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ぶらりくり -福井・永平寺・大野編-

 北陸は金沢以外行ったことがないなあ。と思ったのでとっさの思い付きで福井に行くことにした。
 もともと北陸には北陸新幹線でいくものだとばかり思っていたが、調べたらどうやら福井には東海道新幹線で名古屋経由で米原まで出てから特急しらさぎで向かった方が早いらしい。
 というわけで、早朝6時発の新幹線のぞみ号博多行きに乗り、3時間15分後の9:15に福井駅に到着した。こんな大回りする道のりで向かっても3時間で着けてしまうなんて早い。本当は途中の小浜や高浜、三方五湖や敦賀、越前海岸、鯖江にもよっていきたかったけれども時間がないのでまた今度行くことにする。

 福井観光の計画としては、福井駅周辺を拠点に2泊だけ宿をとってある。初日は福井駅近郊をめぐり、2日目は福井の東の方をめぐり、3日目には1日目と2日目に行けなかったところに行く。完璧ではないけれども十全な計画である。

 とりあえず、福井近辺で行っておきたいところは大きく2つ。1つ目は朝倉景隆が築いた城下町の遺跡である一乗谷朝倉氏遺跡。2つ目は鎌倉時代に創設された曹洞宗の大本山である永平寺である。午前中はバスや電車などで動かなくても良い範囲で街をめぐってみて、午後からこの二つのどちらかに向かいバスが最初に来た方に行ってみようと思う。

 これは、福井駅のすぐそばにあったかわいい時計。岐阜の柳瀬商店街のからくり時計を思い起こさせる。

 道には楽器を演奏している人の像がたくさんある。良き。


1日目

足羽川

 市街の中心を流れる川。木田橋から新明里橋にかけての堤防には600本の桜が植えられている。春になったらまた来たい。

由利公正広場

 福井藩出身の幕末の偉人、由利公正を偲ぶ広場。五箇条の誓文の原案「議事之体大意」の展示も設置されている。

 公正は福岡藩の政治顧問・横井小楠に師事し、藩の財政立て直しを中心とした藩政の改革に貢献。殖産興業策をすすめ長崎に越前蔵屋敷を設置し、オランダ商館と生糸・醬油などの販売の折衝を行い、生産から販売までを総合的に管理する「産物会所」を福井に設置した。
 明治新政府の設立後には新政府の発行した最初の紙幣・太政官札の発行に関わり財政基盤の整備にも尽力。その後は東京府知事となり銀座通りの整備に着手した。また、民撰議院設立建白書にも名を連ね、1909年に81歳で没した。

 これは移動途中に見つけた商店街の風景。良い。

北の庄城址・柴田神社

 織田家の武将で浅井三姉妹の養父である柴田勝家の居城跡。

 勝家は1583年の賤ケ岳の合戦で秀吉に敗れ自ら代に火を放ち、妻のお市と共に自害した。

夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ 山時鳥

柴田勝家 辞世

さらぬだに うちぬるほども 夏の夜の 夢路をさそう 時鳥かな

お市の方 辞世

 浅井三姉妹の像。長女の茶々は秀吉の側室となり、秀吉の死後は嗣子秀頼の生母として権勢を誇るが、大坂夏の陣にて秀頼と共に自害。次女・初(藤子)は勝家とお市が自害したのち京極高次に嫁ぐ。大坂の陣では徳川家康の意向で徳川・豊臣両氏の和議に尽力。三女・江(小督)は秀吉に養われ佐治一成羽柴秀勝に相次いで嫁ぎ、徳川秀忠に再再婚した。

福井城址

 福井藩初代藩主結城秀康は1601年から約6年かけて福井城を築城した。現在城跡には福井県警など官公庁が立ち並んでいる。

 福井城天守台の井戸、「福の井」。1775年の「御城下絵図」の天守台には「福井」と記された井戸が描かれており、福井城の特別な井戸となっていた。この「福の井」が「福井」の由来になったという説が唱えられることもあるが、1624年に第3代藩主松平忠正が「福居」に改名し、これが1700年ごろに「福井」となった説が通説である。

 これは福井で見付けた良すぎる名前のパン屋さん。

お昼ご飯 (越前おろし蕎麦)

