完結したいという欲

こんなツイートが流れてきた(あれ、いまはポストって言うんでしたっけ?)

自分も以前高校生たちと話していて

究極のラーメンにたどり着くには|福岡 要 @kurukurumawaru2 #note https://note.com/imgod/n/n06cf9e712819

という問いの面白さに出会っていたので親和性を感じた。

私は究極のラーメンは「自分が究極だと納得するものを作りたい」であった。誰が食べるでもなく、自分すら食べなくても良くて「できたぞ・・・!究極のラーメンだ!ピシャア!ゴロゴロゴロゴロ・・・」と雷鳴の中で息絶えてもいいと思っていた。

お茶を濁していたけどこれって結局は「一人で完結したい」という欲だろう。こと、がそこでぐるっとまわって、完結する。抜けも漏れもなく、過不足なくすべての関係が統合されている。その完全さを作りたいのだなと思った。

その完全さは、観測が必要なく、なので自立であり自律である。人間の存在は前提として不要。

もう一つ思ったのはアーティストが自分の好きな「蕎麦」ないし「ラーメン」を作るという存在だとすると、鑑賞態度が「で、君は一体どうやって僕を楽しませてくれるんだい?」になりがちであるということ。アーティストの基本は鑑賞(自分の好きなものを食べたい)であり、エンターテイナーの基本が盛会(相手の好きにものを出したい)だとすると、とうしても観るモードになっちゃうのだな。

そんなにスッパリ分けられるものではないが私が聴衆に問いを投げかけて半農が欲しくなるのは「で、どうなんだい?」っていう問いに思いがけない反応を変えしてほしいんだろう。

さて、アーティストタイプなのかエンターテイナータイプなか、言い換えればディレクタータイプなのかプロデューサータイプなのか。そんなこと考えるキャリア教育はあんまりないかもだが、知的労働につきたいと思うならば結構本質的だと思っている。



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