見出し画像

イベントに登壇したり、交流会運営に参加している理由を文章化してみました

私はイラストレーターをやっておりますが、イベントに出かけてみたり、時にはイベント運営をやったり、月一開催の交流会運営に携わったりしてます。そのどれもが自分の頭の中ではひとつの道筋の上に並んでいる物事なのですが、もしかしてはたから見たら「何したいのかわからない、胡散臭い人」と思われているのでは?とふと感じたので、私の頭の中にある道筋を文字に落とし込んでみようと思いました。

正直後悔していることが色々ある.

働かなければ暮らしに困るのは当然のことなので、頻繁に立ち止まってしまうのは考えものだと思います。が、最近自分が30代になってから日々よく感じる事がありまして、それは「もう少し立ち止まって考えられなかったのは、何故なのだろう」ということ。

私は昭和の最後の年に生まれ、バブル景気の賑やかな空気感を知らない世代です。私の記憶にある【世の中の空気】とは、「少子化に歯止めがかかりません」とか、「景気は尻すぼみ」とか、「年金はあてにしてもいいのか?」とか、「健康保険料があがる」とか、そういうものを含んでいる事多かった気がします。(かといって、そこまで世間を悲劇的に据える気持ちはあまりないです。私は【明るい空気】をあまり体感せず育ってきただけなのだろうな〜と思っています)

「今の時代、若者ほど現実的で冷静な判断をする傾向が強い。それは彼らが身につけた生きていくための術であり、彼らは【生き抜くためのサバイバル術】を常に頭のすみに蓄えている。それほど、若年層を取り巻く社会環境は激変してきているのだ」

こんな内容の一文を最近何かの記事内に見かけたのですが、私もその世代にギリギリ入っているのかもしれません。誰しも何かの節目や、現状を変えようとする時は「挑戦して得られるものがあるのか?」と自分自身に問いかける場面が出てくると思うのですが、私はその場面で、いつも「あまりハードな挑戦をしない、安全な道」しか選ぶ事ができなかったような気がしています。「ただでさえハードな空気が濃厚な日本経済の中で、どうすれば日々安心して生きていけるのだろうか?」と常にぼんやりと考えていたから、いつも「安全度が一番高い選択肢」しか選ばなかったし、選べなかった…と自覚しております。(特に20代〜20代後半はそういう考え方が強かったようで、この考えを改めるまで四苦八苦しました)

そんな考えを抱えたまま生きた結果、今どうなったの?後悔しているの?と面と向かって言われてしまったら、「はい、正直後悔してますよ。あの頃の自分を説得するために過去に戻りたいわーっ!てたまに猛烈に思ったりもしますよ」としかお答えできないです。残念なことに(笑)

※若干見苦しい感がある懺悔ツイート

そんな後悔を味わった後なので、今は「今から変えられる部分の未来」と「足元の現状」を変えるための努力だけは怠らないように、と心のどこかでそれこそ呪文のように唱えながら毎日生きています。(ちょっと怖い人かもしれませんが、それ程後悔の気持ちがあるのですw)

ここまで書いておきながらかなり恥ずかしいのですが、それでも「何故私は後悔する選択肢を自ら選んで行ったのか?」と考え続けることは止められず、その結果一つの結論に行き着きました。大分不確かな内容ですが、こんな結論です↓

「もしかして、足を止めて考える時間を自分で作れていたのなら、もうちょっと違っていたのでは?足を止めて考える時間を作れていたら、【自分には出来っこない】っていう短縮的な考え方で安易に思考停止する癖も、もっと早く直せていたのかもしれない。そしたら、もっと冷静に選択肢を選べていたのかも、しれない」

自分の可能性とじっくり向き合える場を増やしたいと思った.

そんな経緯がありまして、私は【立ち止まって一旦考えられる場所】をもっと世の中に増やしてみたいと思ったのです。

(自分もクリエイターなので主観が入ってしまっている感があるのですが)クリエイターさんって結構周囲から排斥されるような場面を体験する事が多いと思うのです。趣味で終わらせた方が良いのでない?とか、遊びたいだけなのでは?とか、あなたには才能がないから無理だよ、とか。

それで諦める気持ちが沸き起こって、諦めてしまうのならそれでも良いのでは、と思います。別にフリーランスになった途端仕事が舞い込んでくるわけでもないですし(そういう方もいらっしゃいますがそんな風になれる確率はかなり低いし、なんにせよ仕事ですので、もちろん辛い局面もある訳です)だから別に、排斥に似た言葉を言われた時点で諦めがつくのなら、【別の道を選ぶ生き方】を選ぶのも良いと思っています。それはそれで、一つの正解だよなと。

でも、もうちょっと冷静に考えたら「それでも自分は挑戦してみたい」っていう気持ちが湧いてくる人もいるかもしれません。そういう人が【本当に「選びたい」と思っているほうの生き方を選ぶため】に、立ち止まって考えられる場所や、立ち止まって考えられる機会が必要ではないか?と思うのです。「自分の可能性とじっくり向き合える場・時間が、もっと増えていくべきだ」と、そう思っています。

(単なる肌感覚ですが)「社会に明るい話題が増えた!」という感覚は、あまりないです。バブル期にあったらしい、おとぎ話のような出来事も知らないですし【明るい空気感】も知りません。しかしながら私の年齢層は【社会を作っている側】に振り分けられるはず。

今、私が日々無意識につくっていく「社会の空気感」が、次の世代に受け継がれていく事になるのしょうね。たぶん。

だからこそ、今の時代に見合った「生きやすい空気」ひいては【将来の可能性を信じられるような、明るい空気】を自分なりに作ってゆきたいなと思いました。

こんな事を考えるのは早すぎるのでは?と自分で自分にツッコミをいれる気持ちもあるんですけど、なにせ伝達技術の発達速度は日々早まってますし、変化速度もこの先どんどん早くなるような時代です。きっと今からやっておかないと間に合わないような気がして、今のうちから「自分の可能性とじっくり向き合える場」作りに参加して、「生きやすい空気」を作る事に挑戦しよう!と、そう思い至りました。

これが、私がイベントに行ったり・時には運営側していたり・定期交流会に関わっている理由です。

どこかにまとめておきたいと感じ突発的&衝動的に書いてしまったので、読みづらい部分もあるかもしれないです。どうもすいません…

ここまで読んでいただき、まことにありがとうございます




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?