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南仏プロヴァンス レンタカーの旅

2016年9月に会社を定年退職した。自分の好きなことを色々やろうとしているが、やはり旅行が楽しい。2017年4月に86歳の岳母看病の為に妻と北京入りしていたが、小康状態になったので二人で旅行に行くことにした。妻の友人が南仏に行って来てとても良かったと紹介してくれた。小さな美しい村が集まっているプロヴァンス地方が良い、あちこち動き回るには車が便利と聞いたのでレンタカーで行くことにした。団体バスツアーでパリや西北部に行った事はあるが、自分で車を運転して南仏を回るのは初めてである。大手小売業に勤務している次女に声を掛けたら是非とも一緒に行きたいと言うので、親子三人の旅となった。2017年5月のことである。

1. 事前準備

<フライト>
親二人は北京からの発着となるので、まずは娘に名古屋-北京の往復フライト便を予約してもらい、その日程に基づいて親子三人分の北京-マルセイユ往復航空券を中国の大手旅行会社”携程(Ctrip)” のネットで予約した。
 *往便*(三人分)
 5月22日 北京→パリ・シャルドゴール空港 エアフランス AF381便
  同日  パリ・オルリ空港→マルセイユ エアフランスAF6010便
 *復便*(二人分、娘は途中で帰国)
 6月1日 マルセイユ→アムステルダム AF1820便
  同日 アムステルダム→北京 AF8443便
一人往復RMB4996、日本円で約8万円、この季節で欧州便、日本発着よりかなり安い。自宅のパソコン入力で予約完了し、クレジットカードで決済すると、すぐに三人分の電子チケットが発行された。念の為にEメールで届いたデータを全てプリントアウトしてパスポートと一緒にホルダーに挟んでおく。

<ホテル>
男同士のレンタカーで自由な旅ならホテルの予約などは不要かもしれないが、妻と娘の女二人を連れて見知らぬ土地でのドライブである、夜に泊まるホテルは予め決めておきたい。予約自体はネットで簡単にできるが、問題は毎日車で走る大凡のルートを決めて置かないと場所が特定できない、しかも慣れない左ハンドル右側通行で初めての土地、時間の余裕は持っておきたい。地図や参考書を色々検討しながら車移動の時間とルートを決めホテルを予約した。この準備の時間も結構面白い、旅の楽しみが始まっている。あれこれ選び二人で言い争いもするが結局は妻の言う通りになる。ホテルの予約サイトは色々あるが何と言っても世界中をカバーしている"Booking.com"が数が多くて価格帯も多様であり、ホテルに駐車場の有無、無い時は近所の有料駐車場の紹介まであり車で行くには便利である。今回プロヴァンスで泊まったホテルは殆どが大人3人用台所付きマンションタイプで値段も手頃で良い思い出になった。参考までにリンクを貼っておくので興味のある方は覗いて見て下さい。値段もご紹介しておきます。(現地通貨”€・ユーロ"、€1は約125円)

第1日目(5月22日)マルセイユ→エクス・アン・プロヴァンス (20Km) 
   Apart hotel Odalys Aix Chartreuse      €66 (3人一泊)
第2日目(5月23日)エクス・アン・プロヴァンス→アルル (60KM) 
   Hotel Arles Plaza     €88 (3人一泊)
第3日目(5月24日)アルル→アヴィニョン (60Km)
           Hotel Cristol    €63 (3人一泊)
第4日目(5月25日)アヴィニヨン→ゴルド (40km)
           Residence Goelia le Domaine du Moulin Blanc    €195  (3人二泊)
第5日目(5月26日)ゴルド周辺を車で観光、同じホテルにもう一泊
第6日目(5月27日)ゴルド→メネルブ→ニース (245Km)
           Apartment2 Chambres Palais Henri V      €295  (3人一泊)
第7日目(5月28日)ニース→モナコ→カンヌ→マルセイユ (220Km)
   Stay City Apart Hotel, Center Vieux Port    €103  (3人一泊)
第8日目(5月29日)マルセイユ→サン・レミ→ニーム (130Km)
           Kyriad Nimes Quest     €77 (2人一泊、娘は先に帰国)
第9日目(5月30日)ニーム→シャトー・ヌフ・デュ・パプ→アヴィニョン(95Km)
           Lilot Bambou       €92 (2人一泊)
第10日目(5月31日)アヴィニョン→マルセイユ (95Km)
             Campanile Marseille Saint Antoine    €93  (2人一泊)

代金はクレジットカードで先払いのホテルもあれば、到着後現地で払うところもある。先払いした記録はパソコンに残っているが、万一のトラブルに備えて全てのホテルの予約票をプリンターで印刷する。現地でカーナビに行き先を入力する為にホテルの英語住所と電話番号を予約票で確認しておく。

<レンタカー>
フライトとホテルが決まったので次は移動の足、レンタカーの予約。航空券を購入した旅行社”Ctrip"のサイトから探す。HertsやAvisなど有名なお店が並んでいるが、欧州では店舗が一番多いと自分で宣伝している”Sixt"を選ぶ。パリからマルセイユ空港到着後すぐに車で移動始めるので、空港敷地内のSixt店でピックアップして、帰国時も空港で車を戻してそのまますぐに飛行機に乗れるようにする。大きなトランクが3個あるので5人乗りのバンタイプ・SUVが必須条件、出来ればATが良いがMTでも構わない、カーナビは自分の携帯を使うのでなくても良い。あとは値段次第。色々と探してBMW3シリーズのATバンを1日39ユーロ、10日間で390ユーロ、約4万8500円で借りた。日本ではBMWは高級外車でとてもレンタカーなどできないが欧州では普通車なのかもしれない、南仏でドイツ車のハンドルを握るのが楽しみになった。

