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普通の言葉が素敵な言葉⑥     「ごめん」

かつて、夏目漱石は「Ⅰ LOVE YOU」を
「月が綺麗ですねとでも訳しておきなさい」と語ったことがある
という有名な逸話。
「好き」や「愛してる」といった直接的な言葉に
負けないくらい思いが伝わる言葉、多々存在する気がします。

普通の言葉が素敵な言葉だなぁと感じます。

「『アリオ』が定年てよ。
 現役の子らが主催で慰労会やるんて。結希、来る?」

 同期の紫帆は仕事が早い。高校時代の体育教師でバレー部の顧問も務めた有田先生の定年祝いパーティの連絡を8カ月前には知らせてくれた。
地元に暮らしている人間としては、断る理由を見つける方が難しいくらいの速さの連絡だ。もちろん紫帆とも久々に会いたかったから良かったけど‥
結果、参加したおかげで孝にも再会してしまった。

元彼「孝」に会ったの24年以上ぶりだった。
孝は高校卒業後、地元を離れてそのままのはずだから今回、
アリオの慰労会のためにわざわざ帰ってきて出席したことになる。
20代、30代を飛ばして40代になって久々に見た元彼の第1印象は‥

「かさついてるなぁ~」

他には特に何もなかった。

駅前のホテルで開かれたアリオの慰労会は盛大だった。
バレー部の教え子が私たちの10個上くらいの50代から今の現役まで
集まって、100人を軽く超えて200人規模。
そうなると2次会は各々の学年でとやらないと収拾がつかない。
私達 昭和55年生まれも「居酒屋でも行く?」となり6人で店を探した。
私も夫に「これから同期で飲む。1時間くらい付き合ったら帰る」
と送ってテーブルを囲んだ。ビールを飲みながら、
やっと「アリオ」以外の「私たちの思い出話」を真ん中に盛り上がる。

「夏の大会で負けた後、部室でビール飲んだよね。
 あのビール持ってきたの誰?」

20年以上も時が経つと、
共通で覚えている話題なんて刺激の強い事件しかない。
部室でこっそりビールを飲んでみたこと。
それが部室に来たアリオにしっかりバレたこと。
全員で停学を覚悟したらアリオが一言、
「お前ら並べ!今から俺が証拠をもみ消す!」って怒鳴ったかと思うと
全員の手元のビールを奪い飲み干したこと。
続けて全員が思いっきりビンタされたこと。
アリオが「お前ら全員、ビンタしちゃる!」って言ったのは、
既に全員3発ずつくらいもらった後だったこと。
端に並んでいたせいか、なぜか豊だけがかなり多めに叩かれたこと。
あの日の1時間あまりの思い出を、それぞれ持ち寄った記憶で語り合う。「ゆるい時代よね~」と、
40代になって堂々と飲めるビールを手に気持ちだけ90年代に帰った。

ひとしきり「アリオ」の思い出話が終わり、
ようやくお互いの「今、どんな感じなん?」という近況報告に会話が映る。

「孝、よぉ来たね。東京からやろ?」

現役時代、キャプテンだった晋太郎が話を振った。
「うん」
「優しいわ。アリオも喜んどったねー。
 てか孝と結希が会うも久しぶりなん?」

急なクイックで会話が私の真ん中に飛び火した。
まぁ別に今さら‥な話題なので私も普通に会話を拾う。

「大学出て別れた感じになって‥そのまま会ってないけぇ…
 20年以上ぶりよ。ね?」

20年以上ぶりに話しかけた。

「うん」

ビールグラスを見たままの孝の言葉は短い。
「久々の再会で、周りに気を使わせんじゃないよ」っていう感情しか
なかった私は、あえて全部を喋った。

「そうよ。20年以上ぶりよ。
 高2の時に孝から告白されて付き合いはじめてね?
 高校卒業した後も私は地元やったやろ?
 で、孝は東京になったやろ?だけ『遠距離になるねー』っち話して。
 それが6月にはもう音信不通になったんよ。ね?」
「‥うん」
「あの時代は携帯の前、ポケベルやったわ。
 何回鳴らしても連絡ないし、家電に留守電も入れても全部無視。
 私、何回も留守電に入れたのに。ね?」
「・・うん」
「あ。私、振られたんやーっちやっと8月くらいに実感して。
 それで終わりよ。ね?」
「・・うん」

20年以上前のことだけどはっきり覚えてる。
今は、そこにもう「悲しい」とか「辛い」とか「腹が立つ」とかの
感情はない。ただ記憶として明確に覚えてるのは多分、
初めての彼氏との別れだったからってだけのことだと思う。
実際、自分自身のことだけどあの頃の出来事とはもう
「若い子の恋愛って、そういうことあるよねー」くらいの距離感だ。
だから、孝を攻めているつもりもない。
孝は「ごめん」を繰り返しているが‥
その謝罪を受け止める感情がもうこっちにはない。

