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対話を、外部から支える

ご無沙汰しています。前回の note 記事を書いたのは、2022年5月でしたので、11ヶ月ぶりに書いています。この季節になると、私は文章を書きたくなるようです(笑)

さて、2022年度は、とにかくワクワク過ごした1年間でした。お陰様で、「対話」にどっぷりと浸かることができた1年だったからです。
オンライン対話を主催したり、企業や団体の組織内対話に外部ファシリテーターとして関わったり、いろいろな経験を積むことができました。

今回は、組織やチームの対話に、外部ファシリテーターが関わることの意味や意義について考えたことを、まとめてみようと思います。

対話の参加者の「よいところ」が見える

外部ファシリテーターとして対話に入ると、職場や普段の関わり合いの中での「いつもの姿」を知らずに、目の前の参加者の語りに耳と心を傾けます。少し状況がハードな職場のメンバー間では、「○○さんは言い方がキツイから話したくない」と評判の人であっても、私には積年の嫌な思いがないので、「熱量が高い人だなぁ」とか、「思いが溢れているなぁ」とか、「よいところ」が見えてきます。

逆に、メンバーから頼りにされているリーダー格の人の「チームに与える悪影響」も、自然に感じ取ることができます。
外部ファシリテーターだからこそ、フラットに人を見ることができるのだろうなぁと思います。そして、その外部の視点は、対話を続けていくうちに、参加者間の関係性にも、好ましい影響があるように私は感じています。

組織内の「当たり前」に疑問を呈することができる

組織やチームの中には、たくさんの「当たり前」が渦巻いています。例えば、「朝は大きな声で『おはようございます』と挨拶する」などです。
「当たり前」は、人間関係を円滑にしたり、仕事を進めやすくする効果がありますが、思考停止を招きますし、度を超すと生産性を低下させます。
組織やチームの中にいると、「当たり前」を見つけたり、疑問を投げかけたりすることは、本当に難しいと思います。

外部ファシリテーターは組織内の「当たり前」に対して「え?どうして?」や「前後の文脈がわからない」と不思議に感じるので、疑問や問いを投げかけることができます。
また、内部の人間が「当たり前」に疑問を呈すると「反発」として周囲から見られがちですが、外部の人間の場合は好意的に受け取られることが多いのもおもしろいところです。

対話に漂う「願い」を感じ取ることができる

対話をする中で、参加者の方から「お客さんと話すことが楽しい」や「情報共有がされないことが不満だ」、「5年後には、この団体はなくなっているのではないか」といった「気持ち」や「感情」が語られることがあります。
それらの背景には、対話の参加者一人ひとりが大切にしていることや「願い」、はたまた組織としての「願い」が必ずあります。

外部ファシリテーターだからこそ、一見するとハードな対話の場面だったとしても、ハードさに巻き込まれ過ぎずに、対話に漂う「願い」を感じ取ることができるのではないかと、私は思っています。

対話の参加者が、詳しく話してくれる

「当たり前」のところと被る面がありますが、専門用語や略語だったり、暗黙のルールだったり、内部の人間同士であれば取り上げられない言葉や文脈について、外部の人間が「○○ってなんですか?」や「○○と言えば△△とは、どういうことですか?」と尋ねると、たいていの方は丁寧に、詳しく話をしてくださいます。

特に「暗黙のルール」に関する語りの中に、先人の成功体験や組織やチームが大切にしてきた思いがあったり、今のメンバーの自由を奪う何かがあったりします。
外部の人間が対話に入ることで、メンバーがより詳しく話し、それが他のメンバーの気付きを促すことも多いのです。

まとめ

組織内対話は、大企業はもちろん中小企業やNPO団体、市民活動まで、幅広く実践されるようになってきています。内部人材がファシリテーターとなり、対話の場をホールドすることが多いだろうと思います。
もし、事情が許すならば、外部ファシリテーターを入れた対話もやってみてください。外部の人間だからこその影響が、場を動かすことになると思います(#^^#)
※ ファシリテーターの人選には十分にご注意ください。スキルだけでなく、在り方(being)や組織・チームとの相性をしっかり見極めることをお勧めします。

そういえば、私が対話に入るときは、単独ではなく基本的に2~3人です。ファシリテーターが複数人であることにも、大切な意味がある、と感じています。そのうち、その辺についても、書きながら頭の中をまとめてみようと思っています。

では、また~(#^^#)

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