<国際運転免許証>
外国で車を運転するには国際運転免許証が必要である。北京へ来る前に日本で取っておいた。免許証とパスポート、写真一枚を準備して自宅に一番近い『府中運転免許試験場』に行く。3階に国際免許受付があるので手数料2350円を払うと二時間程で国際運転免許証を発行してくれた。有効期限は発行日から一年間しかないので期限切れしないように注意が必要。また今回マルセイユでレンタカーを借りる際に日本のオリジナル免許証も提示させられた。免許証を見ながら「運転歴は何年か?」「初めて免許を取ってから3年以上経っているか?」と質問された。日本の免許証には発行日は”平成何年”としか書いていないので、西暦で何年かを説明して「もう30年以上も運転している」と答えたら「OK!」との回答だ。欧州には”若葉マーク”は無いようだが、もし免許3年未満でレンタカーを借りる場合は気をつけた方が良い。

<携帯アプリ・"Google Maps">
知らない土地で車を運転するのにカーナビはなくてはならない。現地では"GPS"と言っていたが、レンタカーにこのGPSがついているかどうか契約時に確認できる。BMWにはついていたがナビの言語はフランス語か英語の選択だった。フランス語は全くできないし英語の聞き取りも大変、画面のボタン操作もしにくい。そこで自分のiPhoneで"Google maps(グーグルマップ)"を使うことにした。iPhoneには標準で”マップ”がついているが別のアプリなので予め"App Sore"でダウンロードしておく必要がある。使い慣れた自分の携帯からアプリを起動し目的地を入力すればすぐに日本語で案内開始してくれるので有難い。「次のロータリーで、3番目の出口から出てください」と優しい女性の声で案内がある、目的地の入力はカタカナでもできるが英語の方が正確に探せる。到着予定時刻、残り距離なども全て日本語である。このアプリのすごいのは世界中どこにいても、現在いる場所の最新の詳細道路情報を自分でダウンロードしながら目的地を探しており、南仏のどんな山奥でもどんなに小さな道路でも情報に困らない。日本語のガイドが一人同行しているようなものである。お陰で持参したミッシェランの全仏道路地図は殆ど見ることも無かった。ナビの言語も携帯の全言語に対応しており、妻は"Huawei"の携帯で同じアプリを中国語で聴きながら車の進行方向をチェックしていた。

<携帯用車載充電器>
旅の命綱のようなカーナビ(グーグルマップ)は車の運転中ずっと使う為に、携帯の電池が切れないように車中で充電しながら走行する。最近の車にはインパネの下部にUSBポートがあって直接携帯を充電できるが、レンタカーについているかどうかはわからない。そこでシガレットライターに差し込んで充電ができる車載充電器を準備しておく。北京の携帯アクセサリーショップで30元(480円)で売っていたが、日本でも1,500円前後で売っている。これならどんなに古い車でも安心だし、携帯を2台とかWi-Fiルーターとの同時充電もできる。車を降りる際にはケーブルを繋ぎっぱなしにしておくので予備の充電ケーブルを2−3本持参した方が便利である。運転しながら携帯ナビの画面を見る時は前方ウィンドシールドグラス下部にあるのが一番見やすい。北京のショップで窓ガラスに携帯を吸盤で固定するプラスチック製の取付け器具を売っていたので20元(320円)で買っておいたのが役にたった。

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(車載充電器と携帯取付用アダプター)

<欧州用モバイルWi-Fiルーター>
充電器と合わせて重要なのがモバイルWi-Fiルーター。携帯はカーナビ以外にもメールや"LINE"、中国のSNS”微信(WeChat)"も毎日使うのでWi-Fiルーターは必携品である。中国のネットで予約すると、欧州全域用Wi-Fi、1日500MBで19元(304円)、10日間で190元(3,040円)でルーターレンタルができる。流量無制限の使い放題コースもあるが値段が倍以上する。カーナビの地図データとメールくらいであれば1日500MBもあれば充分である。日本でレンタルすると最低1日1,500円はかかる。料金は先払いでこれくらいの金額だと携帯のアプリ”微信支払(WeChatPay)"でさっと済ませる。出発日に北京首都空港の専用カウンターで受取り、帰国時も北京空港で返却するので便利である。このルーターも車の中ではカーナビ用にずっと使い続ける為充電が必要である、上記の車載充電器にはUSB口が二つ開いているので携帯とルーターと同時に充電ができて便利だった。

<クレジットカード>
欧州ではクレジットカードが無いと不便である。ホテル、食事、レンタカー、給油、高速道路、駐車場、スーパーetc、何から何までカードなのだが、問題は日本で一番ポピュラーなJCBカードが使えない。南仏では一度も使えなかった。VISAカードならばどんなに田舎のホテルやお店、ガソリンスタンドでも使えた。Masterカードも使えるらしいが生憎持参しておらず体験はできなかった。最近のクレジットカードにはICチップの金属片が埋め込まれているが、一部の古いカードは磁気テープのみでICチップがついてないものもある、このタイプのクレジットカードは読み取り出来ないお店が多いので注意を要する。また日本ではお店のレジ係がカードを受け取って操作してくれるがフランスではお客が自分でカードをPOS機(カードリーダー)に差し込んでパスコードを入力せねばならない。レジのお姉さんがフランス語で何か喋っているがさっぱりわからない、カードを差し込む方向、裏表が間違っているようだ。ICチップの金属部分がカードリーダーの読み取り部分にピタリと合わないとダメなのだが、それがわかるまでなんどもやり直しさせられて苦労した。

