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お金のためだけに働くのは意外と難しい

「やりがい」という言葉は、ずいぶんと胡散臭いものとして扱われるようになった。

先日、誰もが知る大企業に勤めているビジネスマン(24歳くらい)と話していて、

「正直、仕事にはやりがいとか求めていなくて、
 ベーシックインカムだと思っています。
 やりがいは、仕事以外のところに求めているので」

という発言に、軽くショックを受けた。
でも、ここで苦言でも呈すると「老害」認定されそうで、

「あー、まぁ価値観って多様だよねぇ」

と笑って返しながら、どこかで自分に対して、
「若者にムリに合わせて、かっこわるいなぁ」
と思ってしまった。

しばらくモヤモヤしていたが、その理由は「彼の言葉」に対してではなく、10年以上働いているのに、少なくとも「自分自身を納得させる言葉」がとっさ出てこなかったことに対してかもしれない。

仕事というのは、生きるためにそれなりに必要だけれども、生きるためだけにやるには時間をあまりに消費しすぎる
そんなふうに僕は思うのですが、どうでしょう。



ある仕事、が隣の国にある。

人間ならほぼ誰にでもできるが、ほかの仕事よりも給料はいい。かといって危険もないし負担も少ない。腰痛になることはあっても、ギックリ腰になることはない。環境はいたって清潔。空調の効いた部屋で座って仕事ができるし、お菓子を食べながらやっても問題ない。
でも、みんな仕事をやめてしまうため、常に人手不足だという。

それは、AI を育てるための「ビッグデータ工場」だ。

どんな仕事かをちょっとだけ説明すると、AI の進歩は目覚ましいけれども、自動運転を任せられるほどには完璧ではない。そこで、AIの性能を良くしていくに、お手本となる「教師データ」を大量に覚えさせる必要がある。

ビッグデータ工場で働く人達が行っているのは、なんの変哲もない街の写真を前に、パソコン上でひたすら【自動車】【自転車】【人】とラベルを貼っていく仕事だ。朝から晩まで。その枚数は月に数万枚。あとは、AI が勝手にパターンを覚えて少しずつ賢くなっていく。

働いているのは主に、若い労働者たち。周囲の工場での労働よりもキツくないし給料もよいから、喜び勇んでやってくる。でも、数ヶ月もたてば「製造工場の組立ラインの方がずっといい」とそちらに戻っていくという。

小林雅一さんの『仕事の未来』には、「ギグワーク」みたいな新しい働き方や、すごいテクノロジーの功罪がたくさん出てくるのだけれども、この「ビッグデータ工場」のくだりがとにかく印象に残った。

「仕事」ってなんだろう。
そんな抜本的な疑問だけが、余韻として残った。

「ビッグデータ工場」の話を読んで以来、どこかで仕事には「達成感」や「上達している実感」のような遊びの要素が必要不可欠な気がしている。

おそらく文章を書いたことがある人なら、みんな感じていると思うのだけれども、最初は全然うまくいかないし、自分のできなさに腹が立ったりする。

でも、誰かにヒントをもらったり試行錯誤しているうちに、予期せぬ好意的な反応をもらえたりする。あるいは、続けたことでできあがったモノの蓄積を見て「頑張った甲斐があった」と感じる。その満足感は、承認欲求とはちょっとちがう。

僕の仕事もそれなりに面倒で、若いときはどう考えても”理不尽”な指導を受けたけれども、1年に1回くらいは、
「これは、良いものができたのでは!?」
と思うこともある。

まぁ、実際にはそんなに反響がなかったりするのだが、それでも「やらなきゃよかった」とは思わない。仕事から僕が受けている恩恵は、やっぱり売れたかどうかという「結果」とかだけではないと思うのだ。

以前はできなかったことができるようになり「景色」が変わったり、想像もしなかった世界や社会の「仕組み」を覗き込んだり、まだ名前の付いていない感情を目の当たりにしたりして、
「いやぁ、世界ってホント複雑」
と思うことも、僕が仕事から受けている大きな恩恵な気もする。

デジタルを否定したいわけではない。僕はゲームが大好きだし、この note だってデジタルだ。だけど僕はそれらを通して世界のプレイヤーや、あなたという読み手とつながっている。世界を実感している。

中国の若者達がビッグデータ工場を辞めて、自動車の生産ラインに戻っていく理由の一つは、やはり工具や歯車やオイルやシャーシを通して、世界とのつながりを体感しているからな気がする。

「やりがい」とは何なのか。
まだ、僕の中で答えが出ていないのだけれども、どんなにドライでシステマティックでロジカルでソリッドな仕事であっても、この世界とつながっているという実感の中に、「やりがいの種」みたいなものがあるような気がする。


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