いつの間にか「震災」を武器にするようになっていた
ここまでは心温まる話?でしたが、ここからは、もっと黒い自分の話。
最近の私は、結局いつの間にか震災を経験したことを振りかざすようになっていたように思う。
本気で思って言っているのか、承認のためなのか分からなくなっていた。
色々と活動していた高校生の時に恩師に言われた言葉がある。
「それって義務感」でやってない?
確かにそうだった。責任感と義務感が私を走らせていたように思う。
もちろん今もそうだ。それに、悪いことではないしむしろ良いことであるとも思う。
それでも一度震災から心を離したつもりで、生活したが
やっぱり地元の行く末が気になった。”離れられなかった”これが正直な気持ちだと思う。
だから、就職先も、地元を選んだ。
でも実際に働いてみたら、私自身が、なんでここにこだわってるんだろう?と思うことが多くなった。
自分の力不足を感じることも多く…
11年も経つと、私の活動源はいつの間にか「承認」のためにすり替わっていたように思う。
中2で震災を経験し、原発から4kmと言えば、優遇される感覚があった。
ある種の暴力性を孕むことをも知らずに、ブンブン振りかざしてきた。
言わされることもあって、自分がすり減る感覚さえあった。
ある意味で「震災」を武器にして、活動するようになってしまっていた。
「震災」を武器にすればするほど自分の言葉がいかに空虚か、と感じるようになっていた。
こんな自分が嫌気がさした。
こんな小賢しい戦略はやめにしたい。
もっと自由に、のびのびと、生きたい。
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