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野球を見られる幸せ #忘れられないあの試合

前置

「本作品(記事)はライズTOKYOさんよりお手本作品の依頼を受けて執筆したものです。ぜひみなさんもご応募ください! [https://note.com/risetokyo/n/naa19c4a0d56d…]」

なんだこのタイトル……? とお思いの方もいらっしゃると思いますが、実は嘘みたいな本当の話なのですが今回、この弱小アカウントに文章のお手本的なものを書いて欲しいとの依頼がありました!
いやはや大変嬉しい話ですね。依頼した人見る目無いんちゃうか?

というのは本年から我らが応援する千葉ロッテマリーンズのパートナー企業でもあり、機能性に優れた高反発マットレスなどで健康的な睡眠を追求しているめちゃイケ(死語)な寝具メーカーであるライズTOKYOさんが現在、その千葉ロッテマリーンズとのキャンペーンとして――

千葉ロッテの思い出を語ってライズの寝具が手に入る!!エッセイコンテスト「#忘れられないあの試合」

――という企画を現在実施しているのです!!!

内容を軽く説明すると、ファンの方々に『今までで一番印象に残ってる試合』、『記憶に残ってる試合』をその当時の自分を振り返ってもらいながらエッセイ形式でnoteに投稿してもらい、良い文章を書いてくれた人になんと賞品としてマットレスを贈呈しますというなんとも太っ腹な企画。
つまりほぼノーコストである自分の思い出をリリースして豪華なマットレスをアドバンスド召喚できるという企画です。この例えが合ってるかはわかりませんが。
というわけでお手本的なものとしてこの文章を僕はクリスマスイブの夜に書いています。杞憂民もニッコリだね。
独断と偏見シリーズはもう少し待ってください。

本題 ~忘れられないあの江村~

さて本題ですが、個人的に忘れられない試合となればいくつかあります。
といっても僕という魂の輝きがどす黒い男はやはりネタ方面に忘れられない試合が多く。お手本としてと言われましたならば、その印象的な瞬間、瞬間だけでは僕の文才では中々文章として作るには難しいというのもありまして。ただTwitterくらいの文字数レベルで語っていいのなら僕は間違いなく江村選手が満塁ホームラン打ったあの試合をいつも挙げてます。
その年のロッテ公式アンケートにあった今年のベストな試合を教えてください的な項目でも僕は江村の試合を書いたくらいですんで。

あの試合はライトスタンドで知り合いと一緒に見ていたんですが、二人でずっと笑いっぱなしでした。周りのみんなもずっと笑いっぱなしでした。
江村選手をめちゃくちゃ応援していた人もその日に見ていたので、
「あの人、魂が抜けたんちゃう?」みたいな凄いふよふよしたような不思議な気分であのホームランをみんなで語ってました。
ホームラン打ったところを見たことないし、正直見られないかもと思っていた選手のホームランを見るとこんな気分になるんですよね。今年の加藤選手の初ホームランを見た時もそんな感じでした。
たった一本のホームランでみんなを笑顔に出来る選手は才能だと思います。

本当の本題 ~忘れられないあの試合~

でもこの江村選手の話だけでは折角僕に依頼をして頂いた人にとても申し訳ない気持ちになってしまうので、少し真面目に忘れられない試合を語るとします。
僕の忘れられない試合は2011年4月12日 ロッテ対楽天戦
そう、かの大震災の後のNPB開幕戦です。

その試合を見に行くまでの背景

僕はロッテファンとしては千葉移転の頃からのファンなのでもう30年戦士くらいなのですが、それまでは野球ゲームで対戦する時はどんなに弱かろうと躊躇なくロッテを選ぶとか、毎朝新聞のスポーツ欄でロッテの試合結果を見てから学校に行くとか、千葉テレビで野球中継があったらそれを見ながら夜宿題をするとか、チケットは自分で買わず、貰ったら球場に応援に行くくらいの一般的な野球好きレベルのものでして、実際に試合に何回も通い詰めるようになったのは2010年の途中頃、所謂「下剋上」の頃からでした。

まあ何故この年からなんだと言い訳させてもらうなら2010年から新社会人になりまして。学生時代以上に自分が使えるお金の自由度が高くなって、自分一人で何回も野球を見に行って飯食って帰っても余裕な財力が身についてたんですわ。
しかも当時は県内から都内に働きに出ていたので会社の定期券があって帰宅ついでに寄れたり、交通費に困らなかったというのも大きかったですね。

それでその年は下剋上で日本一になって、自分の中での熱も加速度的に上がっていって本格的に野球観戦を趣味にしようと思った僕は次のシーズンでやってみたいと思ったことがあったんですね。
それが開幕戦の観戦でした。

