせ、近所の家族連れ。店員は妙齢のフィンランド美人。日本人店主が奧で包丁をつかっていた。
 ヘルシンキ在住の日本人は少ないが、最近はIT技術の連携が必要となり、進出する日本企業が目立つという。そうだ、フィンランドはIT先進国である。
        
   ♪
(読者の声1)10月1日は「都民の日」とされていますが、現在では、ほとんどの都民が、その制定の意義、経緯を知らないのではないでしょうか。
東京都生活文化局のサイトでは、「都民の日」について、次のように説明されています。
 (引用始)「・・・・・(明治)22年5月には、明治元年から置かれていた東京府の中に新たに東京市も誕生した。しかし、この東京市は、京都、大阪の2市とともに、その誕生直前に公布施行された市制特例という法令によって、他の市にくらべて、市民の市政参加への道が大きく制限されていた。市は置かれたというものの、市長と助投の仕事は国が任命した府知事と府書記官が行い、また市投所の建物もなく市の職員もいないという制度だった。
 こうした自治の制限に対し、市民の市政参加の道を広げようとする運動が市会を初め市民の間でねばり強く続けられた。そして明治31年になって、市制特例は廃止され、同年10月1日には、市会によって選ばれた市長をもつ新しい東京市が誕生し、市役所も開設された。この新しい東京市誕生の歴史を忘れないため、大正11年10月1日『自治記念日』に定められ、その後、自治の大切さを自覚しようという願いをこめて、昭和27年に『都民の日』となった。」(引用終)
 東京都は、昭和18年という戦時中に「都」となった日を記念日とするのではなく、明治の時代に「市長」が設置されて、当時の「東京市」が「東京府」からの独立性を強めた日を、「自治の大切さを自覚しようという願いをこめて」、「都民の日」としているのです。
 これに対して、いま、維新なるあやしげな政治団体が蛮行しようとする「大阪都案」というより「大阪市解体論」は、「市長」という職位を廃止して、基礎自治体である大阪市の独立一体性、自治権を破壊、弱化し、府知事が市長を兼任した明治の初めに逆行しようとするもの(戦前は官選であった府知事が民選に変わっているだけ)であって、「改革」でも何でもない。 
 もしも、維新が、「大阪都」なるものが誕生した日を「都民の日」などとしたら、大阪は、東京と真逆で、歴史に逆行した日を記念日とすることになるのであって、ブラック・ユーモアでしかないでしょう。
「変革」を論じる方々は、自らの無知も認識せずに(だからこそと言うべきでしょうが)、ずいぶんと「元気」な方が多い。以前にも引用したと思いますが、中江兆民が、『三酔人経綸問答』で次のように述べています。
(引用始)「彼らはたいへん変革が好きだが、古いものを棄てて新しいものを採るのが好きだというのではない。ただただ変革するのが好きなのだ。善悪どちらでも、変革することが好きなのだ。破壊が好きだ。勇ましいところがあるからです。建設を好まない。臆病のようなところがあるからです。保守を一番好かない。一番臆病のようなところがあるからです。」(引用終)  (椿本祐弘) 


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月16日(木曜日)
       通巻第6589号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~香港の所得税、15%からいきなり三倍、45%となります
  逃げ出す人が多数、その一方で大陸から流れ込む人も多数。不動産は暴落前夜
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 香港の国家安全法施行によって自由な言論活動が制限され、独立とか分裂をいうと逮捕され、この法律は外国人にも適用となった。さしあたり、『中国大分裂』の著者でもあるわたしは香港へ行くと拘束されるかも(しかも当該書は中国語に翻訳されました)。

 九月の立法委員(国会議員)選挙が次の山場だが、民主陣営はアメリカのように、候補者を絞り込む『予備選』を展開し、じつに60万人が投票した。「香港独立」の旗を持っているだけでも拘束されるので、選挙戦がどうなるか、現段階では予測がつかない。

 一方、暗い未来を忌避するために、すでに英国、豪、シンガポール、台湾、カナダへ不動産を叩き売って逃げた人が数万。不動産の処分、引っ越し先の住居の手配を済ませてから海外へ移住を考えている人が数十万。

 ところが一方で、香港へ流入してくる中国人。すでに34万人と香港政庁のデータは物語る。香港にある中国企業は8万人の香港人を雇用している。主として中国国有企業だが、大陸から香港に赴任している本籍中国のひとが、およそ15万人。くわえて香港に駐在する人民解放軍兵士がおよそ7000名。

 中国の税務当局は、これら香港で所得のある中国籍中国人の所得税を、いきなり三倍の45%とすると発表し、大混乱となっている。
 香港は税金天国、上限は16・5%である。この税率だと金持ちはますます資産が膨らみ、貧乏人は、なかなか富裕層の仲間入りが出来ない。中国の国有企業も、中国籍のひとたちも、この香港の税率が適用されてきた。

 ちなみに香港の所得税率は以下の通り(日本円に換算しています)
  年収 75万円以下    2%
   130万円以下     6&
   225万円以下    10%
   300万円以下    14%
   301万円以上    16・5%

 もうひとつ因みに中国(大陸)の所得税率は以下の通り(日本円に換算)
  年収 5・4万円以下    3%
      21万円以下   10%
     420万円以下   20%
     630万円以下   25%
     990万円以下   30%
    1440万円以下   35%
    1441万円以上   45%

 すなわち香港にいて所得のある中国籍の中国人には中国の税率が適用され、1441万円以上の年収のあるひとは、従来の16・5%から、45%が適用になるという計算になる。中国人には平等に、というわけだが、これらを適用し徴税するのは香港の税務当局であり、大混乱は必至だろう。
 
 増税は、日本では消費税が8%から10%に上がっただけでも、2019年第四四半期のGDPは『マイナス 7・1%』だった。コロナ前である。コロナ以後の2020年第一四半期はマイナス6・8%だった。

 香港の所得税が、いきなり3倍になって、どうやって暮らしていけるのか? 他人事ながら、大いに気になるところだ。
 従来も、いきなり三倍というのは香港の家賃のことで、日本のデパートなどが香港から
撤退した理由は、いきなり家賃が三倍となって一銭もまけないと強情の突っ張りだった。香港大乱以後、テナントはいなくなり、空室ビルがそこら中に目立つ。ブランドの旗艦店は軒並み、香港店を畳み始めている。だからビル家賃は下がる。実際に30-60%下がっている。
 ところが、不動産価格は、暴落するかと思えば2020年二月段階の指数でマイナス0・6%でしかなく、香港株式同様に安定している。しかし暴落前夜と多くの投資家は見ている。いまのところ裏で中国資金が買い支えているからだ。
  
集中連載 「早朝特急3」(第48回) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その7)   蔡七章 キプロス

 ▼北側は未承認国家、南は英領から独立しEUと国連にも加盟。通貨もユーロ

 ドバイで乗り換え、キプロスへ飛んだ。
 上空からみると寂れた島にみえたが、いざラルナカ空港から入国すると、世界中からの観光客でごった返し、町中は人出がある。
 日本人のグループも結構いるが、中国人が目立たない。
 どことなく町のただずまいが淋しい。ビルのテナントがふさがっていない。宅地は売り家が多く、なかには中国語の看板もある。聞くとミニバブルがはじけて不動産不況が全島を蔽っているという。
 あ、中国人が少ない理由が分かった。従来のタックスヘブンの魅力が失せたからだ。
 つい数年前まで、「キプロス」(英語読みはサイプラス)と聞けば、ロシア人と中国人の財閥が不動産を競って購入し、値段をつり上げ、あまつさえマネーロンダリングの場所として活用したので悪名高かった。
ところがギリシアの金融危機の影響をまともに食らって経済的苦境に突然陥り、失業率は一夜にして3%から18%にはね上がった。
 基幹産業がないためサービス産業は時給賃金を減らした。いくつかの銀行が倒産し、くわえて政府が外国人所有の口座を凍結した。真っ青になったのがロシア人の金持ちと中国の党幹部のエージェントたちで、爾来、ロシア人は休暇を楽しみに来るが、中国人の足はぴたり遠のいた。それで中国人旅行者を見かけない理由が飲み込めた。
 北欧とドイツの客が目立つのはすこしでも温暖なリゾート地ゆえに海水浴、日光浴にくるからである。

 ▼町の真ん中に「国境」の検問があった

 最初に行ったのはキプロスの北と南を分ける「国境」だ。
 空港からバスで一時間、嘗ての「ベルリンの壁」のように殺風景で緊張感が強く、警備陣は猜疑心の眼で通行人を見ているのかと身構えていたのだが、さにあらず。交番のような狭い警察待機所があって、その窓口でパスポートを見せるだけ。スタンプさえ押さない。すいすいとトルコ側へ入れる。
 首都ニコシアの下町にはレストラン街が拡がり、大学もビルの中にある。あたりは土産店と旅行代理店ばかりだ。狭い石畳の歩道を歩いているのはアイスクリームをほおばった若者、ベビーカーの若夫婦。ときおり西洋人の観光客。。。。
 雑踏をくぐり抜けて、国境に近い場所にある有名なトルコ料理店で昼食を取った。
 なんと昼間からビールはサービスでついてくる。この習慣はキプロスの南側に共通である。日本で言えばレストランで水が自動的に無料配布されるようなものだ。追加で頼むとビールは4・5ユーロ(550円)だった。
 北部がトルコ領で国土の37%を占める。トルコ軍が四万人ほど駐屯している。トルコは北側の住民を増やすためイスタンブールから多数の入植者を送り込んだ。
 地図的にみると四国の香川、徳島が北キプロス共和国(トルコ)、南の高知県と愛媛が「キプロス共和国」(ギリシア)という状況を想像すればよい。
 そして南側の人口は80万人というから、四国に比べても過小である。
 分断された国家は世界中に幾つもあるが、長い間、キプロス問題は欧州政治の頭痛のタネだった。
意地を張り合うトルコvsギリシアという構図に英国が絡むからである。
 首都ニコシアは、「近代的なビルと整備された道路で構成された新市街の中心部に、半円形の石積みの城壁に囲まれた旧市街が扇の要のように抱え込まれている。なぜ円ではなく、半円形になるのかというと、街の北半分がトルコ系政府占領地となっており、市街地を二分して停戦ラインが引かれているからだ」(中略)「石造りの町は、戦争が起きても、焼け野原にはならない。壊れ、崩れ、瓦礫の山を築き、いっそう生々しく戦乱の跡を留める」(篠田節子『交錯する文明』、中央公論新社)
 
 古城跡は嘗てベネチア時代の遺跡。ふるい教会はフラスコ画。全島いたるところに軍事要塞がのこるが、古来より地中海の覇権をめぐってギリシア、ローマ、フェニキア、カルタゴ、そしてベネチア、オスマントルコと入り乱れた。紀元前十一世紀から文明が開けていたため、考古学博物館へ行くとヴィーナス像の原型やギリシア彫刻が飾ってある。
 マルタの章でも書いたが、ヴィーナス像は、わが縄文時代の土偶に似ている。

 近代にはいると英国が地中海を海軍力をもって統治した。キプロスは英国領だったから英軍が駐留している。
 「安保条約に基づくのですか」と尋ねると、独立の際に英国連邦に入ったので憲法に英軍の駐留がちゃんと謳われているからという。国民には完全独立の気概はないとみた。
 全島は海溝が浮き上がって陸地になったと地理学考古学で定説となっており、火山岩、石灰の地肌に灌木が茂る。地面が白くみえるのはその所為なのだ。つまり農耕に適さないが葡萄とオリーブを生産する。
 派手な風習として残るのは結婚式である。それこそ通行人まで呼び込んでの大宴会が名物。ちなみにガイド嬢は結婚式に四千人を呼んだそうな。集まったご祝儀で家を新築したという。そんな話を聞いた矢先、宿泊したホテルのプールサイドで派手な結婚式にぶつかった。「日本から来た」と言って闖入したが、歓迎された。

 ▼ダビンチが「最後の晩餐」に描いたレース編みは、ここ

 山岳地帯に拓けるレフヤラ村に立ち寄った。
 ここはレース編みで世界に知られる村で人口僅か千五百人。村の中心部は歩いて二十分で主要箇所を見られる。ぎっしりとレース編みの店が軒を連ね、実演もしている。
 しかしレース編みといっても世界各地にあり、この村がなぜ有名かと言えば、かのレオナルド・ダビンチが、「最後の晩餐」を描くにあたり、この村へやってきてレースのテーブルクロスを購入し、それが実際に絵画に使われたからである。
 島の下腹部にあるリマソル市に泊まった。
 翌朝、島の中央山岳地のトロードス地区へ行く。世界遺産の三つの教会がある。ただし筆者はキリス教徒ではないのであまり興味が湧かない。
 三日目にアポロン遺跡、ディオニソス劇場の跡などをみたが、宏大なローマ遺跡があった。ここでモザイクの美しさに感動した。それもエルメス、ナルシス、ポセイドンなどキリスト教以前の神話の主人公たちが描かれ、いまもフラスコに見事な色彩を保っているのである。
 悲劇ディオニソスの劇場が復元され、隣にはサウナ風呂や、水道橋の跡もある。ローマの影響はここにも及んでいる。当時のヘルスセンターともいえる娯楽施設が宏大に建築されていたのだ。
 ギリシアの山岳絶壁にデルフィという町があって三島由紀夫が『アポロの杯』で描いた古代オリンピックの競技場がある。それがキプロスにも残っている。ギリシア時代のスポーツは全裸で行い、女性は参加しなかった。
 また史上初の女性のビキニを描いたモザイクも残っている。撮影したがフラッシュが光るので絵はがきも買った。
 さて海岸部へ下るとパフォスまでの道は海水浴場が続く。北欧の観光客は町をビキニで平然と歩いている。
 キプロス南側の海岸で、もう一つ世界的に有名なスポットが「ヴィーナスの誕生」の場所だ。巨匠ボッティチェルリが描いた同題の絵画から想像できるように当時の美女はふくよかな肉体をしていた。やや肥満型が好まれたのだという。
 南西部の港町はパフォス。海水浴場とヨットハーバー、小型のクルーズ船の貴地でもあるが、岬の突端に古城跡がある。そこまでの遊歩道に土産店、レストラン、バアがひしめき合って観光客の呼び込みが凄まじい。地中海料理の味はイマイチ。ビールもまずくはないが美味くもない。
 1974年のギリシア系のクーデター以来、すでに四十六年を閲した。トルコが軍事占領した「北キプロス共和国」はトルコ以外の国が未承認のままである。南キプロスがギリシア系で「キプロス共和国」で国連に加盟しており、日本も承認している。通貨もユーロだ。

 ▼領土問題をややこしくしたのは英国が元凶だ

 もともとキプロスの南北分裂を導いたのは英国の政策が元凶である。悪名高き二枚舌のサイクスピコ協定、マクマフォン協定によって分割の悲劇に見舞われたイスラエル・パレスチナ。シリア、ヨルダン問題と同様に、現地民が対立して政治的不安定がつづくことが英国の国益に繋がったからである。
 トルコは過去にみられなかったほどの熱意を示し外交的にも積極姿勢、前向きの解決を呼号し、2016年11月初旬にスイスでギリシア系のキプロス大統領ニコス・アナスタシアデスとトルコが指名した「北キプロス大統領」ムスタァ・アクンジがつっこんだ討議を行った。
 最終的にはキプロスに駐屯する英軍の問題と絡むため、英国が代表を派遣して最終合意となる。
領土の確定、憲法修正、法律の改正ならびにセツルメントの解決など難題が山積みだがすべての解決には80億ユーロが必要とされている。
 国家安全保障の観点から言えば、地中海の海洋覇権を半ば失った英国。地中海にはシリア問題を睨んで米仏の空母が遊弋し、ここにロシアと中国の艦隊も入り乱れた。
 ギリシアとトルコの積極姿勢への変化は、こうした軍事的背景が大きな要素ではないかと考えた。 
        
   ♪
(読者の声1)コロナ問題が、今後、どのような展開となるのかについては、予断を許さない状況のようですが、しばらく閉館していた図書館の雑誌・新聞閲覧室が、時間短縮ではありますが、7月から開館して、清貧老人としては助かっています。
 さっそく、久しぶりに、ゆっくりと経済系週刊誌なども読めるようになったのですが、『週刊東洋経済』7月18日号「マネー潮流」では、「リスクオンでも1ドル=90円目指す」、『週刊エコノミスト』7月21日号「論壇・論調」では、「急激なドル安予測に注目」、『週刊ダイヤモンド』7月11日号「為替市場・透視眼鏡」では、「21~22年ドル安で新興国復活か」とあり、当面はドル安(円高)を予測する向きが多いようですね。 藤巻健史氏が、ここ20年来、熱く唱える大幅円安説については、ほとんど同調されていないように見受けられます。
 藤巻健史氏の日本財政破綻論、日銀破綻論については、今は措くとして、この方、一期だけ、維新所属で参議院議員を務めています。その際に述べられていた大阪都案についての論などは、思慮の低い、ひどいものだと思わざるを得なかった。
 高橋洋一なる人物も、維新とどのような関係にあるのかは知りませんが、その大阪都案についての論は、同様に、内容のない愚劣なものと感じられました。
 高橋氏は、「広域発展政策を行うためにも、『大阪都構想』は合理的だ」と言うのですが、広域発展政策というのならば、堺市を含む周辺諸都市の相当部分(府の中核的部分)をも、大阪市と併せて特別区に再編成して(東京都はほぼそのような形)、その全体を「府」が一体的、広域的に管理しなければならないだろう。大阪市を「解体」するだけではほとんど合理性を認められない。
私は、周辺自治体を含む大阪府全体の組織を統合一体化して、広域行政と基礎的行政を再区分、再構成していくというような発展的な構想ならその意義を認めるし、さらに、近畿を一体的、広域的に管理するブロック単位の広域体と基礎自治体の二層構造にしていくという構想なら大いに賛成したい。近畿地方は、いわゆる「道州制」に最もなじむ地域ではないか。
 しかしながら現行の「大阪市解体案」では、そこに将来的展望、未来構想が認められない、と主張しているのです。このような無内容な案が大真面目に議論されている現状に、大阪の衰退を感じざるを得ず、大阪市立小学校・中学校で初等教育を受け、大阪を愛する人間としては哀しくなってきます。  (椿本祐弘)

(宮崎正弘のコメント)オルテガが言ったように「大衆とはものを考えない人」です。十年ほど前でしたが、中井貴一主演の映画で「大阪独立」の陰の陰謀集団を描いた作品(プリンセス・トヨトミ、2011年公開)がありました。ベトナムあたりへ行くときに機内でみました。「大阪都」って、これにヒントを得たのですかねぇ?
 「都」とは天皇陛下の皇居があるところ、ですから国家分裂を策すのが大阪都構想となるのですが、橋下某とかには、そういう基本知識も欠いているようです。

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(読者の声2)いつも貴重な情報をありがとうございます。下記第三巻の紹介文についてですが、陸奥記念館も回天記念館も、ともに山口県瀬戸内海側にあります。戦艦「陸奥」が沈んだのは周防大島(瀬戸内海で3番目に大きな島で橋が架かっている)。
地図には屋代島と記載されていることもあるが地元では大島としか呼ばれない)沖で、陸奥記念館があるのはこの周防大島の東端です。
回天記念館のあるのは周南市の半島の先で両者はかなり離れています。失礼とは思いますが、一応お知らせしておきます。  (KO生)            

(宮崎正弘のコメント)光市の伊藤博文生家跡記念館をみて、それから渡邊惣樹氏が運転で、長いドライブ。ようやくたどり着き、さらにその夜は、周南市まで出たので距離感がごっちゃの記憶でした。御指摘有り難う御座います。
      


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月15日(水曜日)
       通巻第6588号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ボリス・ジョンソンの卓袱台返し。「ファーウェイ排除」を正式に決定
  中国はロッキード・マーチン、ルビオ、クルーズ議員らも「制裁」するとか
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 欧米を揺るがせる大ニュースである。
 英国政府は7月14日、正式に5Gネットワーク網建設で華為技術(ファーウェイ)を排除し、2027年までに新規の5Gネットワーク網をつくるとした。予算は25億ドル。 基地局には北欧勢のノキア、エリクソンのほか、日本企業の参入も云々されている。

 過去三年にわたって英国は華為排除を決めかねてきた。米国の圧力が一方にあったが、なによりもコスト面でファーウェイが安いからだ。自国の携帯電話はボーダフォンがあるが、世界市場で苦戦、旧英国植民地のインドでも、パキスタンでも、いや南太平洋音フィジーでもボーダフォンの苦戦が続いてきた。

 与党議員らは「華為は米国の『中国ブラックリスト』の筆頭企業であり、新規5G網建設は、もっと早めて2025年完成を目指せ」と訴えてきた。

 7月14日、英国政府は正式に排除を決めたため「英国ファーウェイ」会長のジョン・ブラウンは同日、辞任を申し出た。ブラウンは前BP会長、貴族院議員である。
 この英国の決定は全欧を震撼させ、態度を決めかねているフランス、ドイツに甚大は影響を与えると予想される。

 他方、西側の中国への制裁、排除、冷遇に焦燥を強める中国は、突如、ローキード・マーチンの制裁を発表(7月14日)、その直前にはウィグル人権法は内政干渉だとして米国連邦議会の中心人物であるマルコ・ルビオ、テッド・クルーズ各上院議員、クリス・スミス下院議員らを制裁するとした。

 
 ▼ロッキード制裁の具体例は明示されない

 ロッキード・マーチンは台湾へのPAC3の主契約企業である。台湾への武器供与に関してトランプ大統領はすでに七回の署名を行い、特殊魚雷、潜水艦建造技術などの供与も含まれるが、ロッキードのPAC3(愛国者迎撃ミサイルシステム)の新型は6億2000万ドル。
 台湾は2007年にPAC2を三基導入し、08年にPAC3を四基(ミサイル330発)、つづいて2010年にPAC3(ミサイル110発)を導入して、実弾演習などで迎撃態勢などを訓練してきた。新しく導入の決まったPC3は改良型。

 台湾政府は「この導入は台湾海峡をはさむ軍事的脅威を抑止するばかりか、台湾と米国の絆の強さを象徴するものである」と歓迎声明を出してきた。
 中国のロッキード制裁は、具体的内容は示されておらず、いつ、いかなる手段で、どのていどの制裁とするのかはまったく不明。

 また米国連邦議会議員らの制裁についても、いったい何をするのか、『必要な手段を執る』としているだけで、たとえばヴィザを発給しない措置をとるのか、香港への入国さえ認めないのか、制裁方法の具体的言及はなく、「制裁だ、制裁だ」と口にしているだけ。実際にクルーズ議員は昨年の『香港大乱』のおり、民主派のシンボルだった黒シャツを着込んで林鄭月蛾・行政長官に面会を求め拒否された経過がある。
 
 ▼華為技術、最大規模のサービス管理センターが貴州省に完成

 さて華為技術(ファーウェイ)。CFOの孟晩舟はカナダで拘束されたまま、米・豪、スウェーデン、日本などにつづき英国が正式に排除決定。経営はピンチに陥った筈だが、おや? 2020年上半期の売り上げを13%増と発表、国内市場でのスマホが好調だったからとした。

