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少し前に考えていたこと

小学校の同級生の旦那を中学校の同級生が寝取ったという話を聞いた。22歳の私がそんな話を聞くくらいだからお里が知れてる。地元はどうしようもなく嫌いだ。ぬるま湯のような連帯感・当然の絆の水面下には腐るほどの愚痴と取った取られた金だマルチだがどんよりと漂っている。その燃やせば全てなくなるような田舎特有の臭い空気感がどうしても嫌いだった。

私は大学入学と共に地元を抜け出し、今は関東で暮らしている。田舎育ちで培われた「今・この場を共有していることだけを理由に生まれる連帯感への嫌悪」を引き連れてきてしまった私は、まあ本当にどこのコミュニティにもなじめなかった。(馴染めなかった理由をこれだけで説明できるわけではない)馴染めなかった私は、馴染めない理由をコミュニティをコミュニティたらしめる例の連帯感が私を弾き飛ばしているせいだと考えた。何度か体当たりしてみて、疲れてそこそこに傷ついた私は、最善の道を考えた。集団がダメなら、個人個人と向き合えばいいじゃないか!名案だと思った。その気付きからはとにかく手当たり次第に所属する個個人に声を掛けては何となくの関係を築いた。彼らが塊になった場合はただそっと存在を消すことしかできなかったのは相変わらずだが、少しずつ「友達」と呼べるかもしれない人間を増やすことに成功した。活路を見出だした私は安心し、集団からは適当な距離を保ったままコミュニティでの終わりを迎えた。終わりは皆大団円モードに入り、確実に馴染めていなかった私をさも昔から仲間であったかのように錯覚させる空気感を生み出していた。その空気感には抵抗しながらも、私もなんだかんだで終わりにほだされ、何となく連帯感のはしっこにいた。

終わりから半年以上が経つ。気がついたことがある。私が見つけたのは生存のための活路ではなく、その場しのぎで今後の人格形成に大きな打撃をもたらす大悪手だったのだ。個人と向き合うためには、いくつかの顔を使い分ける必要があった。個人個人には受け入れるためには、各方面ごとの体の良さを見せなければならなかったからだ。矛盾を抱えながらもきちんとその顔の使い分けができることに一種の快感を覚えたこともあったが、それは本当にただただその場をやり過ごしていたに過ぎない。連帯感嫌いの私が、私として本当にしなければならなかったことは、連帯感を破壊するために、個人として感情を振り回すことだった。結局のところ私はずっと、受け入れられないことが受け入れられず、受け入れられない理由をコミュニティのせいにするくせにそのものとは向き合わず、浅瀬をぺしゃぺしゃと触って成し遂げた気になっていたのだ。終わりには「受け入れられた」と錯覚したが、そのコミュニティの中身に私は、永遠に存在しない。連帯感に立ち向かうためには、わがままや不満をこそこそ隠さず、大っぴらにして突進しなければならなかった。もっと傷つかなければならなかった。逃げようと意識しないまま、脚は真逆の方向に走り出していた。そのことに今さら気がついてしまった。それも、自分がからっぽであると気がついてから。からっぽであることをずっと悩んでいた。それは紛れもなく、今までの自分の行いが生み出した当然の結果だった。破壊して傷ついてその傷が癒える過程を持ってのみ、人は新しくなれる。私は、破壊をちょこまかと避けて、一番大事な部分を見過ごした。一番大事な時期に。

寝取り合う地元の知り合いたちと、衝突を避けた結果根っこの部分は何も変われなかった私、どっちが人としてのあり方を全うできているんだろう。欲とか衝動とか、剥き出してぶつかって、険悪になりつつもふとした瞬間に少し許せてしまう。それは軽薄さだと思っていた。違うのかもしれない。これは決して昨今流行りの「大肯定」などではない。今口々に言われる、「生きていれば頑張っている」「生きているだけで偉い」などの言葉は、今ここの存在の頭をただ撫で付けてやっているだけで、今ここに存在するためにそれまでしてきた諸々の過程を認めている訳ではない。(と私は考える)他人から傷つけられた・傷つけたという事実を受け入れて、それでもなお関係を修復するよう努めるという、その一連の流れが大袈裟に言えば人としての営みなんじゃないだろうか。私は4年分ほぼすっぽりそれが抜けてしまった。殺したいくらいの憎しみも、脳みそが煮えてしまいそうなほどの嫉妬も私にはなかった。これは欠陥なんじゃないだろうか。私の人生が浅薄な証拠じゃないだろうか。私は、これからそれを取り戻していけるのだろうか。

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