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「ジェトロ ベトナム人材調査歴史と文化から見たベトナム人~人材育成と活用への心構え~」ベトナム歴史・宗教研究家大西和彦 編著

今回は本、ではないのですがツイッター上で歴史に詳しい新妻さん(noteもやられています)に教えて頂いた、、大変興味深いレポートを読みましたので、以下自分が特に印象に残った点をご紹介いたします。著者はベトナム在住者には有名な、ベトナム歴史・宗教研究家の大西和彦先生です。

全文についてはこちらリンクから皆さん読むことができますので、特に「人材育成と活用への心構え」の部分はそちらでお読みください(自分はどちらかというとベトナム史レポートとして読んでしまいましたのでw)。以下に紹介しきれない興味深い内容沢山あります。もう既にツイートしたこともありますが、自分でも嚙み砕きながら改めてまとめましたので、どうぞご覧下さい。

温暖・豊饒な土地がはぐくんだベトナム人気質

まず最初に驚いたのは、ベトナム人の家族主義の起源をたどる議論。ベトナムと中国を比べると、つい今の「14億の中国」と比べてしまいますが、歴史的に見ればその恵まれた環境のおかげもあり、ベトナム側が人口大国であった時期も結構あるのかも、ということです。そしてその恵まれた環境が「家族だけで生きていける」という思考パターンを生み、家族主義が固くなってきた遠因であろうと大西先生は指摘しています。

この人口規模(の差)には正直驚きました。南部は年中暑い、北部は冬があると言ってもまあ凍え死ぬような寒さには決してならないベトナム。特に育てなくても生えてくる野菜や果物も多く、その意味では古来多くの人口を養えて当然かもしれません。自分の趣味の三国志の世界(ちなみに三国志とベトナムについてはこちらベトナムでの三国志についてはこちらご参照)と比べますと、後漢末に5600万人程の人口が、三国時代には戦乱もあり1千万人を切ったということですから、交趾郡の人口規模が上記漢書地理誌のレベルを維持できていれば、もしかしたら魏・呉・蜀にとってかなりの存在感だったのかもしれません。

高い技術力と技術の「広がらなさ」

そして、次に驚いたのが中国王朝への「技術官僚」としてのベトナム人という姿。基本的に、ベトナムの歴史は中国王朝との闘い、独立を守るための歴史という側面が強いですが、やはり全体としての国力は中国歴代王朝の方が強く、そこではベトナムの人材を中国が引っ張っていくということも多かったようです。特に明朝時には建築工事、河川工事、武器改良といった「理系技官」として、多くのベトナム人が重用されていたとのことです。

この中で、技術がベトナムに残らなかったという点は「手先が器用」などと言われるベトナムで、優秀な人材はいるのに、企業・業界レベルでなかなか「裾野産業が広がらない」「中国のようなサプライチェーンを形成する規模に至らない」と言われる問題に示唆がありそうです。個々の高いレベルの技術者はいるのに、技術が社会に広がって行かない。その仕組み作りはビジネスで、或いはODAなどでの技術協力の世界でも、今もベトナムにおいて大きな課題です。

日本との通商の歴史はホイアンだけではない!

そしてレポートは、ベトナム北部にあった「日本人町」の歴史へと進みます。ベトナムで通称交流が盛んだった日本人町と言えば、皆さん「ホイアンでしょ、日本橋あるでしょ」と思われるかもしれませんが、それが北部Hưng Yên(フンイェン)省、今のハノイのお隣にあったというのは知る方は少ないと思います。

ベトナム語メディアの記述をみると「フォーヒエン Phố Hiến」=日本人町というよりは、フンイェンの昔からの地名であるフォーヒエンには、日本人町があり、またホイアンのように中華系の商人なども住んでいた、北部の貿易都市だったようです。

この地名は今もフンイェン省に息づいています。実は同省のサッカークラブであるの名前が正に「フォーヒエンFC」、正に地名が地域に根付いている生きた証ですね。この歴史は研究したら面白いストーリーがたくさん出てきそうで、歴史好きとしてはワクワクしますよねえ。

この国の人たちの思考様式に思いを馳せる

自分も実はこの国に住んで、早や13年になります。 多少はわかることも増えてきましたが、「なんでこんな風に動くんだろう?」「何でこう対応するんだろう?」と多く疑問を持ちつつもなんとなく「これがベトナムだから」と理解したふりをしているような事象がそれでもまだたくさん。このレポートのように歴史や文化の背景からベトナム人の思考様式を改めて考えることは、「正解」を提供してくれるわけではないですが、より良いアプローチを考える上で必要なヒントになるなあと改めて思いました。

ビジネスのみならず、その前にここに住まわせてもらってる日本人、外国人の一人として、とても勉強になりました。そして、やっぱり歴史は面白いですね。

11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。