 最大規模のサービル管理、コンピュータ研究センターと訓練施設の総合的な「華為新都市」の第一期工事が貴州省貴陽の郊外「貴州新都心」に完成した。面積はおよそ40万平方。総工費は6000億円。山を削り台地を開き、森林のなかにハイウェイを引き込み、まるで一箇の大都市が忽然と出現したのだ。
 
 「華技数据中心」を名づけられた宏大な敷地の中心には四棟の巨大建築、その周りにはおよそ20棟の高層ビル(社員の住居)、これから内装工事に入る。
  
集中連載 「早朝特急3」(第47回) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その6)   第六章 マルタ
 
 ▼「マルタの鷹」とは軍事的要衝を守りきれなかった英領の哀しい運命なのか

 「ヤルタからマルタへ」と国際政治学で区分けされるのは冷戦の開始が、クリミア半島のヤルタでの会議だったが、冷戦の終結を約した米ソの会談場所はマルタだった。
 1989年12月、ゴルバチョフとブッシュ大統領がマルタのヨットの上で会って握手し、戦後世界を規定した東西冷戦は終わった。
 直後からソ連共産党は終焉に向かって疾走を開始し、東西ドイツを分けた「ベルリンの壁」は直前に壊され、ルーマニアでは独裁者チャウチェスク夫妻が処刑された。
 その世界政治の巨大な地殻変動は二年後のソ連崩壊の導火線となった。東欧からバルカン半島にかけて全体主義国家が次々と瓦解した。
嘗ての「ワルシャワ条約機構」の加盟国の多くが百八十度転んで、NATOやEUに加わり民主制度に移行した(詳しくは拙著『全体主義の呪いは解けたか』、ビジネス社を参照)。
 その震源地となったマルタ。
 到着して直ぐにガイド嬢に尋ねたことは、「その歴史的な場所は何処ですか?」
 すると「沖合の船上でした」との回答。
 「ならばブッシュ大統領が宿泊したホテルでも撮影しておきたいのですが?」
 「え、日帰りじゃなかったかしら」
 
 マルタの首都はヴァレッタという軍事基地の面影が濃厚で石灰岩、大理石、城塞とで固まった要塞都市だ。ヴァレッタと聞くと小型拳銃を連想する。
 旧市街はすべてが歴史的建造物で世界遺産に指定された。「マルタ騎士団」の伝説は、昔から聞いていたが、まさに城郭都市、軍事要塞の典型だったのである。
 ヴァレッタを挟んで西側がスリーシティ(昔の首都)、人が住んでいるのか疑うほどの静謐な町で路地が狭く家屋の入口に小さなオブジェがあって、かろうじて誰の家かが分かる。
 このスリーシティの隣町がカルカーラという寒村で後節にみるように日本と縁が深い。
 歴史を振り返るまでもなく、古代から地中海の覇権が争われ、ギリシア、ローマ、フェニキア、カルタゴ、ベネチア、オスマントルコ、そして英国と覇者は入れ替わった。
 おなじ環境のキプロスと異なるのは英軍が残留しているかどうか、である。マルタからは英軍は撤退した。
 マルタ騎士団の赫々たる戦歴のなかでも、1565年に大船団を派遣してマルタを囲んだオスマントルコ海軍に対抗して三ヶ月の猛攻に耐え抜いた戦役はいまなお語り継がれる。元寇に勝利した鎌倉武士が凶暴な蒙古軍を追い返したように。
 しかしマルタは紀元前8000年に開けた文明最古の要衝でもあり、島の中央から南に拡がる30の巨石神殿は紀元前4500年から2000年頃と推定される。

 ▼考古学的にマルタの遺蹟は重要な価値を持つ

 この巨石神殿は世界史の謎である。
 タルシーン神殿の発見は1914年。さらに南にはハジャーイム神殿があり、接着剤もないのに石壁は垂直に並べられている。全容の発掘は1910年だった。崖を地下に彫り込んだ神殿はハイポジウム神殿という。これらは最重20トンもの巨石を切断し(どんな工具で)、クレーンもない紀元前にいかにして運搬したのか? どうやって高く積み上げたのか。
 この謎はイースター島のモアイ像を連想させるが、ともかく歴史には謎が多い。
 マルタには西暦一世紀にパウロが漂着したため、爾来、カソリックである。あちこちにカソリック教会が建立された。教会のなかにはドームを作る費用が集まらず、いかにもドーム内部に描いたという「だまし絵」が人気の大聖堂(コゾ島)も含まれる。

 ヴァレッタの西側に開ける地区は豪華マンションとヨットハーバー。とくにセント・ジュリアン地区が新市内を形成しており観光客が密集する。
 高層のリゾートマンション、ホテル、豪華レストランが建ち並ぶ。海岸線と平行する遊歩道には海鮮レストランが並んで、それぞれが工夫を凝らしたインテリア、なかにはディスコを兼ねたモダンな店もある。
 このあたりを散策すると旅愁が募ってくる。
 夕暮れ時にそぞろ歩きする島民にまじって観光客も夕日をみにくる。
 インターコンチネンタルホテル、ヒルトンなど五つ星ホテルもこのあたりに位置し、カジノが林立している。正装して入るカジノ客をみているとアラブ人とロシア人が多い。中国人は突然減ったという。
 
 マルタ本島からコゾ島へも行きたいと思った。
 理由は単純で、有名作家マイケル・バー・ゾーハーが住みつき、毎日のように顔を出したバアがあると聞いたからだ。ヘミングウエイのキューバとフロリダ南端の離れ島キーウエスト。007のイアン・フレミングはジャマイカ島に住み着いたっけ。
 フェリー乗り場は島の北北西端にあるチェルケウア港からで、この港へ行くにはヴァレッタからバスで一時間もかかる。フェリーは僅か二十分でコゾ島へ着いた。かなりの外国人観光客が乗船していた。
 風の門と言われる奇妙な岩が並ぶアズールウィンドーはダイビングのメッカとして知られ、世界中からダイバーが集まる。行ってみると風が強い。
 島の中央がヴィクトリアという町で古い教会の階段下にある広場の周りがレストランとバア街だった。朝からビールを飲んでいる観光客の隣を二階建てバスが走る。ワインとサボテンリキュールを売る店もある。
 筆者もここでくつろいで、ガイドブックを拡げた。バー・ゾーハーが通ったバアはすぐにわかった。
 マルタに大いに興味を惹かれた理由は二つあった。
 第一は紀元前の巨石神殿の謎である。
 第二はマルタ騎士団のことだ。博物館に飾ってある土葬の服飾品、アクセサリーなどを観察すると当時の女性はふくよか。キプロスの「ヴィーナスの誕生」のモデル女性より肥満型が男性のあこがれだったようである。丁度「縄文のヴィーナス」とよばれる土偶(国宝)が長野県茅野市の尖石縄文館にあるが、あのふっくらして悠長な風貌の妊婦を連想する。ほぼ同時代に、世界の西と東で、お互いの連絡もないのに類似性の強いイコンのようなものを製作していたのだ。
 騎士団は旧市内の騎士団長の宮殿と兵器庫を見学すれば、大まかな歴史が掴めるが、十字軍の兵士となる資格は貴族の息子に限られていた。
 軍事訓練は厳しく妻帯は許されず禁欲の日々を戦闘訓練で代替していた。その荘厳な寄宿舎跡が現代マルタの首相官邸や外務省なのである。
 騎士団長の宮殿は二つの中庭があるほど宏大で豪華だった。この建物が大統領府と議会になっている。敷地内の兵器庫には鉄製の鎧兜が陳列され、大砲や槍、馬車などを見入っているとあっという間に時間が経過してしまう。
 そもそもマルタ騎士団とはエルサレムの攻防をめぐってキリスト教の国々が競って結成し地中海沿岸から中東へ覇権した私兵軍団である。主力部隊はフランス、英国、ドイツ、スペイン、ポルトガルなどの出身地で分け、さらにフランスは三つの言語体系によりそれぞれの部隊を編成した。スペインは二つの言語グループ。合計八つの部隊に分けられた。
 したがってマルタ騎士団の紋章は八本の刀を象徴するエンプレムが使用されている。

 ▼日本海軍の英霊が眠っている

 翌朝、宿泊したホテルのフロントでタクシーを呼んで貰い、向かった場所は旧市内の西側、崖の突端にあるカルカーラ地区だ。英軍墓地が点在している。
 クルマで四十分。もし通勤時間の渋滞に巻き込まれたら往復三時間くらいかかる。目的地は霧が晴れたばかりで烈風が吹き、小雨が降ってきた。おおよそ人の住んでいる気配がない淋しい場所にある。
 1914年に第一次世界大戦の火蓋が切られ、日本海軍は「日英同盟」の約束から軍艦八隻を、この地中海に浮かぶマルタに派遣した。英国、仏蘭西の輸送船を護衛するため、駆逐艦「松」、巡洋艦「榊」などがマルタを拠点にフランス南部の基地からの物資、兵員輸送船を護衛する任務に就いたのは1917年4月だった。
 同年2月に佐世保を出港した「松」以下四隻は南シナ海からインド洋で作戦を展開していた「榊」以下四隻と合流し、合計八隻の大日本帝国海軍艦隊を組み直してスエズ運河を越えて地中海に入り、同年4月13日、英領だったマルタに入港した。
 以後、獅子奮迅の活躍を展開する。
 とくに5月3日には英国輸送船トランシルバニア号がドイツの潜水艦の魚雷攻撃を受けたため決死の救助活動を展開し、松、榊などが英国人船員ら3000名を収容した。トランシルバニア号は乗員3200名だった。
 この英雄的行為に英国は勲章をあたえるほどの大騒ぎとなり、ヴァレッタは興奮に包まれた。
 6月11日、榊はミロス島を出港し、護衛の任務に当たっていた。ドイツ潜水艦の魚雷攻撃を受け、かけつけた英仏艦船によってクレタ島へ曳航された。59名の日本軍人が戦死していた。遺体は火葬され、英軍墓地に埋葬された。
 英軍は日本軍人の栄誉を称え、宏大な墓地の一等地に慰霊碑を建立したのだ。
 そこには「大日本帝国台に特務艦隊戦死者の墓」と日本語の刻印が彫られた暮碑が嵌め込まれた。
 その後、第二次大戦でイタリアの空爆により破壊された日本海軍の英霊墓地は、1974年に新装されている。最近になっても時折、日本人が献花に訪れる場所となった。
 筆者は墓地に立って水と菓子とタバコとを捧げ、合掌した後、「海ゆかば」を独唱した。涙が止まらず、ちゃんとは歌えなかった。

 ▼風化した日本軍人伝説

 この物語は戦前、語り継がれて殆どの日本人が知っていた。現代ではトルコの使節団が和歌山沖で座礁し、付近の日本人が救援して、多くを救った美談「エルトゥールル」号で、映画にもなって人口に膾炙したが、対照的に日本帝国海軍のマルタ沖での悲劇を知らない。
さきに安倍首相が訪問した折、この慰霊碑に詣でたことは言うまでもない。
それ以前、つまり明治四年の遣欧視察団は、マルタに三伯して、フランスが先か、英国へ行くのが先かを決めた。山口昌子『パリの福沢諭吉──謎の肖像写真を訪ねて』(中央公論新社)によれば、その船には福沢諭吉が乗船していた。

 さてマルタ。キプロスがタックスヘブンと言われた時代は終わり、富裕層の格好の逃げ場所となっていた。
 65万ユーロで住宅を購入し、くわえて15万ユーロの「マルタ國際」を購入するとパスポートがもらえる。合計80万ユーロは邦貨換算で一億円強。マルタは世界160ヶ国とヴィザなし協定をもつ国でもあり、世界中から観光客ばかりか、海岸沿いに立ち並ぶ豪邸、ヨット。すべてが欧米の金持ちである。
 この特権目指してどっとやって来たのはロシア人だった。カスペルスキー(暗号解読、カウンターハッカーで著名)の最高責任者、新興財閥の社長等がすでにマルタのパスポートを得たので、プーチンは「もう少し愛国的になれよ」と愚痴をこぼした。
 マルタ政府は2017年に、この特権を売却することによって16億3500万ユーロの歳入増があったそうな。
しかし、そんな国策をとっていて良いの?
       
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(読者の声1)今の世界の混乱を見ているとまさに100年、200年前に書かれたユダヤの戦略にピッタリ符合する。
 究極はワンワールドの世界政府、その前段階として主権国家に混乱をもたらし革命を起こす。王室・皇室は弱体化・廃止、宗教もできる限る排除する。民族の純度を下げ国家内・国家間の不和を煽り戦争を繰り返し起こす。
フランス革命・ロシア革命まではうまく行きキリスト教を政治から分離することにも成功。オーストリア帝国もオスマン帝国も滅んだが、ドイツ革命は中途半端、皇帝は退位するもワイマール共和国止まりとなり共産党で革命を目指すもヒトラーに潰された。
 日本は共産主義こそ流行したものの共産党が銀行強盗をするほどで国民に残ったのは共産党への不信感ばかり。
戦後も武装闘争を繰り返しながら共産勢力は過激派が台頭し最後は内ゲバ、連合赤軍の浅間山荘事件で左翼に対する嫌悪と免疫ができたように思います。
なので革マル派が属する組合からの支援を受ける立憲民主党の枝野党首も中核派に近い山本太郎もあくまでソフトイメージですが政党支持率を見れば日本人はそんなものに騙されない事がよく分かる。

ただ敗戦の後遺症は続いており、皇室の存続の危機に女性皇族だの女性・女系天皇だの議論を盛り上げ皇統を断絶させようとしている勢力がいることはわかる。在日外国人の参政権問題や移民問題も同様に日本の弱体化を目指すものですね。
 戦勝国だったはずの英国は植民地をほぼすべて失い、戦後のほうが戦時中よりも食糧事情が悪くなるという事態でした。労働党の産業国有化と福祉政策で国力は衰亡するばかり。王室では国王のウインザー公エドワード8世が離婚歴のあるアメリカ女性と結婚し退位、ダイアナ妃の離婚問題があり、近年ではヘンリー王子など結婚相手が離婚歴のある、母親がアフリカ系のメーガン・マークルで王室離脱騒ぎ、ロンドン市長はパキスタン系のイスラム教徒。多文化共生と喜んでいる場合ではありません。

 日本と同じく敗戦国だったドイツは国土を削られ東西に分割されました。
西ドイツだったころのドイツ政治は1952年に反ユダヤ主義を掲げる2議席のライヒ党が違憲とされるとともに1949年に15議席を持っていた共産党も違憲とされ1953年には議席ゼロとなります。
日本で共産党が存続できたのはアメリカの都合だったのでしょう。
 ドイツのメルケル首相はなにか操られているようにも見える。脱原発に脱石炭火力発電など自分の首を締めるだけ。地球温暖化防止で京都議定書が決まった頃は古い設備の東ドイツを吸収して余裕だったドイツが日本を嵌めたように思えたのですが、近年の中国にのめり込むドイツの惨状を見るとトラスト・ミーの鳩山首相や原発に詳しいといった菅直人首相を思い浮かべるほど劣化している。保守というより緑の党に近い。

 アメリカでは東欧のカラー革命・アラブの春につづいて国内で革命を起こそうとしているようにも見える。
革命を起こすにはマニュアルが必要。コロナ禍の折、書店も図書館も閉まり読む本がないと思っていたら、ネットでライトノベルの紹介がありました。ギロチンで首を刎ねられた姫がもう一度人生をやり直す「ティアムーン帝国物語」というお話し。ライトノベルなので話はどんどん進んでいきますが意外に面白く、悪意をもって国家の転覆をはかる邪教「混沌の蛇の教典……『地を這うモノの書』の写本」というものがでてくる。
「書かれている内容は、国という秩序をどのように破壊するのか、その方法論マニュアルです。王権を腐敗させ、国を荒れさせる方法、人の死を蓄積させて憎悪を醸成する方法、それを土壌にして革命戦争を起こす方法……、どのようにして民衆の心を操り、王権という秩序を破壊させるのか。そうした知識がたくさん書かれた書物です」
 カトリックとプロテスタントの間でもイエズス会など謀略で有名でしたしアングロサクソンは分割統治の巧者で日本は未だに敗戦で埋め込まれた地雷まみれ(在日、北方領土、竹島、尖閣諸島etc)。アメリカも戦争に勝ったはずが朝鮮戦争・ベトナム・イラク・アフガンと戦争が絶えず、国内は麻薬と暴力が蔓延し、いつ分裂してもおかしくないほどに思える。
いつの間にかユダヤ思想に埋め込まれたポリコレやLGBTなどの正義感をくすぐる猛毒の地雷に足を取られ一歩も進めなくなっている。
トランプ大統領も安倍総理も今が踏ん張りどころなのでしょう。
   (PB生、千葉)


(読者の声2)貴誌6587号「読者の声」で、次回総選挙で「維新」が野党第一党になるのではないかという予想が述べられていますが、私見では、とんでもないことだと思っています。しかし私ごときがいくら喚こうと、野党第一党になれるかどうかはともかく、勢力を伸ばしてくることはまちがいないだろうと憂慮します。
 つい最近も府下の羽曳野市長選で、維新系新人が現職市長を破って当選していますね。
 小生は、何度か、本欄で述べたと思うので、今は繰り返しませんが、維新の唱える、現下の「大阪都案」なるもの、私には意義がまったく理解できない。たしか橋下元知事・市長は、道州制も提唱していたと思いますが、道州制とは基礎自治体と国との間の中間的な存在である府県の行政の一定部分を州に統合するとともに、相当部分を基礎自治体に移管し、基礎自治体の体制を強化していくという構想ではないか。
 それにもかかわらず、基礎自治体である大阪市を「解体」しようなどというのは、まったく矛盾するし支離滅裂としか私には思えない。
 橋下元市長が大阪市水道民営化案(厳密な意味での民営化ではなく、単なる疑似的なものにすぎないが)について述べていたことなど、この人物の法律知識の程度を疑わせしめるようなひどいものでした。
 小池「女帝」知事にもうんざりですが、大阪もいよいよ衰退に拍車をかけるのではないかと憂鬱です。ましてこのような内容がない「政党?」が、国政において跋扈するなど、考えただけでも気分が悪くなります。
  (椿本祐弘)

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(読者の声3)つくる会東京支部総会の「無料記念講演」
 7月19日(日)に新しい歴史教科書をつくる会東京支部第22回総会において、日本大学名誉教授 百地章先生による参加費無料の講演会を開催いたします。詳しい情報は以下に示すとおりであります。
      記
日時: 令和2年7月19日(日)午後2時30分~4時過ぎ迄
場所: 文京区民センター2階2A会議室
    (地下鉄「春日」下車3分、文京シビックセンターの筋向い)
講師: 百地章(国士舘大学特任教授、日本大学名誉教授。)
演題 「男系(父系)による行為の安定的継承を」
会費: 無料(清聴いただける方なら、何方でも参加いただけます)
    申し込み不要、当日参加歓迎
主催: 新しい歴史教科書をつくる会東京支部
照会先: 加藤幸太郎 TEL090-9244-2096
小川 揚司  TEL090-4397-0908
ご注意: マスク持参・着用をお願いします(お持ちでない場合は会場で頒布します)   入場にあたり、アルコール消毒ジェルを準備しております。
 


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月14日(火曜日)
       通巻第6587号 
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 カンボジアの独裁者フンセン王朝の後継者は長男のフン・マネット
  米国はひそかに期待。米国ウェストポイント卒、経済学博士のインテリ
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 カンボジアのフンセン首相は「中国の代理人」。その独裁権力は中国からの強大な投資を呼び込み、経済成長が著しく、プノンペンは高層ビルが林立する大都会に変貌した。たしかに、これが「功績」であるとすれば、多くの国民は事実上のフンセン王朝を支持する(カンボジアは立憲君主国なので、この表現はふさわしくないが、わかりやすくするためにフンセン王朝とする)。

 カンボジアは「あっち(チャイナ)へ行ってしまった」と考えられるのも、南シナ海の領海問題では、アセアンで非難決議を引っ込めるなど、中国のために尽くしてきたからだ。

 コロナ騒ぎの二月にフンセンは北京に「挨拶」に行った。息子のマネットをともなっての朝貢である。北京の反応はすこぶる良かったらしい、ほぼ後継者として中国のお墨付きを得たとフンセンが考えた。朝貢外交の成果はあったと総括したらしい。

 一方で、フンセンは米国へ恩を売る行為にでた。
 クルーズ船「ウエステダム号」のシアヌークビル港への寄港を認め、感染者を収容し、乗客をそれぞれの国に送り出した。
当該船の船籍が米国であったため、トランプ大統領はフンセンに感謝の言葉を送った。11月には、トランプがフンセンに「米国は体制変革を望んではいない」という書簡を出しているという。

米国が期待するのは、フンセンの長男、フン・マネットである。なぜなら彼は米国ウェストポイント(陸軍士官学校)を卒業した後、ニューヨーク大学で経済学修士号を取得し、その後、英国ブリストル大学で博士号。英語は流暢なうえ国際情勢に通じているからだ。

経済政策、リベラルな思想を身につけカンボジアに帰国した。
こうして経歴から、今後のカンボジアの民主化、経済政策の資本主義化を担うに違いないと期待している(アジアタイムズ、7月13日)。

 もし、この観測が正しいとすればフンセンは中国の代理人の役を果たしながらも恒に米国と接触し、弐国間のバランス外交を展開してきたことになる。
 フン・マネットはすでにカンボジア陸軍のトップであり、独裁執権党の「人民党」の要職を幾つか兼務して権力中枢にある。軍の各部隊の根回しにも積極的で、軍と党の両方で確実に影響力を拡大し、確乎たる位置を確保してきた。

また2017年以来、中国の反対で行われていない米軍との協同軍事演習の再開に前向きと言われ、米国は長男が継承すれば、政治経済改革の期待が高まるだろうと考えている。
 それゆえ、米国議会は上程していたカンボジア制裁案を静かに引っ込めていた。

 1985年以来、35年カンボジアに君臨するフンセンは67歳、マネット43歳。カンボジアの次の総選挙は2023年である(でもマネットって、日本語で書くと「真似人」となるのが気になるが(苦笑)。。
  
集中連載 「早朝特急3」(第46回) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その5)  第五章 ドイツの後退

 ▼東ドイツ崩壊前夜、東ベルリンにいた

 ドイツのことを語り始めると際限がない。
 東西冷戦時代のベルリンは、とてつもなく「面白かった」。冷戦が終わりかけ、ソ連の敗退が決定的になる頃、よく東ベルリンへ行った。チャーター機が週一便ほど飛んでいた。ソ連の飛行機で、機内の設備は劣悪、サービスも良くないし食事は不味いが、ともかく安かった。
 ポツダム宣言で日本人には有名な場所はツェツェリンフォフ宮殿で、行ってみれば広い庭があり、小河が流れていてい、ゴルフ、ポロ競技も出来る御殿のような場所ではないか。
こんなところで戦後の処理を決めたのか、思うと腹立たしくなるような、緊張感のないアンバランス。三、四年ほど前に再訪したところ、入場料をとるようになっており、屋敷内はすぐにポツダム会議の写真パネルなどがあった。
 李克強首相は訪独の折、わざわざ此の地を選んで反日演説をした。

 まだベルリンの壁が東西ドイツを分けていた頃、チャーリーポイントのチェックは厳重だった。ここはジョン・ル・カレなどのスパイ小説で必ず出てきた検査場である。
 国際列車とてゲシュタボのような車掌が切符検査にきて、昨日まで宿まっていたホテルの領収書、パスポート、東ベルリンのホテルの予約証明書、バウチャー、いろんな書類を提示しなければならなかった。いまでは考えられないことだろう。
 東ベルリンには由緒正しい建物が多く、威厳のあるホテルとか、博物館とは、それとはちぐはぐな風景が辻々に立っている怪しげな男達、闇ドル交換屋だ。
 東西ドイツ統一前夜、東ベルリンでは、翌日から使えなくなる東ドイツマルクが、唸りをあげて交換レートを下げており、フルコースの料理にワインと2本ほど呑んで、日本円で三千円程度だった。ところが東西マルク統一がなった翌日から西マルク・オンリーとなり、まったく同じ料理を、同じレストランでためしに頼んで、一万九千円だった。為替のマジックだろう。ユーロ導入以前の話である。
 このころのドイツ紀行を筆者は、『新生ドイツの大乱』(学研)、『ヨーロッパの悪魔』(カッパブックス)などに書いた(いずれも絶版)。
 五千円はすると思われるセーターが百円だった。東ドイツ製品はチャンとしたモノでも投げ売りだった。
 国家の崩壊は通貨の崩壊から始まる。毛沢東との国境内戦で、蒋介石の敗北が濃くなると、蒋介石支配区の通貨は突然崩壊し始めた。毛沢東が偽札を作ってばらまいたからだ。

 三年前にも家内と一緒にドイツを一周した。
ハイデルブルグの学生街では有名な万年筆メーカーがあるが、高いのでボールペンを1ダースほど土産に買った。フランクフルト、ドレスデンなどを回って、現在のドイツの活力をまのあたりに見たが、本稿では省略する。

 ▼メルケル独首相は女傑か、怪物か、それとも? 

