映画スポットライトの名台詞④ー報道されなかった場合の責任は誰が取るんだ―

 記者だったら、一度はこんな取材をしてみたい、こんな記事を書いてみたい、こんなセリフを吐いてみたい、というシーンがこれでもかと出てくる映画スポットライト。

 冒頭にBased on Actual Events(事実に基づく物語)と表示される通り、米ボストン・グローブ紙が実際に世に放ち、社会を揺るがせたスクープの話だということを考えながら観ると、よりゾクゾクしてしまいます。

 今日はその中でも、筆者が特に好きなセリフを取り上げます。

 場面は裁判所。

 カトリック教会幹部が、聖職者による未成年者虐待事件を隠蔽していたのではないかという恐ろしい疑惑。それを示す決定的な証拠文書が裁判所に保管されていることを突き止めたマイク記者は、裁判官に文書の公開を求め、詰め寄ります。

 それに対して裁判官は、

英)Tell me , where is the editorial responsibility in publishing records of this nature?
(聞かせてくれ。これが報道された場合の編集責任はどこにあるんだ?)
伊)Mi dica , dov'è la responsabilità editoriale nel pubblicare documenti di questo tipo?

 と言ってきます。ちょっと意味が分かりづらいかと思いますが、要は、この非常にセンシティブな文書を公開して、ボストン・グローブ紙が記事にして、大騒ぎになって、カトリック教会が怒ったり訴訟問題になったりした場合に責任は誰が取るんだ?おれが取らなきゃいけなくなったらイヤなんだけど?ってことが言いたいんだと思います。

 こういう人は実際います。

 たとえば日本では、判決が確定した刑事裁判の記録は誰でも閲覧できるということが法律で定められているのですが、実際に見てみようと文書が保管されている地方検察庁に申請に行くと、たいがい、あーだこーだとごちゃごちゃ言って断ろうとしてくる職員にぶち当たります。
 訴訟記録には、裁判を傍聴しただけでは知ることができない、被告人の供述調書や各証拠の内容も含まれるため、取材をする上でいろいろな手がかりになる可能性が高く、こちらも簡単に引き下がるわけにはいきません。

 そこでだいたい「文書を出してください」「出せません」の応酬が始まるのですが、向こうの言い分をよくよく聞くと、要は「面倒だから」とか「なんかトラブルになったらイヤだから」という本音が透けてきます。(ストレートに「自分の責任になったら困る」と言われたこともあります。法律で閲覧できることは決まっているのに・・・)

 上記の裁判官のセリフもまさに、これと同種の「腰が引けた事なかれ主義」の発言だと思われますが、これに対するマイク記者の返しがふるっています。

英)Where's the editorial responsibility in not publishing them?
(報道されなかった場合の責任はどこにあるんです?)
伊)E dov'è la responsabilità editoriale nel non pubblicarli?

 つまり、これが報道されなかったことによって事実が埋もれてしまったり、被害者の声がかき消されたりしてしまった場合、あなたは責任が取れるんですか、ということだと思います。

 結果、証拠文書は公開され、これをもとにマイク記者が所属する調査報道チーム「スポットライト」はさらなる緻密な裏付け取材を続け、カトリック教会の大スキャンダルを暴いていくことになるのです。

 こういう仕事だけしていけたら、マスゴミなんて呼ばれることもないんでしょうけどね。
 頑張ります。

 

 

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