 香り高い蕎麦とピリ辛の大根。美味しくないはずがない。

一乗谷朝倉氏遺跡

 初日の午後は一乗谷か永平寺かに行きたいなと考え、先にバスが来た方に行くことにしたが一乗谷行きのバスが先に来たのでこっちに行くことにした。
 朝倉氏は一乗谷に本拠を置き5代100年にわたって越前を支配した戦国大名家で、一乗谷には戦国城下町の栄華を偲ぶ夢の跡が残っている。

 一乗谷へは福井駅からバスで30分ほどで行けるが、降りてみるとまっさらな自然が広がっていた。とにかくどこまでも青い。

 バス停を下りてから少し歩いた先に200mにわたって武家屋敷、町屋、商屋などが再現された復元街並が広がっている。人は全然いない。

 復元された武家屋敷の主殿。

 なんかカラフルな一帯。

 復元街並を北に抜けると一乗谷遺跡のシンボルである唐門が見えてくる。豊臣秀吉が朝倉義景を弔うために寄進した門で義景館の入り口に相当する。

 門の内側には朝倉氏の家紋、外側には豊臣家の家紋が刻まれている。

 門から入ると広がっているだだっ広い空間は朝倉館跡。⑤代当主、朝倉義景が暮らした館があった場所で、四方を堀で囲み西側の山辺を除く三方に土塁を巡らせた作りで、土塁内側の平坦地には10数頭の建物が立ち並んでいたとされる。15代将軍足利義明を迎えた際には中庭を取り囲む主殿や会所などの南側の一角で儀式や宴会が執り行われた。

 敷地約6,400m2の当時としてもまれに見る広大な館だった。真ん中の緑の部分は日本最古の花壇。

 基本的に一条谷遺跡に建物は残っていないので愉しむためには「イマジネーション」が大切になる。
 朝倉館跡を少し上ったところには義景の墓がある。

 朝倉氏の子女が入寺する禅宗の尼寺・南陽寺跡庭園。戦国期には「金碧奪目」と称されるほどの豪華さを誇っていたらしいが、現在は写真の通り。試される想像力。

 湯殿跡庭園。当主館の背後の高台に位置した庭園跡。

 中の御殿跡。朝倉義景の母・光徳院の屋敷跡。

 諏訪館跡庭園。義景の妻・小少将が住居した館跡。一乗谷で最も規模の大きい庭園。

 瓜割清水と呼ばれる朝倉氏の御前水に供した水源。現在でも生活用水として使用されている。

名勝 養浩館庭園

 一乗谷からバスで福井に戻ってくるとまだ夕暮れには時間があったので養浩館庭園を散策することにした。養浩館はかつて御泉水屋敷と呼ばれていた福井藩主松平家の別邸を復元したもので、回遊式の林泉庭園が見どころとなっている。

2日目

 2日目は朝から福井の東部・大野や勝山を巡ることにした。大野には「天空の城」と呼ばれる越前大野城と400年続くその城下町がのこり、名水が沸いている歴史の街で、福井からはバスで1時間ほどで到着する。

 これは大野城の麓に建っている時鎧。

越前大野城

 大野城へと続く山道は入り方が少しわかりにくいけど何とか見つけた入り口がここ。他にもいろんなルートがあるらしい。

 途中で見付けた土井利忠の像。

天空

 こいつが「天空の城」こと越前大野城。

 越前大野城は信長の家臣・金森長近が1576年から4年がかりで築いた城。中に入るとウサギの階段が待ち構えている。かわいい。

 これは土井家の冑にうさぎが刻まれていることにちなんでいる。なぜウサギ名の丘というと、子孫繁栄の象徴として、またその耳の長さから情報収集の象徴、ジャンプ力から跳躍を連想させるものとして縁起が良かったそう。

 天守からは城下町を一望できる。

 いわゆる有名な天空の城の写真は戌山城址の南出丸下から撮影されたものらしく、10月から4月ごろの気象条件の整った早朝にしか見ることができないという。とりあえず物は試しにと戌山城址に行くことにした。
 ちなみに生き方は中々にわかりにくい。昨日の一乗谷もそうだけれども、良くも悪くも福井の観光名所は観光名所の自覚がないというか、基本的にわかりにくく「ここに、ある。あとは自分で楽しみ方を見つけろ」というストロングスタイルをとってくる。

