唾よ!あれがきょうの昼餉だ
15時に本屋でのバイトを終えて、17時からさらに別のバイトに就く日々が続いている。本屋の業務には運搬がつきものである。ビニール紐で縛った全集を持ち上げる。買い取った本をハイヤーに運び入れる。出版社から届く、20キロはあろうかという本箱を数十箱受け取る。単行本をジャンルやレーベルごとに分類する。そんな作業を繰り返しておれば肘は摩滅し腰は破断、汗は亡命、膝は慄然、そして——腹の虫がしきりに不平を申し立てる。わかりました、ご飯を食べましょう。
少なからぬ店が15時ちょうどに昼の営業を終えるため、食事処の選定は一筋縄ではいかない。ぼくが腹の虫にせっつかれるまま本屋を飛び出したのを見計らって、世の飲食店が軒並みシャッターを閉める風景を幻視し、勝手に悲しくなる。
きょうは中華たべよう、と決めて、青椒肉絲を口に迎え入れる体勢を万端に整えたあと、中華料理の看板が目に飛び込んできたときの焦燥感に匹敵するものといったらない。強いて挙げれば、たのしい逢い引きの途中で小用に席を立つとき、便座に腰かけて感じるそれに近い。はやくはやく。
だから、期待に胸弾ませて中華の店先に立ち、「準備中」の文字を目にしたぼくを襲う虚無の感情たるや筆舌に尽くしがたい。しかも15時から店を探すとそんな悲劇は一度や二度では済まず、きまって殺到する。断腸の思いで青椒肉絲を諦めて、次善の策のケバブサンドを食べにいくも臨時休業していたり、店頭にオープンの看板を認めて駆け込むも「ほんのさっきご飯なくなっちゃって」と断られたり。
はじめに夢想する「きょうはこれ食べよう」が実現したためしはないのではなかろうか。フラれにフラれ、無量の涙と涎にまみれ、次善の策として想定してさえいなかった店に16時すぎにエントリーする。行きつけの店を一つ此処と決めてしまえばこの悲しい彷徨におさらばできるのだと分かってはいるが、以前寄った店をなるべく再訪しない意地を張るために事態はいっこうに改善しない。むしろ、もとより少ない選択肢を頑なに拒むものだからさらに苦しくなる。17時に昼餉が間に合わなくなる日が来るかもしれない。17時から21時まではマルチタスクがノンストップに待ち構えている。それと空腹で取り組むのは、クリボーと同じ身の丈のマリオがクッパに挑むようなものである。
いまぼくは、とりあえず何か食う、ということができない。
かつては毎日カロリーメイトをありあわせの飲料とともに食べて事たれりとしていたが、いつの頃からか、すきあらば驚異のある食事をと願うようになった。ブリア=サヴァランの美味礼讃を知ったからか、内田百閒の御馳走帖を好いたからか、忘却のサチコを読んだからか、平野紗希子のエッセイに出くわしたからか、はたまた健啖家・谷崎潤一郎の熱気にあてられたか。ともかく、おいしいものを口にしたとき鳴り響く舌鼓の音色にぞっこん惚れ込んでしまった。
利用が開始されてから二十余年が経つ舌鼓、そのいまだに知らない音を聴くためにどうしたらいいか。よく知らない店に行けばいいべ、というのが持論である。
とはいえ、いちど訪れていくらか知った気になっていた店にあえて取り組んでみるのをおもしろいとも思うので是が非でもアイワナビーイチゲンサンと頑張りたいわけではない。メニューに溢れんばかりの情熱や種類や情報を盛り込んでいる店舗にめっぽう弱く、日を改めてふたたび引き寄せられる傾向にある。いつまで経っても「よくわからんよここ」と呆れてしまう、要素の過剰さがあるとうれしい。
ウワッと目を丸くしてしまうような、おいしい断層があるなら、どこへでもゆく。
もちろんぼくの場合、17時にまた出勤できる圏内という条件はあるけれど。
I.M.O.文庫から書物を1冊、ご紹介。 📚 東方綺譚/ユルスナール(多田智満子訳)