I.M.O.

歩く/走る/舞う/撫でる/待つ/仰ぐ/悶える/びびる/読む/観る/惚ける/訝る/喩える…

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歩く/走る/舞う/撫でる/待つ/仰ぐ/悶える/びびる/読む/観る/惚ける/訝る/喩える/漁る/識る/誦える/拾う/浸かる/続く/おもう/おだず/ボンジュール

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  • Infinite Music Odyssey

    ほぼ週に一度の更新。好きな音楽について。

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    noteの海に漂う同志を一冊のマガジンのもとにコネクト。

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    点描関連の文章・作品を含有。

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心臓が唸っている。倫理。倫理…

わたしは激怒した。 必ず、かの教育ハッシュタグの一覧に「倫理がすき」を加えてやろうと決意した。 わたしには道理が分からぬ。わたしは、悶々の村人であった。 法螺を吹き、獣性を持て余して暮して来た。 けれども、心の安寧に対しては、人一倍に貪欲であった。 高校2年次、倫理の講義が始まった。 配布された教科書は数研出版が発行した『倫理』。 以下にAmazonのリンクを付す。 寡黙かつ温和な色遣いが目を惹くパウル・クレー作『Insula Dulcamara』が表紙を飾る。「Ins

    • 読まれぬ夜のために

      21時、バイトを終えて制服を脱ぎ去り、帰路に就く。さっさと駅に着いたので電車が来るまで構内のレストラン街を眺める。店じまいに入る時間帯ということで照明は落とされ、店先を彩る食品サンプルがくちぐちに陰翳を礼讚している。光線に照らされないのをいいことに本来のプラスチックなつやつやを滲ませて楽しんでいる様子。人間の食欲を喚起する使役動物として生をうけた彼らは、夜間その職務から解かれて戸惑うことはないのだろうか。食品サンプルにおける自由について想い巡らせているうちに時間が経った。降車

      • 壺井栄『二十四の瞳』

        24歳は24なものを読もうということで誕生日に丸善で買った。 が、10月に手にしてから1月まで読めずにいたのはなにも忙しかったからではない。戦争への怒りや悲しみを訴えるとする、表紙の謳い文句が重たく感じられ、億劫になった。 できることなら戦争のことは耳にしたくない。どうせつらかったのでしょう、と思う。耳を塞いでしまう。朝ドラが戦争描写をすれば苦々しく画面を見やり、ニュースやワイドショーが微に入り細を穿って報じれば苛立たしく電源を断つ。ため息まじりに発する「戦争はよくない」は便

        • 土砂日記 五 病・じっくり考

          バイトからの帰り道、急激に体調を崩した。口元を中心として顔、首、胸、そして全身がただならぬ痒みに襲われ、ぶわぶわと腫れ出した。体表が熱を帯びているようでもあるし、同時に、冷却しつつあるようにも感じられた。広瀬川河川敷の堤防に寄りかかり、乱れた息を整えようと努めて胸を上下させたが甲斐がない。 重いアレルギー反応、いわゆるアナフィラキシーである。 まず救急安心センターに電話をかけ、近くの病院の受診を勧められ、最寄りの病院に続けて電話をかけ、ほかの救急対応に追われている旨伝えられた

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          病牀十歌

          病牀十歌

          20時45分の習慣

          平日、20時45分が近づくと少しだけ家族が色めきたつ。目を瞑ってうーんうーんと呻く母、遠い目をしながらも悠然と座椅子で構える父、天を仰いで過去を反芻しはじめる妹、口をぽかんと開け放って天啓を待ちもうけるぼく、四人が示し合わせたようにテレビの前に集まる。チャンネルは3、NHK総合。45分を迎えて画面には仙台の夜景が大写しになり、目と耳に優しいオープニングが流れる。 オープニングが終わるのを待たずして、四人は鋭く一言ずつ発する。 「高木」「津田」「タマ」「ナントカ太朗」 夜景が

          20時45分の習慣

          わからないカラオケ

          カラオケがなにをする場所なのかわからない。行ったことはある。端末を使って曲を選んだのちマイクを握って唄う、という基本も理解している。だが、ふたり以上で連れ立って訪れるといつも曖昧になる。場に複数人いる以上、唄うだけでなく、ひとの歌を聴く必要が生じる。この「聴く」がわたしには繊細微妙な問題である。全身全霊を俵星玄蕃に重ねて絶唱しおおせてソファにくずおれるとき、興奮は絶頂を極めているのであって、つづく誰かの歌を楽しむ余裕などありはしない。不快だとさえ感じる。およそ5分刻みに祝祭が

          わからないカラオケ

          唾よ!あれがきょうの昼餉だ

          15時に本屋でのバイトを終えて、17時からさらに別のバイトに就く日々が続いている。本屋の業務には運搬がつきものである。ビニール紐で縛った全集を持ち上げる。買い取った本をハイヤーに運び入れる。出版社から届く、20キロはあろうかという本箱を数十箱受け取る。単行本をジャンルやレーベルごとに分類する。そんな作業を繰り返しておれば肘は摩滅し腰は破断、汗は亡命、膝は慄然、そして——腹の虫がしきりに不平を申し立てる。わかりました、ご飯を食べましょう。 少なからぬ店が15時ちょうどに昼の営

