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四日間東京二十三区徒歩巡礼 初日

3月29日の朝5時半。前日深夜に仙台駅を発った千栄交通のバスが東京駅八重洲口鍛治橋降車場にぐるりと弧を描いて滑り込む。四列並行シートのあちこちで残酷に来迎するブルーライト大明神から目を背けきれずろくに眠れないままの到着だ。
あたまの芯が痺れたようで、傍若無人の神々にたいする忿懣も感じない。ふわふわする足取りでとりあえず北を目指す。あくびが止まらない。ここに東京二十三区を股にかけた四日間の徒歩巡礼の幕が切って落とされた。

午前5時の都会は妙に罪深い
高層ビルが湿った壁に見えました
東京
モノトーン
憧れ
フルカラー

♫ モノクロトウキョー/サカナクション

東京は仙台からみて南方に位置する以上暖かい気候だと睨んでいた。荷物の軽量化のため、下着を除いて一切着替えを持たない作戦を立てた私は、黒の柄シャツに黒の薄手のカシミヤセーター、そして黒のセットアップを着込んで事足れりとした。
埼玉県戸田市在住の友人Sの「アウター要らんぐらいの気温」という頼もしい洞察を信じて足を踏み入れた千代田区の朝はめっぽう冷え込んでいた。そもそも日の出を迎えたものか怪しい時刻、頭上はるかに林立する摩天楼の底を、身を切るような冷たい風が吹き抜けた。顎をぐっと引いてシバリングに努める。
早朝とはいえ東京の街路にはたくさん人が行き交っているものとの先入観があったが、実情は異なっていた。ランナーが少しいるくらい。中野正貴による写真集『TOKYO NOBODY』が捉えた、ひとの姿が絶えた奇観をまざまざ思い出した。
音も立てずに桜の花びらが吹き去っていくほかは、生き物の気配のない様子。何かに似ていると思ったら、ドラクエ1の竜王討伐後に祝福と歓喜に包まれる世界だ。

千代田区北部に位置する、書物の聖地たる神保町は無論巡りたいが、店がオープンする10時ごろまで待ってはいられない。踏破を目指している二十三区はそれだけの広さだ。朝食を摂りに文京区へ向かって北上する途中ちょっと立ち寄るに留めた。
神保町は滞在最終日の4月1日に再訪するが、初日の朝、軒を連ねる書店に目を爛々と輝かせた活力はそのときには欠片も残っていないのであった。

初日の朝食は、文京区本郷の「名曲喫茶・麦」でとあらかじめ決めていた。
営業は朝7時から。夜な夜な上京した者に嬉しい早さ、そして名曲喫茶というオトナなエレガンスのある看板に魅せられてやってきた。モーニングメニューの安さも胸を打った。本郷ということで東大の赤門を感嘆まじりに仰いで7時を待ち、地下に伸びる階段を降りた先にある「麦」に入店した。
来客を知らせるインターホンで厨房の女性が振り返った。眼光の鋭さ、不毛なへつらいのない肝の据わった佇まいは、東京出発前日に読んだ漫画『堤鯛之進包丁録』の、歯に絹着せぬ物言いの頼もしい姉御、小蝶さんを彷彿とさせた。
店の入口からさらに続く階段を降り切ったところで左右の二手に分かれる客席のうち、厨房と会計のみえる右手奥のテーブル席に陣取った。黙してメニューとお冷を寄越す小蝶さんは、ハムエッグトーストの注文を聞いて短く、はいとだけ応えた。大変さっぱりした潔い応対に「これが東京……。」と胸を弾ませ、所在なげに店内を見回したり膝をさすったりしているとトーストが配膳された。かりっと焼き上げられたパンにハム、目玉焼き、そしてブラックペッパーと思しき香辛料。シンプルな組み合わせなのだが、ひとくち齧ると、思いっきり背伸びしたくなるほど痛快な旨さが全身に染み渡った。ここ数時間鈍っていた思考や感覚、活力が唸りを上げて励起した。目がぱっちり開き、軽やかに打ち鳴らされる豊かなピアノの旋律に耳を傾けるゆとりが生まれた。トースト一枚の持ちうる力量にとくと気づかされた。
「これが東京……!」
食後は、トーストとあわせて注文したレモンティーを啜りながら、重厚な本の並ぶ一角や、ピアノの演奏風景を切り取った大判の写真を眺め渡し、粋な顔つきで紫煙くゆらせる男性客をしばらく時間も忘れて蕩然と見つめた。匂い移りの可能性に思い至り会計を済ませる頃には小一時間が経過していたに違いない。
トーストの味を以て語る小蝶さんの魔力は店を出てからもずっと尾を引く。

