植松謙太郎

芸術を勉強しております。色んなところに行きます。

植松謙太郎

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最近の記事

暴力・言論・芸術

表題、4月15日 芸術は尊厳を守るための手段として、暴力・言論に代わる第3の選択肢なのかもしれない。そう考えるようになった。 格闘技を齧っている私は、暴力の強さをよく知っている。流石にジムの仲間がハチャメチャに暴力を振るう、とかはないのだが、暴力が秘めたる自身の要求を通す力なんてものは凄まじいだろう。 そうすると我々が最初に得る力は泣くことなのかもしれない。赤ん坊は泣くことによって親、周囲の人間に要求を伝える。或いは一方的に通す。これは我々人類が初めて手に入れた暴力なの

    • この時代に思うこと。

      4月1日。新年度の開始。 入社式、入学式、色々と街が騒がしい1日だった。 ふと思う。僕らの時代は悲惨らしい。 世界中のジャーナリストが現代国家で戦争は起こらないと信じていたあの日、ロシアはウクライナへの侵攻を開始した。ハマスはエンドステートを定めぬまま、イスラエルへの攻撃を開始した。それぞれの戦争は泥沼化している。日本は太平洋戦争が終結して以後、70年間戦争行為をしていない。 しかしもちろん、自衛隊の兵站活動やPKOは行っているので、全くの0ではない。戦争は人間的な営みで

      • 時間が止まった場所。

        東京には、昭和の名残のある場所が複数ある。 南千住、吉原ソープ街、などなど。 まだまだいっぱいあるでしょう。 南千住に行ったのは、東京の珈琲四天王「カフェ バッハ」に来店するためでした。駅を降りると、大宮とか取手とか、どちらかと言うと地方都市みたいな顔をした街並みがひょこっと現れる。 渋谷や新宿とは違って建物の間と間が開かれていて、ゆったりとした景観がある。遠くにスカイツリーが見えるため、ここが東京であることは疑いようもないのだが、どことなく寂しさを感じる。 バッハに入

        • ハンチバック:市川沙央をAmazon Audibleで聴いた感想。

          1日で聴き終えてしまった。読了感に近いものはあるものの、私が村上春樹の「海辺のカフカ」を読み終えた時ほどの感傷は少なかったように思う。 ただ、それが作品由来なのか、鑑賞方法由来なのか、それは全く分からない。 視覚で得る情報と聴覚で得る情報には当然だが差異があり、特に決定的なのは記憶に残す時の差異だと感じる。本を読んでいて見逃すことは無いけれど、Audibleを聴いていて聞き逃すことは割と頻繁にある。ここも鑑賞体験の違いが見えてきて、とても面白い。 ただ、ハンチバックで言及

        暴力・言論・芸術

          言葉から離れるほどに言葉が恐ろしくなっていく。

          誰かのnoteを読むために久々にnoteを開いた。 記事を1つも投稿していない自分のページに嫌気が差した。 卒業制作もやらなきゃいけない時期に、自分の個人的な問題でずっとずっと悩んでいる自分を、愛おしくもなるし、もう一人の自分が「ほら、行くぞ」と肩を掴んで気晴らしに連れていってくれるのを待っている。 伊丹十三の自殺の理由に共感したり、「一人でいるとしんどいので居候させてください」と先輩に連絡して、ちゃっかり家にあったバイオリンやギターを触らせてもらったり、ボクシングを教え

          言葉から離れるほどに言葉が恐ろしくなっていく。