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青春のエリザベス女王杯

この週末は「エリザベス女王杯」だ。

実質、牝馬の世代を超えたナンバー1を決めるレース
「桜花賞・オークス・エリザベス女王杯」が
3歳(昔は4歳)の牝馬3冠だった時代を経て
4歳以上のオープンとなったのが96年。
その初代優勝馬はダンスパートナーだ。

サンデーサイレンスの初年度産駒。
良血で騒がれたイブキニュースターや
笠松所属で注目を集めたライデンリーダー、
オグリ産駒として注目を集めたアラマサキャップと同期。
小さな馬だった。小倉でデビューして新馬勝ち。
そして春から、武豊騎手を主戦として順調にクラシック戦線に乗り
桜花賞はワンダーパフュームの激走にあって2着に敗れたが
オークスはしっかり勝った。
短距離馬 ヤングエブロスが頑張って引っ張った流れ。
4コーナー、坂道を上がるあたりで見ていて「あ。勝つな」と思った。
2着のユウキビバーチェだってしっかり伸びてたけど1頭だけ
もう1段バネが違った。
今でも多頭数は小柄な馬が不利‥という感覚を抱けないでいるのは
ダンスパートナーの華麗な差仕切りを見ていたせいというのが多分にある。

素人目であの時、サンデーサイレンスの血。
兄がエアダブリンというダンシングキイの肌。
完全に世代で抜けた馬だと思ってた。
だから、オークス後にダンスパートナーがフランスに飛んだ時、
さすがだなぁって好レースを期待して。
あの頃はオンタイムで見れなかったから、
必死でスポーツ紙などでレース結果を探した。

勝てなかったけど、ダンスパートナーがフランスにいる間はワクワクした。

そして帰国。
当然、エリザベス女王杯は楽勝だろうなと思ったら‥出走しなかった。
ダンスパートナーは、その1週間前の菊花賞にいた。
しかも1番人気。
3000m、牡馬相手に1番人気。
そしてレースぶりも見事だった。
1番人気らしく、堂々と大外を回ってねじ伏せに行った。
府中のビジョンに、4コーナーで前を飲み込もうと加速した姿が
堂々映った。
でも5着。負けは負け。
その年のエリ女を勝ったサクラキャンドルには申し訳ないけど
ダンスパートナーが出てたら、差し切ってたはずと思わずにはいられず。
「GⅠ1個損したじゃん。勝ったら年度代表馬だってあったかもなのに」と思ってた。

でもその翌年、エリザベス女王杯が古馬にも開放された。
古馬牝馬参戦元年ということで
レースにはホクトベガ、ヒシアマゾン、エリモシック、ロゼカラー、
フェアダンス‥豪華な顔が揃った。彼女はそのレースをしっかり勝った。
最内に進路を取って・・でも開かなくて、
進路を取り直して改めての伸び直し。
四位騎手が客席に向かって手を挙げたゴール。
1年遅れで「エリザベス女王杯」制覇だった。

今戦績を見返すと、彼女のレースキャリアの中で
最も前にポジションを取ったレースだったことが分かる。
当然だが、勝ちに行った!からこそのレース運びだったんだと
30年前よりは目が肥えた素人目で思う。

ダンスパートナーは、
国内の牝馬限定戦では連対を外すことのないまま引退を迎えた。

僕が生で彼女の姿を見たのは
シングスピールがファビラスラフィンとハナ差のレースした
ジャパンカップが最後だ。

いつか墓参りしたい。
青春の一頭。96年 エリザベス女王杯馬・ダンスパートナー。

1996年 エリザベス女王杯(GⅠ) | ダンスパートナー | JRA公式 - YouTube

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