<地球の歩き方>
ホテルと車は準備できたが効率よく多くの観光地を回る為にはやはり案内本があった方が良い。予習復習もでき車で走りたいコースも事前に決められる。娘の推薦でダイヤモンド社の『地球の歩き方』シリーズの『南仏プロヴァンス コート・ダジュール&モナコ』を買って持参してもらった。各地の地理・歴史・見どころ・土産・グルメ情報などが満載で内容豊富な参考書として大いに役にたった。本紀行文の地名や距離、年代や観光案内は本書を参考にしている。

以上、レンタカー関連の事前準備を紹介したが、勿論これ以外に普通の海外旅行用の着替えや洗面用具、化粧品、常備薬、メガネやスリッパなどなどは言うまでもない。いつも旅行に持参していたデジタルカメラは最近では携帯電話の方が性能が良くなっているし、記憶容量も大きいので今回の旅行を最後に持参をやめた。ノートパソコンも重いので持参せず。

5月21日午後、次女が中部国際空港から北京へ飛んで来た。出発まで少し時間があるので親子三人でおばあちゃん(岳母)が入院している病院へ見舞いに行った。夕食後、夜10時に北京首都空港へ向かう。ネットで予約していたモバイルWi-Fiルーターを専用カウンターで受取り、深夜01:00 出発のパリ行きエアフランスAF381便に搭乗、いよいよ旅の出発である・

2. エクス・アン・プロヴァンス、 アルル

<マルセイユ・"SiXT"レンタカー>
5月22日の早朝6時にパリのシャルル・ド・ゴール空港に到着、国内便に乗り継ぐ為バスに乗ってオルリ空港へ向かう。成田から羽田へ移動するようなもので、パリの街を北から南へと縦断して1時間以上かかった。オルリ空港11:20発の国内便AF6010に乗ってフランス第二の国際都市マルセイユへ向かう。昼過ぎに到着し早速レンタカーの店を探す。"SiXT”の看板を伝っていくと空港前の広場、駐車場の構内にオレンジ色の看板の店がすぐに分かった。外人客が多いのであろうスタッフはきれいな英語を喋るので助かった。ネットの予約票とパスポート、国試免許証を提示して本契約の作業に入る。日本の免許証も提示させられた。一番心配なのは保険である。予約段階で対人対物無制限、自損事故フルカバーで付保しているが、念のため確認すると「保険はフルカバー、どんな事故でも貴方の負担はない」と確認してくれたので安心する。娘も運転したいというのでドライバーの追加をすると34ユーロ取られた。車の費用はネット予約時に先払いしているのでカウンターでの支払いはこれだけである、VISAカードで支払う。あとは車の説明と引渡し、いよいよBMWとのご対面、まだ1300Kmしか走っていない新車のバンだった。希望通りのAT、燃料はディーゼル、フランス語で”GAZOL"と言うらしいが給油の際に間違えないように覚えておく。カーナビの説明もしてくれるが自分の携帯を使うつもりなので適当に聞き流す(と言うより説明が難しくて良くわからない)。10日後の返却時は朝が早い(8時前)のでどうするのか聞いたら「店の前の駐車場に車を置いてキーをボックスの中に入れるだけで良い」とキーボックスの場所を教えてくれた。なんとも簡単な方法だが確かにパスポートに免許証、クレジットカードのコピーまで取られているので誰も車で逃げることはできない、信用社会だと感心した。燃料は満タン返しだが空でも良い、後でカードに請求するとの説明にも満足、全て納得して契約書にサインして完了。トランク3個を後部に積み込んで自分のiPhoneを取付けモバイルWi-Fiの電源を入れて信号を確認、アプリを起動して最初の目的地エクス・アン・プロヴァンスのホテル住所を入力するとグーグルマップが日本語で案内を開始した。

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(マルセイユ空港で借りたBMW、後方は"SiXT"レンタカー事務所)

<エクス・アン・プロヴァンス> (以下”エクス”と略称)
マルセイユ空港を出て30分ほど走るとエクスに到着、距離は20Kmほどしかないが最初なのでゆっくりと慎重に運転する。ナビが「目的地は右です」と言うと予約していた「Hotel Odalys」の看板が目に入る。駐車場に車を停めてチェックイン、荷物を降ろして部屋のキーを受け取る。大きな部屋が二部屋あり台所もついている、アパートと名前のついているホテルは大体このようなマンションタイプのようだ。   Apart hotel Odalys Aix Chartreuse
一休みしたらまた車に乗って市内観光にゆく。『地球の歩き方』で仕入れた観光スポット、”ミラボー通り”から”ド・ゴール広場”へ行く。車の中からではゆっくり見れないので駐車場を探すが中々見つからない。娘がやっとグーグルマップで探してくれて地下の駐車場に入れる。階段を歩いて登ると広場の真ん中に出た。

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(エクス: ”ド・ゴール広場”の噴水、エクスには噴水が多い)
広場にはエクスが生んだ有名な画家、セザンヌの銅像も建っている。プロヴァンス王国の首都で歴史も古く、見所も多い。広場と噴水を歩き回って見るだけでもだいぶ疲れてきたので”プチ・トラン”と呼ばれる観光用の小型連結列車に乗る、これなら座ったままで一気にエクスの観光スポットを観れる。どこを見ても絵になる美しい街である。夕食の時間になったのでお洒落なカフェを探して入る、メニューに写真が付いているのがありがたい。下手な英語でステーキ、フィッシュ、チキンの三種類をオーダーして3人でシェアする。今回の旅はツアーガイドがいないので食事は全て自分で注文せねばならない。それがまた旅の楽しさでもあるのだが、毎日朝昼晩の食事時になると3人で何を食べるか相談するが大体女2人の意見で決まって行く。食事後地下駐車場に戻り車を出すが料金は3時間で5.6ユーロ(700円)、観光地にしては安い。出入り口には人がいない、自動ゲートとなっていてVISAカードで決済する。現金コインでも払えるがお釣りが出ないので注意を要する。夜の道を初めてライトをつけて走り安全運転で無事ホテルに戻った。
翌日は早起きしてまず”ド・ゴール広場”の朝市へゆく、美味しそうなパン屋さんで本場のフランスパンを買ってカフェでコーヒーを飲みながら朝食をとる。土産屋で香りの良いラベンダーの石鹸を買う。次にエクスを代表する画家”セザンヌのアトリエ”に行く、セザンヌがここで絵を描いた当時の様子がそのまま保存されている。

