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書くことのパワー ~編集ライター養成講座で得たもの~

13点、評価D。
「やっぱりね。」
初めてもらった採点を見て妙に納得した。
「やっぱり私、書く才能ないんだ。」

今年の上半期、宣伝会議主催の編集ライター養成講座(46期)を受講した。受講理由は効率的に書けるようになるため。

仕事で文章を書くとき、いつもとても時間がかかる。テーマは決まっているのにワードを開いてから1文字目を書き始めるまでが異様に長い。手がかりがなさすぎて途方に暮れる。世の中には頭に浮かんだことをそのまま文字にするだけでサラサラと何千文字も書ける人もいるのに私にその才能は無い。

どうすれば手早く書けるのか?
その手がかりを得たくて講座を受講した。

その講座で最初に書いた文章課題でもらったのが冒頭の評価。やっぱりね。書けない私には当然の帰結。納得感はあったものの講座を受けることにしたからには前進したい。時間とお金の投資に見合う何かを得なければ。

毎週のクラスでは基本形をシャワーのように浴びた。企画・取材・執筆のプロセスやそれぞれの手法・注意点。いずれもためになることばかりだ。そして異句同音に先生方が繰り返したのは最も重要な視点。
 「読者にとって新しい何か」
 「読み手がナルホドと思える何か」
 「読んでよかったと思える何か」

そっか、私は正確な文章を書くことに一生懸命で、読者に何かを届けようという姿勢が足りなかったんだ。

2回目の課題からは「読者にとって」のナルホドを意識するようになった。
 「きっとみんなヘェって思ってくれるよね」
 「こんな人やモノがあることを知って欲しいな」
 「これ私も知らなかったんだ。どう?」
そんな気持ちで書くようになった。

すると不思議なことに少しずつ評価も上がっていった。2回目18点、C++。3回目22.5点、B++。4回目22点、B+。自分の成長が感じられて純粋にうれしかった。そして、うれしかったのと同時に意外な事実に気がついた。

あれ?書くことってなんだか楽しい??

 書くことで心が満たされる
 頭が動くのを感じる
 景色が鮮明になる
 指先に血が通う

不思議な感触だった。読み手のことに没頭した結果、何かを得たのは私なんじゃない?

今思えばそれはたぶん長年の社会人生活で染みついた効率主義のせいで深く物事を考えられなくなっていたせい。限られた時間の中で、手に入る材料を使って、最善策に着地させることは社会人として大事なスキルだけれど、何度もやっているとパターンワークになり思考を必要としなくなる。でもこの講座では違った。考えることを要求された。一つ一つのテーマに正面から向き合うことのつらさと喜びを思い出させてくれた。

「成功しても自己が表現されないとき、人はむなしい」

山田ズーニー先生の言葉を聞いたとき、すっと胸に落ちた。

書くことの楽しさを再認識してからは、課題が楽しくなっていった。楽しさが奏功したのか、最後の卒業制作課題は最優秀賞に選出された。

今後の私のテーマは、自分の言葉を磨くこと。
課題を採点してくれた石川拓治先生からは言葉の選び方に関する指摘を何度も頂いた。
「これは紋切り型だね。」
「この表現は本当に正しいの?」
言い古されていない、手垢のついていない、自分の言葉。今後の私の課題だ。

編集ライター養成講座で得たものは書く力。
それは文字通り書くことの力量でもあるのだけれど、同時に書くことによって私自身が人間らしさ、大げさに言うと生きる力を取り戻したということでもある。書くことにこんなパワーがあるなんて思わなかった。
自分にもたらされたこのパワーをいつか人に届けたい。
文章を通して。書くことを通じて。

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