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ぶらりくり -小浜・雲仙編-


1日目 (雲仙)

 長崎からバスで1時間強のところにある橘湾に面した海辺の温泉地小浜は海を染める夕日でも有名で、斎藤茂吉も歌に詠んだほど。源泉温度は105℃と日本一の熱量を誇る。午前中に小浜に到着し、ホテルに荷物だけ預けて再びバスに乗り雲仙へと向かった。
 雲仙は島原半島のほぼ中央、標高700mの山上に広がる国立公園内にある温泉地で、雲仙地獄を中心とした温泉街には懐かしい雰囲気が漂う店やクラシカルなホテルが並んでいる。

 雲仙は701年に奈良時代の僧、行基によって開かれたといわれている。当時の「温泉(うんぜん)」は女人禁制の霊山として「西の高野山」と呼ばれるほど栄えており、地獄の噴気箇所には当時の仏教説話に基づいた名前が数多くつけられている。
 雲仙が温泉の枠地として書かれた最古の記録は713年の「肥前風土器」であり、「峯の湯」として登場する。
 その後雲仙は満明寺を中心とした仏教文化が発達し、修行の地として最盛期には瀬戸石原の三百、別所の七百、併せて一千の僧坊があったらしい。
 外国人観光客の存在とは切っても切り離せない雲仙が初めて外国人とかかわりを持ったのは、1690年、長崎の出島で西洋医学を教えていたケンペル(Engelbert Kämpfer)が滞在中に記した『日本誌』に「ウンゼン」の地名が記されたことがきっかけになり、以後チチング(Isaac Titsingh)シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)の著作に雲仙の名前がみられるようになった。(日本近代医学の父とも呼ばれるシーボルトは日本の火山についても研究し、雲仙岳については特に詳細な調査を行っていた。詳細は『江戸参府紀行』に詳しい)
 明治に入ったころから雲仙には外国人が姿を見せるようになり1877年ごろから夏期に訪れる外国人避暑客が増え、雲仙では部屋を洋風に改築したり、新たに立てるホテルには洋間を、また小地獄には完全洋式のホテルが完成した。1885年以降は県道が整備され、茂木・網場から小浜に至る船便も開通した。
 1890年、外国新聞「ノースチャイナ デイリーニュース」に雲仙が紹介されると上海、香港、ウラジオストク、ハルビンから避暑客が殺到。1911年にはドイツのベルツ博士の進言の元で日本で初の県営温泉公園となり、1927年には「新日本八景」国民投票で山岳部門で一位に選出、1934年に瀬戸内海や霧島とともに日本最初の国立公園の指定を受けた。
 1913年には日本初のパブリックゴルフ場が開場し、プール、テニスコートの開設、外国人の利用を目的とした雲仙娯楽館も開設され、英語やロシア語で書かれた外国人向けの観光パンフレットが作成された。
 第二次世界大戦中は1943年に佐世保海軍病院の療養所としてホテルは接収され一般の営業は停止。終戦後の1946年に米軍駐留によりホテルとゴルフ場は接収され、1950年まで雲仙は冬の時代を過ごすことになった。

雲仙地獄

 雲仙観光の目玉が白い噴煙と硫黄のにおいの立ち込める温泉噴出孔である雲仙地獄で、大地の息吹を体感できる。ここら一体に約30か所の地獄があり、江戸時代にはキリシタン殉教の舞台となったことでも知られている。

雀地獄

 地下から噴き出したガスが水中で弾けて雀が泣き騒いでいるようなビチビチと小さな音がするから雀地獄と言われている。地獄には目と鼻で楽しむものが多いが、ここでは耳を住まると温泉のさえずりが聞こえてきて愉しい。

お糸地獄

 昔、島原城下で夫を殺したお糸という女性が処刑されたころに噴出した地獄。「家庭を乱すと地獄に落ちる」という戒めを込めてこの名前が付けられた。

大叫喚地獄

 噴出口から低い喚き声のような音が聞こえてくるから大叫喚。雲仙地獄にある30の地獄の中で最も活発に噴気を出している。噴気の温度は約120℃。

邪見地獄

 この温泉のお湯を飲むと夫婦や友達との間で生じた嫉妬心による不和を解消するという言い伝えがあるから邪見地獄。実際は強酸性の温泉なので飲めない。

泥火山

 硫化水素を含む高温の火山ガスによって溶けた岩石が白い泥となり、噴気とともに吹き上がり火山のような形になっている。火山は火口から噴き出した溶岩が冷えて固まることで山体を作るので溶岩の粘り気によってできる山体の形が異なる。つまり、水分が少なく泥の粘り気が強いと急峻な形になり、粘り気が弱いと平たい形になる。