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(エクス: ”セザンヌのアトリエ”)
このアトリエから北へ30分ほど歩くと"レ・ローブの丘”があり、頂上からはセザンヌがこよなく愛した”サント・ヴィクトワール山”がきれいに見える。青い空に白い雲、まっすぐに伸びた緑の糸杉、その向こうに石灰岩の美しい山、セザンヌが描いた何枚ものこの山の絵が丘の上にパネル展示で紹介されていた。心まで洗われるような美しい風景でセザンヌの気持ちが少しわかるような気がして丘を降りた。

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(エクス: ”サント・ヴィクトワール山”)
時間の都合もあり次の予定地へ車を走らせる。高速道路の入り口には人がいない、コインを入れるかクレジットカードを差し込めば自動でゲートが開く。コインだと料金通りに何枚も用意するのが面倒だし多めに入れるとお釣りが出てこない、ここでもVISAカードを使う。レンタカーでの移動は昼間に行う。まずホテルへ向かいチェックインを済ませてトランク3個を車から降ろして市内観光に出かける。荷物を積んだまま車を離れると車上荒らしがあるらしい、勿論貴重品が入ったバッグを座席に置いたままにしてもいけない。

<アルル>
エクスから西へ60Km、高速を走って一時間でアルルの町へついた。ホテルは螺旋階段がついたお洒落なメゾネットタイプの部屋だった。二階の窓からローヌ川沿いの美しいアルルの街並みが見える。   Hotel Arles Plaza   
ホテルは市街地にあるので歩いて出かける。ローマ帝国の名残を残す”円形闘技場”、”古代劇場”、”サマトロフィーム教会”と廻る。
小説「アルルの女」で有名なこの町は美女が多いらしくその美女を目指して芸術家も集まる。後期印象派の画家ゴッホも1888年2月から約一年間アルルに住み有名な絵を沢山残している。”カフェ・ヴァン・ゴッホ”はゴッホが描いた『夜のカフェテラス』そのままである。夕食はこのカフェでフランス料理を頂く、ホテルに車を置いて歩いて来たので本場のワインも満喫できた。

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(アルル: ”カフェ・ヴァン・ゴッホ”)
中学の美術の教科書で見た『跳ね橋』は当時の場所から南へ3Kmほど移されて復元されている。周囲の風景はだいぶ異なっているが田園風景は変わらない。

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(アルル: ”ゴッホの跳ね橋”)
他にも自分の住まいを描いた『ヴァンゴッホの寝室』、ゴーギャンとのトラブルで自分の耳を切り落として入った病院『アルルの病院の庭』、ローヌ川岸の『星降る夜』、最も愛した花『ひまわり』などの名作がこの町で生まれた。翌年20Kmほど離れたサン・レミ・ド・プロヴァンスの精神病院に入院し、1890年7月にパリ郊外でピストル自殺(享年37歳)を遂げるまでの2年半はアルルから始まるゴッホの最後の人生だった。アルルの続きをどうしても見たくなり後日サン・レミ・ド・プロヴァンスへも行くことにした。

3. アヴィニョン、 リュベロン地方

アルルからローヌ川を遡って北へ約30Km走ると次の目的地アヴィニョンだが、途中に世界遺産の”ポン・デュ・ガール”があるので寄って行く。車だとこうした寄り道ができるのも便利だし、複雑な地名もグーグルマップでカタカナ入力できるのも助かる。ローマ時代というから約二千年も前の壮大な”水道橋”である。高さ48m、全長275m、三階建の美しいアーチ構造、遠くの湖からわずかな高低差を利用して飲料水を運んで来るローマ人の建築技術の高さに驚く。入場料25.5ユーロ(駐車料込み)を払って橋の上を歩いて渡ると向こう岸には博物館がありローマ時代にどうやってこの巨大建築を作ったのか解説がある。

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(世界遺産: ”ポン・デュ・ガール")

<アヴィニョン>
寄り道した”水道橋”から東に田舎道を30kmほど走るとアヴィニョンに着く。
♬アヴィニョンの橋で踊ろよ、踊ろよ♬  の歌で有名な町だが、何で踊っているのかを知らなかった。14世紀初頭にローマ法王がカトリック総本山の法王庁をローマからアヴィニョンへ移した為に地元の人たちが喜んで歓喜の踊りを橋の上で踊った歌らしい。そのアヴィニョンの橋、”サン・ベネゼ橋”の上は♬輪になって踊ろう♬  ほど広くはないが12世紀に造られた美しいアーチ橋で、法王庁宮殿と共に栄枯盛衰したアヴィニョンの長い歴史を物語っている。

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(アヴィニョン: ”サン・ベネゼ橋”  戦争や川の氾濫で途中で切れている)
町の中心に要塞のようにそびえ立つのが”法王庁宮殿”、当時はイタリヤから贅沢な家具、調度、彫刻が持ち込まれ、宮殿中を豪華なフレスコ画で飾られ栄華を極めたが、その後ローマに法王庁が戻り18世紀にはフランス革命で兵舎として使われたりして、今はがらんとしている。

