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やりたくないしたくない は気持ちの問題で片付けてはいけない

やりたくないこと
したくないこと

色々ある。

皿洗い
ゴミ出し
会社にいく
仕事をする
お風呂にはいる

日常生活でも多くあるし、仕事になればもっとある

ときどき雑なアドバイスで、
やればいいじゃんとか、やる気がないだけだよとか、やる気や気持ちで片付けたがる時や片付けたがる人がいる。

でも大事なことはやる気がなくなっていることに何かを足すことよりも前に、やる気が減ってしまっていることや、意欲が乏しくなっていることを出発点にすることである。

失ったやる気や意欲を意志や元気で取り戻せると考えているなら繊細さがたりないと感じてしまう。

水が減ったんだから、オレンジジュースで埋めればいいじゃん、石でもいれてかさ増しすればいいじゃんみたいな乱暴さである。

一時はそれでいいかもしれない。でも長続きはしない。下手するとよかれと思って入れたオレンジジュースによって烏龍茶がまずくなることだってある。

減ったら足すのではない。

やる気や意欲が減ってしまうという自然な現象を見つめるべきである。

時間が立てばやる気や意欲は減るし、
体力落ちれば減るし、
やり方がわからなければ減る。

そして理由は一般的な理由だけでなく思わぬところにあったりもする。

近くに人がいるだけで緊張してストレスを感じて減るとか、
文字を読むことが苦手でゲージの減り方が他の人の数十倍とか、
注意がいろんな所にうつりやすいとか、

したくないとかやりたくないということが気持ちの問題ではなく、やることの中にある要素の一部が苦手ということもよくある。その一部が苦手、もしくはできないために全般にたいしてスタート地点でやる気ゼロになることだってあると思う。

いまの世の中便利になってるけど、その分便利で楽になったことだけど、様々なことを組み合わせないと最後まで出来なかったりする。

電源を長押しする
スマホでフリックして文字を打つ
文字盤を変える
タップする
向きを変える
電話に出る
申し込みをする
パスワードをいれる

大小様々だが、細々したいろんなことがあり、その中に自分でも気づかない思わぬ出来ないことや苦手なことが含まれてたりする。

だから、一部苦手だったりできないことなのに、やる気や気持ちがうすらいで、何か全部やりたくない、したくないという気持ちになったりするのだろう。

やりたくないしたくないという気持ちはとても大事にすることが自分を大事にすることだと思う。

次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。