 読売新聞ドイツ特派員だった三好範英『メルケルと右傾化するドイツ』(光文社新書)はドイツ政界に何が起きているのかを知るために格好の報告書である。
 EUの旗を振ったのがドイツだった。
 メルケルは保守政治家と見られがちだが、彼女は西独ハンブルグ生まれだが、東ドイツへ移住し、共産主義の教育を受けている。
数学も出来たが、ロシア語がぺらぺら、政治信条はリベラル。そのうえトランプを敵視する。つまりメルケルは断じて保守政治家ではない。
 プーチンのような「状況対応型政治家」の典型であると言える。それゆえ政策に大きな振幅が見られ、その「変節」の度に、欧州全体が混乱することになる。そうして文脈から見れば、いったいメルケルは世界の救世主なのか、それとも世界秩序の破壊者か?ということになると三好はいう。

 エマニュエル・トッドの警句がある。
「ヨーロッパは、20世紀の初め以来、ドイツのリーダーシップの下で定期的に自殺する大陸ではないのか」(『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』、文藝春秋)。
 細かな説明は除くが、このトッドこそEU解体、ユーロ解体を予言して憚らないフランスの人口学者で、かつてはスラブとムスリムとの相対的人口比較からソ連の崩壊を予測した。
 メルケル独首相は女傑か、怪物か、それとも世界の破壊者か。こうした設問がでてくるのも、彼女の政策こそが、ドイツ政治を危機に追い込んだからである。
 そこで三好氏は、メルケルの生い立ちから、その青春期、東ドイツ時代、そしてコールの右腕として頭角を現し、やがてコールと訣別し、政権を担い、四選を成し遂げた女傑ぶりをあますところなく描き出した。 
 三好氏はメルケル首相を総括して「誠意の人」だとさらりと言う。ただし、「心情倫理」があまりに強いため、難民に同情的であり、いや同情しすぎたため欧州政治を混乱させた。だから「誠実と合理主義が過ぎて、邪悪で不条理な現実に裏切られる。ヨーロッパや世界に大きな影響力を持つドイツ首相の振る舞いであればこそ、そこが一番の問題である」
そこで、大事な指摘がなされている。
 ドイツがなぜ、あそこまで中国にのめり込むという愚を犯したかについてである。

 ▼ドイツの経済を牽引したのは自動車産業だった

 中国企業がドイツのハイテク企業買収に乗り出し、世界のロボットの四大メーカーのひとつ「クーカ」社まで買収した。当然だろうけれども同盟国からも警告があり、ドイツ財界の一部には警戒感が生まれた。
 「しかし、(中国への)警戒論は全体の流れを変えるほどではない」。それより習近平が強力に推進する「一帯一路」プロジェクトの鉄路の終着駅はデュッセルドルフに近いデュースブルグ港(欧州で随一の内陸港)である。
現地を取材した三好氏は、その現場に中国語が氾濫し、いまでは重慶との間の貨物便が毎週25本にまで増えているという現実を伝えている。

 メルケルは反トランプ、親中派。そして過去の発言や訪日回数の少なさを見ても、おそらく反日であろうとの類推が本書を読んだあとの評者の感想だった。
       
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樋泉克夫のコラム 
@@@@@@@@ 【知道中国 2102回】                 
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘62)
「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

  △
 王道を歩む東洋は、西洋流の覇道に奔らないという固定観念が「諸悪の根源」とまでは極論しないが、少なくとも誤解の第一歩と言えるだろう。
覇道は西洋の、王道は東洋の専売特許と見做してしまったことで、日本がその後の歩みを間違えたように思える。

 銀行強盗が革命家人生のスタートだったはずのスターリンの例を持ち出すまでもなく、1932(昭和7)年に日本共産党が引き起こした銀行強盗事件(大森ギャング事件)にしても、我われ団塊世代を熱狂に包んだ当時の1971年2月に発生した真岡銃砲店襲撃事件にしても、革命の大義の末に王道を思い描くのは勝手だが、現実の革命活動を動かす最強の駆動力は間違いなく闘争資金であり、それを王道に則って調達することは至難だろう。
およそ革命の物語を紐解けば、その成否にかかわらずカラクリは自ずから明らかだ。

 革命のような大規模な仕掛けを必要としなくとも、日常的な政治活動であれ「善意の人民の浄財」を集めてみてもタカが知れている。
精々が慰め、いや精神的支援程度でしかない。王道であり政治的正義に裏打ちされているゆえに政治的投機の成功が約束されるなどという考えは、非現実的であり淡い夢物語だ。目的達成を確実にするためには、先ずは潤沢な活動資金だろう。

 卑近な例ではあるが、昨年の広島における参院選挙の1.5億円対0.15億円の違いが如実に物語っているではないか。やはり「札束で横っ面を張り倒す」という「鉄則」が通用しないのは我が子だけ。洋の東西を問わず札束は万能の妙薬に近い。
 やや飛躍するが10年ほど以前にタイで起こったタクシン派(赤シャツ)対反タクシン派(黄色シャツ)の対立にしても、長期に及ぶ激しい街頭活動の現場に立って筆者が抱いたのは、双方の陣営が醸し出す熱量の違いが自派の政治的主張に向けられた信頼感というよりは、むしろ自陣営の備えた闘争資金量に依拠しているのではないかという疑問、いや確信だった。
「武士は食わねど高楊枝」は短期闘争では有効であるかも知れないが、やはり長期闘争の原則は「腹が減ったら戦ができない」だろう。もちろん壮大な構想が大前提だが。

 香港を例に考えるなら、2014年の「雨傘革命」と昨年6月以来の街頭過激行動の違いである。
共に民主化=反中を掲げた街頭闘争ではあるが、外形的には異質だ。「雨傘革命」が闘争手段とした幹線道路占拠の現場で筆者が痛感したのは、メディアの報道が煽る熱気に反比例する闘争現場の寒々しさだった。
闘争資金の不足は覆うべくもなく、過激なスローガンにも拘わらず、警備当局も軽めの警備態勢で対応していたフシが見られた。

ところが昨年6月からの街頭闘争は日を追うごとに激しくなり、警備当局の過剰なまでの重装備が目立った。
どの勢力だとは特定できないが、香港外から大量な闘争資金が持ち込まれたとでも考えない限り、あれほどの過激な闘争を長期に、しかも同時多発的に起こせるなどとは考え難い。
200万人余の市民が立ち上がり街頭抗議に繰り出しところで『善意の浄財』では長期で過激な闘争は支えきれない。
匹夫の勇なんぞを振り回したところで自己満足に終わるのが関の山であり、大きな目標の達成は不可能だ。

 閑話休題。毛沢東が終生の信条としていた「鉄砲から政権が生まれる」という考えもまた、どう屁理屈を捏ね廻しても王道とは言えそうにない。断固として覇道、いや覇道の典型だろう。

 建国前後の土地改革からはじまり反右派闘争、大躍進、文化大革命と毛沢東が繰り広げた政治闘争を振り返ってみても、頭に浮かぶのは運動の名称とは裏腹の冷酷と暴虐、破壊と殺戮の歴史でしかないはずだ。
如何に詭弁を弄したとしても、毛沢東の政治を総括するに王道の2文字は相応しくない。ならば毛沢東から「好好学習 天天向上!」と教え込まれた習近平ら「毛沢東のよい子」が覇道を暴走するのは自然の成り行きではないか。
     
   ♪
(読者の声1)アメリカ大統領選挙は、世論調査で、バイデン候補が10%リードとあります。
 トランプ大統領は、盟友ロジャー・ストーン元被告の刑を免除したことに対し、共和党有力議員からも批判の声が出ている。世論のトランプ叩きは、尋常ではないですね。
 安倍首相も最近は、精彩を欠いている。トランプが敗れたら、退陣論が盛んになるからでしょう。
 自民党内で親中派と国賓招待反対派が争っていますが、先行き不透明な、中国向けのパフォーマンスでしょう。なぜなら、バイデンが大統領になれば、表面は反中でも、裏では手を握るからでしょうから。
 安倍首相は、大統領選挙前に、衆議院の解散総選挙をするでしょう。自民党は圧勝するが、維新も伸び、第一野党になる気がします。維新が第一野党になれば、日本は確実に変わるでしょう。
アメリカの大統領選挙の実際は、共和・民主は拮抗しているでしょう。だが、一寸先が闇なのは政治の世界です。バイデンが勝てば、中国にいるトヨタは、ますます隆盛するでしょう。
トランプが勝っても、文在寅大統領のように、大人しくなるでしょう。日本の外交が、戦後最大の岐路に立っているのは、間違いないようです。今の自民党に、安倍首相に勝る首相の器の人がいるのでしょうか。
  (斎藤周吾)

  ♪
(読者の声2)東京町田に出来た「泰巖(たいがん:信長の戒名の一部)歴史美術館」を見学してきました。織田信長が発信した部下や戦国大名宛ての書簡や通信文(朱印状)が数多あると聞いたゆえです。
 本能寺の変の善後策を丹羽長秀等に発信した柴田勝家の長文の書簡は冷静な内容で読ませます。信長発信の書簡の中には、野鳥のホオジロを贈られた謝礼、折り(食べ物)と鯛5匹贈呈謝礼、祝宴用食材として鶴を捕えよとの指示、の書簡があり、このような書簡を祐筆が書くにせよ信長の気配りが意外でした。
 信長発信書簡の他、秀吉、家康、光秀、上杉、信玄の書簡もあり、楽しめます。
 館内の信長の合戦勝敗表が興味深く、生涯戦績は80戦59勝15敗6引き分け。30歳代27戦、40歳代37戦と息つく暇もないいくさだらけの生涯です。(なお、90戦64勝20敗6引き分け等の説もあります。)
そのいくさで多忙な折、明智光秀に比べると学問・教養は劣るものの、内政、外交、公家対応、伊勢神宮・東大寺など寺社対応、茶の湯や仕舞の趣味など、世界歴史上の武人・政治家の中でもやはり一流人でしょう。
【参考】泰巖歴史美術館HP:https://www.taiyo-collection.or.jp/
   (KU生、杉並)
 


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月14日(火曜日)
             通巻第6586号  <前日発行>
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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~近・現代史に貴重な写真の記録がムックになった
  我が国が戦った意義と足跡を歳月かけて足で歩いて突き止めた記録

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帰山則之『帝国陸海軍現存兵器一覧』(依代之譜)
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 全五巻、その内訳は下欄に一覧した。
 たいへんな労作、而も草鞋が削げ、血豆ができても足で歩き、丹念に探し回り、埋もれていた遺蹟を発掘するかのように地道な作業が続いた。 
忘れられた日本の戦争の兵器や忠霊碑、英雄像が全国各地に散らばり、一部は朽ちかけている。これらを一堂に集めて五冊のムック本に仕上げたのだから労作仲の労作である。
よほどの根気がなければ、この歴史的な作業は出来ない。本来なら国がやるべきことを民間の名もなき人々がやり遂げた。
 民族派の愛唱歌にいう。
 ♪「誰に言われた訳じゃない、俺もお前のこの国に生まれて育った仲だから。。。。」
 
 ともかく近代史研究家、学者、ジャーナリスト、この時代の事件や背景を調べているノンフィクションならび小説家ばかりか、近現代史に興味のある読書人に大いに参考になる。
 探し当てた写真が主だが、解説文にも、悲哀を基調にした、独特な味があって、熱血の日本男児の血がたぎる。しかし狂熱を抑えきって淡々と叙しているのだ。

 まず第1巻は「陸軍火砲」コレクションである。
 冒頭に高島秋帆が出てきたので、驚いた。ちゃんと高島を評価しているからだ。歴史家でも、高島を見落とし、江川太郎左右衛門に焦点があたるが、高島をぬきにしては江川の存在はなかった。
 評者(宮崎)、長崎で、坂道を迷いながらも旧高島秋帆邸を見つけて内部を見学したことがある。なかなかの広い屋敷で、ここで砲を集め、実験し、試射し、幕府の平和惚け官僚どもに先駈けて国際情勢に通暁し、防衛兵器の開発と配備を説いた先見力のある人間だった。
 「長崎奉行の許可を得て、オランダから自費で軍銃、大砲とその弾薬類を買いそろえて実地研究(中略)、大砲の鋳造も行い、それらのためにほとんどの私財をつぎ込んだ」のだ。
 諸藩の前途有為な若者らが陸続と秋帆の門を叩いた。その後、吉田松陰も平戸留学の折に高島邸を訪ねている。
 「天保十一年(1840)、秋帆は門弟約三百余名をもって、歩兵四小隊、砲兵一帯を編成し実値演習を行った」
 これが日本最初の洋式中陣、ペリー来航の十三年も前のこと、噂を聞いた伊豆の代官江川太郎左右衛門は「天、この人を生ずるは我が国の大幸である」と感嘆した。
 ところが守旧派は斬新な改革を嫌う。改革唱えるものを疎んじるばかりか、讒言で高島を失脚させてしまうのだ。秋帆が冤罪を晴らして復帰するのは嘉永六年(1853)、まだにペリー来航の時だった。
 貴重な時期を江戸幕府の守旧派が潰したのだ。
 謹慎十一年、東京に高島平団地があるが、この高島の由来こそは秋帆である。板橋区の松月院には秋帆先生の記念碑がある。
 本巻は明治新政府が諸外国から輸入した大砲などを軸に日清日露戦争で前線で活躍した兵器と、そのオブジェがある寺院、公園、記念館、墓地などを訪ね歩き写真に納めている。


 第二巻は「海軍」の装備、兵器システム部品、備品などだ。
この巻では、小栗上野介の業績が語られる。日本海軍といえば勝海舟、榎本武揚などの名前が出てくるが、旧幕府で、重要な役割を果たしたのは外国奉行、勘定奉行、海軍奉行、軍艦奉行を担った英傑。その一方で小栗は日本初の株式会社をつくったほど外国経験も豊富だった。若くして外務大臣、大蔵大臣、海軍長官だったことになり、薩長から恨みを買って慙に処された。
小栗を殺したのは明治新政府の失敗のひとつで歴史の汚点でもある。
 幕府海軍の朝陽丸に搭載されていたクルップ砲は函館の五稜郭公園に行くと飾られている。五稜郭へいくとすぐに分かる。
明治新政府は、その後明治二十二年にアームストロング砲を英国から輸入した。大東亜戦争では、このアームストロング砲に改良が加えられ、120ミリから203ミリとなって、日露戦争で「三笠」に積み込まれた砲は12インチ砲、305ミリとまさに巨砲化していた。
 これら海軍の兵器類は、グアムで、テニアンで、サイパンで。あるいは南太平洋からミャンマーへいたる「大東亜共栄圏」の戦場にそのまま野ざらしとなって、ラバウルに行ったときなど草原のあちこちにゼロ戦の残骸、まさしく「セロ戦闘機の墓場」となっていた。
 現在、呉の大和ミュージアムや江田島、周南市の「陸奧記念館」へいくと保存状態の良い装備品などを見学できる。


 第三巻は「艦船と艤装」の特集、「鎮遠」の碇まで飾られている。陳遠は日清戦争の威海衛で捕獲した敵の主力艦。当時、世界最新鋭で、清国が負けるはずがないと言われた。実態はといえば、練度不足、甲板に洗濯物を干し、船員は女郎買いにしけ込み、艦長は妾宅にいた。ましてや、砲弾をスクラップに売り払っていた。清国軍の腐敗は、体質的であり、シナ人のDNAだから、いまさらとやかく言っても仕方がないだろう。
さて帝国海軍の「陸奧」は原因不明の爆発事故で海に沈んだ。
近年引き揚げられ、その記念館が山口県周南市にある。評者が見学したときは、ほかに三人ほどしかいなかったが、隣接する公園には主力砲なども並んでいた。
特攻の魚雷艇を改造した爆装潜水艇「回天」は靖国神社境内に残る。


 第四巻は「魚雷、水雷缶」だが、ほうぼうの寺や神社の片隅でデンと飾られている場所が多い。
魚雷には種類が多く、靖国神社の展示室にもあったと記憶するが、呉市の大和ミュージアムには典型的なモノが多く展示されている。
 戦艦大和のミニチュアは、吹き抜けホールにあるが、上下左右から、そして三階からは全景が見学できる仕掛け、呉の沖合には江田島もあって、毎年かなりの見学者がある。


 第五巻で、感慨深き写真は「山田の凱旋門」だ(鹿児島県姶良)。
評者、ここにも行った。隼人駅で近現代史かの渡邊惣樹氏と落ち合って、加治木島津家ゆかりの精矛神社などを見たあと、一時間近いドライブ、山のなかにあった。
嘗て日露戦争に勝利したおりに、このような草深い村々から出兵した多くの青年らの凱旋と忠霊のためアーチ型の門があちこちに作られたのだが、いまはこの鹿児島の姶良と浜松市に残るだけとなった。だから貴重なのだ。このほか遼寧省瀋陽にある九一八記念館前の倒された石碑、宮崎市平和台公園の「八校一宇」の巨塔。
 いずれも評者、取材した場所なので、一層深い印象となった。
 
 この貴重なムック本の紹介ページは下記サイトです。
http://ki43.on.coocan.jp/hon/hon.html

帝国陸海軍現存兵器一覧 vol.1  陸軍火砲
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◆蘭式二十四斤加農砲◆正午号砲◆仏式十二斤加農砲◆仏式四斤山砲◆八糎クルップ野砲◆ブロードエル山砲(?)◆七糎野砲・山砲◆十二糎クルップ砲◆十五糎
クルップ砲◆戦利九糎加農◆十六珊克虜伯砲◆三十一年式速射野砲◆鋼製九糎臼砲◆戦利三吋速射野砲◆戦利十五糎加農◆三八式野砲◆三八式十五糎榴弾砲◆四一式山砲◆四年式十五糎榴弾砲◆改造三八式野砲◆八八式七糎野戦高射砲◆八九式十五糎加農◆八九式中戦車[イ号]・乙◆九一式十糎榴弾砲◆九四式三十七粍砲◆九六式十五糎榴弾砲◆九七式中戦車[チハ車]◆九七式 曲射歩兵砲・軽迫撃砲◆ボ式山砲◆九九式八糎高射砲◆九九式十糎山砲◆一式機動四十七粍砲◆三式中戦車[チヌ車]◆三式十二糎高射砲タイの九五式軽戦車[ハ号]
●B5版 表紙込94 ページ・本文モノクロ 


帝国陸海軍現存兵器一覧 vol.2  海軍砲熕
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆前装青銅砲◆鋳鉄二四斤加農◆朝陽丸のクルップ砲◆クルップ砲(七拇五)◆クルップ砲(七拇五)◆山内五糎砲◆安式十二糎砲◆安式十五糎砲◆安式二十糎砲◆安式八糎砲◆四十七密米保式軽速射砲◆安式三十糎砲◆安式十五糎砲◆露式十二糎砲◆露式五糎砲◆安式十二糎砲◆?式十五糎砲◆四一式十五糎砲◆露式二十五糎砲◆三年式八糎高角砲◆三年式十二糎砲◆三年式四十糎砲◆補用抑氣具格納筐◆三年式十四糎砲◆三年式二号二十糎砲◆四一式山砲◆十年式十二糎高角砲◆八九式十二糎七高角砲◆九六式二十五粍高角機銃
●B5版 表紙込94 ページ・本文モノクロ


帝国陸海軍現存兵器一覧 vol.3  艦船/艤装
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◆防護巡洋艦「橋立」◆水雷艇の被弾外板◆甲鉄砲塔艦「鎮遠」◆陸軍運送船「佐渡丸」◆「福井丸」◆駆逐艦「不知火(初代)」◆十字錨◆装甲巡洋艦「八雲」
◆装甲巡洋艦「吾妻」◆戦艦「三笠」◆駆逐艦「白露(初代)」◆特務艦「朝日」・戦艦「比叡」◆「第六号潜水艇」◆戦艦「香取(初代)」◆マスト「追風」「筑摩」「榛名」「明石」「しまね丸」◆一等戦艦「石見」◆戦艦「陸奥」◆重巡洋艦「利根」◆旧戦艦・駆逐艦「初霜」◆戦艦「長門」◆駆逐艦「雪風」「磯風(初代)」◆陸軍・護衛空母「山汐丸」◆缶・機関・操舵◆特殊潜航艇「甲標的」「海竜」◆「回天」「震洋」「レ艇」◆「伊号第三十三潜水艦」◆海防艦「志賀」◆コンクリート船◆特務艦「宗谷」◆特設病院船「氷川丸」
●B5版 表紙込96 ページ・本文モノクロ 


帝国陸海軍現存兵器一覧 vol.4  魚雷・水雷缶
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自働水雷◆三十六糎「朱式魚形水雷」◆三十六糎「保式魚形水雷」◆四十五糎「魚形水雷三八式」◆四十五糎「魚形水雷四三式」(?)◆四十五糎「魚形水雷四四式」(?)◆四十五糎「魚形水雷」(型式不明)◆五十三糎「八九式魚雷」◆五十三糎「保社製高速魚雷」(?)◆五十三糎「九二式魚雷 (改一)」◆五十三糎「九五式魚雷」◆四十五糎「九一式魚雷」◆六十一糎「九三式魚雷」◆四十五糎「二式魚雷」◆「九二式4連装水上発射管」(四型)
敷設水雷◆「二号機雷」(七十四糎)◆「露軍機雷」◆「球形浮標水雷缶」(九十二糎)◆「球形浮標水雷缶」(一一〇糎)◆「九三式機雷」◆「三式二号航空機雷一型」
●B5版 表紙込96 ページ・本文モノクロ 


帝国陸海軍現存兵器一覧 vol.5 碑表 形像
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牡丹江事件◆台湾出兵◆西南戦争◆義和団事件◆満州出兵◆シベリア出兵★尼港事件◆大東亜戦争ほか。
●B5版 表紙込96 ページ・本文モノクロ  

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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月13日(月曜日)弐
       通巻第6585号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~キーシュ島(イラン)を中国が25年のリース契約説、飛び交う?
  アーマドネジャット元大統領らが反対。「外国軍の駐留は許せない」
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 突然、浮上してきたミステリアスな観測情報がある。
 中国が、イランの南の海上(陸地から15キロ)に浮かぶキーシュ島を租借し、軍事基地化する。その条件として、中国は400億ドルの投資をイラン政府と約束し、25年間のリースとする内容だという。

 現実の話かと思われるのは、強硬派で知られるアーマドネジャット元大統領らが反対の声をあげ「史上最悪の合意」「外国の軍隊が駐留するなどと、イランの威信にかけても許容できない」と騒ぎ出したからだ。密約が存在するというのである。ましてや、中国の過去の「実績」(ハンバントタ、ジブチ、グアダール)をみれば、あり得ない話でもなさそうだが???