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(アヴィニョン: 法王庁宮殿、世界遺産)
隣には金色の聖母像が頂上に輝く”ノートルダム・デ・ドン・大聖堂”と”ロシェ・デ・ドン公園”があり、市内を一周するプチ・トランが走っている。夜は”時計台広場”でお洒落なスペイン料理店を見つけ、パエリアとムール貝を頂く。車なのでワインが飲めずに残念、コーラで我慢する。

<ゴルド>
アヴィニョンから東に30Kmほど走ると”リュベロン地方”に入る。緑の山と青い川、大きな自然公園で山間に小さな美しい村が点在している。まぶしい太陽とのどかな田園風景、石畳の小道、古風な石造りの家、丘の上の古い教会、豊かな食材と美味しいワイン、プロヴァンスのイメージ全てがここ”リュベロン地方”に凝縮されている、今回旅行の重点地域だ。点在する村を沢山巡りたいのでホテルは二泊を予約した。山中の別荘ホテルで、大きな部屋が二つ、ベッドが三つにソファーとキッチンもついているお洒落なホテルである。 
Residence Goelia le Domaine du Moulin Blanc
チェックインして荷物を卸し、まず”ゴルド”へ向かう。車を停め細い石畳の坂道を歩いて登ると丘の上に断崖絶壁のレストランが立っておりその絶景に驚く。中に入ろうとしたが予約が一杯とのことで断られた、世界中から観光客が来るようだ。

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(ゴルド: 断崖絶壁のレストラン)
やむなく他の店を探し丘の上の洒落たイタリア料理店へ入ってピザ、ラザニア、パイのセットメニューで夕食をとる、三人で79ユーロだ。フランスのレストランで”menu(モニュと読む)”と書いてあるのはセットメニューのことで前菜と主菜、デザートがセットになっていて、主菜を何にするか決めるだけで良い。一人前20〜40ユーロでお得だし、難しいフランス語で注文の苦労をしなくても良い。食事も済み丘から降りて車でホテルへ戻る途中に展望台があり夕暮れ時のゴルドの町が目に入る。時間は夜の9時なのだが南仏は陽が長い。頂上の古城に向かって石造りの家が折り重なっている姿は幻想的、この景色を見る為にやって来たようなものだ。夕闇で写真がうまく写せない、少しぼやけているのが残念。

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(ゴルド: 夕暮れ時の町)

<ルシヨン>
翌日は早起きしてまずはルシヨンへ行く。別名”赤い村”とか”ピンクの村”と呼ばれるこの村には、オークルと呼ばれる黄色顔料土の採取場があり以前は全ヨーロッパに輸出されていたらしい。その顔料を使って家や建物を作っている為に村全体が赤褐色に彩りされている。

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(ルシヨン: 別名”赤い村”)
丘の上のテラス・レストランで”モニュ”の昼食を取り、近所のお土産屋を散歩する。石畳の狭い坂道も赤い色の壁に挟まれてなんとも言えぬ風情を感じる。

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(ルシヨン: お土産屋通り)

<ボニュー>
午後はボニューへ向かう。頂上の教会前にあるテラスからリュベロンの谷の眺めが美しく、映画スターや有名人が別荘を持っているという。そう言えば途中で何台もの高級フェラーリとすれ違った、大金持ちが別荘に通っているのかもしれない。

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(ボニュー: 丘の上から美しいリュベロンの谷が眺める)

<車の故障>
リュベロン地方は車で移動すればどの村へも30分以内で到着するので便利なのだが、困ったのは道路の狭さ、田舎道なのでガードレールもないし中央線もない、路肩は溝になっており下手すると側溝に落ちる。そもそも2台の車がすれ違うほどの幅がない、昔の馬車道がそのまま車道になった感じである。すれ違いざまに何度も接触しそうになる。左ハンドルの為右前方の車両感覚がよく分からず遂にはボニューの丘の上の駐車場に入る狭い道で路肩の石垣に右前輪タイヤをぶつけてしまった。ゴツンと音がしたがそのまま駐車場内へ進んで空き場所を探して駐車する為前後に車を動かしたら急にハンドルが効かなくなった。驚いて車を降りて見ると右前輪のステリングギヤが破損している、よほど当たり具合が悪かったのか鋳物部品が断裂してハンドルが効かなくなってしまった、これでは先に進めない。

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(破損したBMW右前輪のステアリングギア)
折角のBMWの新車が壊れてしまった。日本車だったら壊れなかっただろうにとの悔しい思いもしたが、駐車場内で良かった、もし走行中だったらどんなに大きな事故になった事か、との思いに胸をなでおろした。何れにしてもこんな時の為にマルセイユでSiXT事務所からもらったレンタカー契約書を出して来て非常時の連絡先へ電話をする。下手な英語で「車が壊れた、運転できない!」と大声で伝えると「OK,OK, そこで待ってろ」と言ってくれたので少し安心して駐車場の場所を伝えて助けを待つ。30分もすると大型のレッカー車がやってきて壊れたBMWを搬送する準備を始めた。作業が終わると書類にサインをさせられて「何の心配も無用、ここボニューの村にはレンタカー会社がないので"Pertuis"という町の"Euro-Car"というレンタカー会社で準備している、そこから迎えの車がやってくるのでここで待っていれば大丈夫」と言ってBMWを引っ張ってどこかへ言ってしまった。「海外はレンタカーのサービスが良いなぁ」などと感心しながら迎えの車が来るのを待ったが一向に来る気配がない。一時間も待っても来ないので埒があかず先ほどのレッカー車の運転手に電話すると「今日は金曜日でレンタカー会社が忙しくて迎えの車を出せない、すまないがそこからタクシーでPertuisへ行って欲しい」とのつれない回答。やっぱりフランス人は気ままな民族だ、などと悪口を言いながらタクシーを探すが高級別荘地のためかタクシーがいない、コーヒーショップのマスターに相談したら、一人で観光に来ていたフランス人の女性に話をつけてくれ、50ユーロでPertuisまで送ってもらった。しかし悪いことは続くもので、"Euro-Car" レンタカー会社は午後6時で閉店となっていた。困ってあちこちに電話するが英語ではうまく通じない。結局思い切って最初の店へ戻ることにした、24時間営業だし英語も通じる。バスを乗り継いでエクスからマルセイユ空港の"SiXT"事務所まで戻って、やっと代替車(OPEL SUV MOKKA)をゲットすることができた。5人乗り、AT、 ディーゼル、英語版カーナビも搭載、大きさも十分だ。

