新春!ハノイの村のお祭りを解説してみる
西暦ではもう2月の半ばになりますが、旧暦のお正月、テトを迎えたばかりのベトナム。こちらでは、これからがようやく2024年、辰年の始まりです。
今日はこの旧暦テト正月に、うちの妻の実家の村で参加したお祭りについて、「解説」にチャレンジしたいと思います。祭りの概要についてはX(Twitter)で既に発信させて頂いたので、昨年のものなど中心にそれを引用しつつ、それぞれの意味合いや一口メモ(うんちく!?)を文章で添えて、自分でもより深く理解できればと思います。
ビジュアル的にはこんな感じ
ちなみにまず、こちら全体の祭りの流れはTikTok動画で簡単にショートムービーにまとめました(映像は昨年のもの)。ビジュアル的にはこちらをご参照ください。
そもそもお祭り(lễ hội)とは?
ベトナムのお正月、テト正月は旧暦のお正月、特に北ベトナムでは二期作の農閑期になる時期でもあります。この時期を使って長期に休暇を取るという農村社会の習慣から始まるテト正月、旧暦1月に始まる春の季節は各地で多くのお祭りが行われます。ベトナムのムラ社会の自律性と結束は伝統的に強く、Phép vua thua lệ làng(王の法も村の垣根まで)という諺がその強さを表しています。
そんなお祭りではドラゴンダンスも各地で観られますね。今年の干支でもある龍は、中国のイメージを持つ方も多いと思いますが、ベトナムにとっても国を象徴するような動物。ベトナムサッカー男子代表でもベトナム代表のシンボルは龍でした。
Vạn Phúc村の「水迎え祭り」とは?
お祭りの在り方は地域により、そしてその地域が祀る異なるThành hoàng(城隍)=土地の守護神にもよります。今回紹介したハノイ市Thanh Trì県Vạn Phúc村でのお祭りは地元のĐình(亭)から始まります。Đìnhとは村の集会所であり、村落神を祀る場所でもあります。
ここから神輿を担ぎ、ホン河(紅河)に「水」を汲みに行きます。農業にとって欠かせないのは水、その水を汲み上げて神にささげ祈り、それを以て一年の幸運を願うLễ rước nướcは、この村に限らず、ベトナム北部の多くのお祭りで行われています。その中には十分な水で豊作を祈るという意味もあるでしょうが、Vạn Phúc村のこの地域ではもう一つの切実な水の問題がありました。現在は上流にダムができたのでほぼなくなりましたが、かつては川が氾濫して住宅を水で沈めてしまうことが非常に多くあったのです。そこからは、豊富な水資源で豊穣を祈念する思い、そして同時に自らの土地を水の脅威から守って欲しい、両方の思いがあったようです。
水を汲み上げ、祈りを捧げる
紅河の真ん中まで水を汲みに行き、その場所は3つの村(Thanh Trì県Duyên Hà村、Vạn Phúc村、Gia Lâm県Văn Đức村)の中心にあたる地点になっています(以下地図の矢印のあたり)。
村の二つの亭の謎
通常水を汲んで元の亭に戻り、祈りを捧げれば十分儀式として済むはずですが、Vạn Phúc村で面白いのは最初の出発地点である亭(Đình chính)から、もう一つの亭(Đình mới / Đình Thượng)に水を運ぶところ。Vạn Phúc村には二つのĐìnhがあり、その二つをrước nướcが経由します。
通常一つの村に亭は一つ、なぜ村に二つの亭があるのでしょう?実は後者の新しい方の亭は、1971年に起きたホン河の大洪水によって、対岸のフンイェンから亭が流れて来てしまった(!?)ので、流れ着いたこの地に再建したということなのです。この年の大洪水は歴史的なもので、犠牲者は10万人にも上ったとされています。今でこそダムのために流量が減ったホン河。でもかつてはこの流れが穏やかであることが、河川流域の人たちにとって如何に大事なことだったかが伝わる、歴史的事実ですね。
生きているお祭り
祭りを見て、参加して、もっとも強く感じたのは「祭りが生きている」という雰囲気です。コロナ禍で数年実施できていなかったので、今年もそうですが、映像や写真を紹介した2023年の祭りは特に気合が入ったということもあったかもしれません、規模も人出も、以前にもまして大きく感じました。そして以下ツイートの通り、とにかく皆が楽しそうにやっているところ、それが最も印象的に感じました。国の歴史上での意義などは他には及ばないかもしれませんが、脈々と生きている地域の祭りの伝統、月並みではありますが長く続いていってほしいなあと思います。
11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。