さて地下から興奮しながら這い出してみると、8時を回った文京区はすでに雑踏と化していた。ランナーだけでなく背広姿の人々がかなり多くなり、黒ずくめのファッションではどうも浮き足立ってしまった。汚れが目立たないようにとの考えから靴下もスニーカーも念入りに真っ黒に合わせたため極めてイカツい按配になった。
応急処置としてジャケットを脱いで穏便な感じを演出したりしながら、こんどは南東に向かって進む。台東区上野の東京都美術館にて催されているエゴン・シーレ展を観覧するためである。9時半開場だからゆったり目指してよかろうと、不忍池で大あくびを放ったり、営業を始めてもいない屋台を冷やかしたりしたが、美術館のある上野公園に近づくにつれグーグルマップの調子が狂いはじめ、何度も行きつ戻りつした。徒歩で全区を回ろうとする者にとって現在地情報は死活問題だ。秒ごとに自分のポジションが量子テレポートするわ、向いている方角があさっての角度に回転するわとなれば商売あがったりというほかない。しかし、「商売あがっちったよ」と恥ずかしそうに頭をぽりぽりやって投げ出すは易し。四方の施設や道路の歪曲加減から自力で自分の居場所を割り出しはじめた。そうだ、旅をするならそうでなくっちゃ。茨木のりこ氏ならきっと「自分の居場所くらい自分で割り出せ ばかものよ」と叱りなさるだろう。見当違いだったことを悟り、さっき早歩きで抜かしたばかりの外国人観光客の列とまたすれ違ったりしつつ、9時ごろようやく上野公園に着いた。旅のむづかしさを知る。

上野公園の園内は桜が咲き乱れていた。桜あるところに人がいないわけがない。
「絶景」に群れて嬉々としている集団に接する時間が長ければ長いほどサツバツとしたメランコリーに陥る気質が頭をもたげ、慌てて小道に逃げ込んだ。地下鉄が直下を通っているらしい大型のスケスケ・マンホールのそばに、ちょうど座るのに適した形状の石があったので腰を下ろした。30秒に一度ぐらいの頻度で列車が通過し、人々の賑わいをかき消してしまうほど頼もしい轟音を響かせるのをぼんやり聞いた。張り切って地上に踊り出し桜の木々を破砕してまわっておくれ云々と、列車に無茶な願いを掛けながら美術館の開場を待った。
が、館内に入ったとて混雑の状況は少しも変わりなく、ほとほと滅入った。鳴り物入りで展示される「作品」という名の「絶景」を見にやってくる以上、花見と構造はそう異ならない。しかも、桜ならどれも似た面構えをしているからどれを見たって良く、多少人間の密集はバラけるけれど、美術館の展示は順路があるうえまったく違う様相の作品を並べるため、いちいち「絶景」に飢えた目が集中する。ほかの目のため、一定時間、一定のポーズで作品を見た(ふりをした)あとはとっとと去ることを求めるオートメーション的な雰囲気に満ちている会場は、ゆらゆら前後左右に立ち位置を変えながらひと作品ずつ長時間かけて接するようにしている私にはとことん合わない。どんどん順路のスムーズな流れに詰め寄られるのに腹を立て、どっこいまだ動かないぞと頑張るうちに抵抗自体がポーズになってきて、妙な具合になってしまった。
作品はどうだったかといえば。シーレと同時代に隆盛を極めたウィーン分離派(ゼツェッション)の生み出した象徴主義盛り盛りのポスターに最高に萌えた。とりわけ、ポスターに用いられた英字フォントの、可読性を危ういレベルまで切り詰めた自由な意匠に深く感動を覚えた。本屋で勤めるかたわら店内ポップを担当していることもあり、じっくり見つめて勉強させてもらった。古典的な書体は読みやすさと美しさが同居していてそれはそれでいいが、やはり見応えに富むのは前衛表現だ。

