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応援のお金なら喜んで受け取るのだけど・・・

今朝、所用で母に電話した。

「あんたとは少し距離を置きたい。」と言われたので連絡はしていなかったが、予想通り、よそよそしい態度だった。母は怒るとかなりねちっこく(長ければ1年以上)そのような態度をとる習性があるので、(悲しいかな夫も同じ)今回は用事だけで電話を切るつもりで、「また普通になったら、そちらから電話してきてね。」と穏やかに伝えた。

すると、また「いつもの」が始まった・・・。
「あんた、お金大丈夫なん?心配だから毎月少しずつ送ろうと思うんだけど。」
「ライブ行くって言ってたけど飛行機代とか大丈夫なの?」
「妻らしい事は何もしてないから、〇ちゃん(夫)には頼れないよね。お盆も帰ってこなかったし。なんでまだ仙台に居続けるのか、〇ちゃんも私も理解できんわ。」
「あのまま講師でやってればよかったのにね。(そうすれば教員辞めずにすんだのに)」
「音楽は趣味としてやればいいのに。(そんな夢みたいなことさっさと諦めてちゃんと仕事しなさい)」
「とにかく心配だからお金は振り込んでおくから。」

私なりに誠意をもってぎりぎり持ちこたえて対応した。
「私だってできることなら教員を続けたかった。いつクビになるか分からない、『正規』とは待遇も給与も全く違う『非正規採用』ではなく、正規採用になるために頑張って塾にまで行って採用試験も受けて合格したのに。それは私にそれだけの実力と実績があって、それを認められたからなの。それはすべて無駄だったのかな?」
「だからボロボロになるまで頑張った。そんなに頑張った自分を、私は褒めてあげたいと思う。」
「私のような教員を生まないためにも、不登校で苦しむ親子や自殺する子供をなくすためにも、私は本気でセカスクを形にしようとしている。」
「音楽で収入を得ている人はたくさんいる。有名人ではないかもしれないけど、事実、私の周りにもプロでやってる人たちはいっぱいいる。」
「私は今、自分ができる事を最大限やっていきたいと思っている。無理はまだできないけど・・。」
「教員もプロとして一生懸命やってきたし、音楽もそれと同じくらいプロ意識をもってやっている。職業に良い悪いはないと思う。」
「お母さんが安心するならお金の援助は助かります。ありがとう。でも必ず返します。」

電話を切った後、無性に悲しくなった。

たくさんの友人・知人が私の才能を認め、励まし、応援してくれている中、一番認めて応援してほしい身内(母と夫)が、私を信じて応援してくれない。

「あなたには才能があるから大丈夫。これからだね!頑張って。応援金送るからね。」

と、一言、言ってくれたらどんなに嬉しいだろう。

心配ではなく信じて応援してくれたなら・・・。

でも、「この事実」が、私に何を教えてくれようとしているか、はっきりわかった気がする。

いつまでもぐずぐずしている私のお尻を叩いてくれているのだと。

「過去は断ち切り、未来を信じて前へ進め」なのだと。

先日、書店でたまたま見つけて珍しく一目ぼれして買った「ココ・シャネルの言葉」(山口路子著 だいわ文庫)を、これまた珍しく取り憑かれたように一気読みした。その生き方に惚れ惚れし、感銘を受けた。シャネルの言葉についての著者の山口さんの解説がまた秀悦だった。
きっと、シャネルと私は時を超えて、今、出会うべくして出会ったのだと思う。

自分を信じ、仲間を信じ、ただ、前へ進むのみ。

理由はどうあれ、今、持ちこたえるために、親の援助は有難い。最大限の感謝とともに受け取り、ハッピーマネーに変えていこう。




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