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創業後たった2年で5億の融資稟議が通った話

「せっかくやるならチャレンジできる方へ」

社会人になって紆余曲折ありながら不動産会社を起業しました。

今回は前回の続き、創業後の話です。
32歳で一念発起して弟と二人で起業したものの、差しあたっての課題は資金調達でした。

会社スタート時点でなんとかかき集めた資金は1000万。そこに金融公庫から創業融資として借り入れた2000万を合わせた3000万円が今村不動産の創業資金のすべてでした。

僕は不動産業界のなかでも「不動産開発」のジャンル、いわゆる「不動産ディベロッパー」として創業しました。簡単に説明すると土地や建物を買取って、そこに新たに建物を建築したり既存建物の修繕や用途変更を行う=不動産商品を開発して販売するという仕事です。

「不動産開発」の仕事は土地の仕入れや建物の建築など扱う商品規模が大きいためどうしても初期投資がかかります。だから、不動産業界でスタートアップとして創業する場合は初期投資やリスクが比較的少ない「不動産流通」のジャンル、いわゆる「不動産仲介会社」として実績や余剰資金を積んだ上で別の分野に展開していくのが一般的です。

でも、それじゃあ面白くない。

僕は初めから不動産開発を軸に事業化を進めていこうと考えていました。

理由はいくつかありますが、ひとつはできるだけ早く事業を拡大させたかったからこと。それまで10年ほど不動産業界に身を置いてきて、開発の分野が初期リスクがある分もっともスピーディーに事業をスケールできると思っていました。

それに、自分たちでプランニングから入って購入した土地を活かすことができる建物の開発を行うという一連の流れに仕事としての魅力を感じていました。

せっかく不動産を生業にするのであれば仕事を通して社会に貢献したい。将来的には街の再開発や商業ビル開発など規模の大きな開発を担うことができれば、大袈裟に言えば日本社会の発展にも関われるんじゃないか?と漠然と夢を抱いていました。

とはいえ、実績も歴史もない会社に高額な融資をしてくれる金融機関なんてありません。まずは目の前の3000万円をもとに事業をどうにか動かしていく必要がありました。

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一発目の物件からキャッシュアウトの危機!

3000万円という限られた資金なので、現在の今村不動産が行ってるような「土地を仕入れて建物を建築してテナントを誘致する」といった開発はできません。

なので、土地建物を一括で仕入れて改修や条件変更を行うことで不動産価値を上げて販売する方法を目指すことにました。

そこで重要になってくるのが、理想にマッチする物件情報をできるだけ多く集めること。それこそ朝から晩まで寝る間を惜しんで不動産仲介会社の新規開拓になりふりかまわず奔走しました。

その結果見つけたのが、大阪・大東市にあった築20年程度の2500万ほどの河川敷の近くに建つマンション。建物オーナーとは別に地域の土木事務所が土地を所有していて少し特殊な契約が結ばれている、ちょっと厄介な物件でもありました。

大手や中堅のディベロッパーが面倒がって手を出さなかったその物件は、僕たちが購入する時点で入居率も悪くなく、表面利回りも25%程度と破格の高水準でした。

初めての物件にしては面白そうだ。
他の人がやらないことにこそチャレンジのしがいがある!

この物件なら方法次第で勝負できると踏み、会社としてはじめての契約を進めることにしました。けれど「他にはないから面白そう」だという直感に近い部分も少しありました。

ただ、当初計画通りに上手くはいきませんでした。

会社で取得したそのマンションを販売するために仲介会社に営業活動を行うものの、すぐに買い手は見つからず。物件購入後に残った運転資金も月を追うごとに減っていきました。

リミットは6ヶ月。実はそれまでに売却できないと会社の固定費も支払えずキャッシュアウトを起こしてしまう試算も立ってたんです。はじめは悠長に構えていましたが、さすがに残り3ヶ月を切ったあたりから少しずつ焦りを感じるようになりました。