オープン戦のチケットを取った!しかし……

そして2011年――西岡選手は海を渡り、小林宏之選手は西へ行き、人的補償では今年引退した髙濱選手を獲得し、今年盗塁王と最多安打に輝いた荻野選手は2年目で昔やってたからという理由で西岡選手の穴埋めに遊撃手に挑戦していた頃です。
開幕戦に先立って、僕は生まれて初めてオープン戦のチケットを購入しました。10年経った今でも覚えています。3/12と13の西武戦です。
そのどちらかは2010年でロッテを引退をした堀幸一選手(現二軍打撃コーチ)の引退セレモニーがあるのでは? という話をSNSで聞いていて、幼少の頃からチームで活躍されて応援していた選手だったので最後を見届けたいなという思惑もあって取っていたチケットでした。
そんな試合の前日、僕は営業の仕事で神奈川の海老名にいました。
もはや死語ですが花の金曜日です。仕事中も次の日の試合のことを考えてウキウキでこなしていたのですが15時ちょっと手前のこと。

いきなり凄い揺れに見舞われました。

何事かと営業先の人達と全員で外に逃げて、揺れが収まってから改めて確認すると、東北で大きな地震があったとのことでした。
東北から遠く離れた神奈川県でも明らかにヤバいと思えた地震です。
幸い自動車で海老名に来ていたので帰りの足には困りませんでしたが、それでも交通機能はほぼやられており、東京の会社までの帰りに高速道路も使えずにひたすら一般道で帰りました。
腹ごしらえに寄ったコンビニは既に食料が尽きて水しか買えず、自動車で溢れかえった国道246号線は渋滞続き。都内に入れば停電で真っ暗なビル街を帰宅するために購入したのかママチャリを漕ぐサラリーマン。
そんな中を一晩中運転し続けて、会社に戻ったのは翌日の朝。
当時の僕は会社の人手不足もあって2年目とはいえ結構広くエリアも担当しており、東北地方、特に福島、宮城、岩手は僕の担当でもあったので、安否確認をしたくても電話は通じず、諦めて会社を出た時に初めてオープン戦が中止になったことに気付きました。

そして開幕戦

東日本大震災。その大きな地震の影響は被災地だけでなく、遠く離れた関東地方にも影響がありました。
特に千葉県の東京湾岸部はほとんどが埋立地なので液状化現象の被害が出てしまい、千葉ロッテの本拠地であるQVCマリンフィールド(当時)や幕張副都心地域も甚大な被害を受けていました。
そんな中で様々な人達が頑張り、手を取り合い、なんとかプロ野球の開幕にこぎ着けた4月12日。
僕はその開幕戦のチケットを握りしめて、海浜幕張の駅に降りていました。
節電が呼びかけられていた時期です。試合開始はデーゲームでした。
初めて有給を取りました。
海浜幕張からマリンまでの道は人によっては長いと感じるくらいの距離があります。その道を歩いているとひび割れたタイル、液状化で立ち入り禁止の柵、賑やかさの欠片もなくひっそりと佇む幕張メッセ……爪痕が多すぎて、後にも先にもあの日が一番ゆっくりと歩いたマリンまでの道のりだったと思います。

あの球場で聞いた『野球があるから』の感動

春風が吹く中、青空の下で捧げた黙祷

レフトスタンドからあがった『がんばれ東北』のコール

メッセージボードを掲げながら僕らが叫んだ『がんばろう日本』のコール

あの試合の全てが今でも僕の心の中にまだ残っています。
試合は4-6で負けてしまったけど、そんなことはどうでも良くはないけどどうでも良かった。

野球がそこにあるから 僕らはここにくる

野球があるから/MMJP

正しくこの歌詞通りだと。どんなものでも野球がそこにあれば僕らはいつだってここに来るんだと。
そんな野球を見られるという原初の喜びをこれ以上に覚えた日は無かったと本気で思えた日でした。

結び

今年は無事にシーズンを終えることは出来ました。
しかし今でもコロナは猛威を振るっており、感染の情勢で開催が危ぶまれたり、観戦スタイルに制限がかかったり、綱渡りのように際どい線を歩きながらもなんとか対策を講じてファンのために開催にこぎ着けてくれているNPBや諸球団の関係各者の皆様にはファンの一人として頭が上がりません。
来年も動向や先行きはまだまだわかりませんが、僕はあの2011年の忘れられない試合の時のように「がんばろう日本」を心に掲げながら観戦しに行きたいと思いますし、そしていつの日か全てが収束し、通常営業になったZOZOマリンスタジアムにも「がんばった日本」と大声を出しに応援へ行きたいと思います。

だって、そこに野球があるから。ってことでね。

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