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繁華街の灯りは人を元気にする

まず断っておくと、タイトルであげた「元気」は落ち込んでいる人が励まされるというメンタル的な意味の「元気」ではないです。
朝日を浴びると目が覚めるような、人の生理現象に指して言う「元気」をいっています。

コロナの猛威が落ち着いた頃合いとなり、久々に私も学生時代の友人と集まってお酒を楽しんでしまいました。
それが世間的に正しいことだったかどうかは分かりません。もしかすると後々に間違ったこととして周りから何かを言われるのかもしれません。
それでもただ言えるのは、一緒にお酒を飲めたのが凄く楽しかったということ。

お店のなかにはグラス片手に顔を赤くして楽しく喋り合う空間が広がっていました。
あまりに久々だったからはじめはとても非日常な情感を感じつつ、次第にこれが今まで普通にあった日常の一部だったんだと思い出しました。

日常感と非日常感が背反的にせめぎ合う心地は不思議でした。

非日常だった時間や場所が次第に日常に移り変わる様はよくあることだけど、日常だったものが何かに奪われる形でなくなって、それが戻ってきた時に非日常な産物として認識してしまうことは、僕の短い人生の中では類のないことでした。今回はコロナによってもたらされた格好でしたが、これから歳をとるにつれて、ただ単純な時間の経過が様々な日常を奪い取って、在りし日は当たり前だったことが思い出に追いやられるのかと、そんな余計なことを考えてしまったりしてしまいました。

ごちゃごちゃと能書を並べてしまいましたが、要するに、お店でお酒を楽しく飲む日常は永遠に奪われてしまわれたくないと強く思ったのです。

正直、僕はお酒が好きですが、飲み会は人並み以上には好きではないです。年に数度そういう機会があれば良いくらいにしか思いません。
だからコロナで自粛モードになった時もつらさとかは何もなかったです。

むしろ会社で飲み会の幹事をしなくてよくなったと肯定的に捉えましたし、なんならコロナになる少し前に上司に根回しして職場での飲み会の回数を減らす活動をしたほどでした。(定期的に開催されていたけど参加率低くて誰得な飲み会でした)

自粛モードが落ち着いても何かから解放された喜びもなかったです。
だけど、いざお店で友達をお酒を飲むと「戻ってきた」と、嬉しい気持ちになりました。

なかなか会えない友達と久しぶりに会って、お酒の力を借りながらワイワイと他愛のない話や、時に大事な相談事をしあったりなんかして、そういう場所と時間って本当に人間にとってなくてはならないんだなぁと思いました。

飲み文化のネガティブな側面に、職場などで惰性的に催される飲み会で、忖度や空気の読み合いの結果、来たくないひとが無理に来させられるなんてことがあります。そういう側面は断固として無くすべきと個人的には思いますし、実際それを実行したりしました。
その場所に居たくない人とお酒を飲んで話しても何も楽しくないですし、無理にはしゃげばはしゃぐほど心が疲れますしね。

そんな嫌な面が時にありましたが、
コロナ禍での長い自粛期間をはさんだからこそ、意を決して、次にお店で誰かとお酒を交わすことになった時は、そのひと時をかけがえの無いものにしようと、きっと楽しいものになること間違いなしでしょう。
(楽しくなさそうな飲み会はコロナだからと理由をつけて断りましょう)

お店を出た後、繁華街の灯りが目に刺さるくらいとても明るいことと気づきました。仕事が終わる頃には瞼が潰れそうなほど眠かったなのに、目が冴えて元気になっていました。元気になったのは、その灯りのせいであり、飲みの場での楽しいひとときのせいでしょう。

そうやって人を元気にさせて、朝まで人を眠らせないようにできるのが夜の繁華街の力なのだと思い出しました。

飲み過ぎには気をつけながらも、時折楽しいお酒の時間を夜の街で過ごして元気なれるそんな日常を完全にこの手に取り戻したいですね。

現在(2021年11月)、感染規模は縮小していますが、これから乾燥と寒さが厳しくなり、また感染が広がる恐れがあります。
今後も警戒を怠らず、十分な感染予防を徹底した上で、夜の街でのひと時を楽しみましょう。

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