見出し画像

じんわりつらい

6月の梅もぎも終わり、田んぼの稲は80cmくらいにまで伸びてきた。今年は梅雨らしい梅雨がなくて暑い、とみんな嘆いているけど、湿気がものすごい家に住んでいる私は去年ありとあらゆるものが梅雨の時期にカビたので、今年は少しそれがあまりなくてホッとしている。

7月9日-11日まで開催されていた「ふふふのZINE」も無事に終わった。50を超える作品が出品され、小説や短歌、写真集やエッセイなどさまざまな創作に触れることは、なにかの栄養を補給したような豊かさがある。

1日目に行ったトークイベントも、奈良県東吉野村からルチャ・リブロの2人、三重県九鬼町からトンガ坂文庫の2人が新潟まで来てくれて、かやぶきの古民家で10人ほどの参加者を迎えられてとても良かった。青木さんが言っていた「人はそれぞれの時間が流れている」という言葉がとても耳に残っている。

そんな感じで日々は充実しているのだけど、なぜだか6月末くらいから調子が乗らない私。いくつか心が沈んだりざわついたりする出来事があったのも事実で、そういうものが引き金を引いたのかもしれない。

「あれ?なんか、ずっとじんわり辛い・・・?」ということはたまにある。3か月に1回来るやつもあるし、1年に1回くるやつもある。そういう「サイクル」や「波」がなんとなくあることを知ったのも、社会人になってからの5年だ。友達に吐き出したり、ノートに書きなぐったり、映画を見たりしてその場をやり過ごし…てきたような。

前向きな気持ちだった1か月前の自分自身を、うまく思い出せない。水中にもぐっているような、暗いトンネルを歩いているような、そんな気分。ひとつの不安は、「これから人生どうしよう」というざっくりした大きな悩み。クオーターライフクライシスは去年の秋に抜けだしたと思っていたのに!!!

「目の前のやらなきゃいけない仕事」に対して肯定感が低い。私の場合、会社というよりは個人でプロジェクトを動かしていることが多く、上司がいつも見てくれているわけではない。リモートワークになったらますます個人プレーになった。プロジェクトの運営も慣れてきて、だいたいどうすればどんな結果になるかもわかってきた。もちろんとても自由でのびのびとやれるのは嬉しいのだけど、なにかが足りない。外部からの評価が無いわけではない。むしろ、イナカレッジでやってきたことに関しては徐々に評価される機会も増えている。なのになぜ?

週に1回は新潟市と出雲崎を往復している。3日に1回は長岡にも行く。近いところで片道車で30分、新潟市は1時間。好きなカフェに寄り道もできる。新潟市に行くと知り合いや友達にも偶然会える。たまに飲みにも行ける。とてつもなく自由だ。なのに、今は不自由な人が少し羨ましい。先週泊まりに来た友達も、一昨日電話をした友達も、毎日家とそのまわりで過ごしている様子だった。ビュンビュン移動する生活が、毎日スケジュールを自分で組むことが、少し面倒くさくなってきているのかもしれない。

新しいことを始めたい自分もいる。地域づくりや関係人口の実践以外のこと。哲学や人類学、福祉や芸術を学んでみたい、編集や本づくりをしてみたい、などなど。パートナーが自分でお店をやっているのでその影響もあるかもしれない。自分でイチから何か立ち上げてみたい気持ちもある。

「求められていること」をやるのが仕事、それは事実だし、今私には社内ではっきりと役割と采配がある。なら、それを無理なくやっていればいいよねっていうのがこないだまでの私。でもなぜか今は、「これをいつまで続けるのだろうか・・・」と思っている。疲れている。完全に。単純に。

0か100ではなく、そのあいだをいける答えが見つかるといいな。来年度、私はどうしているだろうか。大切にしたい人、大切にしたいものは見失わないように、自分とまわりへのストレスをかけすぎないように、進んでいけたらいいな。

最終的には悶々としながら田んぼまであるいて、これを作れているならいいじゃないかとも思えたのでした。美味しい米自分でつくって食べれているんだから!

完全に、後ろ向き弱さ吐き出しnote。土曜日にあきちゃんとゲスト3人とあじさいvol.3の対談をやったけど、そこに通じる話もあったな。






よろしければ、サポートをお願いします!地域と迷える若い人の生活がちょっとだけ楽しくなるような、問いを生めるような企画やZINEをつくるのにつかわせていただきます。