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デジタルデバイスに、脳が乗っ取られると、アンドロイド化した人間になってしまう。


【要約】
ここ数年でデジタルデバイスが活躍している。
どんどん便利な社会になっている。
しかし使う側である人間の知性の劣化が
目に見えて始まってきている。
デジタルデバイスに脳が乗っ取られると
アンドロイド化した人間になってしまう。


こんにちは、こんばんわ
北里明日香です。

寒い日が続いています。
例のVirusも蔓延しています。
お身体にご自愛くださいませ。


そんな寒空の夜にコンビニに行った時のお話です。
店員さんの劣化がすごいのです。
特に某店舗数NO1のコンビニなんていうのは、
発展しています。
わたしの近くのコンビニさんは、
店員さんはレジ業務で現金授受は行わなくて十分です。
レジ台が半ば決済機能を持っていて、
店員さんは袋に詰めるか、
もしくは袋も要らない場合は、
そのままボーッと立っているだけなのです。
読者の方もその居心地の悪さに気づくことあると思うのです。

またその日は他にも買い物に行きました。
そこでは店頭に置いてあった物品を
1ケース欲しいですと伝えると、
店員さんは目視をして、店頭に置いてある分だけです。と
わたしに伝えました。
わたしはいつもそのお店では当該商品のケースの在庫が
多いことを知っていて、
「一度確認してきてもらえますか?」と言うと、
なんと、店頭に置いてある分だけではなくて、
バックヤードの裏の在庫から1ケースを持ってきたのです。

そしてレジで袋詰めをする時には、
わたしは大きな四角のマイバッグを持っていたのですが、
縦置きか横置きかで15秒くらい悪戦苦闘しているのです…。
そんなに難しいマイバッグではありません。
そう思うと、知性の劣化や
空間認知能力の低下がすごいことになっていると思うのです。

いずれもわたしと同年代の店員さんでした。
一体どうしてしまったのでしょう。


■ AIやデジタルデバイスの大活躍と人間の知性の劣化


わたしは将棋が大好きですが、
将棋といえばAIくんです。
評価値などで指し手を教えてくれます。
半分はこれが画面に表示されているから面白さがあるのと、
半分はこれがあることで何もかもが正解と思われることです。

この意味がわかるでしょうか。
将棋の放送ではAI評価が画面に表示されます。
(AbemaTVやYou Tube生放送では当然になりました。)
これによってどこに指すんだろうという読み筋が
わかりやすくなりました。

これがあることで視聴者も検討をしたり、
これまでの発想にはない戦略的地点に駒を置く面白さを享受できます。
ただ逆にAIくんの読み筋が絶対に正しいと認めてしまえば、
将棋というのはただの答え合わせゲームに成り下がってしまいます。
その二律背反(ダブルスタンダード)を、どのように考えるのかが
将棋番組を見る面白さと思います。


話をもとに戻して、店員さんの話題です。
彼ら彼女らは、わたしが見ても第三者が見ても
言われたことをするだけの行動しかしない。
そう思います。
またそれは大事なことであって、
言われたことをしない店員さんは困りものです。
だから、マニュアル通りの店員さんでいいのです。
しかし、何かしらのマニュアル以外のことが
飛んでくると、その瞬間にその人の本質が出てしまいます。
ひとつは大パニックになってしまう。
もうひとつは冷静に対応できる。
この2つが主たる要因かなと思ってしまうのです。
もちろん他の要因もあるでしょう。


■ 社会学的にこの問題を考察してみる


どうしてそうなってしまったのかと
いうことを、考えなければなりません。
わたし自身、社会学部の端くれですので、
どういう問題があるのかを考察することが
学生としての命題でもあります。
主要因としては、

「デジタルデバイスに依存しすぎて
アナログ対応ができない」

ことが挙げられるのではないかと思います。
確かにスマホを始めとするデジタルデバイス製品は
0か1かのデジタル思考です。
当たり前の話です。
イエスかノー、この2つしか無いわけです。
では、レジの現場ではどうなのか?
様々な問題が発生します。



例えばわたしがバイトをしているスーパーでは
保冷剤を付けますかとか、
ドライアイスを付けますかとか、
様々な問題が飛び交ってきます。
常連客さんに対しては覚えてしまって、
常連客さん仕様にもします。
ちょっと極端かもしれませんが、
0か1かでは判断がつかないことが多々あります。
そういった意味合いでは幸運なのか、
強固なマニュアル人間にならずに済んでいます。
デジタルデバイスに頼りすぎた最終形態としては
人間のアナログさというよりは、
デジタル人間のようなアンドロイドと化しています。
これは笑えません。



■ いよいよ末期になると話が通じなくなる



そのような0か1かで判断するような社会システムが
できると、いよいよ話しができるできないの
分断化になってきます。
例えばSNSなどでは、自分の主張が絶対と思っている人が
たくさんいます。
その人に対して、別の提案や対案を出したとしても、
飲み込めません。
なぜなら、自分の主張が絶対だからです。
その主張に同意する人たちがフォロワーになれば、
絶対の主張が裏打ちをかけて、さらに強固になっていきます。
そうなるといよいよ話が通じなくなります。


わたしの知り合いのいまいずみさんが言っていました。
心不全になってしまったのですが、
外来ではとにかく待たされる。
どうして待たされるのかというと、
老人さんの患者さんが多いということ。
そして医者は治療の話をしているのに、
老人さんは世間話を好むこと。
いまいずみさんは勉強をして
なんとか治療に向けての方向性を立てているので
医者も治療方針を話した時に、
なぜエンレスト(というお薬)を使うのか、
なぜフォシーガ(というお薬)を使うのか、
なぜメインテート(というお薬)を使い増量するのか、
を医者に質問したそうです。
すると、専門医はしっかりと丁寧に教えてくれたそうです。
それをつい最近、電話で聞きました。

というように、デジタルデバイスや何でもIT化は
便利な反面、便利さを享受しすぎると、
自分の頭で考えることが
できなくなってしまうのではないだろうかと
わたしは仮説を立てます。
スマホを使っていて便利なのはわかりますが、
使っている人がアンドロイド化してしまっては、
元も子もありません。


処方せんとしてはわたしが何度も言っている通り、
勉強をすること
経験値を積むこと
デジタルデバイスに縛られないこと
自分の尺度・意志を持つこと

これらが重要だと考えるのです。


でわ。


北里明日香(Asuka Kitazato)
2023年1月19日
12時07分


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