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サマー・ステーション(#2000字のドラマ)

最寄りのスーパーは原チャリで片道二十分。山の上の家から一本道を下った先の町中にある。都会には何でもがすぐ近くにあった。田舎に戻ってから初めはこの遠さがストレスだったけど、ここでは時間の流れが穏やかだから短い時間でどこかに行きたいと望む気持ちは自然と無くなった。

唯一最大のストレスは猛り狂う夏の暑さだ。

「暑〜い」

坂道の途中、シノは原チャリを止めて道路にはみ出た木々の作る影に避難していた。汗を拭いていると、若い男の子が自転車で下ってくるのを見つけた。この辺りで若い人は珍しい。旅人だろうか。

少年はシノに気づくと、速度を落として自転車を脇につけた。

「すいません、ここから一番近いお店までどのくらいかかりますか?」
「坂を速く下っても二、三十分はかかるよ」
「そうですか…。ありがとうございます」

顔を肘で拭うと少年はわざとらしい笑顔を作った。その時、彼のお腹が大きくぐ〜っと鳴った。

「食べるもの、ないの?」
「ええ…、お店が全然見つからなくて食べ物も水も手持ちを切らしてしまっていて」
「だったらうち、来る?」

シノは自分の発言に驚いた。東京にいた頃は見ず知らずの異性を家に招くなんて絶対しなかった。一人でいることが好きな性分だけど、久しぶりに歳の近い人と会って嬉しかったのかもしれない。

少年は申し訳ないからと断ったが「熱中症で倒られでもしたら寝覚めが悪い」と言われて、最終的にシノの提案に感謝した。
シノの家は山道を登った先の、一見気付きにくい藪道の先にある。少年は東京から来たと話した。名前は和也。

「どうして自転車でこんなところまできたの?」
「特に目的があったわけじゃないんですよね。自転車を漕ぎ続けたらどこまで行けるんだろうってふと思って、気づけばこんなところまで来ちゃっていたんです」
「あれか。自分探しの旅ってやつだ」

和也は頬を少し赤らめた。その分かりやすい反応に思わずシノの頬が緩んだ。

白米、なめこ汁、ナスの漬物、海苔の佃煮。
情けないことにすぐに出せるのはそれくらいしかなかったけど、和也は心の底からキラキラした顔をして、これでもかというくらいに美味しそうにかき込んだ。

豪快な食べっぷりに思わず「もっと食べ」とシノは言った。自分の発した言葉には何故かホッとする懐かしさがあった。

そうだ。これはおばあちゃんが口癖のように言っていた言葉だ。いつも料理をこの食卓に並べてはその言葉を唱えていた。まるでこの家の空気や言葉そのものに彼女の魂が宿っているように感じられた。

壁にかけられた古い姿見に目が止まった。そこには少しシワが出始めた自分の顔があった。シワが更に濃くなった姿を想像すると、育て親の顔と重なった。

人から「若い」と言われる時代は思っているよりすぐに過ぎ去ってしまうかもしれない。ふとそう思った。その心持ちは水面に広がる波紋のように穏やかだった。この場所の時間の流れ方のせいかもしれない。

それから二人は雑談に花を咲かせた。主な話題は和也の身辺についてだ。大学で大変なことや楽しいこと。将来をどう考えているか。口が緩むと好きな子の話を顔を赤くしながら話した。

「あの、こんなこと聞いたら失礼かもしれないんですけど、ここで一人で暮らしてて寂しくないんですか」

三年前、カノンも同じこと聞いてきたのを思い出した。

「君だったら寂しい?」

和也は時間をかけて「きっと、寂しいと思います」と言った。

「そう。君はきっといい友達に恵まれているんだね」 
「私は、寂しくない、ことはない。一人は好き。だけど今みたいに久々に誰かと楽しくお話しすると、ああ、私は寂しかったんだって思う。普段感じない感情が溢れ出てくる感じがする」

シノは麦茶を口につけた。和也の丸くてまっすぐな瞳と視線が合った。

「だけど、それがいま私が選んでいる生き方なの」

和也はシノがかっこいいと思った。自分は、どういう生き方をすればいいか分からなくなって、叫ぶように自転車を漕ぎ出して、こんな遠くまで来てしまった。

「その選択に、後悔はないんですか」

「うーん、私ね、カノンっていう二歳年下の妹がいるの。三年前、大学を出るとすぐに結婚してね、今は一児のお母さん。たまに姪っ子の成長を見せに来てくれる。ほんとかわいくてね、そのかわいらしさを見られるだけで、私は満足なの」

和也はシノの膨らんだ頬が目に焼き付いた。自分が大好きで尊敬する子がお菓子を作っている時の顔とよく似ていたから。

和也が旅に戻る時、シノは大きなおにぎりを二つと水筒一杯の麦茶を持たせた。和也は青空に響くような声で感謝を言って、自転車をまた漕ぎ出した。

背中が遠ざかるほどに一人であることをまた思い知らされる。後悔はない。これが今思う最高の生き方だ。そう思い続けられるうちはこの場所で歳を取っていこう。

数年後、青春の迷い人がまたここを通る予感がした。

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