(引用元はこちら

シーレの作品からは「溢れてしまうもの」を感じた。それは個性とも呼べるのかもしれない。一般に禁忌や下品として慎みのヴェールを重ねられてきた肌が、シーレにより描かれる対象となった途端に、どうしても覆い隠せない光の奔流を溢れさせる。その光は決して希望とか愛情、慈悲といった優しいものだけではない。一概に汚さにまとめられ忌まれる感情、たとえば悶え、焦れったさ、わからなさ、怒り、恥じらい、欲望、幼さ、弱さといったものが色彩となって溢れ出し、ときに輪郭線を決壊させ再構築を促す。綺麗と形容して通過できない痛ましい作品も少なからずあった。彼によって描かれたものが、それでも決してグロテスクではなく、ひとりの人間像として凝集しているのは考えてみると不思議だ。人間の悲惨を抉り出そうとしていたら結果は違っていたろう。だが彼は悲惨もあれば愛の彩りもある無数の光に包まれた生き死にそれ自体を見つめ、受け止めた画家であった。
美しいか否かの狭いフレームを外して初めて浴びうる人間の光にたっぷりと日焼けして、美術館をあとにした。気づくと11時だ。

続いて荒川区へ向け北上。私の蒐集対象の一つであるピンバッジを含めて英国雑貨を扱う専門店ブリティッシュ・ライフが目的地だ。数歩進んでは立ち尽くす美術館特有の歩き方により足裏がずきずき痛むが構わず行進をつづけた。
店は西日暮里にある。上野公園に近づいてからずっと調子外れのマップ機能に相変わらず苦しみながらもついにユニオンジャックの幟が軒先にはためくビルを目にしたときは思わず歓呼した。
奥に細長い、決して広いとはいえない店内にぎっしりと雑貨が並べられている。王冠や肖像が意匠に盛り込まれた、英国王室オフィシャルと思しきあれこれを散見した。幼いとき私が「なんと呼んだらいいでしょう」と訊ねて「エリザベス」と平然と言い切った祖母に贈ったらきっと喜ぶ品々とみた。目的に掲げてやってきたピンバッジもなるほど豊富に取り揃えている。
ここで私が最終的に買ったのはネクタイである。店の入口入ってすぐ正面にあるピンバッジと少し奥まったところにあるピンバッジを繰り返し吟味しているうちに、入口右手の壁面に多数彩り豊かに売り出されているネクタイが、次第につよい魅力を送って寄越すのを感じるようになった。ピンバッジはブリティッシュ・ライフ公式通販からでも求められるがネクタイはそうもいかないと記憶していた。今ここでしか買えないという外的要因、そして「そういえば前から欲しかったんだよな」と真偽の疑わしい内的要因に万力さながらに挟まれ、今日まだ何も買っていないことと今日このあと予想される出費を軽く胸算用、そして腹をくくった。
壁には特価6000円で売られているシルクのネクタイが数本と、定価6500円で売られているタータン柄のネクタイがおびただしく掛かっている。先日買った白いシャツに合わせて映えるのはどれか、誠実そうに見えるのはどれか、好きな色合いはどれか、徹底的に吟味を重ね、マッカイ(MACKAY)なるタータンの青柄を手に取った。決め手は、わが青春を捧げたリッジレーサーで繰り返し駆った愛機の一つ、SOLDAT RAGGIOの蒼いカラーリング(NIGHT RAVEN)を想わせる色の組合せだ。元々青色に弱いところへ赤と黒のシャープなラインという折り紙つきとなり、非の打ち所がなくなってしまった。
後日談としては、これを宿願通り白シャツと合わせて散髪に行ったら「高校生?」と訊かれたこと、そしてブリティッシュ・ライフ公式通販でネクタイを扱っていたと今知ってしまったことの二つがある。マッカイの青柄も取り扱っている。

仙台出発前に関東の気温について洞察を示してくれた友人Sと昼過ぎに銀座で会う予定を立てていた。何時でもええよ、との寛大な思し召しに甘えて、荒川区からすぐに中央区へは向かわず、墨田区を経由することとした。しかし隣り合っている区とはいえ荒川区西日暮里から墨田区の目的地スカイツリーまでは一時間の道のりである。朝7時に小蝶さんのトーストを食べたきりでお腹ぺこぺこ、東京都美術館の観覧で足は疼き、それに加え、館内でずっとキース・ジャレットの曲を再生したり見当違いのマップを参照しているうちにスマホの充電がみるみる減っていた。気温は午を迎えいよいよSの言葉通りアウター要らずの域に達し、黒ずくめ殺しの効能を発揮する。諸々の悲しい条件に彩られながらそれでも私は超巨大電波塔を目指し歩いた。Sに15時くらいの集合とモバイルバッテリーの持参を依頼してタブレットの電源を落とした。スカイツリーの大変ありがたいところはマップがなくても簡単に向かえるところだ。汗を拭いつつ、東に延びる太い街道をひたすら歩いた。