けれど、これまで流れにまかせて学生生活や就職・転職・起業をしてきた僕は悲観的になることはありませんでした。それは一緒に創業した弟である専務も一緒でした。

販売価格を下げるべきか?そもそも戦略を見直すべきだろうか?相談の毎日でしたが、ネガティブな意見が出ることは一切なかったと思います。

「やれることはまだまだある、そのための行動をするのみ」という信念を変えず粘り強く販売情報をリリースし続けた結果、最終的には少し販売価格を下げたものの約5000万円で売買契約の締結に漕ぎ着けました。

キャッシュアウトのリミットぎりぎり、物件の販売開始から6ヶ月目のことでした。


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創業と同時に進めた事業計画書

創業後はじめての物件売買と同時に水面化で進めていたのが事業計画の策定でした。事業の成長スピードとスケールメリットを狙ってディベロッパーとしての創業を決めた時から、できるだけ早い段階の資金調達が経営面では不可欠だと考えていたからです。資金余力がなければいくら優良な物件が見つかったとしてもスタートラインにすら立てません。

もちろん、取引実績のないスタートアップ企業に手放しで融資してくれる金融機関なんてありません。資金調達を戦略的に進めるため「金融機関との関係構築」と「事業計画書」にはかなり時間を割いて取り組んでいました。

当時創業から4年ほど経っていた兄貴の会社、過去に所属していた会社、それまでの不動産業界のネットワーク、たくさんの方に紹介いただきながら着実に金融機関を開拓していきました。

打算的ですが、ご紹介いただく方と金融機関との関係性や実績は注意深く見るようにしていました。一度紹介いただいた金融機関の担当者との関係はなかなか変えることはでません。不義理をしないためにも、ご紹介者と金融機関との融資実績や関係性には特に注意しながらご紹介いただきました。

不動産業の新規創業では、業界内でのネットワークはとても大切なんだと今になっても思います。

金融機関開拓と同時に取り組んでいたのが事業計画書の作成です。大企業は別として、実は不動産業界で事業計画をきっちりと揃えて金融機関と付き合っている企業は結構レアです。

だからこそ、創業後すぐで実績はなくても綿密な計画書と会社としてのビジョンをきっちりと語ることができれば、金融機関からも信用を勝ち取れるんじゃないか?と思っていました。

ご紹介いただいた金融機関には四半期に1度必ず財務報告に伺う。決算月には決算報告と中長期的な経営計画を伝えに伺う。伺った時には「どんな情報があれば融資を通しやすいか」「他にどんな資料があれば稟議を上げやすいか」を毎回ヒアリングしながら改善するようにしました。

こうして積み上げてきた金融機関との関係性や精度の高い計画書のノウハウは、創業から8年が経った今もかわらず続けている僕たち今村不動産の強みにもなっています。


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創業2年目で5億の資金調達

1棟目以降、仲介会社とのネットワークも広がり売買実績も少しずつ出てきた創業2年目。大阪・豊中市で有力な土地の販売情報を仕入れました。同時にとあるスーパーの出店計画も持ち上がっていたこともあり、土地買い付けからテナント誘致、建物建築、収支シュミレーションまで一貫したプランニングと事業計画書の作成に取り掛かることになりました。

試算の結果、各種諸費用も含めた案件総額は5億円。それまでの金融機関との関係構築や経営計画書作成の甲斐もあり、地元信用金庫から満額の資金調達の稟議は無事通過することに!

結果的にその案件自体は売主側の状況が変わってしまったこともあり破綻になりましたが、不動産ディベロッパーとして創業2年で高額の式調達稟議を通せたことは自信にも繋がったし、自分の考えや方法が認められたようでうれしかったのをいまでも覚えています。

実際に、この実績はその後の他金融機関への大きな信頼にもつながりました。「ここまで丁寧に経営状況や中長期計画をまとめているのは御社くらいのものだよ」。そう言っていただけることは、いまでは僕個人を超えて会社としての強みにもなっていると思います。


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不動産業界に限らず、どんな商売も会社も、スタート時点は実績も歴史ない。けれど、自分が考えていたことが少しずつ形になって、数字につながっていく。そして自分が関わっている人に喜んでもらえるようになる。

相手のちょっとしたひと言で「自分は間違っていない」と自信がついたり「もっとチャレンジしよう」と前のめりになれたり。仕事を通してそんな風に感じられることが、企業を経営する醍醐味なのかもしれないな、と最近ふと思います。

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