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ホーおじさんの足跡を辿る「ホーチミン博物館」


ホーチミン市内を散策中に度々見かける、
この方。

観光などで訪れると「何をされた どなた?」と不思議に思われるかもしれませんが、この人こそ元ベトナム民主共和国の初代国家主席で、国民から「ホーおじさん(Bac Ho)」の名前でも親しまれる、ベトナム建国のシンボル的存在。ベトナム人なら知らない人はいない 「ホー・チ・ミン(Ho Chi Minh)」さん、その人です。

ホー・チ・ミン さんはどんな人
ベトナム独立運動を指導した革命家。ベトナムの各紙幣に肖像画が印刷されており、ベトナム戦争が集結した1975年には、南部の都市名が「サイゴン(Sai gon)」からその名を冠した「ホーチミン(Ho Chi Minh)」に改名。自身はベトナム戦争中の1969年に死去していますが、その後も独立へ導く精神的柱となり、1975年に終戦・南北統一。翌年、ベトナム社会主義共和国が誕生し、現在にいたります。

ホー・チ・ミンさんには別名も
ホーおじさんは、下記のようにいくつかの名前があります。
・ホー チ ミン(Ho Chi Minh)
・バック ホー(Bac Ho)※ホーおじさんの意味
・グエン タット タン(Nguyen Tat Thanh)
・グエン アイ クォック(Nguyen Ai Quoc)※Ai Quoc=愛国の意味
この記事では、市の名前と区別する意味合いもあり「ホーおじさん」と表記します。

ホーおじさんの遺体が安置されている、ハノイの「ホーチミン廟(Lang Chu Tich Ho Chi Minh)」近くに、大きな「ホーチミン博物館(Bao Tang Ho Chi Minh)MAP」があるのですが、ここホーチミン市内にも、ホーおじさんの博物館があります。(ハノイの "分館" という位置付け)

今回の博物館「ホーチミン博物館(Bao Tang Ho Chi Minh)」と間違えやすいのが、市が運営する中心地の「ホーチミン市博物館(Bao Tang TP Ho Chi Minh)MAP」。名前が似ているものの、別の博物館になりますので、ご注意を。
市の博物館では、街の歴史や民族文化、ベトナム戦争などについてコロニアル建築を巡りながら知ることができます。☟詳しくはこちら



アクセス

博物館があるのは、1区から4区に向かって橋を渡ってすぐのグエンタットタン(Nguyen Tat Thanh)通り1番地。ホーおじさん(青年期)の名前が付いた通りにあります。

☟このページでは、博物館の様子を3Dで見学することも可能。埠頭のドローン画像から展示内容まで、ヴァーチャル鑑賞することができます。
https://bennharong.hochiminh.vn/



チケット購入

博物館に着いたら、まずは入口にあるチケット売り場へ。

チケット売り場

入館料は、1人1万vnd(約60円)と激安です。

ただ気をつけたいのは、月曜休館ということと、お昼どきの11:30〜13:30は営業時間外ということ。見学中でもその時間帯は外に出なければいけないので、お昼をまたがないよう注意が必要です。



ミュージアムショップ

チケット売り場の裏には、ミュージアムショップもありました。

ということで、ちょっと覗き見。

「ホーおじさんが子どもに伝える5つのこと(祖国を愛し、人々を愛しなさい/よく学び、よく働きなさい/良い団結、良い規律/良い衛生状態の維持/謙虚で正直で勇敢であれ)」が書かれたプレートや置き物など、ホーおじさんグッズが並んでいます。

中にはこんな公安Tシャツも。
…ちょっと欲しくなってしまいました笑


建物に向かっていくと、蓮のオブジェのある池が。周辺には緑もあるので、サイゴン川近くで軽い散歩もできそうです。

Thu Ngu フラッグポール

博物館前の埠頭から1区側を望むと見えるのが、このフラッグポール。港に出入りする船に信号を送るために、1865年フランスによって建てられたもので、現在はベトナム国旗が旗めいています。

右手には、ベトナムで最も高いビル「Landmark81」も見えます

埠頭からは、2022年4月に開通した「バーソン橋(旧名 : 第2トゥーティエム橋)」のほか、レジデンス群が広がるビンタイン区の景色も望めます。
開発が進むサイゴン川周辺、ホーチミン市もどんどん都会になっていきますね。



