見出し画像

大人になると、願い事が変化するのは

正月の初詣、お賽銭を投げ入れて二度手を叩いたあと、はて、と止まってしまった。
「お願いごと」が思い浮かばないのだ。

これまで一体、何をお願いしていたっけ。
それはどうやって、思いついたんだっけ。

小学4年生の時、
「塾のテストをがんばるので、ドラクエ6が手に入りますように」
と願った。

家族が大病をした時、
「どうか、病気が悪化しませんように」
と願った。

ひとは年をとると、「~~ができますように」系の願いごとから、
「~~でありますように」系の願いごとへと変化していく。

それは、「自分が頑張ればできること」と「どうしようもないこと」の分別を学んでしまうからなのかもしれない。

・・・などと手を合わせながら考えていたら、願いごとを終えたとみえる妹が、
「おい、まだか?はよせぇ」
と言わんばかりに、チラチラとこちらを見てくる。

しばし待たれよ、妹よ。まだ願いごとが終わっていないのだ。
いや、まだ願うべきコトすら、見つけられていないのだから。
でも、もう少しで「何か」をつかめそうな予感が近づいてきている。
あと少しなんだ。

ぼくは、あらん限りの力を振り絞り、2022年の記憶をさかのぼった。
熟練した映像編集のプロが、10倍速の早送りで映画を見ていくように。

超高速の即席走馬灯がひとりの顔でとまった。
ブルースリーのような髪型。つぶやきシローを彷彿とさせる、切れ長の目を持った君。
君は・・・君は、僕が数年来お世話になっている飯田橋の整体師じゃないか。

その整体師は、肩や腰のコリのことを、「君」「この子」と親愛を込めて呼ぶ。
そして、コリに語りかけながら、僕の身体をほぐしていく。

「ははーん、君(コリ)、こんなところにいたのか!」
「君(コリ)の上に、このハリがあるということは。
 まず、ほぐすべきはこの上にいるはずの・・・この子(コリ)だ!」

といったふうに。

ぼくは、その整体師をひそかに「コリと会話する整体師」と呼んでいる。
彼の腕はまちがいなく超一流で、僕の背中・肩・腰のコリをほぐすのなんて、造作もない。
だって、コリと会話できるのだもの。

いつになく凝り固まった身体で僕が訪れると、整体師はなぜか嬉しそうだ。
その無邪気な表情は、まるで、おもちゃを与えられた子どものようだった。

あれだ、と思った。
あの遊び心。

自分にできること・できないことの分別を持ってしまった私に、願うべきものがあるとしたら、これだろう。

「日々、遊び心を忘れず暮らせますように。」

願いごとを終えた僕を、後ろの人は(なぜか)けげんな顔で見ていた。
しかし、やっと「願いごと」を見つけられた僕の心は、達成感で晴れ渡っていた。


【写真】初雪の日に、遊び心を以てジグザグと橋を渡る妻


いただいたお金。半分は誰かへのサポートへ、半分は本を買います。新たな note の投資へ使わせて頂きます。