スカイツリーになんの用事があるかといえば、やっぱりピンバッジだ。塔の基礎に商店街がありその一角に目的の「ご当地ピンズプラス」がある。ブリティッシュ・ライフでまさかのネクタイを購入したことでご当地ピンズに懸ける想いはひとしおで、桜が粉雪のようにゆったり舞い踊る隅田川を眺めつつ、かの地にはどんな名品があるだろうと胸を弾ませた。ずーしーほっきーのピンバッジとかあったら即買いだ。わざわざ宮城のニッチなものを買うのも酔狂かもしれん。
はるばる歩き詰め、人波に半ば呑まれながらようやく辿り着いたご当地ピンズで私が買い求めたのはスヌーピーのピンバッジ2点セットである。レジに持っていくのは本当に躊躇われた。日本のご当地感のあるものじゃなくていいのか、自分。
自問を幾度も重ねたが、スヌーピーを超えるバッジはついぞ見当たらなかった。ご当地とはいえ明らかに外国人観光客の需要を狙ったような、いわば「アイラブ日本」的な、こそばゆいものばかりであった。新選組、浅草の提灯、キティ、新幹線、富士山、安土桃山三人衆、エトセトラ。中学の修学旅行で訪れた鎌倉で、逸る気持で写楽の大首絵と新選組のタペストリーを買ってしまった苦い過去があるので二の轍を踏むわけにはいかない(前者は両親の寝室、後者は私の寝室に今日に至るまで呪符のごとく架かっている)。スヌーピーの他には各種楽器をモチーフにしたピンバッジがあり、とりわけドラム一式のバッジにはアート・ブレイキーを愛聴する者としてつよく胸を打たれ買いかけたが、「これ胸元に着けるんか?」と内なる声に呼びかけられ自制した。ドラムのバッジは気軽に着用するには大きすぎた。
そこでスヌーピーである。気だるそうにうつ伏せになるスヌーピーと、「BORN TO SLEEP」というセリフが書かれた吹き出しのバッジ2種。取り回しのよいサイズ感とチャーミングさに心を奪われてしまった。ご当地ものを求めてきた私と、どう贔屓目に考えてもジャポンじゃないスヌーピーの道ならぬ恋は、いちどは破局に終わるかに思われた。しかしご当地を名乗る諸君の頼りなさを見るにつけ、惰眠を貪るスヌーピーへの愛着はいや増した。
ふらりと入った喫茶店で一目惚れした勢いで結婚まで確約できてしまったかのように呆然として会計を済ませ、塔を去った。
さあ、次なる銀座までは1時間半の道程。現在およそ14時。

初日はできれば、千代田→文京→台東→荒川→墨田→中央→江東→江戸川→葛飾→足立の10区を歩いておきたかった。最終日に神保町を念入りに時間をかけて探査するためには、江東から足立までの広大な東部4区をあとに残してはいられない。
しかしながら、スカイツリーを発った時点で私の知力・体力・時の運はいずれも無惨に摩滅しかかっていた。朝7時以来なにも口にしていないために空腹は極まり、浅草名物フラムドールを見ても「あっ」とのたまうことしかできないぐらい機知を鈍らせた。また、美術館観覧を含めた破天荒歩行スケジュールにも関わらずろくに座って休息をとっていないため脚力は擦り切れ、なにかの拍子で立ち止まったが最後、もういちど歩く/歩き出すことは到底ままならないように思われた。傘がないのに折からの天気雨にざあざあ降り込められ自棄を起こしたりしたが、銀座の地でSと落ち合うと思えばこそ一歩また一歩と足を進めることができた。メロスは無二の友セリヌンティウスの命が懸かっていなかったらシラクスの町に戻れなかったのではないか。

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ 雨の中を
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
雨にぬれて行かなくちゃ 傘がない