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(代替車 OPEL SUV MOKKA)
保険は”フルカバー”で入っているので何の費用もかからないとの説明があり、確かにその場では一銭も払わなかったが、後から修理代を一旦立替払いしてその後に保険会社から戻ってくるとの少し複雑な手続きを取らされた。時間はすでに夜の11時で疲労困憊、ゴルドのホテルまで50Kmの運転をする元気もなく娘に運転をお願いした。

<メネルブ>
BMWの故障のお陰で半日時間をロスしたのでリュベロン地方2日目の村巡りはメネルブのみとなった。イギリスの作家・ピーターメールが住んでいた村で『南仏プロヴァンスの12ヶ月』を発表して一躍世界的に有名になった。丘の上に古風な教会があり庭からリュベロンの山並みと谷の美しい風景を眺めることができる。

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(メネルブ: リュベロンの山々と谷の景色が素晴らしい)
上の写真左側の石畳坂道の横に、ピカソの愛人ドラ・マーナ(写真家)が住んでいた別荘があり彼女の写真が飾られていた。ピカソもスペインから南仏に移り住みお墓もエクスの山の麓のお城にあるらしい。

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(メネルブ: ピカソの愛人ドラ・マーナの別荘の窓)

”リュベロン地方”にはまだまだ沢山の美しい村があるが、今回は車の事故もあり諦めざるを得ない。次回また行く為に地名と特徴のみ記録しておく。
”セナンク修道院” : 紫のラベンダー畑で有名、7月上旬が花盛り。
”ラコスト” : リュベロンで最も小さな村、サド侯爵の広大な城。
”アンスイ” : フランスで最も美しい村の一つ。
”アプト”    : 果物の砂糖漬け”フリュイ・コンフィ”で有名。
”ルールマラン”: ルネサンス様式のお城、カミュのお墓がある。

4. コート・ダジュール(紺碧海岸)

午後リュベロンの山に別れを告げて、次の目的地”コート・ダジュール”へと向かう。碧い空と碧い海、地中海に面したフランス有数のリゾート地である。メネルブから南下してエクスで高速道路に入り”ニース”出口まで約250Km、3時間以上の長時間ドライブなので娘にお願いした。

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(OPELで"コート・ダジュール"へ向かう、iPhoneでカーナビ)

<ニース>
午後4時半、無事ニースに到着、ホテルは海岸通りに面したマンションの3階だ。      Apartment2 Chambres Palais Henri V  
今回の旅行で一番高い、三人一泊で295ユーロ(37,000円)だがテラスから目の前に地中海が広がり、海岸線を走る美しい遊歩道を見るとニースの一等地であるのがわかり納得した。早速車を狭い駐車場に入れて歩いて市内観光に出かける。ホテルの前の”プロムナード・デザングレ” 遊歩道を金持ち気分で散歩する。

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(ニース: ”プロムナード・デザングレ” 遊歩道)

散歩の次はバスに乗って市の中心地”マセナ広場”へ行く。旧市街を抜けて”城跡公園展望台”に登る為のエレベーターを探すがどこにもない、地図には書いているがどうやら閉鎖されたようだ、やむなく長い階段を歩いて上っていく。丘の頂上から”天使の湾”と呼ばれる美しい海岸線が見える、写真や絵でよく見るニースの代表的な光景だ。これをうまく写したい、逆光だがiPhoneでなんとか撮影できた。

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(ニース: ”天使の湾”  海岸線)
丘を降りて今度は路面電車トラムに乗って市内観光、”ニース・ヴィル駅”から”サン・ニコラ大聖堂”を見て、ホテルへ戻る途中にスーパーがあったので、ワインとオランジーナ、プロシュートを仕入れてホテルのテラスで地中海を見ながら、娘の長時間運転をねぎらい家族三人で乾杯した。

<モナコ>
翌日はお隣の小さな国”モナコ公国”へと走る。30分も走るとすぐに着いて車のまま”入国”できる。市内中心部で駐車場を探すが、おかしなことに全て満車状態なのだ。入り口の係員に聞いて見たら、なんと「今日はF1レースなのでこの辺の駐車場は全部満車だよ」とのことで驚いた。毎年5月に行われるモナコ・F1グランプリ・レースの最終日曜日、決勝戦の日にモナコに来てしまった。ラッキーかどうかはともかく先ずはどこかに車を停めねばならない。街から少し外れた”ルイ2世スタジアム”内の駐車場に入れて丘の上にそびえる”大公宮殿”へと歩いて向かう。モナコ公国の中心で海抜60Mの岩山の上に建てられている大公宮殿は17世紀のルネサンス様式のお城だ。門の前には大砲と砲弾が積まれており鉄砲を担いだ衛兵が闊歩している。

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(モナコ: 大公宮殿)
この丘の頂上からモナコ港を見下ろすとちょうどF1レースが見える絶好地なのだが、道路側に高い塀が作られていて背伸びしても見えないようになっている。一年に一度、1週間しかないF1レースの為に世界中から前売り券を買ってやってくるお客しか塀の中に入れないようになっているのだ。やむなくコーヒーショップで昼食の”パニーニ”を食べながら、大型テレビの画面でレース中継を見ながら、音だけは真横を通るレースカーの”ガガー!!”と言う迫力ある生のエンジン音を聞いていた。