 この島はアレキサンダー大王の昔から、ペルシア湾の航路の要衝として知られ、マルコポーロの『東方見聞録』でも「キシ島」として登場する。交易で栄え、アラブとインド商人らが貿易の中継地として活用していた。
 現況はどうか、といえば、ここは「ペルシアのハワイ」「ホルムズ海峡のドバイ」である。見違えるような豪華ホテルは、ドバイを連想し、豪華別荘はハワイを思わせ、海上バンガローの群れはタヒチのようである。つまり完全なリゾート地である。
 
 たしかにハワイも、海南島も豪華絢爛たるいリゾートだが、巨大な軍事基地があり、享楽と軍事が共存しているところが多い。だからリゾートの軍港化は考えられないシナリオではないものの、宗教的狂信者の国家が、無神論の全体主義国家の海洋戦略のために、主権を放棄するような行為を取るだろうか?
 それが、唐突にでたキーシュ島を租借説への初歩的な疑問である。
   
集中連載 「早朝特急3」(第45回) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その4)  第四章 大英帝国の落日 

  ▼ビートルズ、シェークスピア、ブロンテ姉妹。その大英帝国の栄光と挫折

 夏目漱石はロンドンに留学中、神経衰弱を煩った。漱石の下宿先はザチェスと呼ばれる、いまでは大学町の一角にあった。中産階級の住宅地のど真ん中だ。
 ロンドンは世界一地下鉄が発達しており、駅の数が270.しかも料金が世界一高い。「クラファム・コモン駅」から大きな公園を斜めに横切り、二本目の路地を入る。緑が多く、雑音も聞こえない静かな街である。
 漱石の下宿先だった家の対面に篤志家が建てた「夏目漱石文学館」があるというので地図を片手に尋ねた。ようやく地番から探し当てた場所はドアが閉じられ、猫の額ほどの庭に竹が枯れていた。
 現場で工事中の労務者に聞くと「誰も住んでいない」とベルを何回か押してくれた。筆者はテレビを見ないので知らなかった。NHKニュースで「夏目漱石記念館」の閉館を惜しむ番組が放映されたそうである。下調べを怠ったため、時間の無駄となった。ただし、2019年にまた開館したと追加のニュース、調べたらコロナ災禍が終わるまで、また休館とか。
https://www.facebook.com/sosekimuseum/

 じつは我が家から近い新宿早稲田南町に新宿区立「漱石山房記念館」がある。散歩で二十分くらいなので、二度ほど行った。展示品はたいしたことはないが広い空間が瞑想の場、喫茶店と小さな図書館に売店。暇をもてあます人なら、時間を潰すのに良いかも知れない。企画展では正岡子規との交遊展などもあって、じつは四国松山の子規記念館に比べると、東京の漱石記念館は規模が小さい。子規記念館は鉄筋コンクリート、堂々の四階建てである。

 ▼想像の人物が記念館になった

 ロンドンでじつに対照的なのは「シャーロックホームズ記念館」だ。
 コナン・ドイルの名探偵シリーズはテレビ映画にもなって世界的ベストセラーだが、これは架空の物語だ。しかもベーカー通り221番地のホームズ探偵事務所は想像上の住所である。
 ところが好事家がいるものである。いまロンドンのベーカー通り221番地にシャーロックホームズ記念館があるのだ。
 驚くべし、一階の土産屋はファンでぎっしり、独特の帽子、パイプ、マントからシャーロックホームズとロゴがはいったネクタイ、灰皿、栞、メモパッド、ボールペンまで売っている。つられて筆者もバールペンを一ダースほど購い、記念館前で写真も撮った。 
 何時だったか英語塾を主催する松本道弘氏の勉強会で講演を頼まれ、塾に行くと、氏はシャーロックの出で立ちで現れた。

 こうなると英国文学の大文豪シェイクピアはどうなのか?
 彼は1564年、イングランド北部のストラトフォード・アポン・エーボンの生まれ、「アポン・エーボン」とはエーボン川の畔という意味で、川に遊覧船が浮かぶ情緒豊かな街である。牧歌的風景に心が和んだ。
 街の北寄りに生家がいまも残り、地区一帯にわんさか押し寄せる文学ファンと観光客で、この街は持っている。通りの両側には骨董品を扱う店が目立つ。
 (全作品を翻訳した福田恒存も、きっとこの館を訪れたのだろうなぁ)
 近くの公園には屹立するシェークスピアの銅像がある。ところがせっかくの巨像も頭の部分がハトの糞で白くなっていて靖国神社の大村益次郎の像と同じ被害にあっていた。

 ここまで凝ると、もう一ケ所、ブロンテ姉妹の街へも行こうと思った。
 イングランド北部ハワースという街である。
 『嵐が丘』を書いたエミリー、『ジェーンエア』を書いたシャーロット・ブロンテ姉妹の生家跡は博物館となっていた。エミリー・ブロンテが教鞭をとった学校、父親のつとめたカソリック教会はそのまま残り、敷地内には墓地が拡がる。
 記念館を見たあと、『嵐が丘』の現場と推定される曠野を見に行った。遊歩道が整えられており、ゆったりと坂道を十五分ほど登ると、なるほどヒースが生い茂り風が吹きすさぶ曠野が拡がる。牛や馬が飼われている。道路標識には日本語表記もあった。ヒースは曠野に植生し、シミやソバカス予防になる草花である。
 街は「嵐が丘時代」の情感が漂い、なにかしら駅馬車が通った宿場町のような風情だ。ケーキ屋、ベーカリー、カフェが目立つ。この街はブロンテ姉妹関連一色である。
しかし、この町もコロナ災禍でツアー客はほとんどいないだろうなぁ。
 
 ▼ならばビートルズの本場へ

 さすれば次は文学館とは異種だが、対照的な観光名所といえばビートルズが登場した港町、リバプールへも足を延ばそう。
 リバプールのマシュー・ストリートが「聖地」で、デビューを飾ったキャヴァーン・クラブとキャヴァーン・パブ。いずれも営業はやめているが、看板とポスター前で観光客が蝟集し記念撮影の撮影に興奮している。
 こうしたパブやキャバレーの犇めく狭い小路には、ビートルズの彫刻、銅像、ポスターだらけ。一本裏の道は歩行者天国となっていて朝から屋台がでている。
典型の「密集」地帯だ。
ここもコロナ被害はたいへんだったに違いない。
 リバプールの港へ行くと「アルバートドック」があって、巨大なショッピングモールを兼ねている。地下がビートルズ記念館だ。入場料が10ポンドもする。一階の土産ショップはビートルズのシャツやら帽子やら、何でも揃っていて日本人観光客が意外に多い。

 ▼リバプールからオックスフォードへ

 リバプールから南下して、チェスーから西へ向かうとウェールズ地方に入る。
 ウェールズは四つの王国連合である英国のひとつで、人口は全英国の8%しかいない。そのため政治的には疎外された地方だが、英語ではなくウェールズ語が公用語、道路標識から看板まで英語と併記されている。
 いまでこそ若い世代は英語のほうを先に喋るが、年配者のなかには英語が喋れない人がいる。スコットランドへ行くと英語が主力となって伝統のケルト語は忘れ去られたから対極的である。
 このウェールズの古都がコンウィという城下町だ。風情豊か、こじんまりと中世の雰囲気を醸し出している。
 英国にもこんな歴史的情緒を感じさせる城下町があるのか、という小さな感動があった。エドワード一世がコンウィ城を築き、長い城壁で四方に街を囲み、城下とした。イングランドから商人、職人を呼び寄せた。その名残りが市内の随所に残り、中芯部に聖メアリー教会がある。
 城壁をぐるりと一周し、でたところに英国で一番小さな家(スモーレスト・ハウス)があって内部も見学できる。
目の前は海、アイスクリームをほおばる若い家族連れが風に吹かれながら波止場を見つめていた。 
 
 ロンドンへ戻る途中、大学町のオックスフォードへ立ち寄った。
 今上陛下が皇太子時代の留学先だった。亡くなった渡部昇一氏もオックスフォード留学だった。
 寒い雨の日だったので暖かい珈琲を飲んだ。大学町だけあって書店が多く、新刊書も並ぶ。町を行き交うのは外国からの留学生が多く、とくに中国人留学生の夥しさには目を瞠(みは)った。
 ロンドンの天候は猫の目のように氷雨かと思えば雹(ひょう)に変わる。まるで英国の政局を彷彿とさせる。
 BREXIT(英国のEU離脱)という衝撃は世界の経済秩序への挑戦となった。同時にグローバリズムに対する英国民衆の反撃でもあった。この反グルーバリズムの動きが欧州全体に拡がり、フランスでオランダでナショナリズム勢力が強くなった。

 旧東欧諸国は軒並み保守系が政権を握る政治状況となり、昨秋には「アメリカン・ファースト」を強く訴えたトランプが大統領選挙で勝った。
 トランプをあれほど警戒したウォール街が株価高騰に転じたのは奇妙である。
 ところがグローバリズムを真っ先に言い出したのは英国なのである。つねに世界の規範モデルを提唱し、その先頭を走り、途中で不都合になると止める。それが英国の歴史的な習性だ。

 ▼英国は嘗て「日英同盟」のパートナーだった

 かの日英同盟を強引に提唱し、日本を巻き込んだかと思うと、不都合になれば、さっさと日英同盟を解消し、あげくに第二次大戦では日本に敵対した。
 EUから真っ先に逃げ出すのも英国だ。金本位体制を提唱し、やがて放棄したのも英国。
 その国際金融を支配するのがザ・シティだ。世界金融はウォール街が支配しているように見えるが、基本的な規範を策定しているのはいまもロンドンのシティである。この点で英国と米国は深く繋がる。
 日本の金融業界は銀行も証券も、シティに一大拠点を築いてきた。EUから脱退となれば関税特典などのメリットが失われるからエクソダスが始まり、自動車など日本のメーカーも工場の分散を検討している。トランプの米国がTPPからの離脱を表明し、メキシコ進出が無駄となりそうな日本企業の戸惑いがあるように企業人の決断は揺れている。

 だとすれば「BREXIT以後」の英国の現状を見ながら次に何が起こるのかの予測のポイントになるかも知れない。
 ロンドンを歩いて、強く驚かされたのはビルの建設ラッシュだった。
「?」。日本の報道とまったく違う風景ではないか。
 ザ・シティもピカデリーサーカスも、乗り換え駅で混雑するウォータールー周辺も新築ビルラッシュ、高層ビルのてっぺんにクレーンが唸っている。
 産業革命の嚆矢となった蒸気機関の発明も元々は繊維産業の合理化が動機でありEUへの加盟は農産品の輸出拡大が動機だった。
 各地をまわって緑豊かな牧草地、隅々まで開梱された田畑を見ると、英国は依然として農業大国でもある。
 英国は新移民のポーランド系をはじめインド系とナイジェリアなど旧植民地だったアフリカ諸国と香港からの大量移民で外国人労働者だらけである。

そして元気を失いつつあるジョンブル精神に代替するかのように活発な投資を敢行しているのが中国資本である。
 香港の李嘉誠グループも新都心開発、高級住宅地開発で大金を投じている。ロンドンのチャイナタウンの活況が、その凄まじい投資ラッシュを裏付けている。
 ロンドのチャイナタウンは横浜中華街ほどの規模にレストランが犇めき、ガラ越しの洒落た店は白人観光客が目立つ。地味な店は中国人が屯し、どちらかと云えば安くて美味しいうえ、中国語が通じる。紹興酒もあって「熱燗」も所望できた。
 嘗て七つの海を支配した大英帝国は政治軍事パワーこそ衰退したが、世界の経済ルールを主導するという矜持を失ってはいないと思った。

 ▼コロナ以後は

 武漢ウイルスはすべてをひっくり返した。異変は世界の隅々に拡大したのだ。
 ロンドンのピカデリーサーカス駅とレスター広場の間に拡がるのがチャイナタウン。およそ700店舗。横浜中華街並みの広さ、おおかたが中華料理レストランである。
最近は世界的な観光名物にもなって、昼飯時には近くのサラリーマンもランチをつまみに来た。シーズンともなると座れないレストランが多く、じっさいに筆者もこの町には三回ほど行っているが、どの店もごった返していた。そんなときはグループ客を取らない、中心から外れた店を選んだ。

 コロナ禍が襲った。
2020年の旧正月から客足が激減し、非常事態宣言前に80%の減少と言われた。英国が3月23日に非常事態宣言を出してロンドンが都市閉鎖となるや、人通りが絶えた。まるでゴーストタウンとなって、英国に移住してきた夥しい中国人が悲鳴を挙げた。テイクアウトの店は数軒だが、売り上げも多寡が知れていた。
 町は朱色のアーケード、街灯にはランタンがぶら下がり、何カ所かにブルースリーの銅像、壁の落書きも中国の武道家が多く、観光スポットとして客を引きつけたものだった。
 ちなみに全米に展開されているチャイナタウンも同様な被害に遭遇している。
一番大きい規模はNYだが、もっとも古いのはサンフランシスコの金融街に隣接するチャイナタウンだ。150店舗の中華料理レストランがあるが、80店舗は閉鎖されたまま。九月始業式になっても、留学生が戻る可能性は低く、チャイニーズの母国で発生したコロナ災禍が、まさか海を渡って移住先にまで襲ってくるとは。
       
   ♪
(読者の声1)閻麗夢博士の証言は「時間軸と符合する」とゴードン・チャン氏は
FOXニュースの番組で語った(7月10日)。
これは香港大学公衆衛生学部の研究員、閻麗夢さんが米国に亡命し、「中国は12月31日時点でウイルスがヒトヒト感染することを知っていたのに隠蔽しつづけた」と証言したことを踏まえたはつげんです。。
ゴードン・チャン氏は『やがて中国の崩壊が始まる』などの著作で全米で有名、日本版の翻訳も弐冊あります。
彼はこう言いました。
「閻博士は香港の同僚と中国国内の医療関係者が1月になって態度を急変させたと指摘している。これは中国が事実を隠蔽したタイムラインと合致している。彼女の発言内容は我々が把握しているほとんどの情報、とくに1月にWHOと中国の行動についての情報が正しいことを証明するものであり、傾聴に値する」
チャン氏は続けて、「WHOは中国に専門家調査団を派遣し、中国と3回目の会議を行おうとしている。だが武漢には行かずにただ中国がこれまで主張してきた経緯を強調するに過ぎないだろう。武漢P4で何が起きたのかを知られないようにするため、人々の関心をそらせようとしている」と語った。
これは、「米国亡命の武漢ウイルス研究者 フォックスニュースで証言」として、米国亡命の武漢ウイルス研究者 閻麗夢氏WHOが人から人の感染隠蔽暴露証言です。
https://youtu.be/PKBqvr0SkfA
  (一読者)

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(読者の声2)梅雨の蒸し暑さが続きます。いかがお過ごしでしょうか。
 下記要領で講演会を行います

1.日時 令和2年7月19日(土)13:30~16:30 
               入場・受付13:15~
2.場所 文京シビック5階 会議室AB 
     (東京メトロ後楽園駅、都営地下鉄春日駅、JR総武線水道橋駅)
3.演題 孝明天皇と奥の院(国際金融資本)その3
4.講師 吉重丈夫(大阪竹田研究会幹事長、素行会維持会員、日本の正史研究)
5.会費 千円(資料代)予約不要 【学生無料】
6.主催 奥の院研究会
7.連絡先 【大東】090-8209-4809、メールdaito422@gmail.com
8.その他 マスク等ご用意下さい。消毒液は準備いたします。
   (奥の院研究会)
 


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月13日(月曜日)
       通巻第6584号  <前日発行>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~そんなに急いで香港をでることはない、移住先の条件をよく吟味しよう
BNO(英国籍海外居住者)すでに35万人が申請し取得。毫も条件を大幅に緩和
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 香港の国家安全法施行と、安全維持公署が事務所開き、香港の自由、人権は風前の灯となった。昨年の香港大乱以来、多くが香港を出国した。
 統計を警察の務犯罪証明書の発行枚数でみると2018年がおよそ二万枚、2019年は33252名。ことしも七月半ばまでに2782名、六月は1711名だったから、確かに増えている。書類の準備は着々と進んでいることになる。

 国家安全法直前から移民相談所の電話は鳴りっぱなし、訪れて相談に乗る客の合間に電話に対応できないから、秘書のいない事務所は電話も繋がらない状況という。

 英国はBNOを300万枚発給の準備があるとし、すでに35万人が申請した。このBNO(「英国籍海外居住者」)という特別のパスポートで、従来は英国に半年滞在が認められたが、新規の条件は五年間の滞在が認められる。特殊技能をみにつけた者には五年後に審査があり、永住権が付与される。毫も学生ヴィザを五年有効に切り替えた。

 カナダはすでに香港人で飽和状態、穴場はニュージーランドだが、中国への態度に煮え切らないところがあり、香港人は敬遠する。むしろ台湾に政治保護を求めるほうが手取り早い。

 香港をいずれ出る意図を持つほとんどの香港人は、これまでとは打って変わって「急ぐことはない。相手国の条件をよくよく見極めてから決めよう」という腹づもり、資料を取り寄せ、具体的な計画や、マンションの処分、引っ越し準備などコスト計算に余念がない。
そして香港には親中派いがい誰もいなくなる?
    
集中連載 「早朝特急3」(第44回) 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その3)   第三章 南アフリカ

 ▼黒人政権以後、経済は微増したが、貧富の差はそのまま。鉱山ビジネスが突出繁栄

 まったく地球の裏側、しかも南半球の突端が喜望峰だ。
 面積は日本の三倍以上、人口は5700万強。鉱物資源、とくに金鉱が外貨を稼ぐ。
 香港まで四時間半。そこでキャセイ航空の直行便に乗り換え、ヨハネスブルグまで十三時間弱。まさか治安の悪い南アへの旅客など少ないに決まっていると考えていたら、どっこい中国人で満員だった。
 筆者は1985年にもヨハネスバーグへ飛んだことがあり、二回目の南ア行きだが、およそ三十年ぶりの再訪では、様変わりの風景をみることになった。三十年前の南アの華僑と言えば台湾人だった。
 いまや、中国人ツアーばっかり。観光客は北京、上海、杭州はもとより西安や青島、厦門などあらゆる地方から香港へでて乗り換えるのだ。だから機内は五月蝿くて眠られないほど。
 まさに日本に押し寄せる蝗の大群、中産階級が大挙して世界の隅々に出かけた。だからコロナ災禍も世界中に拡がったのは当然といえば当然の結末だろう。

 南アは地政学から見ても、遠い中国の脅威などあるはずもなく、ひたすら中国からの投資を待っている。したがって反中国感情は稀薄である。旅行業界のみ、そのマナーの悪さを嘆いているくらいだ。
 唯一例外はエリートビジネスマンの読む『ビジネス・ディリー』紙で、その社説に「南アは一人あたりのGDPが一万ドルを超えて民主化された。中国はまもなく一万ドルを超えようかというのに民主化にはほど遠い」と痛烈に皮肉っていた。
 さて南アにイメージと言えば、日本における印象は決して良いとは言えない。
 嘗て米国はANC(アフリカ民族会議)をテロリスト組織と位置づけていた。マンデラは孤島に閉じこめられて幽閉されていた理由も武装暴力集団と米国が定義づけたANCの指導者だったからだ。
 その想い出は遠くなった。南アではANCが昔日、ネルソン・マンデラに象徴されるアパルトヘイト撤廃運動の中心翼だったことを若い人は知らないし、殆ど関心がない。
 獄中からでてきたマンデラはアパルトヘイト撤廃後、初の黒人大統領となって就任式を当時の国会だったユニオンビルで行った。
 ここへ行くと、ユニオンビル前の公園に巨大なマンデラ像が屹立している。しかし金日成、金正日親子のように崇拝し、拝む姿もなければ遠足で来る小学生も仰ぎ見る姿勢はなかった。野外教育で小学生にマンデラの功績を教師は懸命に説明しているが、こどもたちは外国人観光客のほうに視線を寄せる。
 そればかりか現段階の国民の認識でANCはマンデラ亡き後、ムベキ、ズマと大統領選挙に勝利してきたが、いつしか独裁権力と汚職が広がり、とくにズマ大統領は不適切という声が強かった。
 脱線して、このズマ大統領という勢力絶倫の暴れん坊について書き足しておくと、ズマはまずズールー族、六回結婚し、ほかに愛人に生ませて認知した子供が20人。腐敗の権化と非難され、豪邸にはプール。あまりのことに罷免され、裁判となった。
 しかし過去にはロベン島の監獄に十二年、釈放されても武装闘争にあけくれ、モザンビークに追放された。
このような輝かしい闘争活動家も権力を握ると、腐敗してしまったわけだ。
2020年現在、シリル・ラマポーザが大統領である。

 ▼治安悪化で外国から投資が停まっていた

アパルトへイト撤廃から四半世紀、南アは劇的な変貌を遂げていた。やはり現場に立たないと分からないことがあるものである。
 メディアはと言えば、テレビは地元の英語放送に加えて英国BBC、米国のNBC、CNN、カタールの「アルジャジーラ」の英語放送にくわえて中国のCCTVが入る。けれどもNHKは映らない。
 新聞は日欧米のような総合的な媒体はなく、娯楽とスポーツがほぼ全てのニュースだ。競馬新聞、株式新聞などのように特化されたものばかり、この国の政治論議はどうやら口コミに頼るようだ。
 ヨハネスブルグとプレトリアの町並みを見た限りでは幽霊屋敷のように建設途次で工事を止めたビルが目立ち、そこら中のビルは「空室」の表示が多く、不動産景気は下落している。投資が停まっているのだ。
 とくに首都のプレトリアは人口構成で白人が過半数をしめるが、高級住宅地の需要は後退しており、商業ビルも建設は下火となった。
 対照的にケープタウンでは建設ラッシュが続き、「空室」は極めて少ない。そのうえ新築マンションなどの工事現場では、朝六時前からクレーンが動き、コンクリートミキサーがうなりを上げ、労働者が働き出している。
 ガイドにやって来たのは在留日本人女性だった。彼女によると、「夜は外出しませんね。商社の駐在員でも一年ほど経って慣れたなと油断がでたら必ず強盗被害にあっていますから」と治安問題を最初の問題とした。南ア全体で駐在日本人は千二百名くらいで、NHKが入らないのも無理はない。日本料亭はヨハネスブルグに一軒しかない。
 強盗犯罪が多発するのは信号で車が停車したときに闇から現れて襲撃するケースが多いという。