♫ 傘がない/井上陽水

早くも西方に向け傾きはじめた日輪を追うように、隅田川に沿いながらときに南へ、ときに西へ進んだ。水飛沫を上げながら川を遡上する屋形船と行き合ったかと思えば、音高く警告を発し河川の保安に務める警視庁の小型船舶も見かけた。屋形船の屋上にはものすごい数の人が立錐の余地もないほどに詰まっていたが、とくになにをするでもなく此岸を見つめてくる様子には鬼気迫るものを感じた。
両国の地に近づくにつれ、川沿いのフェンスに相撲の決まり手を描いた意匠が頻出するようになった。熱心なファンではないので、はじめは組み合っている二人のどっちが負けになる手なのかさえ分からなかったが、いくつも見ているうちに徐々に理解した。勝敗を見届ける行司は取り組み全体を見るのではなく、力士の足にのみ注意を注ぐと聞いたが、それにしても膨大な数のパターンから瞬間的に判断・処理しなくてはならないだろう。慧眼に脱帽。
両国の橋を渡って引き続き銀座を目指す。両国の橋といったとき思い出すはやはり三波春夫である。9分に及ぶ、その題のとおり長大な「長編歌謡浪曲 元禄名槍譜俵星玄蕃」のクライマックス、赤穂浪士に助太刀することを認められた当代随一の槍の使い手たる玄蕃が、感極まりながら決戦に備えるシーンで両国が現れる。

夢と聞きつつ 両国の
橋のたもとで 雪踏みしめた
槍に玄蕃の 涙が光る

♫ 俵星玄蕃/三波春夫

歌に聞きつつ両国の橋のたもとで踏みしめたのはアスファルト、槍は持ちあわせていないが足の痛みに涙を流した。足の裏を舗装面に押しつけるたびにそこに心臓があって、体重にぎりぎりと圧迫されて爆裂するような痛みと言おうか。2007年公開の「映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険」のクライマックスで大魔王デマオンが心臓にひみつ道具の注射を打ち込まれて洩らした苦悶の断末魔がいちいち頭によぎる。一刻も早く歩くのをやめたいと思った、初日早々。

デマオン

両国橋、そしてさらに数百の心臓を破りながら江戸橋を跨いで日本橋の大通りに入った。東京中心部には橋が多い。だいたいが緩やかなアーチ構造をしているから、平地を進むのもやっとなほど疲れた足にこたえる。しかし大通りに入ってしまえば幸いフラットで銀座までただ南進すればよい。いくらか余裕を取り戻した目に、これまで後景に退いていた、すれ違う人びとのお洒落さが俄かに迫り出してきた。いよいよ銀座に入ると事はさらに深刻になり、仙台で見慣れているナチュラルで落ち着いた色調のファッションはほとんど目にしなかった。目抜き通りを往く皆がランウェイを颯爽と進むモデルかのように、強烈な気品と光輝をまとって見えた。とくに、私の前を歩くマダムが身につけていた装い、たとえば目に鮮やかな青のベレー帽にスカーフ、そしてカラースプレーのようなカラフルな夾雑物を織り込んだ青のアウターはさながら異星の文物かに思われた。
1500円くらいのロコモコを堂々売り出すレストランがある一方半田屋やマクドナルドといったファストフードが少しも気配を感じさせないので不安を催した。節操なく辺りを見回しているうちに酔ってしまった。Sと合流すべく電話をかける。
「今どのへん」Sに問われ、「銀座一丁目駅そば」と答える。
それでは私の居場所の絞り込みがしにくいらしく、近くになにがあるか訊かれた。
ちょうど自分が壮麗な複合商業施設の前に立っていることに気づいたので、ローマ字で書かれた看板を卒然と見上げ、叫んだ。
「マ——松坂屋!」
画面向こうでオーケー……と小さく声がする。地図アプリを開いて松坂屋を調べてくれているらしい。しばらくSの返答が絶え手持ち無沙汰になり「これが噂の松坂屋か〜」と訳知り顔で頷きながらショーウィンドーを冷やかしていた。
「なあ、ほんとに松坂屋?」訝るようにSの問い。
「だから松z——」そう呆れまじりに応じつつ、雑踏と化している歩道に踊り出し、改めて看板を見上げて絶叫、「アッ! ここ松屋だッ」