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(モナコ: 丘の上から見るモナコ港、海岸沿いにF1レースが走っている)
続いて”モナコ大聖堂”や”海洋博物館”などを見て回り駐車場に戻る。

<カンヌ>
午後は地中海沿いに西へ40Kmほどドライブしてカンヌを目指す。30分程で到着、驚いたのはあの有名なカンヌ映画祭が開催されており、日曜日の本日が最終日、海岸沿いの大きな会議場で授賞式が開かれようとしていた。会場から少し離れた駐車場に車を停めて、カンヌのビーチから”クロワゼット大通り”の遊歩道を通って赤い絨毯が敷かれた”パレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレ”という長い名前の会場へ向かう。ちょうど授賞式に向かう俳優や監督、関係者が正装ドレス姿で会場に入るところできらびやかな衣装を見ることができた。

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(カンヌ: 映画祭会場付近のビーチ)

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(カンヌ: 映画祭会場の”パレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレ”)

モナコではF1レース、カンヌでは映画祭と事前の予定になかった大きな催しに遭遇できた、これも気ままなレンタカーの旅の醍醐味かもしれない。

<マルセイユ>
娘が明日一人で帰国する為、本日中にマルセイユへ戻らねばならない。コート・ダジュールを後にして、地中海沿いに西へ160Km、高速道路を約2時間走り、出発地点マルセイユのホテルに到着した。 
Stay City Apart Hotel, Center Vieux Port     
地下駐車場もあり賑やかな旧港市街地に近く観光買物に便利である。歩いて市内を見て周り近所のスーパー『カルフール』で赤ワインとチーズ("President"のカマンベール)、プロシュートとバケット、果物を買い込んでホテルの部屋で家族三人で乾杯、食事をした。翌日、娘を車でマルセイユ空港まで見送った後、夫婦二人きりとなり少し寂しくなったが次の目的地へ向かう。

5. サンレミ・ド・プロヴァンス、 ニーム

マルセイユから北西に80Km、田舎道を走るとサンレミ・ド・プロヴァンス(以下”サンレミ”と略称)に着く。紀元前1世紀のローマ帝国時代の”古代遺跡”が残り今でも発掘を続けている。

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(サンレミ:   ローマ時代の古代遺跡、霊廟(左)と凱旋門(右))

サンレミにはゴッホがアルルから移り晩年を過ごした精神病院がある。”サン・ポール・ド・モーゾール修道院”という、元は修道院だったのが18世紀から精神病院として使われていたらしい。ゴッホは1889年5月3日から1890年5月6日までをここで過ごした。庭には等身大の銅像があり、2階には入院していた部屋を再現した展示室もある。入院中の一年間で『アイリス』『糸杉のある麦畑』『星月夜』などの代表作を始め合計150点もの作品を残している。病院の周囲や旧市街にゴッホが絵を描いた場所の説明と絵のパネルが展示してあり偉大な画家の足跡を辿ることができる。

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(サンレミ:”サン・ポール・ド・モーゾール修道院”の庭に立つゴッホの銅像)

<ニーム>
午後、サンレミから西へ向かって80Kmほど走るとニームに着く。”フランスの中のローマ”と呼ばれるほどローマ時代の遺跡が多いが”古代闘技場”は世界で最も保存状態がよい。今でも闘牛やオペラ、コンサートなどの催しが行われる。

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(ニーム: ローマ時代の”古代闘技場”)
シーザーの孫に贈られたと言われる”メゾン・カレ”はローマのアポロ神殿を模して作られた遺跡でこれも保存状態が良い。

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(ニーム: ”メゾン・カレ”  ローマ時代の神殿)
道路向かいには現代の神殿”カレ・ダール”(総合文化センター)がある。旧市街には11世紀に建てられたロマネスク様式の”サン・カストール大聖堂”がある。夕食はフレンチレストランでムール貝の白ワイン蒸しを大きな鍋で頂く。

6. シャトーヌフ・デュ・パプ、 リル・シュル・ラ・ソルグ

ニームから北東へ50Km走るとシャトーヌフ・デュ・パプに着く。アヴィニョンにローマ法王がいた時に別荘地としてこの地に新宮殿を建て、周囲の広大な土地にワイン畑も作らせた。新宮殿は歴史と共に廃墟となってしまったが、ワイン畑は今でも”コート・デュ・ローヌ”の芳醇なワイン産地として知られている。

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(シャトーヌフ・デュ・パプ: 法皇ヨハネ22世の新宮殿城跡)
村中のいたるところにワインセラーがありテイスティングができる、車でなければ一杯頂きたいところだが、安全第一で止む無く横目で見ながら次の町へと向かう。

法皇の別荘地からローヌ川に沿って南へ30Km走ると運河とアンティークの町、リル・シュル・ラ・ソルグへ着く。5つの川の支流に囲まれて町を縦横に運河が走り大きな古い水車が回っている。多くの古物商店があり、アンティークの集中地としても知られている。

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(リル・シュル・ラ・ソルグ: 町中の水車)
夕方には今晩の宿泊地であるアヴィニョンに移動する。旅の3日目に泊まったホテルとは別のホテルだが、ローヌ川沿いの瀟洒な別荘で経営者のご夫婦が自らデザインした中庭と部屋が全てバンブー(竹)で統一された美しいホテルだった。翌日の朝食も自家製のパンとジャムが美味しく良い思い出となった。 Lilot Bambou 