 筆者が最初に南アへ行ったのは1985年だった。
 国連の決めた世界青年年(IYY)のヨハネスブルグ大会で「日本代表」に選ばれたためで(当時、39歳。「青年」の上限年齢だった)、まだアパルトヘイト真っ盛りの頃だ。國際会議では登壇した米国、欧州代表がさかんにアパルトヘイト撤廃を叫び、アジアの代表はどちらかというと「内政干渉にあたるから」と発言を控えた。
 ところがアフリカ周辺国からの参加者は、当時のレーガン政権の肩入れもあって反共、反ソ連の武装勢力、ゲリラの代表などが「自由陣営」を名乗って来ていた。出自や身分も調べず「反共、反ソ連」であれば、物騒な武装組織でも構わないという無節操ぶりだった。
 アンゴラのウニタなどは機関銃で闘うポスターを持参しており、先進国代表団とは意見を異にした。
アフガニスタンからもソ連と闘っていたタリバンの前身組織代表らが、さかんにアンゴラのウニタ代表と「戦争が先に終わった方から武器援助しようぜ」などと本気なのか、冗談なのか分からない会話も飛び交っていた。
 プレトリア見学は会議の前に日程が組まれており、また夜はサンシティというカジノの町に案内された。ヨハネスブルグのホテルで、たまたま筆者が誕生日と重なり、参加者がケーキを頼んで祝ってくれたことだけは鮮明に思い出すのである。
 あれから三十五年、アパルトヘイトはとうに廃止され、民主選挙が実施されて黒人政権が誕生した。ならばさぞ民主化されて平和が訪れ、そして経済的に繁栄し、人々は平穏な暮らしをしているのか?
 現実は民主化こそ形骸的に実現できているが、経済は全体的に調和が取れず、鉱山主体のビジネスは繁栄しているが、失業率は30%、そして治安は極度に悪いため外国人旅行社には「夜、ホテルから出ないように」と通達が出ている。近くのスーパーに土産を買いに行くのもホテルから送迎バスが仕立てられるほどだ。

 見えない差別が続いている。
 黒人居住区は相変わらず残存し、トタン板で無造作に組み立てた家にすむ貧困地帯がある(ただしパラボラアンテナが林立していた)。かと思えばビジネスであてた黒人は豪邸に住み、BMWを乗り回している。一流ホテルのバアへ行くと分かるが、大袈裟に呑んでいる多くは黒人である。
 昼間、道を歩く人もみな黒人である。白人もアジア系もいない。
 プレトリアで雇ったガイド(ギリシア系の白人女性)に聞くと、「そうよ、白人はたいがいが自家用で通勤しますから歩いている人はいない。黒人は住んでいるところから違う。差別は厳然と残存しているわ」
 さてヨハネスブルグと、プレトリアでは「ジャカランダ」という藤色の花々が綺麗に咲いていて、日本の桜のように見事である。しかし花見客もなく、屋台村もない。花を愛でるという習俗はないようである。この南アを象徴する草花はブラジルから百年前に移植され、あちこちに十月の1ヶ月だけ綺麗な花を咲かせる。
 ところが並木道の両脇が高級住宅地で、驚いたというより呆れたのは鉄条網に電流を通し、警備会社のカメラや警報ベルの装置。ARMED REACTION(武装警備員が即応する)と大書されていたことだった。やはり治安は想像した以上に悪い。
 
 ▼ケープタウンも、喜望峰も風が滅茶苦茶に強い

 ケープタウンは典型の港町である。
 ヨットハーバーには金持ちが集まり、観光名所のテーブルマウンテンが郊外に聳える。
 運悪く、筆者が行ったときは風が強く、ケーブルカーが運休。下から仰ぎ見ることとなった。それでも中腹の台地からケープタウンの町全体が見渡せる。夜景はきれいである。
 近くにワイナリーがあるというので出かけた。
「グルート・コンスタンシア」という醸造元には宏大なぶどう園が拡がり、中央部に試飲設備と土産物売り場がある。
 ここで五種類のワインを試飲したが、美味。さっそく三本購った。やっぱり中国人ツアーで満員だった。一本はワイン通の河添恵子さんへお土産。
 またサファリが催され、四輪駆動に乗り換えて広い園内(たとえばクルーガー公園の広さは四国に匹敵)をめぐる。シマウマ、ヌー、インパラ、象、キリンなどを間近に見た。
 筆者は動物、植物の豊かな景色より、南アの人々の生活に興味がある。
 ケープタウンの港には豪華ヨットが無数に係留され、隣接するショッピングアーケートは三階建てでブランド品のブティックが並び、地下にはスーパーマーケットが入っている。品物が豊かで、とくに食品とワインが山積みになっている。
 酔っぱらいが買い物の列に並んで奇声をあげていても誰も注意しない。なるべく関わり合いになりたくないということだろう。
 さて南アにやって来たのだから喜望峰を見なければいけない。町から三時間近いドライブで、先端へ行った。強風が続くため、草木が斜めに育ち、独特の木木や植物が生息している。
 ケープポイントを見たあと、Uターンをして北上すると通り道にサイモンズ・タウンという保養地として有名な場所がある。民宿も多く、独特な観光地でレストランも美味い。
 ここから二十分ほどの場所「ボルダーズビーチ」に生息するペンギンは身長が60センチほどの小型で、砂浜に数千頭。
人なつっこく、よたよた歩きながら砂道を上ったり寝そべったり、この場所も世界中から観光客が集中するため合唱隊やら、名物のアロエの美容液、クリームなどを売る店が軒を競っていた。平和な一面もあって、ホッとしたのである。
   
  ♪
樋泉克夫のコラム 
@@@@@@@@   【知道中国 2101回】             
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘61)
「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

        ▽
 橘に依れば「理論的には所謂王道思想を其の根據」とする「孫文氏の大亞細亞主義は、要するに白人勢力との對抗を意味するものであり、第一義としては西洋文化に對して東洋文化を強調するにある」となる。

 以下、橘は孫文の演説を引用しつつ、自らの考えを綴った。
 ──西洋人は「西洋以外に正しく且つ高い文化は人類の間に發生し得ないと信ずるのである」が、西洋文化の本質は「專ら武力を用ゐて他人を壓迫する」ものでしかなく、「我々東洋人が昔から輕蔑するところの覇道文化に過ぎない」。「覇道は其の文化的價値に於て王道の下に位すべきものである」。だから孫文は「窮極は西洋文化は東洋文化に對して席を讓らなくてはならぬと斷言する」。

「孫氏に據れば、亞細亞の文化は王道文化であり、王道的文化は道?を以て人類を感化するところの精神的文化であり」、それゆえに「功利を第一義とするところの歐洲の物質文化と對立するものである」。

 孫文は王道的文化と覇道的文化の違いを異民族待遇の違いに求め、かつて中国に服していたネパールは英国に征服された後も、「民國元年に至る迄中國に來貢することを怠らなかつた」ことを例に、中国の王道の感化力が如何に優れているかを説いた。

 だが史実は孫文の説明とは異なっている。
じつは乾隆帝57(1792)年に清朝軍がヒマラヤを越えてネパールを侵略した結果、ネパールが清朝に対し朝貢の礼を執ることになったわけであり、民国元年に朝貢を取り止めたのは、この年に朝貢すべき相手である清朝が崩壊したからである。つまり清朝は王道を以てネパールを遇したわけではなく、ネパールもまた清朝が示す王道に応えたわけでもない。有態に言って清朝が強大だっただけだ。

 ここで橘は「孫氏の所謂王道外交が必ずしも仁義道?乃至感化に終始して居るものでないことは明白であ」り、「特殊の場合殊に中國の國力が強くなつた場合には決して武力を用ゐるに躊躇しなかった」とした後、孫文の主張は「單なる孫氏の主觀に止るか、或は學者の理論や?史家の潤飾を無批判に受け入れた結果」であり、「幻想を描き出したものに過ぎない」と記す。

 最後に「日本民族なる諸君は、既に歐米の覇道文化を攝取し、且つ亞細亞の王道文化の本質を具有するところの民族である。今後諸君は世界文化の前途に對して
西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、諸君の愼重なる撰擇を望む所以である」との孫文演説の最終部分を引いた後、日本は「孫氏も稱讚して呉れた通りに、東洋文化の本質に加へて西洋文化の手段を、何れも不充分ながら具備して居る」から、「東洋文化即ち孫氏の所謂王道が西洋文化と對等或は其れ以上の價値を具有するものであれば、我々日本民族は『王道對覇道』の戰に喜んで先陣を承ることが出來る」と結論づけ、「王道論の註釋及批評」と題し、「王道なるものが果して何程の價値を持つか」に論を転じた──

 ここで「王道論の註釋及批評」に移る前に、現時点での疑問を記しておきたい。
はたして東洋=王道=「道?を以て人類を感化するところの精神的文化」であり、西洋=覇道=「功利を第一義とする」「物質文化」と固定的に捉えて正しいものか。濃淡の違いはあれ東洋にも覇道があれば、西洋にも王道があったはずだし、また、そう考えるべきだろうに。
  たとえば現在の「專ら武力を用ゐて他人を壓迫」する習近平政権を見れば、「中國の國力が強くなつた場合には決して武力を用ゐるに躊躇しなかった」ことが納得できる。たしかに習路線は「道?を以て人類を感化するところの精神的文化」ではない。
 やはり王道である東洋は覇道に奔らずという固定観念こそが大問題なのだ。
      
   ♪
(読者の声)貴誌前々号の「キューバ寄港」を拝読し、非常に懐かしく思いました。撲の体験録があります。
 十年前でした。ほとんどまどろむだけの浅い眠りの後、早朝トロントを発って3時間でカリブのハバナに到着。タクシで25ペソ(米ドル30)にてメリア・コヒバ・ホテルへ。この国は外貨に換えられる兌換券があり、通常の通貨の1.3倍、従って通常の共産圏のように闇外貨ドル買いがいない。
 いちいち現地通貨に換えねばならない不便が逆にある。早速、半日観光バスで四時間弱ハバナをまず嘗めた。面白いのはカストロの像がどこにもないのである。像は19世紀の偉人や20世紀初頭の革命家だけであり、それを取り囲んだ美しい広場がある。チェ・ゲバラは内務省に似顔絵の壁画があるだけで、このあたり共産圏の個人崇拝のいやらしさがないのが面白い。
 街並みはスペイン統治時代の美しいコロニアルが残っており、残念なのはメインテナンスされていないので荒れ放題であることだ。
 嘗てカリブの島々を訪問したが、さすが王者キューバの風格はそのコロニアルが品格を保っている。しかも共産主義の東欧やソ連のようなドグマティックな建物がないのも幸いである。勿論材料難で新しい建築もシャビーであるし、メンテナンスが悪いので鋪道なども荒れている。それがかえって共産主義やアメリカニズムの軽薄さがない。
 アメリカ人はキューバ渡航を禁止されているので観光客の中心はカナダ、それにスペイン、そしてドイツ・イギリスが中心である。シナ人や朝鮮人も見かけない。今のところ日本人も皆無である。
 はじめての夕食は、疲れていたのでホテルのイタリア料理、カラマリのフライ(これが塩ぱく脂臭い)。そして豚のソティ、食事のたびに憂鬱になる前兆かと思うとお先真っ暗である。
 三日目にハバナから往復600キロのサンタクララまでタクシーを200ペソ(240米ドル)で借り切って、7時間強かかったが、道路は完全といわないまでも整備されており、優に100キロは飛ばせる。非常事態に備えて中央分離帯をなくし戦闘機が着陸できる直線距離もある。途中立て看板が面白い。すべて反米に結びつき、傑作はブッシュの顔の上にテロリストと印字のあるもので、まさにイラク戦争やグアンタナモ拷問設備などで、キューバ人の心理の現れであろう。
 サンタクララはチェ・ゲバラが革命の勝敗を決めたバチスタ政権の東方でカストロが戦っている戦線の政府軍向けに銃弾薬を積んだ列車を転覆・強奪し、革命を決めた重要な戦いの場である。
 映画『チェ』の第一部でもこの戦いは描かれている。
 ゲバラの大きな記念碑があり博物館まがいのものと慰霊室がある。実にゲバラの雄大で品格ある彫刻で、共産圏の毒々しいレーニン像・スターリン像・それに金日成像などとは根本的に異なる出来である。博物館は狭い部屋にチェの生い立ちの写真が並んでいるだけであり、慰霊室は同志とともに祀られている。写真禁止と書いてあるが、撮影をしていたら大悶着となった。
 東京からこうしてわざわざ慰霊に来ているのに失礼だと怒鳴って反駁、とうとう警察官が出てきた。取り調べかと思いきや、警官は軟弱な二枚目だった。振り切った。
 鉄道強奪現場を見学当時のブルドーザーなど貨車に貧相な展示があった。映画の場面と重ね合わせると、いかにも革命の雰囲気があった。
 サンタクララは僕がまだ会社に入ってまもなくプラント輸出として破格の217億円のサブライヤーズ・クレジットで東洋紡の技術で、当時南米最大で最新鋭の16百万スピンドルの紡績プラントを納めた。完成は1979年。
タクシーの運転手に捜させた。門番は日本人の協力など聞いたことがないと、それでもしつこく粘り技術陣の事務所に押し掛けたら、過去のことを知った、片言の
日本語ができ、当時の仲間の部屋に案内してくれた。三人とも6か月関西でトレーニングを受けていた人々で、だれだれはどうしているかなど僕も旧知の関係者の名前が出てくるわ出てくるわ。あいつは大酒のみで死んだんじゃないか等どいい加減な話をした。当時、日本へキューバから60人ほどが、トレーニングに行った。しかし今は数えるほどしか残っていないし、工場は生産していないらしい。日本人はアンドロメダが好きだろと大声で合唱する始末。
 このプラントの延べ払いは焦げ付き、結局、日本政府の貿易保険でカバーされた。ということは、ただでキューバに納めたことになる。
とはいえ、下らない援助金を与えるよりこういう工場のメンテナンスや技術援助でガンガン政府資金を与え、日本人に対する尊敬を持たせる外交こそ意義があるのではないか。
日本人などあれ以来一人も来ない由。そんなわけでサンタクララは僕の若い時代へのノスタルジーを掻き立ててくれた。
  (奥山篤信)

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(読者の声2)海上保安庁の尖閣諸島専従巡視船の乗組員が、新型コロナウイルスに感染していたというニュースがありました。
クラスターが発生したのは鹿児島市のショーパブ「NEWおだまLee男爵」、なんともすごいネーミング。いわゆるニューハーフショーが売りの店で鹿児島の人なら知らない人はない有名店らしい。
 鹿児島といえば学生時代に鹿児島出身者が関東はストリップが高いと文句をいっていた。当時は3000円が相場だったでしょうか、鹿児島は800円だと自慢する。夏休みに友人たち三人で九州一周旅行をしたとき桜島からは白・灰・黒の三色の噴煙が上がっていて本当に火山でいつ爆発してもおかしくないと実感。鹿児島市内で驚いたのがストリップ劇場の宣伝カーが走っている。宣伝文句が「健康のため週に一度はヌードを見よう!」、入場料が800円なら毎週でも通えます。男なら女の裸を見たいのは当然ですが「健康のため」というのがなんともいえない趣がある。
 日本は江戸時代から武家はピューリタンと似た厳格さだったのに対し庶民は性に対しておおらかでした。
小学生のころ通学路には成人映画の看板があったり漫画では永井豪の『ハレンチ学園」がありました。ハレンチ学園はスカートめくりが非難されたりしましたが、今読み返すと積立金をくすねたり女子児童の身体検査に女装して潜り込もうとするなど教師のほうがよほどひどく描かれていて大人の偽善を描いたのが人気の理由の一つだとわかります。
漫画では定番ネタの修学旅行での女湯のぞきも男子が返り討ちにあうまでがお約束。アメリカンコミックはキリスト教のうるさい連中があれやこれや文句をつけつまらなくなったという。LGBTだの人種差別だのアメリカで勝手に騒いでいればいい。日本には余計な騒ぎは持ち込まないでほしいものです。
 (PB生、千葉)
      


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月12日(日曜日)弐
       通巻第6583号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~エルドアンのナショナリズム、こんどはアヤソフィアをモスクに
  欧米は衝撃を食らったが、自国ファーストで何が悪いのか?
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 欧米のメディアはトルコのエルドアン大統領を酷評し続けてきた。
一時は世界秩序の厄介者のように扱った。しかし西側の批判など何処吹く風、トルコはNATOの重要メンバーであるにも拘わらず、上海協力機構(SOC)に加盟し、リビアとカタールに派兵し、シリア内戦では鵺的な軍事行動を取った。

プーチンとは馬があう。ロシアのパイプライン敷設を積極的に推進し、ついにはロシアのミサイル防衛システムを導入した。
そのうえでエルドアン大統領は平然と訪米し、トランプと対等の立場で会談するほどの政治力を発揮する。民主、人権の西洋的価値観を奉ずるトルコ人からは目の仇だが、国内ではなかなかの人気を誇る。

 7月11日、トルコ政府は最高裁判所の決定を受けて、世界遺産のアヤソフィアをモスクとすると発表した。トルコナショナリズムが、グローバリズムとの訣別を宣言したような画期的な出来事である。

 トランプはアメリカファーストを標榜し、列強も「国際秩序」を看板に掲げながらも、実質は自国ファーストである。自分の国の権利を優先させるのは常識である。しかし国際社会の常識が通じない日本だけは「ジャパンファースト」ではなく、「国連ファースト」の夢遊病に罹患している。

 エルドアンのナショナリズム、最初は目立たなかったが、トルコの大学すべてにモスクを設置したあたりから芽を出し、クーデター未遂事件では、直後に10万近くの軍人、政治活動家、教職員らをパージし、権力基盤を固めた。

 トルコの歴史教科書はエルトゥールル号遭難のことを教えるので国民の大多数が親日的だが、史実として六世紀の「突厥」建国をトルコの始まりと教えている。トルコの国名はチュルクに由来する。
 
 アヤソフィアはもともと東方正教会の荘厳な建物だった。コンスタンチノーブル(今のイスタンブール)陥落以来、紆余曲折を経て、宗教混在の博物館として登録し、世界遺産となっていたが、エルドアン政権は、これを正式にモスクとしたのだ。

 ▼これはトルコの国風運動ではないのか

 欧米はトルコの行動を苦々しく思いながらも、NATO海軍は、その本拠がトルコのイスタンブールにあり、また地政学的には地中海への出入り口であるポスポラス海峡を扼しているために、ロシア軍事力の抑止力として、大いに活用してきた。トルコ軍は38万、精鋭は内務省直属の部隊だ。

 欧州勢はトルコのEU加盟には多くの理由をつけて、一貫して難色を示してきたが、トルコを西側陣営にとどめ置くために、制裁を口にしながらも実質的なことは行っていない。むしろトルコへの直接投資を増やして、トルコ観光ではドイツを筆頭に欧州から一千万人前後がカッパドキアなどトルコの観光地を回っている。

トルコはエルトゥールル号に義援金を運んだ山田寅次郎に若者の教育を依頼したが、その教え子のひとりがケマル・アタチェルクだった。アタチュルクは日本の明治維新の成功に倣い、トルコの近代化・西洋化路線を歩んだ「建国の父」である。

だからエルドアンのモスク回帰を短絡的にアタチェルクの西洋化近代化路線否定ととる向きもあるが、ちょうど明治維新の近代化西洋化路線が鹿鳴館でピークを打ち、その後、国風が吹いたように、トルコに国風が本格化したという文脈でとらえるべきである。

イランで日本人が取り残されたときに、救援機を飛ばしたのはトルコ航空機だった。
ポスポラス海峡に海底トンネルを掘り、イスタンブールの地下鉄を東西につなげたのは日本の援助だった。地下鉄の駅には、ちゃんと日本の国旗が飾られている。
駅の出入り口の大型スクリーンには地下鉄開通式典に安倍首相が出席した場面を流している。これらを筆者はカメラに収めてきた。
西側のメディアが嫌うエルドアン、じつは日本は彼に学ぶ点が多いのではないのか?
    