高校の同級生Sと会うのは成人式の同窓会以来だから3年ぶりである。
高校を卒業してから埼玉に移り、東京で学ぶなり勤めるなりしているらしい。久闊を叙しながら銀座クリエイションギャラリーG8に向かった。
お目当ては仲條正義名作展。今回の東京旅を思い立ったそもそもの動機がこの展覧会への興味である。パンフレットに掲載された代表作をいくつか見ただけで、思わぬやわらかさと、大胆な硬度とを巧みに、そして楽しげに混淆させる表現のスタイルに惚れ込んだ。
憧れをたっぷり抱えて拝んだ実物はあくまで裏切らなかった。一枚一枚こちらの虚を突いてウッと言葉を詰まらせる。的確に不意を狙う攻撃をもろに食らった私は、ぶはっと口から何か噴き出た。それは暗黙裡そして無根拠に構築してきた常識の出血であったかもしれないし、胸のすくような驚きが呼び覚ました笑いだったかもしれない。視覚の実験を数限りなく企て、方法論らしきものを確立しかけたらあえて打ち崩しにかかる、血まみれの笑いを各作品に見てとり、釣られてこちらも笑ってしまう。疲労ですっかり霞んでいた目に清涼剤として働く刺激的な時間だった。
物販にて一回1100円の銀座価格なガチャガチャを回した。ここでもピンバッジをひとつ入手。ちいさいながら仲條らしい迫力とユーモアに満ち満ちた名品。
現在、青森県八戸市で同展が開催されているとのことで、来月中旬に八戸旅行かたがた改めて寄るつもりである。できれば仲條の作品を収載した大著、買いたい。

ギャラリーを辞去し、よたよたと新橋に彷徨い出て、唐揚げ定食を主力とする「からやま」に入った。極だれ定食、ご飯大盛り。このときばかりは写真を撮るのも忘れて無心で喰らいついた。仙台で産湯を使ってからこっち唐揚げが大好きな私だ。
エネルギーに満ち溢れる鶏肉を頬張って人心地ついた私は図々しくなり、きょうはもう歩くもんかと言い出した。そばで笑って聞いているSは「君、そんなことでは駄目だよ。決心したのだろう」と諌めるような人物ではない。君の住まう戸田市に今晩泊まっちゃおうかな、と戯れに甘えたら「いいよ」とさらりと言ってくれた。
今回の趣旨、それは電車を用いず徒歩で東京都特別区全区を巡ることだ。いま、からやまの席上で私の脳裡に兆した戸田市訪問のアイデアは、言うまでもなく重大な違反だった。出発前、各区で俳句を詠みますと大見得を切ったくせに果たしていないなか電車を使うとなればいよいよ企画の存亡が危ぶまれる。
が、それに頓着できる余裕はとうに両国の橋のたもとに置いてきたわ!

というわけで新橋駅から電車に乗り込み、一路戸田市へ向かった。
物事を諦めたあとの敏捷さと表情の晴れやかさについて私の右に出る者はない。

夜は市内の天然温泉「七福の湯」に浸かって一日の疲れを癒した。
浴槽のあちこちから高圧の湯が噴き出すジェットバスで四肢を工夫して伸縮しながら打撃されたときの快感は得ともいえぬものがあった。ときに踏ん張りがきかずに水面から弾き出されそうになりながら、Sと並んでげらげら笑った。旅には道連れがあると救われる面が本当に多い。同伴することで衝突する場面もあるだろうが、苦労を分かち合える人がいるのはそれだけで心強い。
サウナで無量の汗を垂らし、冷水を浴び、湯に浸かりを繰り返し、退館。

Sの部屋では世界地図上の自分の居場所を当てるスマホゲームGeoGuessrにふたりで本気で打ち込んだ。アプリの助けに頼らずとも周辺の電柱や標識の特徴から「あ、ここは中央区、それも日本橋だな」とか割り出せたらさぞ気持ちいいだろうなと、きょう一日の旅路を振り返って考えた。
それからは、サウナに削り取られた体力の残り火を燃焼させながら、映画やファッション、音楽、恋愛談義、ここ3年で変わったことや起きたこと、人生いかに生くべきか、なんてことを訥々と語らって就寝。東京では毎日ネットカフェで泊まるものと観念していたので布団で眠れて幸甚。

電車に乗ってしまった今、明日からはどれだけ芭蕉に私淑する者としての矜持を貫き、どう歩いたものか。とりあえず初日の巡礼はこれにて、千代田→文京→台東→荒川→墨田→中央→戸田市の6区1市で投了。
東京23区全区踏破に挑んだ記録にすでに誰かが挑んで達成していたら意欲を沮喪しかねないと危ぶんで一切検索しないようにしてきたが、じつは誰もやっていないんじゃなかろうか、こんな苦行。



I.M.O.文庫から書物を1冊、ご紹介。 📚 東方綺譚/ユルスナール(多田智満子訳)