 ここから山登りを続け。ついに見晴らしがよいところに出て撮った写真がこちら。

 ちなみに気象条件が整うとちゃんと「天空の城」の写真が撮れるらしい。下の写真はわしが看板を撮ったもの。

朝倉義景墓所

 戌山を下山して街を歩いていると「義景公園」という講演を見つけた。どうやら朝倉義景の墓があるらしいので入ってみる。

 義景公園に限らないのだけれど、大野にはそこらじゅう湧き水であふれている。本当に水の名所なのだろう。

 これが義景の墓。

御清水

 そこら中に水があふれているのだが、そんな大野の中でも一番の湧き水スポットがこの御清水らしい。

 観光客だけでなく地元の人も水を汲みに来るらしい。いや、そもそも大野に来てから観光客をまだ一人も目にしてないけど……

 その後はだだっ広い城下町を散策するのだがどうも活気がない (いや、本当に道が広い。すごく広い)。というかほとんどのお店が閉まっている。これは後で分かったことだけれど、大野城の城下町のお店はほとんどが水曜定休なのである。伊藤順和堂の"いもきんつば"を買いたかったのだけれども、伊藤順和堂もご多分に漏れず水曜定休だった。大野への観光は水曜日を避けることを強く推奨したい。

本願清水イトヨの里

 この後は平泉寺白山神社に行きたかったのだけれどもバスが来るまでまだかなり時間があったので大野市の散策がてらイトヨの生息地があるというので行ってみることにした。隣接する本願清水は淡水型イトヨの生息地の南限として国の天然記念物に指定されている。

 イトヨおるねえ。

平泉寺白山神社

 平泉寺白山神社は1300年前に泰澄によって開かれた、日本最大規模の宗教都市を築き上げた白山信仰の拠点寺院である。大野市の隣にあるものの、大野市からは交通アクセスが極めて悪い。「北市」という駅まで30分ほどバスに乗った後、そこからは50分ほどひたすら山道を歩いていくことになる。
 非常に天気が良いため汗がとめどなく出てくる中、3kmほど歩くとようやく入り口が見えてきた。

 平泉寺の旧参道。「日本の道100選」に選ばれている。

 白山は717年に泰澄が開いたといわれ、832年に越前の平泉寺、加賀の白山本宮、美濃の長滝寺が開かれ、白山信仰の拠点三馬場が開かれた。1084年には平泉寺が比叡山延暦寺の末寺となり、1190年には藤島荘を治めた。
 1440念には平泉寺が火災により焼失し、このころに平泉寺から三光坊財蓮大光坊幸賢などの面打師が出現する。
 1573年には信長に攻められた朝倉義景が一乗谷を捨てて平泉寺に向かうが、朝倉景鏡の裏切りにあって大野で自害。1574年には一向一揆勢の焼き討ちにより平泉寺が全山消失した。
 1583年に顕海僧正が美濃から戻り平泉寺を再興。1601年に福井藩主・結城秀康が平泉寺に200石を寄進し、1624年に幕府が白山社領200石を朱印地とした。
 1631年には平泉寺が上野寛永寺の末寺となり、1702年に勝山藩主・小笠原貞信が平泉寺に30石を寄進。1729年に白山の支配をめぐって平泉寺と牛首・風嵐村との争いが勃発するが、1732年には幕府によって平泉寺の白山支配が認められた。
 1859年には平泉寺白山社の拝殿が再建され、1870年に平泉寺の名称を廃止し白山神社となった。1872年に白山と牛首・風嵐など白山麓18ヶ村が石川県に編入。
 1935年に白山神社境内が白山平泉寺城跡として国指定遺跡となり、1962年に白山麓一隊が白山国立公園となった。

東尋坊井戸跡

精進坂

旧玄成院庭園
 江戸時代の平泉寺の中心的な暴飲で現在では白山神社の社務所となっている。490年前に作られた庭園は北陸で最古の庭園で、室町幕府管領細川高国が造ったといわれている。