集中連載 「早朝特急3」(第43回) 
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第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その2)   第二章 チリ 

 ▼南北に長ーい国は北にインカ文明が残り、南部はパタゴニアの大自然

 チリは南北に長い。異形に長い国である。
 南北の距離、じつに4329キロ、東西の幅は平均175キロ程度だから、その国土のかたちは地球上のどの国にもみることのない形を成している。北のペルー、北西にボリビアと僅かに国境を接するが、大部分は間に横たわるアンデス山脈が風土と文化をアルゼンチンと国境をわけた。
 サンチャゴに入ると街がどんよりとした薄もやのなか、視界が開けず、南米一高いという自慢のノッポビルも白々と霞んでいた。
朝靄ではなく、折からの山火事の影響でもない。山火事は日本でもちょっと報道されたが、数ヶ月燃え続けた。カリフォルニアの山火事のように延々と燃え続けて火の勢いが風を生み、その風に乗って地をなめるようにさらに燃え広がる。
 2017年の山火事は焼失面積、じつに40万ヘクタール。周辺国ばかりかアメリカも消化ヘリをとばして沈下作戦に協力した。日本政府もJICAを通じて消化剤を送った。宏大な森林が灰燼に帰して木製、チップの輸出産業に大打撃を与えた。

 縦横に走るハイウェイ、行き交う新車を見る限り、チリは立派な先進国ではないか。調べてみるとGDP成長率は6%台もあり、一人あたりのGDPは1万3000ドルだ。地上300メートル、95階建てで「グランタワー」と呼ばれる高層ビルが建つあたりが新都心、ビジネス街である。
こうした近代的な高度成長の副産物が排気ガスだ。どんなに好天でも立ち並ぶ高層ビル群が白く靄ってみえるのはいつものことという。
 
 チリと言えば地震国、と連想する向きも多いのではないか。日本にも何回かやって来たそのTSUNAMIの影響は記憶に新しい。それでも最近の「チリ」は日本の公務員を騙して大金をせしめた売春婦のアニータ、またフランスで日本人女子留学生が失踪した事件の元彼が逃げ帰った国、などと芳しくないことを思い浮かべるかもしれない。
失踪した女子学生、筑波大学では畏友、古田博司教授の教え子だった。
 首都のサンチャゴに十数年住むという日本人女性ガイドは「アニータは何億円だかを馬鹿な日本人男性に貢がせ、それをウリにいまではテレビタレントです。日本の男はチョロイって、売春を誇りにしています。あんな女性がチリ女性の典型と誤解されてはたまったものではありません」と憤った。チリ人は一般的に陽気で、人なつっこいとされるが国民の80%近くがカソリックを信仰する国であって、売春婦を威張らせておくような国情はやはりどこかおかしい。
 チリの人口は1800万人、台湾より少ないのだ。しかもその三分の一にあたる600万人が首都サンチャゴに集中しているというから台北より人口稠密である。
 在留邦人は僅か1800名なのにニッポンというホテルがあり、金太郎、将軍、そしてハポン(日本)という日本料亭もある。寿司バアは数えきれず、日本人気を伺わせる。日本との交易史は意外に古く、1897年の日本チリ修好通商航海条約以来というから、すでに123年になんなんとする。
サンチャゴの下町を歩いても、中華料理、韓国焼き肉レストランを見つけきれなかった。そういえば中国人観光客にもひとりとして出会わなかった。

▼チリワインはとうにフランスワインを抜いている

 さてチリといえばワイン。フランスなどヨーロッパの産地をしのぐ味、としてチリ産のワインが脚光を浴びはじめたのは十数年も前からだが、2020年統計で、とうとうチリ産がフランスを抜いて、日本ではトップとなった。
ワインはよく呑むから、チリは農業国、良質の葡萄栽培、そして銅鉱山の国というくらいは知っていたが、個人的にはもう一つ、アジェンダ政権の時の苦い想い出がある。

 1970年、投票によって合法的な左翼政権が誕生するという「保革逆転」がチリでおこった。
 当時、日本でも共産党の躍進があったため選挙で全体主義政党が政権を握る可能性が皆無ではなかった。この恐怖のシナリオがチリで現実のものとなったことに不安を感じ、企画を担当していた出版社から『保革逆転』という本を出し、チリを訪問した直後の曾野綾子さんらのルポを載せた。
 CIAが背後で使嗾しているというクーデターの可能性に怯えたサルバドール・アジェンデ大統領は、こともあろうに大統領府に武器弾薬、機関銃をひそかに貯蔵し、武装蜂起して共産党一党独裁を狙った。抜け道、隠れ道、密室が造られ、大統領宮殿はまるで軍事要塞となっていた。
 アジェンデはもともと医者出身だったが、チリには富裕層の企業独占より国有化が望ましいと社会主義計画政策を強行した。
愛用の拳銃はカストロから贈られたものだったが、武装蜂起に失敗し、この銃で彼は自殺する。
アジェンデ時代、チリでは鉱山などが片っ端から国有化されて社会は活気を失い、経済は急速に沈滞した。
 国家的危機を察知したアウガスト・ピノチェット将軍が軍事クーデターを起こし、この要塞化した大統領府を空爆した。共産化は防がれた。アジェンデ政権の崩壊は西側を喜ばせた。
サッチャーはピノチェットを称えて止まなかった。
 このクーデタ直後に曾野綾子氏はサンチャゴにはいり田舎町の教会を訪問した。そこで見聞したことは全体主義政権崩壊をよろこぶ民衆の声に溢れていた。
 政権掌握後、ピノチェットが選択したのが「シカゴ・ボーイズ」だった。すなわち新自由主義経済を標榜するミルトン・フリードマン政策の採用だ。自由競争の原則が再導入されると経済は蘇生し、「チリの奇跡」と呼ばれた。
 ところが、ところが。いまのチリではアジェンデの銅像が聳え立ち、大統領宮殿前の公園に威風堂々周囲を睥睨しているのだ。
そしてもっとビックリはピノチェットの銅像がない。
評価が逆転している。これは驚きだった。チリ国民の間にピノチェット将軍はどえらく人気がないのだ。
 最大の原因は西側のジャーナリズムに求められよう。最初はピノチェットを持ち上げながら、独裁的なにおいを嗅ぎつけるや猛烈な批判に転じた。トランプ大統領がCNNやニューヨークタイムズを名指しで「嘘ニュース」と非難して激しくののしっているが、リベラルなメディアの報道姿勢の問題は今に始まったことではないのだ。

▼闇ドルが通用する世界は、インフレが激しいという原則

この稿ではそのことは措くとして、現代のサンチャゴに話を戻そう。
市内、新市街は摩天楼が林立する近代的な大都会となって、地下鉄も縦横に走る。
 地下鉄のチケットはユニークだ。朝のラッシュアワーと昼間、夜間の三色に色分けして、料金が異なる方式をとる。シェスタの風習があって午後一時から五時までは閉店となる商店が多い。やはり南国に来たなぁという感じである。
 南米のどの国もそうであるように常にインフレに悩むため米ドルが通用し、現地通貨の交換レートが旅行者からみれば悪い。公式レートは一ドル=680ペソくらいだが、レストランは勝手に一ドル=500ペソと、ドルで支払うと割高だ。両替商も街のいたる所にある。チリに長逗留するなら断然両替して臨むのがよさそうだ。
 クレジットカードはかなり使えるものの暗証番号とともにパスポート番号まで打ち込まなければならず、個人情報のスキミングを恐れて一度も使わなかった。
 旧市街は舗装された道の多くが遊歩道になっており、かなりの人通りである。起点はモネダ宮殿だ。もともとは造幣局だった建物を大統領府にしたもので、前庭で毎朝、時には音楽隊つきで衛兵の交替式を行っている。
 この衛兵の交替式は格好の観光ポイントだ。広い前庭にこれを目当てに結構な人々が集まっている。殆どが外国人観光客だ。
 騎馬隊、音楽隊がでてくる壮麗な儀式を見物したあと、証券取引所へと歩を進めた。1893年開所したというこの建物の外見、どこか懐かしさを覚える。兜町の旧東京証券取引所と似た印象なのである。
兜町の建物は1931年に作られているので、「証券取引所」のモデルがどこかに存在するのかもしれない。
 都心では官庁街とオフィス町が渾然としており、この一角を抜けると繁華街の長い長いショッピングストリートが続く。

 ▼国民は基本的にどこかが明るくて楽天的だ

 途中、サンチャゴ大聖堂の偉容が聳えていた。内部に自由に入ることができ、ミサも撮影が許可された。カソリック独特の宗教展示物、絵画、マリア像などを見た後で大聖堂の外に出ると金ぴかの消防夫の立像。不審に思って近寄ると、突然動いた。パントマイムのおっさんだった。このようなユーモアが日常生活に溶け込んでいるようだ。
 チリの南部は自然景観の宝庫、パタゴニア地方だ。
 フィヨルドが山や谷を蔽い、南極へ近くなればなるほどに寒冷地となるが、サンチャゴとて東の山側へ登れば名だたるスキー場がいくつもある。
 市民の胃袋を満たす中央市場にも行ってみた。魚市場にならぶ魚介類は大ぶりなものが多く、日本人とわかると「ウニ、ウニ」と大声を掛けられた。日本人の大好きなウニの名産地でもある。鮭などもサイズがどことなく大きい。チリ産の鮭は日本のスーパーでも特売の目玉商品としてお馴染み。安価で身はソフトだ。

 魚市場に隣接した、ちょっと洒落たレストランで昼飯をとった。
 どの店もショーウインドウには大皿に山盛りの料理が並んでいて、一瞥しただけで満腹感を覚える。チリ人の胃袋は大きいようだ。
街中でも豊満な身体をゆすりながら歩く老若男女の姿を多く見かけた。どの皿も新鮮で美味だが、やっぱり量が多くて筆者はもてあました。野菜サラダも新鮮。添えられたポテトフライも美味かった。ただし「二、三人前?」と思うほどの量なのだ。こうしたフライドポテトのようなものを多食するせいなのか、街中に脂肪過多の老若男女が多い。
 燃やすのは山ではなく、体脂肪にすべきだなどとつぶやきながら街を歩いた。 

   
   ♪
(読者の声1)谷崎潤一郎の「上海交遊記」で谷崎は田漢・郭沫若両氏と語り合う。両氏が言う支那の現状は外国資本が流入し、うまい汁はみんな彼らに吸われてしまう。物価は日増しに高くなり、だんだん生活難に追われる。
上海は殷賑な都会だとはいえ、富力と実権を握るのは外国人だ。租界の贅沢な風習が田舎に及んで、純朴な地方の人心を蠧毒(とどく)して行く。百姓たちは田を耕しても一向金が儲からないのに、購買欲を刺戟されて、そのためになお貧乏する。
 谷崎は「排外思想は北京や上海のような都会にあるだけで、田舎の百姓は今でも呑気に「帝力我に於いて何か有らん哉」で、政治や外交に頓着なく、安い物を
喰い安い物を着て満足しながら、悠々と暮らしているもののように思っていた。都会に富が集中して田舎が疲弊するのは世界的の現象で支那に限らない。外国の資本
と言っても主にアメリカとイギリスの金で、これも世界中を席巻している。日本にしてもアングロサクソンの金力に支配されているだろう。つまり世界中が彼らにうまい汁を吸われている訳で、苦しんでいるのは支那ばかりではないかもしれない。まだしも支那は国土が広く、ちっとやそっとの借金ではビクともしない富源があるだけ、外の国よりましかもしれない」と反論するも、「それは違う」と、郭君は言下に否定する。
 「日本と支那とは違います。現在の支那は独立国ではないんです。日本は金を借りて来て自分でそれを使うんです。我々の国では外国人が勝手にやってきて、
我々の利益も習慣も無視して、彼ら自ら此の国の地面に都会を作り、工場を建てるんです。そうしてわれわれはそれを見ながら、どうすることもできないで踏みにじられて行くんです。此のわれわれの絶望的な、自滅するのをじーいと待っているような心持は、決して単なる政治問題や経済問題ではありません。日本の人にはそういう経験がないのだから、とてもお分かりにならないでしょうが、此れがわれわれ青年の心をどれほど暗くしていることか。対外的の事件が起ると、学生たち迄が大騒ぎするのはそのためなんです」
 谷崎は日本の支那通の意見として「支那人は経済的には偉大な人種だが政治的能力がない。外国人に国の主権を奪われても、彼らは平気で勤勉に働き、どんどん金を儲けていく。支那は昔から幾度となく外国人に征服されながら支那民族は少しも衰えず繁殖する。そして征服した者が、却って支那の固有の文化に征服され、結局『支那』という坩堝の中に溶かされてしまう」と反論する。
郭君「昔の征服者は我々よりも文化の低い民族でした。支那が自分よりも文化の高い民族に出会ったのは、歴史上今度が始めてなんです。彼らは北からも南からも、
西からも東からも此の中原へ侵入してくる。経済的に侵入してくるばかりでなく、いろいろ悪い事をしてわれわれの国を引っ掻き廻す。彼らが軍閥どもに金を貸し
たり武器を売ったり、それからまた、租界というような中立地帯を作らなかったら、今日のように国内が乱れ、始終戦争が続くことはなかったでしょう。支那には
昔から戦争があった。しかし今日の有様は、野蛮人の侵略や、単なる内乱とは性質が違っているものと、われわれは見ているのです。いや、われわればかりではありません。国民全体が、今度は今までの野蛮人を相手にするような訳には行かない。真剣になって対抗しなければならないという自覚を持つようになったんです。おそらく今度ほど、国家という観念が一般の頭に染み渡ったときはないと思います」


 独立を果たした中国がいまや世界中で金力による新たな植民地支配を行おうとしている。やられたらやり返すのはいいとしても方向性が間違っている。
もともと天上天下唯我独尊の国ですから何を言っても聞く耳を持たないのでしょう。100年まえは日中連携で白人支配を打破する可能性も少ないながらありえました。しかしアメリカは1911年設立の清華大学を始めとして日中離間を図りその後の展開は支那事変で近衛文麿の蒋介石の「国民政府を対手とせず」で泥沼の展開になりました。
 近衛文麿が「英米本位の平和主義を排す」を主張したのは大正七年(1918)でした。
欧米から危険視されたであろう近衛のまわりには共産主義者が送り込まれ、理想主義者ほど騙されやすいから何かおかしいと思いながら日中関係はどんどん悪化していく。国際連盟設立を呼びかけたウイルソン大統領は民族自決をうたいながら、国内では陸軍や連邦施設に白人・黒人の分離を徹底させた差別主義者だった。
高山正之氏が言う通りの白人の腹黒さ。プリンストン大学では公共政策・国際関係論の学部からウッドロー・ウイルソン元大統領の名前を外す方針を決めたという。
https://www.bbc.com/japanese/53208754
 第一次世界大戦から100年経って歴史の見直しが始まっています。靖国神社の「みたま祭り」、今年はコロナの影響で中止となりました。
「千と千尋の神隠し」という映画では主人公の千尋という少女と両親が神々の領域に迷い込み、両親は豚に姿を変えられ、千尋は名前を奪われ「千」となり記憶もあやふやになってしまう。今の日本は「大東亜戦争」という名を奪われ戦争の記憶も書き換えられたまま。「大東亜戦争」という名を日本は取り戻すことができるのか、新聞テレビの洗脳を受けない若い世代が増えるほど日本はまともになっていきますから、これからに期待できそうです。
 (PB生、千葉)

   ♪
(読者の声2)貴誌前号書評の日下氏の箇所で、「『諦めて死ぬ』と言える医療である」。 
これには脱帽。確かに我が国の医療は、世界一の長寿国などを目指して薬漬け、チュウブだらけで生き永らえさせ、死んだほうが楽な人間まで生かそうとする。
 それで医療費がかさみ大変だ。行政は破産する、年金が不足する・・と大騒ぎ。何か変だ。人間にとって大切なのは人生観の確立だ。いま将に、日本の医療は見直すべき時期に来ていると、82歳の老人でも思っている。   (KK生)

( 🐧の声 )20数年前に、貧乏バックパッカーもどきの一人旅で南米に行きました。第一の目的は、パタゴニアでペンギン🐧を見る事でした。南米のユースホテルにも何度か泊まったけど、相部屋が窮屈で不便で、しかも部屋は、今で言う3密状態だったので、風邪がうつりそうで嫌だったので、途中から安ホテルに一人で泊まるようにしました。一人部屋だと宿泊代が余計にかかってしまったけど、相部屋はやっぱり無理だわ…🐧💦。アルゼンチン〜ブラジル〜チリ〜ペルー〜etc., 〜〜なんだかんだと1ヶ月以上の貧乏ひとり旅で、今思うと本当に良くやったよなと思います。イグアスの滝、ナスカの地上絵、マチュピチュ、そして標高の高〜〜〜いクスコでは高山病にかかってしまい大変でした。宿のオバサンが、高山病にはこれが良いからと「コカ茶」を出してくれました。コカ茶と言ったら、コカインの原料のコカの葉のお茶です。温かいコカ茶をガブガブおいしくいただきました。スーパーマーケットでコカ茶のティーパックも安価で売られていて、旅行中はお世話になりました。日本にお土産として買って帰りたかったなぁ〜。スペイン語も出来ないのに、とりあえずは、なんとかなったなぁ〜。きっと運もよかったのかもしれないです…。貧乏ひとり旅は、体力のある若い時でないと無理ですね。宮崎さんのように優雅な旅行とは違うから〜宮崎さんが今でも勢力的にが意外に取材旅行されていると知って羨ましい限りです。✈️💕🐧  それにしても、観光業界は、今、これから、本当に大変でしょうね・・・みなさん、頑張ってください💦



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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月12日(日曜日)
       通巻第6582号  <<日曜版>>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~連載「早朝特急」再開  集中連載 「早朝特急3」(第42回) 
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「早朝特急」第三部  「暴走老人、地球の裏側へ」(その1)

 第一章 カストロ亡き後のキューバ

 ▼キューバ、カストロ、ゲバラ、ヘミングウェイ

 嘗てカストロは「反米の闘士」として世界の左翼運動家や社会主義者から尊敬を集め、日本でも朝日新聞に代表される左翼メディアと知識人がさんざん持ち上げた。いまではチェ・ゲバラのほうに人気があり、カストロの名前は消えかけている。
 キューバ革命はたしかに旧バチスタ腐敗政権を打倒したのだから「革命」と言えなくはないが、土地や企業の国有化、外国企業の接収などは却って経済を後退させ、国民の苦しみは悪化した。
客観的にみて評価できるポイントは少ない。
 しかし反代々木系全学連、全共闘世代の間では、カストロとゲバラの伝説が神話になっていた。とくにゲバラは彼らのイコンとなった。

 教育費無償、医療の発達がなされる一方で、アンゴラにエチオピアにキューバの兵隊は社会主義革命と聞けば駆けつけた。
あの左翼の全盛時代、キューバの伝説が左翼の巧妙なプロパガンダによって拡大された。ところがゲバラの武装闘争はいずれも無惨な失敗だった。ゲバラは言ってみればアルカィーダのビンラディンのような存在だった。
 キューバ経済は土地、企業の国有化、アメリカ企業の接収などを経て社会主義計画経済となったため、非効率で暗い影を落とし、国民は貧困と圧政に呻吟した。それが「革命」の実態だった。
米国が2015年まで「テロ支援国家」に指定していたため長く国際的に孤立した。
 カストロが病床につき、表舞台から降りて実弟のラウル政権に移行すると、米国と秘密接触を開始、2015年七月、キューバはオバマ政権との間に国交を回復させた。半世紀、閉鎖してきた米国大使館が復活した。
 以後、突如として「キューバ観光」のブームに沸きたのだ。
2017年に海外からキューバへ行った観光客は470万人を突破、18年は500万人をらくらくと超えた。

 キューバには前から行きたいとは思っていたが、すこしブームが下火にならないと旅行代金もべらぼうに高い。ようやく2018年師走にハバナへ飛ぶ機会を得た。
 首都のハバナ空港に降り立ってみると、欧州から早くも国際線が乗り入れ、ロビィもラウンジも人々でごった返している。それまではメキシコとカナダからの直行便くらいだったので西側の観光客は少なかった筈だから、さぞキューバのインバウンド業界はたいへんだったのだろう。
 観光客は激増の一途で一番はカナダ、そしてフランス、スペイン、イタリアと南欧のカソリック圏からが多数である。キューバはもともとスペイン領土、カソリック信者が多い。米西戦争の結果、アメリカの事実上の植民地となった。国交回復後、アメリカ人も大挙してやってきた。
 次に多いのはメキシコ、その次が中国、韓国、そして日本となる。
 中国は冷戦時代のキューバがソ連とあまりにも強い絆があったため寧ろ敵対的だった。しかし清朝時代から華僑移民があり、ハバナ市内のど真ん中に「中華門」(ミニ・チャイナタウンの象徴)が聳える。
中国人ツアーが目立つのは納得できるけれど、国交のない韓国からの客が増えているのは不思議である。キューバは北朝鮮と深い絆があり、武器密輸に手を貸していることが暴露されている。
 日本人観光客が急増した理由はメキシコシティまで全日空が直行便を就航させて以来だ。それまでのカナダ経由より近くなった。ちなみにメキシコシティまで成田から14時間。そこからハバナまでは2時間半である。

 観光客の目的はクルーズ、リゾート、クラシックカーの乗車体験、ヘミングウェイ博物館。時間的に余裕がある人が必ず立ち寄るのが島の中央山岳地帯の麓にあるサンタクララである。
 理由はサンタクララにゲバラの「霊廟」が建立されており、革命肯定派の聖地だからだ。
 霊廟では写真撮影禁止、私語も禁止というが、あくまでも神格化された人物という演出が目的であり、付帯するゲバラ博物館は写真パネルや使用した軍服、ピストル。愛用のパイプ、ボリビア時代の最後の日記くらいで、これといって見るべき資料は少ない
 筆者は北京人民大会堂前にある毛沢東のミイラ、ハノイのホーチミン霊廟、ベオグラードのチトー墓所記念館などを見ているが、いずれもが国家元首であり、それなりの荘厳な設備を施し、周囲に衛兵を配備し、厳重な警戒態勢をなしている。
 ところがゲバラの「霊廟」なるものはガードマンさえいない。しかもゲバラは国家元首ではないし、そもそも彼は「外国人」の助っ人である。それがなぜ「霊廟」なのか?
 革命の主人公だったカストロよりゲバラに人気があるのは奇妙ではないか?
 日本でもゲバラの人気が高く、愛称だった「チェ」というタバコが数種類も売られているほど。ゲバラとともに戦った日系人を主人公とする映画(オダギリ・ジョー主演)も作られ、ゲバラの写真展が東京で開催された。そうだ、ゲバラは写真撮影がうまかったのである。
 ともかく不思議な現象である。ゲバラはアルゼンチン人、医者を志した貧乏学生、バイクで南米を無銭旅行を繰り返していた冒険家であり、写真家だった。
 メキシコでカストロと邂逅して、革命の熱気に感化されて武装ゲリラ戦争への参加を決意した。
 革命後、キューバの中央銀行総裁など務めたが、革命の熱狂から醒めたカストロと訣別し、コンゴ、ボリビアで武装闘争を呼びかけ、ボリビア政府軍と激闘、失敗し処刑された。
 西側のゲバラ・ファンは一貫した戦闘性、その永遠の理想主義に「男の美学」をみるからだろう。日本で喩えれば源頼朝より義経に、近藤勇より土方歳三に人気があるようなものではないか。
 明治維新をみても直情径行、後先を顧みずに暴走した吉田松陰、高杉晋作、久坂弦瑞らに人気が集中しても、リアル・ポリティックを冷静に実践した木戸孝允や大久保利通に人気がないのと似ている。

 ▼西洋化が緩慢ながら浸透していた

 ならば、キューバにおける実態はどうなのか。
 現地キューバ人はカストロのことさえ忘れるほどに、あのカストロの革命は遠くなっている。
 南アを訪れたときのことを思い出した。首都プレトリアの旧国会議事堂前の公園に巨大なネルソン・マンデラの銅像が屹立しているが、遠足にくる子供達はマンデラのことを知らない。変革の主体だったANC政権をまるで評価しない若者が多く、このような世代交代は歴史認識の齟齬を生む。つまりキューバでも世代交代が起こり、徒らな反米は後景に下がり、おっと、英会話ブーム、なんと、米ドルが通用し、西側の物質への憧れが強まった。
 カストロを引き継いだラウル政権は規制を徐々に緩和し市場経済化が緩慢に進んでいるが、となると外貨とのアクセスが強い業種や企業が富み、新興財閥が跋扈し、貧富の差は拡大し、他方で農村は牛馬の耕作、遊牧民、あとは失業者の群れだ。庶民はまだテレビも買えず、映画館が栄える。下町のシネマ館には朝から長い列がある。
 首都のハバナにおいてさえタイムマシンで半世紀前にもどったような文明。地下鉄はなくバスは超満員だ。
 社会主義は大学教育まで無料化が残るけれど、理想は失われ、私有財産は認められ、外国資本が入り、豪華なリゾートホテルが建ち並び、クラシックカーと馬車観光は繁栄するも、基幹産業がない。
 けっきょく、ゲバラとは外人助っ人。山賊の親玉でしかなく、まぐれあたりの列車転覆による武器強奪作戦が成功して、そのショックで外国へ逃げた前の独裁者バチスタの不手際が、奇跡の偶然を運んだ。誰も想定していなかった革命が成功した。
 だからゲバラの霊廟が建ち、Tシャツからタバコまで、いまもポスターにカレンダーもゲバラの肖像の入ったものが売れるが、革命の真の立役者であるカストロは南東部の故郷サンディアゴ・デ・クーバの墓地にひっそりと埋葬されているだけだ(もっともカストロは霊廟建設禁止を遺言していた)。

 キューバ革命を美化し、カストロとゲバラのダークサイドをスルーしたのが左翼メディアと左翼作家らである。
 カストロは毛沢東ほど残酷ではなかったが、一党独裁を信条として反対派を徹底的に弾圧した。それゆえ彼の政権下で大量の米国亡命が絶えなかったという事実は厳然として残る。ゲバラは反米主義であり、日本の廣島にきたとき、「なぜ日本も原爆をつくって米国に報復しないのか」と語った事実は左翼ジャーナリズムが無視した。
 第一にキューバはいまも共産党独裁であり言論の自由がない事実をメディアは重要視していない。
 第二にキューバは「テロ支援国家」といわれたように北朝鮮の武装に協力的であり、アメリカとは敵対的なのである。
 第三に日本は度重なるキューバの債務不履行を経験し、大型案件のいくつかは貿易保険が補填した経緯があるため本格的投資を躊躇っている。キューバ熱だけが先行している。
 このような不都合な真実を伝えないため、多くの人々はまだカストロやゲバラを英雄視し、幻影を拝んでいる。

