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結婚式というマジック

今月は2回も結婚式に参列した。まだ学生の身である私にとって、いくらか包まねばならぬご祝儀は決して軽んじられる額ではない。それが2回となると収入のおよそ1/3が吹き飛んでしまう。

そういう事情もあってか、式場に行って人数がどれくらいかを確認すると何となく金勘定をしてしまう。80人くらいが参列していて、大体は3万円を包んでいるだろう。親族はちょっと多めに5万、両親からは10万とか貰えるのだろうか。非常に残念ながら、私はまだ結婚式を経験しておらず相場を知らないので当てにならない推測かもしれない。
それでも約250万円くらいが集まり、残り数十万の自腹を切って挙式という流れなのだろうか。なかなかである。

他人様の幸せの日に金勘定ばかりしている嫌な奴にとられたくないので、ちょっと言い訳をさせてもらおう。300文字弱を使って金が掛かりすぎるというような事を言ったが、実は、式に参列するのは大好きだ。まず、新郎新婦のゲストにとってみればちょっと豪華な合コンみたいなものなのだから、参加しない手はない。最近は二次会をやらない場合もあるので一概にそうは言えないが、とにかく参加してもう片方のゲストとお知り合いになればよろしいのだ。
それと、やはり結婚式という特別な瞬間を目の当たりにすると色々と感じたり考えたりするものがある。帰り道(もっとも、三次会以降に飲みすぎて記憶が無いこともままあるのだが)に考え事をしてみると、そういう時にしか思い当たらない感情が湧き出てきてなかなか面白いものである。


大学の時に属していたコミュニティは、私の中ではそこまで大事でないつもりだった。より正確に言えば、高校でやり残したことの延長としてダラダラと続けているだけのコミュニティだったので、大学生活における優先順位はそんなに高くないつもりだった。事実として、途中で辞めようと思っていたくらいなのだ。
でも、辞めようと思っていることを伝えた時に熱いメッセージで止めてくれた友人がいた。私の考えを尊重しつつ、一緒に続けたいと言ってくれた友人がいた。何も言わず、何も変えず、隣にいてくれた友人がいた。そんな関係に支えられ、結局のところ、私は辞めるのを踏みとどまり最後までやり切ったのである。我々は優秀な代ではなかったと思うが、同期の繋がりは良かったと思う。決して全員が仲良しというわけではない。でも、何となく全員が同じ方向を見ているというのは分かり合えていた。

そういう友人たちが、当時は本当にしょうもない阿呆なことしかしていなかったのに、今では立派に隣にいる大切な人と笑いあっているのを見ると込み上げてくる感情があるものだ。


去年から、ずっと別れが多いなぁなどと悲しさを覚えていた。大学時代に最も仲が良かった友人が就職し、毎週のように遊んでいた彼と1年に3回くらいしか会わなかった。しかも、会ったら会ったで当時のことをしきりに思い出してしまう。コミュニティの友人も続けざまに3人くらいが結婚した。挙句の果てに、今年の頭に恋人と別れてとどめを刺された(?)気分だった。

でも、結婚式の後にゆっくりとそういう経験を咀嚼してみると、段々と考えが変わってくることに気付く。私が今考えていたり思っていたりすることのどこかに、そういう別れの経験が活きているんだろうなと納得できるのだ。

実感、ではなく納得、である。自分の中でそうなんだろうな、と答えを決めつけているだけなのだ。それでも、私にとってそれは充分で、幸せで、それ以上に考えるべきことは何も無い。



真っ白なタキシードと真っ白なウエディングドレスの光にあてられると私はどうも頭がおかしくなってしまう。まるで、体育祭の雰囲気に呑まれてアベックになってしまう高校生みたいだ。まだまだ私は精神的に幼いのだろう。それでも、それはそれで悪くは無いかななどと思ってしまう。まだまだ人生の途上にある自分に、ほんの少しだけ安堵できる貴重なひと時である。

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