天下の極悪人…本当?

村上世彰という名前にご記憶はありませんか?村上ファンドの村上氏で、2006年にインサイダー取引で逮捕された人です。30代半ば以上の人はご存知だと思います。

ホリエモンこと堀江貴文氏、この人をご存知の方は若い人にも多いと思います。2006年にライブドア事件で逮捕された人です。

この二人が逮捕された2006年は、小泉内閣の時でした。逮捕された時のイメージは天下の極悪人でしたが、最近の彼らの行動を見ると、彼らが本当に極悪人であったのかどうか、大変疑問に思いてなりません。

この二人は日本の既存の体制を揺るがしかねない異色の活動をした訳で、このことが当時の支配体制に危険視されて無理矢理、天下の極悪人にされてしまったのかも知れません。

もしそうだとすると、日本に新しい風を巻き起こそうとした改革児を抹殺したことになります。同じようなことが彼ら二人以外にも起きて、日本経済の萎縮を招いてしまったのかも知れません。

事件後の村上氏のことは全く知りませんでした。文字通り天下の極悪人と思っておりました。思い出したのは、最近、面白いYouTubeを友人に紹介してもらったのがきっかけでした。それは東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授と一般財団法人村上財団の村上世彰氏のYouTubeを使った共同の公開講座です。村上氏は、児玉教授がリーダーになっている新型コロナウイルスに関する研究の資金援助をされています。

学術的にも高度の内容ですが、東大法学部出身という文系の村上氏が児玉教授の研究内容を真剣にフォローされています。単にお金を出すという存在ではなくて、村上教授と一緒にコロナ対策で世の中に貢献したいという純な気持ちが伝わってきます。天下の極悪人のイメージからは想像もできません。

堀江貴文氏の最近の活躍ぶりも凄いですね!ユニークなキャラクターを駆使して存分に活躍しています。特に興味深いのはホリエモンロケットです。ネットによれば私財60億円を投じているということですが、信じがたいことです。インターステラ稲川社長の夢が運良く成功するかどうか分かりませんが、宇宙産業の民間化は極めて重要ですから、大いに期待します。

現在の堀江貴文氏の姿からも、かって天下の大悪人と呼ばれたことなど想像できません。人間の性格や考え方がそんなに簡単に180度変われるものでしょうか?本当に天下の大悪人であったら、自分たちを痛めつけた社会に復讐しようとすると思います。

当然のことながら、彼らは本当に天下の大悪人であったのであろうか?という疑問が湧いてきます。彼らの事件を調べてみても、一体彼らの活動が何ゆえにあれほど激しく避難された犯罪であるのか、判然としません。大企業をうるさく責めたてる彼らの行為に、言われるほどのひどい違法性が本当の意味であったのかよく分かりません。

そもそも資本主義における会社は誰のものか?これまでの日本社会では建前は株主のものですが、本音は株主というよりも特定の個人や家族などの資本以外のつながりの方が重視され、株をたくさん所有するということの意味が正当に理解されて来なかったと思います。

高度の工業社会でありながら、意識的には農業社会である日本人社会では、資本および資本家の持つ意味が正しく理解されて来なかったと思います。株主の権利を無視して、株主を会社の経営の外に置いてきたと思います。このような欧米とは大きく違う会社に関する捉え方の違いから、厳密には重大犯罪と言い難いものが拝金主義的な犯罪として捉えられたのではないでしょうか?

会社の所有者は会社を守る義務がありますが、その義務を果たしていない経営者が追い出されるのは、資本主義の本來の姿です。それを無視したら、社会の進歩はありません。一見、問題なく見える企業経営に敵対する批判を封じ込めようとするのは、追い出し、すなわち乗っ取り、すなわち天下の大悪人というのが、我々の社会の根底に根強くあるためだと思います。これは健全な資本主義のあるべき姿ではありません。それどころか資本主義を根本から腐らせるものでしょう。

2006年に村上氏のインサイダー取引、堀江氏のライブドア事件の捜査が始まったとき、世の中はグローバル化や自己責任などの欧米的価値観が声高に叫ばれ、日本経済の停滞を打破する切り札とされていた時でした。

村上氏や堀江氏という若い人も、このような時代を反映して出てきたものだと思います。しかし、日本社会の指導者は、口ではグローバル化や自己責任を説きながら、それが本当は何を意味するかを理解していなかったものと思われてなりません。彼らの頭の中にある資本主義は、正しく日本的資本主義で、極端なことを言えば江戸時代の番頭、手代、丁稚の世界の延長で、欧米の資本主義とは全く違うものであったと思えてなりません。

欧米の資本主義はいわば肉食獣の生存競争の場であり、冷酷な資本の原理が根底にあります。そういう観点から見ると、村上氏や堀江氏はぬくぬくとした日本式の資本主義に覚醒を求めるものではなかったしょうか?日本社会の指導層から見れば、危険極まりない、また不愉快極まりない異物と写ったに違いありません。要するに彼らの価値観からすれば、日本をダメにする天下の大悪人に見えたのではないでしょうか?

日本社会がもう少し寛容であれば、村上氏や堀江氏のエネルギーが若い人たちに大きな影響を与えて、日本社会を変革する力になった可能性を否定できません?今日の日本の停滞を打ち破る力になっていた可能性も有ります。

あれから15年経ちましたが、残念ながら日本社会では、未だに停滞が続いています。続いているどころか、事態はますます悪化しています。停滞から抜け出せないのは、日本人の意識の根底にその原因があるからだと思います。目にし耳にするのは自画自賛ばかりで、現実打破のチャレンジ精神は殆ど見られません。村上氏や堀江氏の事件から、学ぶべきことがあるように思えてなりません。

サポートを大変心強く思います。