7.  マルセイユ、イフ島

翌日はアヴィニョンから東南へ高速道路を100Km走って最後の宿泊地マルセイユへ向かう。娘を空港へ送る前日に一泊した時は市内中心部だったが、今回は郊外の別荘ホテルに泊まる、帰国便が朝早い為空港に近い場所を選んだ。
<イフ島>
マルセイユ旧港の波止場から観光船が出ており、30分ほどで着く。アレクサンドル・デュマの有名な小説『モンテ・クリスト伯』の舞台となった牢獄の島である。主人公ダンテスが繋がれていた部屋、抜け出した穴までが展示している。小説の方があまりに有名になった為に牢獄が後から小説の展示室を作ったようだ。子供の頃にラジオで聞いてワクワクした『巌窟王』の舞台でもある。

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(マルセイユ: イフ島)
観光船は隣の”フリウル島”にも連れて行ってくれるが、時間もないので直接マルセイユへ戻る。大きな街なので観光名所も多く一つ一つ回っていてはとても間に合わない、旧港の北側から出ているプチ・トランに乗って市内を一周する。賑やかな港町の中を通り抜け、”サン・ヴィクトール修道院”から美しい海岸線を周り、丘の上を目指して坂を登っていくと”ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂”に着く。海抜154mの丘の上にあるバジリカ聖堂はマルセイユのシンボルであり、頂上からは地中海をはるか彼方まで見渡すことができる。

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(マルセイユ: ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂)

旅の最後の食事は、港に面したお洒落なイタリアンレストランでピザとパスタをゆっくりと頂く。お酒は飲めないが夜いくら遅くなってもホテルに戻るバスやタクシーの心配をしなくても良いのがレンタカーの旅の醍醐味である。歴史とロマンの街、マルセイユに名残りを惜しんで郊外のホテルへ戻る。

6月1日、帰国日のフライトは朝が早いので6時に起きて空港へ向かい、まずはガソリンスタンドでディーゼルを満タンにする、日本と同じでこれをやっておかないと後から割高の燃料代を請求される。空港正面の広い駐車場内でSiXTの店を探して空いているスペースに車を停める。荷物を卸し後半ずっとお世話になったOPEL君に別れを告げて、キーを事務所のドア横にあるポストに投げ込む、これで終わり。朝8時前なのでまだ誰もいない、何かあれば後からメールで連絡してくるし、パスポート番号、クレジットカード番号も知られているので費用請求も問題ない。
09:45マルセイユ発、アムステルダム行きエアフランスAF1820便に乗り、アムステルダムでトランジット、17:30発北京行きAF8443便に乗換えて、翌6月2日の早朝に北京空港へ戻った。

エピローグ

2017年5月22日から6月2日までの12日間、南仏、プロヴァンスの旅を終えた。
海外での全行程レンタカーは初めてだったが色々と経験できて良かった。BMWとOPELで走行距離は合わせて1,407Km、東京から鹿児島くらいの距離を走ったことになる。給油は(OPELのみだが)三回、ディーゼルなので燃費は良い。
写真は夫婦で携帯2台(iPhone,Huawei)とカシオのデジタルカメラ2台で合計2,929枚(=9.35GB)も撮っていた。整理してハードディスクとSDカードにコピーを落とし保存、16GBのUSBメモリにもコピーして先に帰国した次女に送った。
6月下旬、北京の岳母の病気も一段落したので東京へ戻ってのんびりしていた頃、フランスのレンタカー会社SiXTからE-mailが入って来た。故障したBMWの修理費用1,800ユーロを払ってくれとの請求書だ。「あれ、保険フルカバーで支払の必要はないでしょう?」と聞き返すと、「保険会社との契約者は貴方なので一旦貴方が払って、その後貴方から保険会社へ求償すれば全額戻って来ます」との説明だ。確かにレンタカー予約は中国の旅行会社(Ctrip)で保険のフルカバー契約と保険代は中国の保険会社へ支払っている。止む無く言われるままにVISAカードで一旦支払いし、今度は中国の保険会社に電話して事情を説明し、保険求償の為の手続きと必要書類を聞いてE-Mailで送った。約一ヶ月後に審査が完了し当方が支払った1,800ユーロ相当分の人民元RMB13,931(約22万円)が口座に振込みされた。手続きは少し面倒だったが、現地での故障修理費用は実質的な負担はゼロであった。改めてレンタカーの保険はフルカバーで入ることが重要だと認識した。

その後、岳母を見舞う為2ヶ月ごとに北京と東京を往復する生活が続いたが、どうしても南仏プロヴァンス、レンタカーの旅の楽しさを思い出す。もう一度行きたくなった。誰かが言っていた、『人生とは旅である』そう思う。
岳母の容態が落ち着いてから、2017年11月11日〜11月19日、遂に『ギリシャ レンタカーの旅』に出た。2018年も北京の岳母の見舞いを続けながら、その合間に4月に『香港・シンガポール』、9月には『カナディアンロッキー』、12月には『フィリピン セブ島』と旅に出た。2019年も88歳の岳母の体調に注意しながら入院退院の合間を見つけて、6月に『ロシア モスクワ・サンクトペテルブルグ・イルクーツク』、9月には『ドイツ、ポーランド、ポルトガル』への旅に出た。

2020年も多くの旅へ出ようとしていたが・・・・・ 何も言うことはない。
旅どころか外出さえも難しい世の中となってしまった。
北京の岳母の容態が悪くなり8月に北京に来たが当分は旅へも出られそうにない。
どこへも行けない悶々とした時間を過去の旅の思い出に耽っている。

プロヴァンス・ボニューの村から我々三人を自分の車で町まで送ってくれたフランス人女性が言ってくれた。
「Travel is Adventure ( 旅は冒険よ)!」
岳母の体調が快復して、パンデミックも収まって、またいつか冒険の旅に出れる日が来ることを願ってやまない。

2020年10月26日 於北京
(完了)



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