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こころと身体の健康は紙一重

今日のテーマは、『こころ』と『身体』。

ストレス過多だった4年前。

わたしはSNSで、幸せそうな投稿をみたり充実しているのをみると自分はなんて惨めなヤツなんだと自分を否定して。自己肯定感が、どん底まで落ちて。


挙げ句の果てには、突発性難聴とメニエールを発症。

病気になった理由としては、心身疲労だった。簡単に言えば、こころと身体が参ってしまったとでも言おうか…


4年経った今。

わたしの病は未だに、完治していない。

平衡感覚は正常に戻ってないし、めまい発作は起こすし。声の聴き取りにくさや耳鳴りは日常茶飯事。


仕事はフルでは働けず、セーブして健康第一で出来る範囲内で働いている。


身体が健常に戻ってはいないけど。

わたしは、ある種、吹っ切れたようで。自分のことが可哀想とも思わないし。病気をする前に比べたら、

だいぶ自分らしく生きていけるようになった!


と。

そんな風に思っている。


辛い闘病生活をして。社会復帰したときは、1ヶ月の給料が50,000円もなくて。しばらくの間は、貯金を切り崩しながら生活をした。


親の脛齧りには、絶対になりたくはない!


心配もかけたくなかったから、必死で働いたし、今までまともにしなかった家事や自炊、節約もするようになった。


今まで何度か病気になって。手術の経験もしたけれど。内耳(耳)の病気ほど辛いものはなかった。


自分の思うように働けなくて、涙することもあったけれど。


今思えば、この経験をしたからこそ患者さんの気持ちが一層理解できるんじゃないか。


と、今ではそんなふうに思える。


社会復帰したら、それで終わり


ではない現実を、いったいどれだけの人たちが知っているかは分からないけれど。


わたしは、自分の身をもって知ることができたし、少なからず理解しているつもりだ。


職業が、看護師だから尚更必要なことだった。


話はズレてしまったけど。


障害のある自分を認めてあげることが、できた今。他人を羨ましく思ったり、妬む気持ちがだいぶなくなってきた。


本当のことを言ってしまえば、カラダが不自由な自分には何故、自分を支えてくれる人はいないんだろうと思ったことはあったけれど。ないものねだりしても仕方ない!


自分は、ひとりでも乗り越えていけるからこんな試練を与えられたんだ!


と、そう思うと妬ましい気持ちなんか吹き飛んで。

女ひとりだけれど、自立した女性もカッコいいやん!


と思ったら、なんだか勝手に誇らしくて仕方なかった。


みんながみんな、支えてくれる旦那さんや彼氏がいるわけではないから。


独居、独身で社会復帰した人の大変さも身をもって学んだ。


華やかな生活ではないけれど。


最近、こころの健康が保たれていることに気づいて。


なんでだろう?


と考えていたら、やはり今の自分を否定せずに肯定してあげたことが大きな要因なのかなと。


コロナ禍で、仕事も忙しすぎて振り返ることなんて出来ていなかったけれど。

ふと、立ち止まって考えたとき。


これが、最近のわたしの学びだなと思った。




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突発性難聴の後遺症と向き合いながら社会生活をしています。聴力障害あり。趣味のカメラと、わたしの生きたしるしを残しています♪