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音楽がない世界ならば

ならば。
僕はもう、とっくの昔にくたばっていたかもしれない。

8/19 梅田エストにオープンした新店舗BATATAS、連日終電でヘトヘトの帰り道、Spotifyからふと流れてきた(プレミアム会員じゃないから、ふと、ランダムで流れてくる)レッチリの「Can’t Stop」に震えて、止まりかけていたハートが燃え尽きるほどヒートした。

やっぱ音楽のエネルギーってすごい。

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《↑思わずインスタのストーリーズにアップした画像。》

僕が舞台俳優を諦めた背景に、少しだけ「音楽の力」というものもあった(この関係性については、また今度「舞台演劇の魅力」とでも題して)。

さてさて、お気楽に読んでほしい。
僕の音楽遍歴を。
ほんとは僕のアルバイト遍歴を紹介しようと思い書き始めたら、最初にレンタルビデオ店の話、つまり映画の話になってしまい「A2Cの中身、映画しかないやん」と思われるのを避ける為、音楽遍歴を。エピソードも交えて(例の如く長くなりそうだから、かいつまんで)いくぜ!

◆幼少期
テレビの音をラジカセで録音した曲を中心に聴いていた。
まさこ(母)が録音中に「ご飯できたでー!」みたいな声をかけてくるエピソードは、もうこの時代のスーパーあるあるでしょうよ。
僕のお気に入りは「コアラボーイコッキー」のテーマ曲、いまでも歌える(細部があっているか知らんけど)。6つ上の姉貴がいたので、姉貴の影響で嘉門達夫が好きになり、マネをしていた。

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《↑当時の似たようなラジカセを探していたら、なんかいいの見つけた》

◆小学生・低学年

その姉貴と同じ部屋で、姉貴だけケンウッドのコンポを持っていた。
僕に選曲の権利はなく、姉貴のかける曲で育った。
マドンナ、チャカカーン、ジャネットジャクソンなど洋楽を聴く姉貴のおかげさまで、僕が小学校で音楽の話でみんなと共有できなかったのは言うまでもない(今となっては、いい音楽環境だったのかも、なんだけど、ライクアバージンを口ずさむ小学1年男子の居場所どこよ)。

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《↑マドンナの写真集も姉貴が持っていた》

◆小学生・高学年
初めて買ったCDアルバムが B’z の「7th blues」だ。
「love is dead」 にシビれてよく歌っていた。あの頃は「ビーズ」と平板なアクセントだと思っていたが、近年「ビーズ」という頭高のアクセントだという話が周知される。知人が言うにはタック松本は昔からラジオで頭高のアクセントだったとのこと。

ヒットチャートをうかいや(という地元の、ちょっと大きな本屋)で全部借りる友人がいて、それをそのまま借りて僕もカセットにダビングして返却する。この頃の音楽を、そんな風に聴いていたが、特にZARDやリンドバーグが好きだった。僕の J-POP脳が、産声をあげたのはこの頃だ。

1番印象に残っている曲は「夏の日の1993」スキー合宿の時に歌いながらホテルの部屋の電気引っ張っるやつ相手にボクシングしていたなあ(なんのエピソードやねん)。

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《↑いやあ、懐かしすぎるでしょ。アイスクリームの自販機も最高だった》

◆中学生時代
学ランの内側の胸ポケットにカセットウォークマンを入れて、袖口からイヤホンを出して常に頬杖をついて授業中に音楽を聴くスタイルだ。
放課後に部活があるので(朝練もあったし)日中の教室は体力を回復するリラックスタイム。

時折、机の方を歩く先生が僕の机を通り過ぎる時、ちょうどカセットのA面B面が切り替わるタイミングでガチャガチャっと大きな音が出る。という出来事に冷や汗をかいたが、この件で怒られた記憶はない。

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いま思えば僕がずっと音楽を聴いてほぼ寝ているということを先生は知っていたんだろうけど(三者面談で授業中寝ていると担任からまさこにチクられたことはある)。学生として僕はやることをやっていた(挨拶とか、生徒会とか、部活とか)ので、多少のなんやかやは免除されていたように思う。

転校してきたSと仲良くしていた(仲良くはないか、Sの家にいりびたっていた)ので彼はお兄さんとバンド活動をするベーシストで、その家でビートルズをめちゃくちゃ聴いた。
姉貴からもらったミスチルのアトミックハートもアホほど聴いて、ビートルズぽいな、なんて話をよくしていた。

95年あたりかな?
Sの家にはWindows95もあって、マインスイーパーの腕を磨いた。

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ほらあ! かいつまんでいるのに、この長尺!
続きはまた、今度。

音楽エピソードって、数えればキリがな〜〜あ〜い♪

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