ただ、興味はあったw。

「なんで、急に連絡途絶えたん?」

多分、みんなも知りたいと思ってくれるだろう質問を投げてみた。

孝が‥短く答えた。

「他に好きな人ができた」

「フツー!」
「浅っ!」
「定番!」
「それ結希成仏できんわ」
「いや、私生きとるし」

みんなで孝の「想定の範囲内過ぎる答え」に爆笑した。
それでも孝が「ごめん」を繰り返すので、一応私がフォローする。

「謝らんでいいよ。もう私、何も思ってないし」
「・・ごめん」
「で?東京で好きになった子は、美人やったん?」
「・・先輩だった」

「分かりやす!」
「定番!」
「それ結希成仏できんわ」
「だから、私生きとるし」

全員が孝をいじりながら笑う中で、晋太郎が打ち込んで行く。

「で、東京のその先輩と付き合ったん?」
「うん」
「良かったやん!」
「でも直ぐに振られた」
「どのくらいで?」
「・・・3週間」
「秒殺!ウケる」
「何て振られたん?」
「基本的な価値観が合わんて」
「きつっ!でもウケる」

ビールを手に全員が笑った。

「じゃあさ、じゃあさ、結希に戻ればよかったやん?なぁ?」
「そうよ」

私も思ってもないけど「そうよ。まだ待っとったよ?」と合わせてみると、みんな笑った。
孝だけが真面目なトーンで返した。
「もちろん。そうしたい!って本気でそう思った。
 でもそれはずる過ぎるって思ったからもう‥言えんかった」
「まじめ~」、もう1回全員で笑った。

晋太郎の尋問が続く。
「で、今は?孝、彼女おるん?それか結婚したん?」
「まだ独身。」
「彼女は?」
「‥いない」

一瞬、会話のボールが床に落ちた気がしたので何となく責任を感じて、一言投げてみる。

「あら。それは‥頑張らんと」
「だね」
「てか、どのくらいおらんの?」
「20年」
「え?私と別れて。てか別れるのを決めて‥
 その東京の先輩と付き合って。振られてからずっとってこと?」
「うん」

もう1回、会話が床に落ちたが今度は孝が自分で拾った。

「なんかずるい気がして・・彼女作ってなかったんだよね」
「ん?どゆこと?」
「結希を裏切って、他の女の人に走って‥
 なんかそんな自分はもう付き合う資格ないかなって」
「それは嘘やろ~」

柔らかく言った私の一言に、晋太郎が素早く続いた。

「それはない。それはキモイ。そのセリフは言えて20代後半まで。
それは孝、ずっと彼女できんのを未だに結希のせいにしとるのと一緒よ?」
「‥かもね」
「かもじゃなくてそう。絶対」
「‥ごめん」

お酒が進んだこともあってか晋太郎の「絶対」は、語気が強かった。
久々に会っても強く言えるのは同期の良さかとは思う。
でも孝が「ごめん」と返したがためにボールはまた落ちる・・・
と思ったところ、今度は豊が拾った。

「孝、お前のさっきの一言はビンタもんやね。
 俺がもらったよりも多めのビンタもん」

その言葉を晋太郎がさらに上げる。

「じゃあ結希。
 20年越しの恨みをビンタ行っとこう!な?孝、文句ないよな?」
「・・うん。だね」

孝が私の方に少し頬を向けた。困る。

「やめて。もうそこに感情ないし」と返してみたが、晋太郎は引かない。
「いいけ。結希、孝にビンタしてやれって。救ってやり」
「無理無理無理無理。絶対無理」
「じゃあさ、俺が結希の代わりにビンタしようか?」
「それおかしくない?」

―収拾がつかない。とりあえず事態収拾のアイデアを絞り出してみる。

「じゃあさ、イッキは?今、全員のグラスに残っとるお酒全部イッキ。
 それでよくない?」
「お~。あの日のアリオのイッキ的な?」

豊が私の提案を拾ってくれた。そして、紫帆は仕事が早かった。
全員のグラス・ジョッキを孝の前に集めだす。

「孝、とりあえず飲んどき?ね?」

言いながら豊が優しく孝の背中を撫でつつ繰り返す。

「強要やないけね?強要やないよ?ね?」

「イッキ」をオススメ。時代錯誤の展開だ。
でも、私たちの世代にはこの光景に免疫がある人が多い。
孝も「じゃ」とさっそく1杯目を口に運ぶ。

全員がその姿を見ながら「ハイ!ハイ!」と手拍子だ。

私もみんなと一緒にリズムを取っているとLINEが来た。

「バレー部の顧問の慰労会。久しぶりの友達も多いんやろ?」

夫からだ。

「うん」
「めったにないし。最後まで付き合った方がいいよ?」
「ありがとう。じゃあ、そうさせてもらう」
「元彼によろしくw」

―!?

「え?何で知ってるの?」
「いるんだw。カマかけただけなんだけど当たったwww」
「最低・・・」
「ごめんごめん。ま、思い出話、帰ってきたら聞かせて~」
「ごめん」
「いやいや、謝られたらやましいことあるってことになるよ?あるの?」
「ない」
「じゃあいいじゃん^^」
「いいん?」
「いいやろ。
 子どもは寝かせとくしごゆっくり~。気を付けて帰ってといで~」

夫のLINEは「マラソン ランナーのゴール」のスタンプで締められた。
お互い、LINEの終わりが難しいから
「これをどっちかが送ったら終わり」と決めたスタンプだ。

ルールを破って1行だけ返す。

「帰り、お酒買って帰るね。何がいい?」

孝はまだ誰かのハイボールを飲んでいた。

あなたは‥昔の恋人と飲んだことがありますか?


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