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note初心者です。

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最近の記事

しごと探し=快・不快と向き合う、日々。

NZワーホリ3ヶ月目。語学学校も終盤に差し掛かり、仕事探しに追われておる。 やっとのことでパートタイムでの採用もらった〜と思ったら、なぜか急にCasual採用になった。理由はオーダー取るのが遅いし、closing時のクリーニングも時間内に終えられないから、らしい。 ちなみに初めてのTrialでは、「飲食は基本、部活と同じだからね!」と日本人マネジャーに言われ、ニュージーランドに来てまで根性論なのかな…と正直嫌気がさしてしまった。そういえば、気合とか、騒がしい環境はあまり得

    • Kaikouraでのこと

      13年前の自分に。何もかも悔しく、あったはずのものがなかったことを認めることができず、取り戻すことに必死だった自分へ。 未だ自分の傷はいえないけれど、それでも楽しい方を選べるようになった自分がいるよ。 震災を経験して、自分が復興の担い手になりたかった 組織との軋轢に悩んだ、やりきれない自分はそのまま。 非力さに打ちひしがれ、気づけば立ち上がることも難しくなっていた。 (復興って言葉使うのはちょっと大きく捉えすぎよというツッコミと、組織なんだからそのくらい承知の上でしょ、とい

      • アラサー、無職になる。

        約2年半所属していた会社を退職することになった。 とはいえ、休職もしていたので実質的に働いていたのは、1年8ヶ月くらい。 ずっとずっと、怖かった。会社に対して違和感を抱きつつも”会社員”というレールから外れることが。よく言われる3年未満で、降りることが。だから、気づけば120%で頑張ってしまっていて、体調に不調があっても、そのうち治るだろうと軽視していた。気付かぬふりをしていたら、私の体はついに悲鳴をあげた。 もちろん、最初は期待を膨らませ、自分が希望した業界("業界"と

        • いつの間にか「震災」を武器にするようになっていた

          ここまでは心温まる話?でしたが、ここからは、もっと黒い自分の話。 最近の私は、結局いつの間にか震災を経験したことを振りかざすようになっていたように思う。 本気で思って言っているのか、承認のためなのか分からなくなっていた。 色々と活動していた高校生の時に恩師に言われた言葉がある。 「それって義務感」でやってない? 確かにそうだった。責任感と義務感が私を走らせていたように思う。 もちろん今もそうだ。それに、悪いことではないしむしろ良いことであるとも思う。 それでも一度震災

        しごと探し=快・不快と向き合う、日々。

          "幸せ"な避難生活

          私は、2011年の東日本大震災を中学2年生の時に経験した、被災者の1人である。 自宅は福島第一原子力発電所から約4km。未だ帰れない場所にある。 2020年、私は社会人になった。 社会人になり、震災関連の仕事に就いたことでいろんな震災体験を聞いてきた。 津波で家族を失った方の話から、震災当時に教頭先生であったり町村長として町民の避難、放射性廃棄物受け入れ等の苦渋の選択を迫られた方まで。当時の立場・状況、そして住んでいた場所によって、全く異なる経験があった。 個人的には、

          "幸せ"な避難生活