 雲仙は殉教の地としても有名で、1587年に豊臣秀吉はこれまでのキリスト教容認姿勢から一変して信徒の弾圧を命じた。以降、1638年の島原の乱までキリスト教徒に対する迫害は続き、その拷問の舞台となったのが雲仙である。
 日本各地のキリスト教の信徒らは長崎に送られ棄教の説得がなされるが、そこで改宗をしないものは雲仙の煮えたぎる熱湯に放り込まれた。俗に「山入り」と呼ばれる地獄責めである。現在でもカトリック雲仙教会では雲仙地獄で殉教したキリスト教信徒の霊に捧ぐべく毎年五月に雲仙殉教祭が行われている。

 雲仙の温泉たまごが売られてる。300円。御利益付きらしい。

原生沼

 雲仙の西側に広さ約1haの沼野植物群落のある小湿地があり、九州ではまれなミズゴケ湿原として国の天然記念物として指定されている。モウセンゴケなどが生育しており、5月の中頃にはカキツバタが奇麗らしい。残念ながら時期が合わなかった。

雲仙ビードロ美術館

 ボヘミアンガラスなどのヨーロッパガラスを中心に約300点のガラス作品が展示されてる美術館。やらなかったけどガラスの小物づくりも体験できる。

雲仙観光ホテル

 雲仙観光ホテルは実は九州で唯一のクラシックホテルである。最初はここに泊まろうかと思ったけれども観光ルートの都合上雲仙に宿をとるよりも小浜に泊まった方が便利そうだと思ってあきらめてしまった。土日であればランチを楽しめるらしい。

温泉神社

 温泉神社は「おんせんじんじゃ」ではなく「うんぜんじんじゃ」と読む。温泉街に建つ守り神で境内には「夫婦柿」と呼ばれる大きな柿の木が2本寄り添って立っていて、撫でると恋愛成就に御利益があるらしい。

近江屋本舗

 お土産として雲仙名物の「湯せんぺい」を買ってみた。小麦粉と砂糖、卵に温泉水を練り込んで焼き上げたお菓子でほんのり甘くサクっとしている。

 一通り雲仙を観光したので小浜に戻ることにした。

1日目 (小浜)

ほっとふっと105

 小浜温泉の源泉が105℃どであることからつくられた全長105mの足湯。海を見渡しながら足湯につかることができる。すぐそばには温泉の熱を利用して蒸し釜があるので食材を持ってくれば手軽に蒸し料理が作れる。

弘法大師像

 足湯から出て宿まで戻っている最中に弘法大師の像が建っているのを見つけた。790年に諸国巡錫の途中に小浜を訪れた際に、飲料水がなくて住民が苦しんでいるのを見た弘法大師は六角の錫杖で大地の一角をつくとそこから水が沸きだしたといわれているらしい。そんなあほな。

 宿にチェックイン。海が見えて最高。

 長崎で買ったお土産を広げてみた。広げると言ってみ3つしかないけど。
 小浜の観光地は良く知らないので宿の人に教えてもらった名所を巡ってみることにする。

上の川湧水

 小浜では至る所に湧水地があるが、上の川湧水は1629年の『キリシタン殉教史の悲話』にも記述されているほど昔からあり、「庄屋元前の湧水」として近隣住民に親しまれてきたらしい。

 刈水は高温の温泉が湧き出す小浜温泉唯一の温度の低い温泉。温泉法では地表に湧き出した時に水温が25℃以上で特定の成分を一定量以上含む湧水またはガスを「温泉」と定義しているが、刈水の温度は25~27℃なのでギリギリ温泉である。ほとんどの小浜温泉は食塩泉であるが、刈水は炭酸泉。炭酸泉なので皮膚をひきしめて皮脂や汗の分泌を抑えて肌をすべすべにするアストリンゼント効果があり、1935年ごろまでは「刈水鉱泉場」という共同浴場があった。

小濱神社

 本殿には碁盤が置かれているが、これは皇室の伝統行事「深曾木の儀」に由来する「碁盤の儀」のためのもの。碁盤は「世界」に見立てられ、地に足をつけ自立した立派な大人に育つように、また碁盤の目のように筋目正しく育つように願う行事であり、子供が碁盤の上に立って元気よく掛け声をかけながら飛び降りるというもの。自由に乗って飛び降りて良いらしいけど子供じゃないのでやらなかった。本当はやりたかった。

 天井には龍の絵が描かれている。

光泉寺

夜ご飯 -小浜ちゃんぽん-

 夜ご飯は温泉街を中心に提供されている小浜のソウルフード、小浜ちゃんぽんをいただく。イカゲソやアサリ、エビなどの魚介と野菜から出た馬因果スープに溶け込んでいておいしい。

2日目

 2日目は宿をチェックアウトして天草に行く。島原半島の南端の口之津港まではバスが出ていて、そこからは天草の鬼池港まで島鉄フェリーが運航している。口之津港行きのバスに乗り小浜を後にする。

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