          唾よ!あれがきょうの昼餉だ

          本棚編集の愉しみ

          ページを開くより早く、表紙に目をとめるだけでこちらの琴線をぷるぷる震わせてしまう本は巷間に数知れず存在して、だからこそ「ジャケ買い」という現象が後を絶たない。抵抗するすべはまず書店を訪れないことだが、それを容易く実行できる人物はかつてそもそも奮えたことのない者である。ひとたび魅入られてしまった以上、生涯に亘って足は書店を指さざるを得ず、妖しい秋波を送って寄越す書物の大海原、四面楚歌ならぬ四面書架から自由ではあり得ない。 いや増す衝動にほだされて手を染める「ジャケ買い」は哀愁の

          本棚編集の愉しみ

          土砂日記 四 のんびり贅沢

          5月9日。 朝7時ごろ寝床から這い出し、父の出勤を見送るかたがた30分ほどランニング。高台の団地内をぐるりと一周したのち坂を下り、近年整備された公園に入りトラックを10周するルートだ。朝ランニングの習慣は、毎日早朝に活動する高校放送部に入った時期に失われて久しかったが、今月を迎えてから復刻した。好きなひとが朝も早くに起き出してお茶を啜ったり針仕事を楽しんでいるのを羨んだのである。 復刻まもない日々は9時に起きるのさえ絶体絶命のありさま、朝7時に走るなんてまったき無理難題だっ

          土砂日記 四 のんびり贅沢

          四日間東京二十三区徒歩巡礼 初日

          3月29日の朝5時半。前日深夜に仙台駅を発った千栄交通のバスが東京駅八重洲口鍛治橋降車場にぐるりと弧を描いて滑り込む。四列並行シートのあちこちで残酷に来迎するブルーライト大明神から目を背けきれずろくに眠れないままの到着だ。 あたまの芯が痺れたようで、傍若無人の神々にたいする忿懣も感じない。ふわふわする足取りでとりあえず北を目指す。あくびが止まらない。ここに東京二十三区を股にかけた四日間の徒歩巡礼の幕が切って落とされた。 東京は仙台からみて南方に位置する以上暖かい気候だと睨ん

          四日間東京二十三区徒歩巡礼 初日

          焼きプリン東京へゆく春めきて

          2021年に没したデザイナー、仲條正義が手がけた名作展が銀座で催されているそうだ。資生堂のロゴやパッケージの設計にも携わったとのことで、同社のミーハーとしての琴線がびりびりに震えた。仲條正義その人については芳名しか識らない。洗練されたポップな意匠がめぐらされたパンフレットをじっくり読み込むうち、この展覧会のため上京するのもいいかなと考えはじめた。 東京に赴き、仲條正義名作展を訪れる。 最後に東京を旅行したのは中学生の時分、それもとことんパッケージツアーの側面が強い修学旅行

          焼きプリン東京へゆく春めきて

          軽い軽やかさ〜panpanya讃

          panpanyaと聞いてどれだけの人が、オッ! と目を見開くのだろうか。 これまで刊行した単行本や作品の掲載誌「楽園 Le Paradis」、そして本人が運営しているらしいブログから窺い知れる情報のほかは、まったく素姓の知れない人物である。本名から性別、年齢、経歴、出身、資格、専門、顔立ち、声色、身のこなしに至るまでの何一つとして伝わってこない。巻末とかどこかのメディアで「明かさない美学」を掲げるような周到な素振りも見せない。制作にあたる自分の背中や手元だけを写す、素姓不明

          軽い軽やかさ〜panpanya讃

          土砂日記 三

          昨日はひさしぶりに休暇を取得できたので、服飾の知識に長けた友人を古着屋巡りに誘った。寒さの和らいだ季節にさっと羽織るのにふさわしい白シャツをかねてから求めていたが、お財布事情がかんばしくなかったことや、ファッションの勝手に疎いことにより決めかねていた。大学一年次にコム・デ・ギャルソンに孤軍乗り込むも、店員の甘言にやすやすと我を失ってしまい、いわば達磨法師が足を再生して逃げ出すほど高価なセットアップを奨学金で買った経歴をもつ私には、頼れるガイドが必要だ。友人に相談を持ちかけると

          土砂日記 三

          遠野うろうろおぼえ 1巻

          2022年4月(ごろ)に岩手県遠野市に行った(ように記憶している)。 在来線を3回(ぐらい)乗り継いで2泊3日で訪れた(はずだ)。 当時あまりに意気軒昂だった(のだろう)ことは仰々しく【予告】篇を掲げていることから感じ取れる。 で、道中、あまりに楽しくってnoteに写真数葉を投稿した。 今は懐かしきあの人の古めかしいポスターを撮っていたり、さまざま興奮。 滞在からひと月を経た5月には「遠野阿房列車」と題して記事を投稿していた。 敬愛する内田百閒先生の名随筆「阿房列車」シ

          遠野うろうろおぼえ 1巻

          呼称、それは恋にも似た内心の格闘

          中学時代の冬のある日、きょうのように炬燵に寝っ転がり、「ナニコレ珍百景」という番組を観ていた。その回では、だいたい米寿の高齢女性が地区の徒競走大会で披露した、それはそれは矍鑠とした走りを特集していた。 一部始終を見届けたぼくは慌てて炬燵を飛び出し、床に正座した。 内心張り上げた「ナニコレ」の雄叫びを境にぼくの生活は見違えるほど変わった。 毎朝5時に床を飛び出し、住んでいる団地内でランニングを始めたのである。 それまでは7時に起きるのさえ厭わしく感じていたのだから、米寿レディ

          呼称、それは恋にも似た内心の格闘