御手洗池
 717年に泰澄が平泉寺を訪れた際に白山の神が現れた場所と伝えられている。

 池の東側の三又杉は当時泰澄が植えたものと言われ、白山神社の御神木とされている。

二の鳥居

本社

 苔で覆われた静寂の世界。境内に蘇る中世の姿。

 拝殿後ろ3mある巨大な石垣は平泉の有力な坊院である飛鳥井宝光院波多野玉泉坊が競い合って積んだものと言われている。

南谷発掘地・僧坊の門と土塀の復元
 南谷発掘期は中世宗教都市として国内最大の遺構で、僧坊の門は2013年に復元された。

中世の石畳

大杉

 あまりにも暑かったので売店で山ぶどうのソースのかかったソフトクリームを買った。美味しかった。

 この後は白山神社から下山し来た道を戻りつつ何とかバス停にまでたどり着く。帰りは勝山駅からえちぜん鉄道に乗って帰った。これは勝山駅にいた恐竜。

夜ご飯 (くるくる寿司 ほがらか亭)

 夜は福井の誇る回転ずし、ほがらか亭に行ったよ。

 アワビのウニのせとかいう贅の限りを尽くしたネタもある。

3日目

永平寺

 3日目は770余年の歴史を持つ日本最高峰の禅道場・大本山永平寺を訪れた。鎌倉時代に開創された曹洞宗の大本山で、当時から絶えることなく多くの修行僧が修行に励み、凛とした空気が漂っている。現在でも毎年70名ほどの入山者がおり、約130名が1年以上の修行生活を境内で過ごしている。徳川家康も永平寺を認め永平寺法度を発布しており、「日本の曹洞宗の末派は永平寺の家訓を守るべし」と知らしめている。

 永平寺を代表する名所が、樹齢500年の老杉に囲まれた新しい住職を迎え入れるための唐門。門の扉には皇室の菊花紋がみられる。

傘松閣
 参拝者用の控室がある建物の一室に「絵天井の広間」があり、1930年に144名の日本画家によって描かれた230枚の花鳥画が広がっている。

七堂伽藍


七堂伽藍 (僧堂)
 修行僧が教えに従い座禅し、食事をし、睡眠をとる道場。僧堂、浴室、東司の3か所は三黙道場と呼ばれ私語厳禁。

七堂伽藍 (浴室)
 修行僧は一挙一動決められた手順で入浴を行う。

七堂伽藍 (東司)
 東司とはトイレの事であり、用を足すのも修行の一環で道元が決めた手順に従い行われる。まさに生きる全てが修行!

七堂伽藍 (法堂)
 仏殿と共に兵平時の本堂にあたる場所で、美しく輝く天蓋の八葉蓮華鏡が印象的。朝の読経をはじめ各法要を執り行う。

七堂伽藍 (大庫院)
 仏膳と修行僧と来賓の食事を調える場所。調理も修行の一環であり、修行僧が毎日の食事を1日3食作る。入り口正面には韋駄尊天が祀られている。

七堂伽藍 (仏殿)
 七堂伽藍の中心をなす建物で、本尊釈迦牟尼佛、阿彌陀佛、彌勒佛の三尊佛が祀られる総欅造りの宋朝様式の建築物。昼と夜の読経が行われる。

承陽殿
 
開祖の道元をはじめ、歴代禅師の御霊骨と位牌が安置されており、日本曹洞宗の聖地とされている。

祠堂殿
 一般人の供養、納骨などの法要を執り行い、全国から収められた位牌を安置している。

寂光苑

 永平寺から川に沿って山道を登っていくと歴代住職の墓地公園・寂光苑がある。敷地内には若き道元の像が。

 公園内の鐘楼「寂照の鐘」せっかくなので撞いてきた。1人2回まで撞ける。

 道中にある玲瓏の滝

 これは道中で見付けたご当地郵便局。

白山神社

 永平寺から10分くらい歩いたところにある白山神社は代々永平寺の修理を担ってきた宮大工たちの守り神が祀られている。永平寺の門前町は大工町として栄えており800年以上にもわたって信仰され続けている。境内には大工道具にゆかりのある聖徳太子を祀る堂もみられる。

 これは散策中に見つけたすごく好きな風景。

 バスが来るまでごまどうふソフトを食べたよ。あとお土産でごま豆腐を買った。なんか名物らしい。

お昼ご飯 (ヨーロッパ軒・ソースカツ丼)

 福井駅に戻ると丁度お昼時になったので福井のソウルフード・ソースカツ丼を食べる。かつ丼は卵でとじずに秘伝のソースで仕上げるのが福井流。一般的なとんかつよりも薄くて脂っこくないのでサッパリと食べられる。

 この後は芦原温泉に行きたかったのであわら湯の町の温泉旅館を2泊とっている。このあたりで福井を去り、坂井市に向かう。

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