博物館外観

さて、博物館の建物に戻ります。
この建物が建てられたのは、1863年。西洋建築をベースにしながら屋根にはベトナムの寺院によく見られる「月を愛でる2匹の龍」をモチーフに "2匹の龍" が飾られています。
そんなちょっとユニークな特徴から、この建物は"龍の家" を意味する「ニャーロン(Nha Rong)」とも呼ばれ、この埠頭も「ニャーロン埠頭(Ben Nha Rong)」と呼ばれています。

2003年に設置された高さ3.3mの像

博物館の前には、青年時代のホーおじさんの像も。どうしてここに博物館があり、像があるかというと、ここは1911年6月5日。ホーおじさん(当時21歳)が祖国独立への糸口を探るために、海外へと向かった旅立ちの場所が故。フランスの豪華船舶に調理補助として乗船し、その後およそ30年以上にわたってフランスをはじめとするヨーロッパやアメリカ、アフリカやアジアを巡り、独立運動に参加するなどしたのち、1941年にベトナムへと帰国します。

この建物は、フランス植民地時代に帝国交通公社、その後は海運会社の建物として利用されていましたが、南北統一後に史跡として保存され、1995年にホーおじさんについての博物館にすることが決まりました。

なぜ、北部出身のホーおじさんがなぜサイゴンから?
北中部のゲアン省で生まれ、その後フエに転居したホーおじさんが、なぜサイゴンから出発?とも思うのですが、当時フランス領インドシナ連邦の政治首都であったサイゴンは、コーチシナ植民地の玄関口でもあり、フランスへの船を運行する大手海運会社があったため、出発の地はサイゴンになったそうです。


博物館横の埠頭には、ローカルカフェも。写真奥に見えるのは、停泊型レストラン「エリサ号(Elisa Froating Restaurant)MAP」で、こちらは夜のみ営業。停泊型のため船は動きませんが、船上で和洋越の料理が楽しめます。



展示内容

博物館の展示内容は、ホーおじさんの生涯を辿る内容を中心に、ホーおじさんに関連する人物の企画展示や、南部の人との関わりについて。1万点以上の文書や写真などの遺物が展示されています。

☟大きく分けるとこういった流れ

1890〜1920年
(幼少期〜青年期)ゲアン省の貧しい家庭で生まれたのち、フエに移住。やがてレーニン主義の影響を受けてベトナムの革命への道を志し海外へ。

1920〜1930年
海外にてベトナム労働者階級の政党創設に参加。

1930〜1954年
ベトナムに帰国し、独立運動を指導。1945年八月革命を経て、ベトナム民主共和国を建国。翌年、初代国家主席となる。その後もフランスによる植民地主義に抵抗し、独立を求めて戦う。

1954〜1969年
北ベトナムで社会主義革命を主導。ベトナム戦争中、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)を支援し、対米路線で戦う。1975年4月30日のベトナム戦争終結(サイゴン陥落)、南北統一を前にした1969年9月死去(79歳)。

1階を見ていくと、

ホーおじさんとともに独立運動に従事し、南北統一後は初代ベトナム社会主義共和国の国家主席を務めた政治家「トンドゥックタン(Ton Duc Thang)」のメモリアルホールや、

ホーおじさんのメモリアルホールなどがあります。

2階には「ベトナム南部とホーおじさん」に関する展示や、人となりを表すような資料が。

こちらは、ロンドンのカールトンホテルでウェイターをしていたときのホーおじさん。

筋トレするホーおじさん。

Newsweek(1967年)の表紙になったホーおじさん。

ホーおじさんの逝去を伝える週刊朝日の記事も展示されていました。


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博物館の建物自体はあまり大きくないので、空いた時間を利用して立ち寄れるのもいいところ。

埠頭の風に当たりながら、かつての時代に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。



Bao Tang Ho Chi Minh/ホーチミン博物館
 1 Nguyen Tat Thanh, Q.4, HCMC
 7:30〜11:30、13:30〜17:00
 028・3940・1053
 1万vnd
 月曜
Web

参考:
VOV




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