見出し画像

雨の土曜の朝のチルい

土曜日は朝から雨が降っていた。
睡蓮鉢の水面には雨が作る不規則な波紋が広がる。いつもよりゆっくり泳ぐメダカに餌をやっていると、Spotify からテイラー・スウィフトの「willow」が静かに聞こえてくる。穏やかに時間が流れる。

音楽のプレイリストの名前を見ると「チルいヒット曲」とあった。

出た。チルである。
だからチルってなんやねん。
最近では「チル・アウト」なる飲み物まで自販機に並んでいる。

よく聞くものの、けっして自分では使えない言葉たちというのがある。
その急先鋒が「チル」だ。

自信を持って「チル」を使うためにも、「過不足のない完璧なチル体験」をしてみたい。
つまり、
「 あー、これかぁ。「まったり」でも「癒やし」でも「寛ぎ」でも「いとをかし」でも「ヒュッゲ」でもなく、「チル」だわぁ。「チル」としか表現しえない何かだわぁ」
という体験のことだ。


完璧な体験というものがあるのかはわからないが、「学校の先生が配ってくれた模範解答のように安心感のある体験」というものは存在する。

たとえば「ヒュッゲ」。

ある年の初夏、デンマーク・オールボーの教会が見える広場のレストランで夕食を食べていると、現地に暮らす人が
「あぁ、ヒュッゲだ」
と言った。

「ヒュッゲ?どういう意味?」と聞くと、彼女は
「うーん、なんか今みたいな感じの、いいね!いい時間だね!幸せだね!みたいな感じ」
って教えてくれた。

だから、僕の中で「ヒュッゲ」とは
【午後8時を過ぎてもまだ明るい北欧らしい初夏の夜に、どこからか用意されたやわらかい毛布を羽織りながら、教会を眺めつつ食事をするような時間】
として定義されている。

デンマーク人が「ヒュッゲ」って言うんだから、文句なしにヒュッゲだろう。だから上のような瞬間がきたら、僕は自信を持って「あぁ、ヒュッゲだね!」ということに決めている。
しかし、そんな瞬間はまだ一度も来ていない。

ただ、「ヒュッゲ」と「チルい」は僕の中の言葉の世界ではなんとなく近い位置に置いている。


日常的によく聞くけれども、僕にとっては使いづらい言葉のひとつが「アジェンダ」である。そう、頭の良さそうなビジネスマンが会議でポンポン使うアレ。

アジェンダもまた、「議題っぽいもの」「この会議で決めること」のようなイメージでなんとなく受け止めているが、いまひとつ自信が持てず使えない。
僕には「アジェンダ」と「議題」の違いがわからないからだ。

僕は恐れているのだ。
僕がアジェンダという言葉を使った瞬間に、その場にいた「アジェンダ」という言葉に精通した誰かに
「teapotさん、それ、アジェンダっていうか…どっちかというと議題っすよね?」
と言われるのを。

議題でもない、TODOでもない。アジェンダとしか表現しようのない完璧なアジェンダと出会えたら、胸を張って使おうと思う。
「さて、本日のアジェンダはこちらになります」
と。

そんなことを考えているうちに、すっかり雨は止んでいた。
みなさん、よき週末を。

いただいたお金。半分は誰かへのサポートへ、半分は本を買います。新たな note の投資へ使わせて頂きます。