なぜあの人は謙虚なのか?やり切ることの重要性

不思議なもので、時分が「やりきった」ことは記憶からどんどん消えていく。機会があると思い出してああそんな事もあったなぁという感覚になるのだが、まあそのときも感傷はわいてこない。

反面、「やりきれなかったこと」はどこまでもついてくる。常に不安になり、悔しさが込み上げ、ぜんぜん違うことにも事あるごとに顔を出してきて、ああ、あのときああすれば・・・なんて悲嘆に暮れる。

個人的な経験から言うと、時間で解決するしかない厄介なものだ。

「やりきった」か「やりきらなかった」かは、そのときの自分の感覚でしかわからない。ただ、往々にして区切りをつけることを怠ると、やりきらなかった感覚が残ってしまう。区切りとは、感情に対してきちんと折り目をつけるということである。

そして、厄介なことにやりきらなかったことほど、なぜか「私はこういうことをしてきた」と過去の経歴にすがろうとする。普通、やりきったことほど誇りそうであるが、なぜだろう、自身がないことの裏返しなのか、やりきってないと心で感じていることほど自慢げに話してしまっていることが多い。

仕事をきちんとかたをつける人はやりきる人である。やり切る人は、前述のように自分がやったことはあまり覚えていない。過去を話す暇もなく、次に移っている。

また、区切りをつけるために「感情の鎮静」をしっかりと行なっている。そうすることで頭は整理され、情報は錯綜しない。そうすると、自然と「自分の力で行なえたこと」と「いろんな助けを借りててきたこと」の区別もできるようになってくる。ほとんどの仕事が「自分一人ではできない」ものばかり。口から出てくるのは、「お陰様で」と感謝の言葉が多くなってくる。

と、いうことを考え始めているがどうやってこの感覚を説明すればいいか。私もまた、やりきってない一人、なのだろう。それでもしつこく考え続けるしかないのだけど

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