 ▼隙をついてキューバに食い入った中国

 この隙をついてキューバに猛スピードで接近したのが、いわずと知れたかの国、胡錦涛は二回、習近平は2017年にキューバを歴訪している。
 つまりキューバの共産党独裁という暗黒の体質は変わっていないため中国と政治路線でお互いが共鳴するのだ。
 現実にキューバは「テロ支援国家」を解除されても、暗黒部分が残っている。
 国連が制裁を決めて物資が北朝鮮に行かない筈なのに、何故、金正恩はアメリカにも届くミサイルの新型を製造できたのか? 
 このような初歩的な疑問を持つ読者が多いにちがいない。
 闇のルートが健在だからである。暗躍する北朝鮮の活動家、支援組織、代理人。そして面妖な看板を掲げるダミー企業。制裁を逃れるために北の国際的なネット
ワークが秘密裏に組織され、一時は日本が拠点だった。会社名をしょっちゅう変えるダミー海運会社の表看板と裏看板、偽りの登録事務所。出入りする人間、そのコネクションの先を求めつつ、北朝鮮が核ミサイル、戦車部品からミグ戦闘機の輸出入に関わったルートは多国間に渉る。たとえ国連決議2375号(史上最強の制裁強化、9月11日。そして2397号、12月22日)があろうとも、代理人、工作人、活動家の暗躍が続き、拠点の一つがキューバだったのだ。
 キューバは米国と国交を回復し、開発途上の明るい国であるが、軍のダークサイドでは、北朝鮮の独裁権力に繋がっていた。北朝鮮の闇ネットワークは金正男暗殺の舞台となったマレーシア、国連捜査に協力しないミャンマー、タイ。そしていまも武器密輸の本場といわれるウクライナからベラルーシなど。とくにベラルーシが新しい拠点に化けた。
 2016年九月にベラルーシに北朝鮮大使館が設立された。ここで幾つかの「商談」が成立し、とりわけ移動式ミサイル発射台はベラルーシの軍事産業から中国へノウハウが渡り、中国がライセンス生産し、ほかの商品に偽装しての密輸が疑われている。
 火星15号は最新鋭の移動式発射台が使われたが、これは9軸18輪だった。従来は8軸16輪が最大だった。日米韓の専門家は衝撃を受けた。北朝鮮は「これは自国製だ」と胸を張ったが、あの産業力で、このような発射台を製造できる筈がない。

 ▼ベラルーシ、北朝鮮コネクション

 ベラルーシの首都ミンスクの幹線道路の中央に不気味な、宮殿のような建物がある。
看板がないので、「このビルは何か?」と問うとガイドは口ごもった。
あの悪名高いKGB本部だった。
ベラルーシの独裁者ルカシェンコ大統領は秘密警察を駆使して反対派を弾圧し、密告を奨励して権力を磐石にしている。そのベラルーシ政府は、「北朝鮮制裁品目を輸出しているはずがないし、手配している人物が入国した形跡はない」としらを切り続ける。
 ダークサイドの典型的事件を元国連安保理「北朝鮮制裁委員会」の専門家パネル委員だった古川勝久氏が『北朝鮮、核の資金源──国連捜査秘録』(新潮社)で書いている。

 「2013年8月、パナマ政府が、ある国から提供された情報をもとに、パナマ運河通過中の北朝鮮貨物船『チョンチョンガン(清川江)号』を捜索した。容疑は、
違法薬物の密輸。しかし、実際にこの船から見つかったのは、ソ連製のミグ21戦闘機や地対空ミサイルシステムなど、大量の兵器だった。これらはパーツに分解されて、合計31のトレーラーとコンテナに隠されていた。コンテナは上に大量の砂糖の袋を載せられ、船底に置かれていた。積み荷はキューバの軍港・マリエル港で船に積まれ、北朝鮮に向かう途中だった。北朝鮮による史上最大規模の武器密輸事件であった」

 この捜索はパナマ官憲によっておよそ1ヶ月も続けられ、砂糖の袋だけで20万個。地対空ミサイルの他に、アンテナからミサイル追尾装置、発電機、はてはミグ戦闘機が分解されて、そのエンジン15基が発見され、船長以下乗組員34名は取り調べを受けた。
 ところがキューバ政府は、「これらは北朝鮮に『修理』を依頼したものである」と言い張り、北朝鮮政府も「購入の予定はなく、修理したらキューバに返却する」などと屁理屈をつけた。国連が制裁対象とした「メインテナンス」ではなく、あくまでの「修理」だと喧しく自己主張を繰り返した。
 自殺を図ろうとした当該船長は「兵器密輸の立役者と見られる複数の人物の連絡先を記した手書きメモも保管していた。そこには、在ハバナ北朝鮮大使館の講師と参事官の電話番号や匿名の『キューバ軍人』の電話番号があった。キューバ国内で、密輸に向けた準備に当たっていた者たちだろう」(古川前掲書)。

 ところでキューバ兵は練度が高く、士気も旺盛というが、本当だろうか?
 外貨不足によって新兵器体系は購買できず、クラシックカーが代弁するように、旧式の兵器、軍トラックも貧弱である。

 ▼ハバナのホテルの部屋には蚊、蛾、昆虫の死骸

 成田からメキシコシティまで十四時間。全日空も直行便を飛ばしているが、筆者はアエロメヒコ航空を選んだ。空いていると思ったからだ。
 ところが機内は満員、六割はメキシコ人か、或いは中南米、カリブ海の人々。日本観光の帰りで土産物をたくさん持ち込んで来る。意外に日本人客が少なく、それもメキシコシティで乗り換えてキューバへ行くツアー客となると三十名ちょっとだ。
 メキシコの繁栄には目を見張った。タクシーは近代化され、新車がならび、ビジネスマンの出入りが激しいのも隣国アメリカの景気が良いからだ。不法入国者はメキシコ国境の壁を越えて潜り込むが、メキシコ人より中国人が多いそうな。
 メキシコシティで乗り換えに四時間待ち。ラウンジで軽食スナックとビールを飲んで新聞を読もうとしたら全部スペイン語だった。

 ハバナ空港まで二時間半、さすがにローカルな飛行場なので冷房も効かず、雑然とごった返し、出迎えのキューバ人の服装を見ると、やはり格段の流行遅れだ。バスはぼろぼろ、タクシーは例によってクラシックカーである。新車は韓国の現代と起亜(KIA),そして新型のバスは中国製。発展途上国で目にする日本製中古バスがない!
 道理で行く先々で出会ったツアー客は韓国と中国である。ホテルでも日本人客を殆ど見かけない。
 ホテルの洗面所、シャワーは水、バスタブはない。蚊、蛾、昆虫の死骸。窓の隙間から入ってくるのだ。
 アメリカと国交を開いてまだ一年、外国資本がようやく合弁を認められて二年しか経っていないキューバに近代的ホテルとか豪華レストランとかを期待したのが間違いだった。ただしメキシコと違って治安は良い。
 
  たまたま雇ったガイドは黒人系で日本語も話せるインテリだった。「徴兵制ですが、期間は一年だけ。それもスポーツ選手だと1ヶ月でOKです」
 何故にスポーツ選手は兵役が期間短縮なのか訪ねると、サッカー、野球、フェンシングなどはキューバの国威発揚に繋がるからと答えた。「何故日本語を習ったのか」を訊くと「アニメを見て、この言語に興味を持った。インターネットで独学しました。日本にはまだ行ったことないです」と白い歯を見せた。
 キューバ国民が携帯電話を許可されたのは僅か五年前、普及率は悪く、あちこちに公衆電話ボックスが残っている。ネットはホテルで繋がるが有料である。
 あくせくしていないのだ。ならば庶民は何をしているかといえば昼間から辻にたたずんで所在なげな失業者がじつに多い。だが絶望の顔がない。シリア難民やロヒンギャのような悲痛な風貌からは遠く、人生を愉しむ風情なのである。

 ▼ヘミングウェイはことのほかキューバを愛した

 この余裕はどこから来るのだろう?
 キューバを愛した作家はヘミングウェイだが、ハバナ市内には長期滞在したホテル(アンボス・ムンドス)、よく通ったバアが大繁盛を極め、外国人観光客はヘミングウェイが好んで飲んだバア(フロリディータ)で、「ダイキリ」というカクテルを一様に頼む。
 そして彼のトルゾの横で記念撮影し、帰りには名物のクラシックカーでホテルへご帰還となる。
 この浮かれたような、楽天主義の行き先はどこになるのだろうか? 

 革命広場にはクラシックカーがずらーと並んで壮観である。西洋人が次々と押し寄せ、リンカーン、シボレー、ギャデラック、GM,ビーイックなどの写真を撮り、どれに乗るか迷っている。一時間チャーターして三十ドル前後が相場という。 
 その先には小型のエコタクシー、人力車、そして二昔前の馬車タクシーが待つ。
 筆者はと言えば広場を囲む政府ビルを眺めていた。内務省ビル前面の壁がチェ・ゲバラで、不思議なことにカストロがない!
(革命の立役者が不在とはこれ如何に?)

 ヘミングウェイ博物館は近郊のコヒマにある。彼はキューバを愛し、二十年間ここに住んだ。小高い丘の豪邸を買い、宏大な敷地、広い書斎は陽光が差し込み、書庫、ダイニングに応接間。それぞれに狩りの収獲である鹿の剥製を飾ってある。裏庭には愛用したヨットが展示されている。これらをキューバ政府は博物館として保存し観光資源として活用しているのだ。
ヘミングウェイは、ここで『誰がために鐘は鳴る』や『老人と海』を書いた。『老人の海』の主人公となったモデルは実在し、このコヒマ村の漁師だった。
 筆者は大学での専攻がヘミングウェイだったので多少は関心がある。書斎の広さ、ボロボロになったタイプライター、書架にぎっしりと詰まった蔵書などに見入った。風呂は小さい。古風な扇風機も保存してあった。
 日本でいまも文庫本が売れるように、西洋人にとってヘミングウェイ文学は読まれ続けている。次から次と観光バスが到着するから狭い廊下に行列が出来る。
 アメリカ文学の誇りでもあるヘミングウェイをなぜキューバ政府が同時に誇りとするのか、なぜスペインやフランスの人々が彼の文学に魅入られるのだろうか?
 筆者の推測だが、スペイン内戦に志願したヘミングウェイは、その後、闘牛に惹かれた。イデオロギーを主題とはせず、人生のロマンを希求し、男の生き方を追求し、人間の営み、情熱を書いた。
ヘミングウェイはカストロに社会主義革命の夢、人類の進歩を夢を見て交流したのだ。
 革命の翌年、ケネディ政権はピッグス湾侵攻に失敗し(亡命キューバ人は計画がずさんで、上陸地点の情報までカストロに漏れていた)、キューバと断交に至った。ヘミングウェイはアメリカに帰国せざるを得なくなり、その翌年に猟銃自殺を遂げた。
 
 ▼街の辻々には楽団があって、踊りがあって。。。。。

一通り見終えて入り口にもどり、簡素なレストランでビールでも飲もうかと坂を下ると喧しい音楽。こんなローカルな場所でも楽団が入っている。キューバはホテルでもレストランでも、いや喫茶店も楽団が入り、謳い、踊り、そのチップで食べている人々が夥しいのだ。喫茶店からもあぶれると辻で大道芸人よろしく腰を揺らしながらの楽団演奏がある。
 根本的にキューバ人は陽気である。この楽天主義が貧困のつらさを吹き飛ばすのだろう。
 高級住宅地もあるが、庶民の住み家はトタン板、テレビアンテナがない。電化製品もまだ買えない貧困家庭が多く、だから下町へ行くと映画館が朝から満員となる。新聞を買おうにもコンビニもスーパーもない。駅でキオスクでも探すが、鉄道駅に売店がないのも驚きだった。

 他方でリゾート地へ行くと分譲マンションあり、豪邸が建ち並び、キューバは外国人の不動産投資も例外的に許可し、また土地の国有化を徐々に緩和して私有財産を認めた。このニュースにフロリダへ亡命した革命前の金持ち等が自宅の買い戻しに前向きだという。実際にカストロ革命では旧バチスタ政権幹部550名が処刑され、金持ち、中産階級、医師らがどっとアメリカへ逃げた。だから亡命組の多いフロリダ州ではマルコ・ルビオ上院議員に代弁される対キューバ強硬派が多く、共和党が強い。

 コヒマ村には海岸の突端に軍事要塞が残り、米西戦争の古(いにしえ)の残滓が海の光りに輝いている。
 側に小さな公園があって、漁民らがお金をだしあって建てたヘミングウェイのトルソがにこやかな笑顔をたたえている。このコヒマはキューバ自慢の葉巻につかうタバコ葉の産地としても知られ、土産用に五箱ほど購入した。ほかに土産と言えば民芸品、絵はがき、腕輪など定番だが、キューバのベストセラーは「ゲバラ・グッズ」、それこそTシャツ、壁掛け、絵画、帽子にいたるまでゲバラ、ゲバラ、ゲバラ。。。

 ▼あの支倉常長の銅像がなぜハバナに?

 ハバナ市内で見たかった場所がほかに二ケ所ある。まずは国会議事堂裏にあるチャイナタウン、そして支倉常長の立像である。
 チャイナタウンは中華門がやけに立派だが、付近に中華料理レストランは一軒だけ。周囲は貧民街で中国人の影がない。この光景は意外だった。多数いたはずの華僑はどこへ去ったのだろうか。
 支倉常長は悲運のサムライだった。切支丹との交流が盛んな折に伊達政宗の命で欧州へ派遣され、フィリピン、メキシコ、キューバを経由してセルビア、マドリッド、バルセロナからローマへ向かい、各地で大歓迎を受けた。
 「一六一四年七月十日(『遣使録』では六月十日)。一行はウルワ港(メキシコ)を、ドン・アントニオ・デ・オケンドの艦隊に乗船して出発し、キューバのハバナに向かった。途中、暴風雨に見舞われたが七月二十三日に到着している。ここでドン・ロペス・デ・メンダリス司令官の指揮下の艦隊に乗り込み、八月七日にハバナ港を出帆した」(田中英道『支倉常長』、ミネルヴァ書房)。
 つまり支倉常長一行は、ハバナにおよそ二週間滞在したのだ。この史実を記念して宮城県仙台市の育英学園が常長の立像を建てたのである。まさに日本とキューバの交流はこのときから四百年の歴史がある計算になる。
 ところが支倉が七年後に帰国してみると、キリスタン伴天連には追放例が出ており、支倉の帰国はまったく歓迎されず、渡欧した遣欧使節団の事実さえ秘密とされた。支倉は棄教せざるを得ず、伊達家の支援を受けたものの、殆ど監禁状態のまま晩年を送るという悲運に見舞われた。

 そして驚くことに当時南欧を騒がせた支倉遣欧使節の史実が再び知られるのは明治六年(一八七三年)を待たなければいけない。
 「岩倉具視を長とする政府の渡欧使節団がヴェネチアを訪れた際、支倉関係の文書を発見した。しから彼らは、当の支倉使節が、二百五十年以上前にすでにヨーロッパを訪れていたことを全く知らなかった」(田中前掲書)。

 見たいところを回ったので、次に島の南端に位置するトリニダーという町へバスで向かった。振るい教会、スペイン広場、車の入らない石畳み、中世にタイムスリップしたような佇まいは旅愁を?きたてる。
 世界遺産の敷地の中で子供達はローラースケートで遊んでいる。観光客を当て込んでのレストランが犇めくが古都ゆえに道幅が狭くバスの駐車場がない所為か、どの店にもそれほどの客がない。
 サンタクララは山岳の麓にひらけた小さな町だが、ここでバチスタ政権が軍隊と武器を満載した列車がゲバラの仕掛けにひっかかって転覆事故を起こし、革命側の軌跡の勝利がなった場所だ。当時の列車が公園に展示されていた。
この町も看板はゲバラばかり、ラム酒やテーブルクロスのデザインまでがゲバラだった。
 途中で見た田園風景は、牛馬を駆使した前近代的農業で、放牧された牛も馬も痩せている。サトウキビ畑が多く、ハイウエィの当座で産業に繋がる工場を殆ど見かけない。
 人々は明るく陽気で勤勉、識字率も高く医療が発達しているが、経済構造は偏在的であり、政治は一党独裁である限り、離陸は難しいだろうと思った。
  


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月11日(土曜日)参
       通巻第6581号  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~蝗害、ついに中国雲南省へ侵入。ドローンによる薬剤撒布、効果なし
  豪雨、洪水につづく天変地異。農作物を食い荒らすサバクトビバッッタ
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 雲南省普耳市林業・草原局は7月9日、悲痛な報告を出した。
 サバクトビバッタが越境し、同省の竹林地帯で竹葉、筍などを食い荒らし始めた。最初の蝗の大群が飛来したのは6月28日だった。

 ドローンによる薬剤撒布ではとても対応できず、またドローンを使いこなせる職員が少ないため、7月8日までに竹藪、筍の産地が被害を受けた。
竹林は密集しているが、近年は手入れが悪く、立ち枯れになる竹林が方々にあったという。農業地帯で農作物を食い荒らし始めるのは時間の問題となった。

 当局の発表では蝗はラオスの黄竹密集地帯から雲南省へ侵入し、被害は9・8万ムーに及んでいるという。1ムー(畝)は中国では日本と計り方が異なり、およそ十五分の一ヘクタール(66700平方メートル)になる。

 先月来、中国各地に降り注ぐ豪雨の被害も甚大である。
 三峡ダムの上流にある重慶、四川省から湖北、湖南省、さらに江西省、広東省、広西、貴州省など27省に被害が及んでおり、およそ3000万人が被災した。死者は140名(7月9日現在)、被害額は620億元(1000億円)。

 22万戸の家屋全壊、25万戸が半壊、農作物生産地のいたるところが冠水し、史上珍しい大災害となった。三峡ダムは現在のところ、持ちこたえているようである。
日本の豪雨被害も激甚、ことしはコロナ、豪雨、蝗害、洪水、そして次は?
    
  ♪
(読者の声1)宮崎先生の前号書評「日下公人『日本発の世界常識革命を』」
「ヒョウロンカとはまるで異なって独自な発言を連発されてきた日下氏は極めつきにユニークは世界観が基盤となっている。でも「ユニーク」という表現には語弊があり、氏のほうが常識的なのである。
・・・冗談かと想って伺っていると、いつのまにか世の中がそうなっている場合が多い。発想が「千年の常識」に立つからで、目に見えない伝統の裏打ちがあるのである。この基盤が分からない人、とくに大手メディアや官僚に多い。」
とあります。

私も前々から日下先生の書籍を飄々としつつなぜか的を射ておられるような納得感を以って拝読しておりました。そして、どこにその理由・原因があるのだろうかとしばしば考えてきましたが、宮崎先生の御指摘のように、それはどうやら、「千年の常識」(私としては「2600年以上の常識」と言いたい)にあり、この「常識」は宗教より強固なものだったからではないかと思うようになりました。
換言すれば常識(日本人の有するアイデンティティ=所詮誰も同じようなものだ)が宗教に優り、宗教の入り込む余地を与えてこなかったほど強固で普遍性が劣化せず持続したからだと想像するのです。
 日本は(誰もが「等しくあるのが普通・当然」という考える)アイデンティティを精神的主柱としてきたが故に、宗教を精神的主柱として存続してきた他の多くの国とは”国柄“が大きく異なっているのです。
例えば、
(1)神社・仏閣などの歴史ある建築物を定期的に建て替えるという発想は、「生
体高分子も低分子代謝物も共に変化して止まない」とした(福岡伸一氏の動的平衡
論)シェーンハイマーの最新の『レシプロシティ的生命観』を先取りしていたし、そのレシプロシティは「ヒトの生物学的特徴は「等しくする・同じにする」という機能を意識の中に生み出した」(「遺言」養老孟司著 新潮社)から連想されます。
(2)故渡部昇一先生が多く論じておられたように、万葉集の作品などには身分の
上下に関係なく優れた作品は優れているのだと評価されていた。国王・皇帝から庶民まで『歌会始』に参列して作品を披露できる国は存在しない。奴婢という階層的な「奴隷」はいても西欧的な”人間扱いされない「奴隷」は日本にはいなかった。
(3)大きな貧富の格差が宗教発祥の一つの原因とみられているが、日本の古代は
西洋に比して、格差は穏やかなものだった。つまり概ね日本人は「平等」であったのだろう。欧米人は労働を苦役と考え、日本人はそうとは考えないのは「同じにする・等しくする=だれもが汗をかいて仕事をするのは正しいし楽しい」からきている。つまり「なぜおれたちはこんなにこき使われるんだ!おかしいではないか」とスパルタカスみたいに反乱を起こすまでにはいたらなかった。また日本的アイデンティティが「可視化」されたのが世界的にも極めて質素を旨とされる天皇家であるのだろうと私は思っています。
 つまり、古代神話の時代から日本には元々「原始的アイデンティティ=だれもが等しい」という潜在意識を持ち、「教義を整えた本格的宗教」をそれほど必要としなかったと思うのです。
その代わりにレシプロシティに裏打ちされたアイデンティティが社会のバランスを保つ機能(役割)を担い、民族・国家の基盤になってきたのです。
「勤勉な国の悲しい生産性」(ルディー和子著 日本実業出版社)に「日本の倫理や道徳観の歴史を振り返れば組織的宗教の影響が大きかった時代はそれほど長いものではない。日本には古代神道の時代から神話で語り継がれた遠い昔から、調和の精神があった。そして、社会的動物が地球上に登場して以来のレシプロシティの精神が明確な形で社会に受け継がれてきた。」
とありますが、私は日本は「外来宗教」を利用ができるところだけ取り入れたに過ぎなかったと云えると思います。
また世界的な宗教の影響力の低下に伴い「アイデンティティの政治」(「アイデンティティ」フランシス・フクヤマ著 朝日新聞出版)が勢いを増す現象を見ると、世界は日本の後塵を拝しているような気もするのです。   (SSA生)

  ♪
(読者の声2)7月10位、台湾の「台湾建国連名本部」で宗像隆幸氏の追思紀念會が行われ、羅福全(元駐日大使)ら大勢が参加されました。
台湾独立に生涯を捧げ、『台湾青年』を発行され続けた稀有の日本人でした。その代表作は『台湾独立運動私記』(文藝春秋)でした。
https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E9%81%8B%E5%8B%95%E7%A7%81%E8%A8%98%E2%80%95%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%A4%A2-%E5%AE%97%E5%83%8F-%E9%9A%86%E5%B9%B8/dp/4163513906
(一読者、台北)


