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何をしているのか。身分はよく分からないけど、面白かったおじさん。

親戚に<ふだん何をしているのか、どんな仕事をしているのか分からないけれども、よく遊んでくれる面白いおじさん>がいた。
夏休みと春休み、彼を訪ねるのが楽しみだった。

アクション映画の主人公が乗っていそうな大きなバイクに乗り、ビリヤードやボーリングが上手く、絵や工作も得意で、オセロがやたら強かった。
僕の夏休みの工作の宿題は毎年おじさんといっしょに作ったし、あまりに出来がよかったので学校で表彰されたりした。

「ふつうのサラリーマン」で、目立った特技もなかった自分の父親と比べて、おじさんは子どもの僕にはとても魅力的で、
「うちのオヤジも、彼くらい面白い人だったらよかったのになぁ・・・」
などと、残酷な愚痴をオカンに言ったこともあった。

先日、学生時代の友人、そして彼らの子どもたちと山中湖へ旅行した。

僕は、ふらりと単身で参加。
僕以外の友人家族にはそれぞれ子どもがいて、下は1歳から上は8歳まで、子どもだけでも5人もいる賑やかな旅行だった。

周りが仕事と子育ての両立に悪戦苦闘する中、僕はこの歳になってもとにかく遊びまわってるので、「遊び」には自信がある。今回も、おもちゃやボードゲーム・カードゲームを袋いっぱいに詰めて持っていき、遊びに遊んだ。

よる9時。就寝時間を迎えた子ども達が、
「あしたの朝も遊ぼう!何時から来ていい?」
「僕、5時くらいに起きれるよ!」
と問い詰めてくる。

しかし。これから「大人の時間」なのだ。
酒を片手に、話に花が咲き、おそらくテッペンは軽く越えるだろう。
5時起きはあまりにも辛い。僕は
「ろ、6時半くらいには起きるかな…」
と答えた。

はたして大人の宴会は深夜2時まで続いた。

翌朝。
6時30分ぴったりにインターフォンが鳴った。
おどろくほどにぴったりだ。それは6時25分くらいからずっとドアの前に立っていた者にしか成しえない「ぴったりさ」だった。

そこには目を輝かせて、開口一番
「今日は何して遊ぶ?」
と見上げてくる子どもたちがいた。

まるで進駐軍に「ギヴミー・チョコレイト」と手を出してくる戦後すぐの子ども達みたいだなと思った(見たことないけど)

背後には親である僕の友人が立っていて、すまなそうに、
「すまん、5時に起きて、そちらに遊びに行きたいと言うのを止め続けてきたが、もう限界だった」
と言う。
そして朝6時半から、狂喜乱舞する子どもたちと遊んだ。

思えば、僕も子どものころ、旅行先や夏休みに訪れた田舎のおばあちゃんちでは、毎朝6時に起きていた。

眠くないはずがないのに、勝手に目が覚める。
「あ、遊ばなきゃ!寝てる場合じゃない!」
ってな調子で。そして、<何をしているのか分からない面白いおじさん>を起こしに行った。

だから、朝早くに訪ねてきてくれた子ども達の気持ちがよく分かった。

と同時に、今回。 
<おじさん>の気持ちが少し分かったような気がした。

<おじさん>と僕、そして、僕と子どもたちはもちろん「親子」ではない。
だけど、あの<おじさん>から受け取ったものを、そのまま子どもたちに届けてみたいなと思った。

<おじさん>から受け取ったものって、何だろう。

それはなんというか、ひとことでいえば「遊び心」みたいなものかもしれない。そいつは、眠気と戦いながら、身体に鞭を打ち、朝6時からでも共有する価値のあるものに思えた。

「自分が価値あると信じるもののを、受け取ってくれる誰かがいる」という事実はとても幸せなことだ。
それが「遊び心」みたいな、一見なんの役に立たなそうなものであっても。

社会はこの事実がもっている未知なるパワーに敬意を払ったほうがいいし、予算をつけたりしてもいいと思う。


そういえば、<おじさん>はその後、何回かの結婚と、何回かの離婚をし、いくつかの仕事をし、時には会社を作ったり、会社をつぶしたりしながらなんとか元気にやっているという噂を最近になって聞いた。

どうして離婚したのか。どんな会社を作ったのか、どうして会社をつぶしたのか。いまも<おじさん>は謎だらけだけど、やっぱり面白いなと思った。

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