(宮崎正弘のコメント)この二年ほど、台湾関係の会合でとんとお目にかかることがなかったので随分と気になっていたのですが、訃報を聞いて、嗚呼。天寿を全うされて召されたのかと感慨に耽りました。
三十年ほど前でした。『自由』の何かの集まりで石原萌記さんから「この人、中国語の筆名をもつ人」と紹介され、たちまち意気投合してからのおつきあい。宗像氏は一時『自由』編集部に籍をおいたことがあります。
一言で言えば、「生まれる時代を間違えた、典型の薩摩隼人」でした。
鹿児島の友人を台湾へ呼びよせ、パスポートの写真を貼り替えて国民党特務に監視されていた膨明敏さんの台湾脱出を段取りし、膨さんはスウェーデンへの逃亡に成功しました。
その膨先生も1996年には帰国されて台湾総統選挙に立候補、このときは李登輝さんの圧勝でしたが、台湾独立を唱える民進党は堂々の25%の得票で、国民党スピンオフのほかの二人を足しても25%には届かなかった
台湾の民意が鮮明にあらわれた選挙でした。
十年ほど前、膨さんと歓談中、ふと宗像さんの話になり「かれの人生は台湾独立のために燃え尽きた」とぽつんといわれたこと、いまも耳元に残ります。
日本での台湾独立運動は地下運動でしたが、王育徳先生を中心に、許世偕、黄昭堂、羅福全、周英明、金美齢、伊藤潔、黄文雄氏ら多士済々が集合し団結し、ついには国民党独裁を倒して、民進党が政権を担うまでになった。その黒子として宗像氏は縦横無尽の活躍でした。
或る会合の帰り、氏の富久町の住居のとなりの蕎麦屋でも痛飲したことがありますが、宗像夫人が空っ風の群馬県人と伺ったときは思わず「薩摩隼人と肝っ玉かぁさんの取り合わせですか」と、無遠慮な台詞が出てきたのでした。
合掌。
    


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「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和2年(2020)7月11日(土曜日)弐
       通巻第6580号  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~中国の不良債権処理市場に外国ファンドが算入
  バブル崩壊の日本でしこたま稼いだ禿鷹ファンド、次の狙いはチャイナだ
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 公表されている中国の不良債権は3・3兆円(邦貨換算で50兆円弱。実態はもっと多いだろうが、とりあえず公表数字を使う)
 日本と同様にバブル崩壊後、銀行が抱える不良債権を安値で買い取り、景気回復を待って高値で売り抜ける。

 銀行が貸与し、ビル建設の途中で工事中断、あるいは夜逃げ、不動産販売の不振、デベロッパーの倒産、テナントがまったく入らない幽霊ビル等々。
 2019年末の不良債権は2・41兆元(36兆円強)だった。2020年弐月末のそれは3・3兆元に達していたとCBIRC(中国銀行証券管理監督委員会)が発表している。

 パターンは不況入りすれば、するほどに不良債権が急増する。景気循環説をベースとすれば、いずれ回復すれば不動産価格は元に戻るという仮説に基づく投資行為である。日本のバブル崩壊では、あちこちに建設途中のビルが、幽霊屋敷のように立っていた。120兆円とも言われた不動産市場の不良物件は、店ざらしとなって銀行経営を脅かした。
 日本の株価は4万円直前までに跳ね上がり、それからどかーんと株価暴落があって、6000円台にまで暴落し、以後30年近くも日本経済は低迷している。当時の日本のGDPは500兆円前後だった。現在の日本のGDPは525兆円くらいである。

 従来、中国ではこれらの不良債権処理は四社の専門企業が担っていたが、2019年に米中協議により、外国ファンドの算入が認められ、最初のファンドは香港のNWファンドだった。欧米禿鷹ファンドは、中国の不良債権市場に強い関心を示し始めている。
    
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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~統計や数字をつかう学者、エコノミストは怪しい
  信用はお客で決めるのという「千年の常識」を思い出そう

日下公人『日本発の世界常識革命を』(ワック)
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 トランプはアメリカファーストを標榜した。台湾最大の新聞『自由新聞』のスローガンは「台湾第一」である。
 ところが、日本はグローバリズム、国連第一であって、我が国の利益は二の次という自己卑下的な位置に甘んじている。
 日下氏はまず「ニッポン・ファースト」で行こうと唱えられる。日本を見下す国に明日はないと明言される。つまり金正恩にも、文在寅にも、習近平にも明日はないということである。
 他人様、ヒョウロンカとはまるで異なって独自な発言を連発されてきた日下氏は極めつきにユニークは世界観が基盤となっている。でも「ユニーク」という表現には語弊があり、氏のほうが常識的なのである。
 だからなんとなく聞いていてほんわかとなる「日下節」にファンが多い。
 冗談かと想って伺っていると、いつのまにか世の中がそうなっている場合が多い。意表を突くのではない。発想が「千年の常識」に立つからで、目に見えない伝統の裏打ちがあるのである。この基盤が分からないと、日下節に腹を立ててしまう人、とくに大手メディアや官僚に多い。
 日下さんはまた李登輝ファンである。本書には李登輝さんとの秘話が意外に多く載っているが、評者(宮崎)が初めて耳にした話があって驚いた。憲政上、蒋経国が死亡したら副総統の李登輝が総統に就任するが、李登輝氏、暗殺されるとおもって柩の前にいたというのだ。
 またさりげなく、こんな主張を挿入されている。
 「あまり人には言えない話だが(中略)今の医療の目的は延命の一本槍だが、それは単に生命の『先延ばし』かも知れない。東洋的、日本的風土に根ざした医療はまだ発明されていないのである。早く言えば、『諦めて死ぬ』と言える医療である」(95p)。
 日本は金融力でも世界一の頃、BIS規則を押しつけられた。
「金融の根本は信用で、信用は正体不明の浮き草である。だから自分で(自己資本比率などを)決めても良いのだが、そんな考えは日本にはなかった。そのためアメリカが信用を失って日本の方がよほど信用されるように変わったのに、長らく気がつかなかった。円高ドル安時代の到来である。信用はもともとお客がきめるもので、官庁が決めるものではない」(114p)
 軽佻浮薄な言説がまかりとおる現在の論壇で、日下氏の発言は重要である。

    
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(読者の声1)三島由紀夫研究会「7月公開講座」は荒岩宏奨氏が登壇し、「荒木精之と神風連」について語ります。
荒岩宏奨氏にはこれまで日本浪曼派に関する連続講演を行って頂きましたが、今回は熊本の在野の研究家、文化運動家である荒木精之(明治40年~昭和56年)について語って頂きます。
荒木精之は地方雑誌『日本談義』を発行し、とりわけ神風連の研究に尽力しました。神風連の乱は明治9年、廃刀令に反発した熊本敬神党の士族たちが起こしましたが、三島由紀夫先生も『豊饒の海』の第2巻『奔馬』において神風連のことを詳しく描きました。
          記
日時  7月22日(水)18時開演(17時半開場)
場所  アルカディア市ヶ谷(私学会館)
講師  荒岩宏奨氏(あらいわ ひろまさ、株式会社展転社代表取締役)
演題 「荒木精之と神風連」
講師略歴 昭和56年生れ。山口県出身。広島大学教育学部卒。プログラマー、雑誌編集者、展転社取締役編集長を経て現在同社代表取締役。著作に『国風のみやび~国体の明徴と天業の恢弘』(展転社)など。
参加費 会員・学生 1千円(一般 2千円)
~~~~~~~~~~
9月は新保祐司先生が「信時潔と黛敏郎」を語ります。
当初4月に予定されていて一度延期された新保祐司先生による公開講座「信時潔と黛敏郎」をきたる9月25日に開催することとなりました。ご期待ください。
      記
日時   9月25日(金)18時開演(17時半開場)
場所   アルカディア市ヶ谷(私学会館)
講師   新保祐司先生(しんぽ ゆうじ、文芸評論家、都留文科大学副学長・教授)
演題   「信時潔と黛敏郎」
講師略歴 昭和28年生。仙台市出身。東京大学文学部仏文科卒。平成19年度の正論新風賞、平成29年度の正論大賞を受賞。主な著書に『信時潔』(構想社)、『「海道東征」への道』(藤原書店)、『義のアウトサイダー』(藤原書店)など多数。
参加費  会員・学生 1千円(一般2千円)
   (三島由紀夫研究会)   


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「宮崎正弘の国際情勢解題」  令和2年(2020)7月11日(土曜日)
       通巻第6579号  <前日発行>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~米国、ふたたびレアアースに危機感。このままでは中国にやられる
  ペンタゴン、次期戦略兵器に欠かせないレアアースの確保を
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 米国が最終的な中国制裁に踏み切れない理由のひとつはレアアースである。
 スマホ、電池、ミサイルの翼、F35ジェット戦闘機。永久磁石、MRIスキャナーなどに不可欠なレアアース、世界の78%を中国が生産する。ちなみに米国務省は7月9日、日本へF35 x 105機の輸出を認めた(総額2・5兆円)。

 2010年に中国が対日制裁にでて、レアアース禁輸措置を講じたとき、日本企業は悲鳴を挙げた。
想定外のアキレス腱を衝かれたからだ。爾来、日本はカザフスタンなどに供給源の多角化をはかるとともに昭和電工などは一部工場を中国に移転して、急場を凌いだ。

 レアアースの危機を訴えて法案を提出したのは、テッド・クルーズ上院議員(共和、テキサス州)で「このレアアース類十七品目の確保は、産業発展という文脈だけではなく、国家安全保証上、きわめて重要だ。わたしたちは覚醒しなければならない」と提案理由を説明している。

 資源リッチの米国でもレアアース、じつは大量な埋蔵が確認されている。
1990年代まで、米国が世界一のレアアース生産を誇ったのだ。スマホの本格登場以前である。
レアアースの鉱脈から製品に精錬するには、毒性の強い鉱石から、塵芥、集塵のなかという劣悪な職場環境が随伴するため、「汚い作業は中国に任せればよい」とばかりに開発を怠ってきた。そのうえ、マウントパスという鉱山会社がカリフォルニアにあるが、中国との価格競争に耐えきれず、2015年に倒産、買収に乗り込んできたのが中国ファンドだった。買収金額は2050万ドルが提示された。

 2017年に米国当局は中国企業の買収を脚下し、MPマテリアル社が経営することになった。だがいまなお、9・9%の株式は中国のファンドが所有している。精錬方法などの特許はこのマウントパスが所有しているためだ。

 ▼中国のレアアースの本場は内蒙古自治区と江西省

 ほかに全米ではテキサス州で、米・豪・マレーシア合弁の企業がパイロット工場をもち、またアラスカとワイオミング州でも鉱脈は見つかっている。開発費用が膨大なため、まったくの手つかずである。
 テッド・クルーズ上院議員は、ペンタゴン予算に、これらの鉱山開発費用を含め、国家事業とするべきだと主張している。

 専門家のポール・ヘインレ(カーネギー財団主任研究員、元国家安全保障局中国担当主任)は「中国の現況に米国が追いつくには、鉱山開発やパイロットプラント建設など十年の月日を要する。もっかのところ、このゲームでの中国の優位は不動だ」と言っている。

 もし中国が米国の発動する経済制裁あら在米資産凍結という挙に出たら、中国は間違いなく、このレアアースの対米供給をやめるという報復手段に出るだろう。

 中国のレアアースの本場は内蒙古字軸のパオトウ(包む頭)だ。
市内の東部と西部を結ぶ州道の中間に位置する「ジンギスカーン稀少金属公園」にレアアース工業団地がある。また江西省の山岳地帯でもレアアース鉱山があるが、ここでは毒性の強い溶解液を、直接、岩盤に流し込むという乱暴は採掘方法がとられているため、地下水が汚染され付近の住民に正体不明の奇病が発生しているという。

    ☆○▽◇み◎○△□や○△□◇ざ◎○△□き△□☆☆        

 << 今月の拙論 >>

「憂国忌の半世紀」(『季刊文科』、夏号。「三島由紀夫特集号」)。
「コロナ、こころ、孤独」(『北国新聞』、コラム「北風抄」、7月7日号)
「コペンハーゲン民主主義サミットに蔡英文、黄之鋒」(『エルネオス』7月号)
「米国の台湾防衛、ハイテク武器供与の本気」(『テーミス』7月号)
「米中金融戦争のゆくえ」(『月刊日本』8月号、7月23日発売)  
           ○◎○ 

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樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 2100回】                   
 「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘60)
「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

    △
 この論文の主題である「昨年〔大正十三年〕十一月二十八日に神戸で日本人に對して講演した『大亞細亞主義』」については、後に詳しく論じたいので今は先に進みたい。

 橘に依れば、「三民主義の第二項、即ち民權主義」は「所謂デモクラシーの主張であ」り、「デモクラシーの方法論の中心を成すものは『會議』」だそうだ。
孫文は『建國方略』で「凡そ事理を研究して之を解決する」ために「三人以上で一定の規則に從ふ」ものが「會議」であり、「國會の立法、郷黨の修睦、學者の講文、商工の籌業から其他一切の臨時集會に至る迄、多數の智能と力とを集めて經常及非常の事件に對應する方法」のすべを「會議」とする。これを受けて橘は、「孫氏は『會議』の方法に依りてのみデモクラシー即ち彼の所謂民權主義の社會が完全に建設せられるものであると考へて居るのであらう」と綴った。

 民権主義の目標は「先づ第一に共和政治の實現であ」り、「第二の目標は、縣治の徹底的民衆化」である。

 橘は「孫氏は、縣を以て自治の單位とし、〔中略〕人民に最高の政治權力を賦與したいと希望し」、「三民主義の最後の一項である」「民生主義は之を普通の言葉に直せば國家社会主義であ」ると説く。そして民生主義、つまり孫文流の国家社会主義は「地權平均」と「産業公有」を柱とすることになる。

 要するに橘の三民主義理解は、「『覇道的』の西洋文明に對し『王道的』の東洋的文化を世界の表面に打ち立てようとする」ところの民族主義、「共和政治の實現」と「人民に最高の政治權力を賦與」するための民権主義、国家社会主義である民生主義、となる。

 以上の考えに従って橘は孫文の行動と発言を論じるが、時折挟まれる「偉大なる革命理想を懷く孫氏」とか、「此の大革命家」とか言う類の“賛辞”に認められるように、橘は内外諸要因に依って孫文の「偉大なる革命理想」の実現が阻まれたとでも言いたげである。

 孫文は革命家である。現実の革命闘争の中で勝ち抜かない限り、「偉大なる革命理想」を持とうが無意味に近いのではないか。それはスターリンに敗れ異国で無残な最期を遂げたレオン・トロツキー、毛沢東によって死へと追い立てられた林彪、同じく毛沢東の指図で治療もされないままに無残な死を遂げざるを得なかった劉少奇にも通じることだろう。
 
 北一輝による「孫逸仙の根據なき空想」の「一撃」を前にしたら、橘が描く孫文の理想化は余り褒められたものではない。
とは言うものの、おそらく大正末年から昭和初年にかけての日本における孫文評においては、北のそれは異端であり少数派だったに違いない。

 さて肝心の大亜細亜主義論である。
 1924(大正13)年11月22日、孫文は上海を発って日本に向かった。自分の体調からして余命の短いことを感じ取っていただろう。ならば期するところがあったはずだ。

 翌23日に長崎に到着するや船中で同地で学ぶ留学生を集め、日本各地のみならず世界の各地で学ぶ留学生に働きかけて団体を組織し、三民主義に沿った政治の近代化への貢献を求めた。

 24日には神戸入りし、東京・大阪・神戸の国民党党員による歓迎會では、「中國内亂之因」と題する講演を行い、証拠を挙げながら軍閥の背後に隠れた列強の跳梁が中国の統一を疎外している旨を語った。これに対し橘は孫文が講演中に「掲げた事實だけに就いて見ると、彼の提起した證據を輕々しく信ずる事が出來ない」と、一定の疑念を示している。

 28日、孫文は日本人聴衆に向かって前後2回の講演を試みた。1回目が「理論的には所謂王道思想を其の根據」とする「大亞細亞主義論」であり、残りの1つは「中國が不平等條約の廢止に努力するに就て日本の援助を乞ふと云ふ趣旨」のそれであった。
      ○△□◇ヒ◎○△□イ○△□◇ズ◎○△□ミ△□◇◎   

(編集部から)連載中の「早朝特急」は休載です

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(読者の声1)ブラジル大統領がコロナに感染との報道、久しぶりに世界のコロナ感染情報をまとめたサイトを覗いてみた。
https://www.worldometers.info/coronavirus/#countries
 たびたびレイアウトが変更になっていて、今回は各国の人口欄が追加されている。各国の人口欄をクリックすると1955年から2020年までの人口推移、年齢中央値、出生率など、さらに1950年のデータと将来予測として2050年までのデータが示される。
https://www.worldometers.info/world-population/
 1950年のデータでは日本は世界5位で人口8280万人。インドネシアは7千万、ブラジルは5千4百万と日本より少なかった。
2020年の人口トップ20の一覧で日本はメキシコに抜かれ11位、年齢中央値 48.4、出生率 1.37。ぼくが生まれた頃の1955年は年齢中央値 23.6、出生率 2.96です。万博の1970年でそれぞれ 28.8、2.04。社会人になってまもない1980年は寿退社という言葉がまだあったころで 32.5、1.83。女性の社会進出がいわれだした1990年は 37.3、1.65。バブル時代に「結婚しない女」「DINKS(ダブルインカムノーキッズ)」という言葉が流行りましたが、そんな言葉に乗った女性たちは気がつけば結婚相手もいない、
妊娠可能年齢を過ぎていると後悔している。バブル崩壊後の2005年は 43.0、1.30と出生率は最低レベル。日本の国力を落とすための策略だったのだとしたバブル崩壊とあわせて見事というしかない。
 アジアの国を見ると以下の通り。(人口は百万人、年齢中央値、出生率の順)
 中国 1439 38.4 1.69、インド 1380 28.4 2.24、インドネシア 274 29.7 2.32、パキスタン 221 22.8 3.55、バングラデシュ 165 27.6 2.05、日本 127 48.4 1.37、フィリピン 109 25.7 2.58、ベトナム 97 32.5 2.06、トルコ 84 31.5 2.08、イラン 83 32.0 2.15、タイ 69 40.1 1.53、ミャンマー 54 29.0 2.17、韓国 51 43.7 1.11。
 こうしてみると日本についで韓国・タイ・中国の少子高齢化が目立ちます。インドと中国の立場が逆転するのも時間の問題なのでしょう。
欧州の年齢中央値を見るとイタリア 47、ドイツ 46、スペイン 45、フランス 42、英国 40となる。日本の高齢化と欧州の高齢化はほぼ同レベル、英仏は旧植民地からの移民で年齢中央値が下がっているのでしょう。アメリカは 38、ロシア 40、メキシコ 29、ブラジル 33。アフリカはエチオピア 19、エジプト 25、コンゴ(旧ザイール) 17、タンザニア 18、南アフリカ 28、ケニア 20、など年齢中央値が極端に低く、教育水準や産業の発展レベルを考えると人口爆発から将来予測として戦争や飢饉が恒常化するかもしれない。
地球温暖化詐欺の利権を争っているうちに中東・アフリカの人口増加に欧州は飲み込まれてしまうのかもしれません。   (PB生、千葉)

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(読者の声2)6月5日に「武漢コロナ恐慌に巻き込まれた世界経済は、経済学者の多くの否定的見解を蹴散らせつつ、MMT的な通貨供給によりその衝撃を軽減しようとやっきです。
私も当面はこれで行くしか方法はないのだろうと感じています。
しかし・・・MMTの最大の問題は経済の専門家が及ばない経済理論の枠外にあると私は思います。
それは『人間は働かなくとも、通貨を印刷すれば良い生活を送れるのだ』という精神の退廃?=モラルハザードをMMTはもたらせてしまうことにあり、これは人類誕生後の最大の危機に繋がりかねないと云う事です。
人類が曲がりなりにもこうしてこの世で生きながらえてきている原動力は、食を得る生物学的欲求、安全・安心と言った社会的ニーズ、自己実現=アイデンティティにあり、その三点がこのMMTにより大きく毀損されるという問題です。
つまりヒトは皆自分の社会における役割を担っているとの自尊の感情(=アイデンティ)を保持するがために生きてゆけるのです。この自尊心を担保する「労働価値」を喪失させかねない経済理論を果たして主流にしていいのか? 私が悩むところです」と投稿いたしました。
 つまりインフレと「就労補償プログラム」によるモラルハザードがMMTの主たる問題点であると云う事。共産主義は(当初は通貨を撤廃して)物を均等に配分する社会を目指しましたが、結局は「あまり働くことはない」と感じる人ばかりの社会をつくり、ソ連を終わらせました。
MMTは物ではなくて印刷したお金を均等に配分することで「あまり働かなくてもいい」と感じる人をつくり、結局は富を生まない、勢いの欠けた社会になる事が心配なのです。そこで以下の如きMMTの補強策を考えてみました。
(1)通貨発行額の上限を、「国家の失業率ゼロを目指した政策」を大前提に設定する。
 (2)その発行された通貨は、補助金ではなく減税還付金という形で使用される。発行された通貨はヘリコプターマネーのように国民に直接交付することは避け、経済政策の最高位の目的である雇用確保へ貢献した企業などへ付与される。
 (3)この減税は社会に付加価値を創出するために貢献し且つ雇用の確保に貢献した(税金を支払った)黒字企業に適用される。
 (4)企業などへの減税額は規模・役員賞与総額・納税額などを勘案しつつも、根幹は雇用者人数により厳格・適性に決められ、企業の実雇用者数と減税還付金額は公表され「社会貢献企業」とみなされる。

かような「新・MMT」であれば、最重要な人間の働くことの尊厳を守り、財政規律や経済成長・活性化と雇用確保などの目的をも同時に兼ね備えたMMTになり、今なされているようなMMT的な『無制限な通貨供給』一定の「思慮の機会」を提供し、これから先の国家社会の安定に寄与できると思いますがどうでしょうか。
(SSA生)

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(読者の声3)貴誌前号にインドのパール判事のことが取り上げられていますが、箱根にはパール・下中記念館があります。
https://www.shimonaka.or.jp/pal-memorial-hall/
 このサイトを見る限りでは、大したことがないように見えますが、中に入ってみるとその荒廃ぶりがひどかったです。
 十年近い前ですが、大雨の中、来たのは私ら夫婦のみ。薄暗い展示室にパール判事の法服があったのが印象的でした。むろん東京裁判で使ったものです。
 箱根は急峻な山で、大雨が降ることがしばしばです。記念館の再整備が必要ではないかと思った次第です。    (田中秀雄)
          ♫
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宮崎正弘 v 石 平  『ならず者国家・習近平中国の自滅が始まった!』(ワック)
宮崎正弘 v 西部 邁 『アクティブ・ニヒリズムを超えて』(文藝社文庫)  
宮崎正弘 v 渡邊哲也 『コロナ大恐慌中国を世界が排除する』(ビジネス社)
宮崎正弘 v 田村秀男 『中国発の金融恐慌に備えよ!』(徳間書店)) 
宮崎正弘 v 高山正之 『世界を震撼させた歴史の国 日本』(徳間書店) 
宮崎正弘 v 河添恵子 『中国、中国人の品性』(ワック)  
宮崎正弘 v 宮脇淳子 『本当は異民族がつくった虚構国家 中国の真実』(ビジネス社) 
宮崎正弘 v 藤井厳喜 『米日露協調で、韓国消滅!中国没落!』(海竜社)
宮崎正弘 v 室谷克実 『米朝急転で始まる中国・韓国の悪夢』(徳間書店)
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( 宮崎正弘さん 🎶 、益々のご活躍をお祈り致します。💕🐧) 


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