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カメラに向けてカメラを向ける ー視線についてのあれこれ

 映画史上、おそらくほぼ全ての映画作家が撮ることを避けてきた対象というものが存在する。ここでニーチェなどを引用するのはいささか気が引けるが、それを覗くとき同時にそれに覗かれているという体験や感覚が、人を無意識のうちに恐れの中へと誘うかもしれないという不安から人はそれをカメラに収めることを拒否してきた。それとはカメラそのものである。カメラが画面に登場してくる映画は山ほどあるが、それがカメラのレンズそのものを覗き込むように捉えた試しはほとんどない。あるいはカメラのレンズが画面に収められてはいても、その画面の主対象は決まってそれを持つカメラマンでありそれが画面の主対象となることはなかったと記憶している。しかしながら、それは1人の映画作家を例外としなければ説明することのできない傾向である。ジャン=リュック・ゴダールである。ゴダールは彼のおそらく最も制作費に恵まれた作品である『軽蔑』のオープニングで、クレジットをナレーターに読ませてすませるというオーソンウェルズへのこの上ないオマージュを試みていると同時に、画面上のラウール・クタールの操るカメラがゆっくりとパンし、ついには実際に撮られているカメラの方を向くというあからさまな実験を敢行しているのである。

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その瞬間、人はこれまで誰1人としてこの「カメラ」や「レンズ」といった事物を真摯に見つめたことはなかったという到底受け止めきれないような事実を受け止めることを強要されるのだが、また一方でゴダールがカメラに向かってカメラを向けるということに一種の拘りを持っているということを、このフリッツラングを本人役として出演させた美しいことこの上ない映画とゴダール自身が自作で試みてきた手法から理解することができるのである。
カメラと被写体の関係、特に被写体がもう1つのカメラである場合のその関係性を明らかにするためには、カメラの映像における特質をまず考える必要があるだろう。よく人は、観客の映画の見方は自由だと言う。どのように今「見た」映像を解釈しようが感じ取ろうが、それは観客の勝手であると。しかしそれは、カメラという装置の無機性を全く省みずにいる者が、置くか、前後左右に動かすか、パンするか、クレーンアップするかしかカメラを操作する手段が存在しないのにも関わらず、「映画を撮ることは自由だ」と呑気に謳いあげている様子と似ている。映画とは、撮る者も見る者も、自由を自覚している者ほど、その機能によって無意識のうちに支配してしまう装置なのである。観客は自由ではない。私たちは、監督を中心とした制作スタッフが指定するアングルからしか、そのフィクション内現実(これを筆者は「世界観」と呼ぶ)を見ることはできないのである。私たちはある女の後ろ姿を見て、顔を見てみたいと思っても、作者に「よし」と言われない限りそれを見ることはできないのである。これが映画を見ることの不自由でなくて何であろうか。このように、観客はこの圧倒的な不自由を自由であると錯覚してしまうほどに、カメラという視点を自らの視点と混同している。しかしこの混同は決して誤った身振りではなく、映画という芸術が、あるいはあらゆる視覚芸術がある特定の視点を自らの視点と錯覚しながらその「世界観」を見ることによって成立しているということを示している。つまりは、観客は自らの身体をカメラの内部へ埋めることによって監督にその思考と感性を委ねていることになるのだが、ここで問題となってくるのは、観客とカメラと作者の関係が大方明らかになった今、カメラと「世界観」はどのような相互作用を与え合っているのかということである。映画監督は多くの場合、カメラの存在を観客に気付かれまいとして演出する。その結果、当たり前ではあるが、登場人物たちはカメラなど存在しないかのように振る舞うことになるだろう。しかし、撮影現場にカメラがあるのは当然である。役者たちがカメラの存在を気にしないで演技しているなどという野暮な言い方はしたくないので、ここでは登場人物たちにはカメラは見えないという表現を使おう。望遠で撮られている場合は別だが、普通ならカメラの存在に気付くだろう場所に置かれているカメラですら、登場人物たちは見えないのである。カメラはまるで「亡霊」のように「世界観」とその時空間の中を生きる人間たちを見つめているのだが、「亡霊」としての私たち=観客はこの「世界観」との関係性に一種のエロチシズムを禁じ得ない。ちょうど『パリ、テキサス』のトラヴィスがかつて共に過ごした妻とマジックミラー越しに再会した時の、トラヴィスから妻・ナスターシャ・キンスキーは見えても、妻からトラヴィスは見えないという状況が、ナスターシャ・キンスキーのあからさまな無防備さを引き出していたように、私たちは映画として映し出される空間にその無防備な姿を見出すことができるのである。

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(ヴィム・ヴェンダース『パリ、テキサス』,1984)


ナスターシャ・キンスキーが「鏡の向こうが見えたならこんな仕事はしてないわ」と吐き捨てて言ったように、もし「世界観」の人間たちが「亡霊」の姿を見ることができたなら、きっとあんな風に笑ったり泣いたり踊ったりして私たちを感動させてはくれなかっただろう。私たち(=亡霊)が見ている人間たちには私たちは見えないということ、この視線の一方向性が映画の快楽を導き出す要因の1つだとするならば、「見える」人々について私たちはどう対処すればいいのだろうか。例えば、幼少期にはよくいるはずのない人間を見ることがあったという映画監督の三宅隆太のように、「見える」人々は私たちの世界にも一定数存在する。ならば映画の「世界観」の人々の中にも、「見える」人々、霊感のある人々がいてもおかしくないはずだ。三宅隆太の言うように、実際に霊感のある人は、いるはずのない人を見てもそう驚きはしないらしい。私たちが想像するようには「亡霊」は決して怖い存在ではないからだ。同じように、映画の中の「見える」人々も「亡霊」が見えたとしても驚きはしない。ただその亡霊の方をじっと見つめるだけである。そして時には亡霊に向かって微笑みかけたりするくらい彼らは「亡霊」たち、つまりは映画を見る私たちに慣れているのである(特に原節子は「亡霊」との遭遇にとても慣れているのだと思われる) 。

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(小津安二郎『秋日和』,1960)

ラッパーの宇多丸氏は、「見る見られる関係の逆転が、映画性を生み出す。」と言っているが、それは非常に鋭い指摘だ。映画は「対面」によって動き出し、またその「主観性」の曖昧な行き来が映画の特殊な感動が立ち現すからである。ただ彼は、登場人物間の、つまり登場人物Aと登場人物Bの間で織り成される「見る見られる関係の逆転」についてのみ言及しているのだが、筆者はこれよりもカメラと登場人物Aとの間における「見る見られる関係の逆転」の方がより驚きを伴うと考えている。私たち「亡霊」は、登場人物たちは私たちの姿は見えないだろうと高を括っているのだが、突然彼らの内の「見える」人々が我々の存在に気付くことがある。その瞬間の驚き、衝撃、そして感動にまさる芸術的快楽などそうありはしない。しかも彼らの立居振舞を見ると、まるでずっと前から私たちの存在に気づいていたかのように落ち着いているのである。やはり「見える」人々は「亡霊」を見ても驚きはしないのだな、と確信させられるのであるが、このことをやはり理解してよく使っていた芸術家も多くいるわけであり、それがフェルメールであり、レンブラントであり、小津であり、グル・ダットであり、ゴダールであるのだ。また、オリヴェイラも、90年代に小津の影響をよく口に出すようになってから、「見える」人々を画面上に登場させるようになったが、やはり小津という作家は霊を引き寄せやすいのだと、妙に納得してしまった今日この頃なのであるが、ここではゴダールに話を戻そう。ゴダールは、蓮實重彦が指摘しているように、小津が国際的に見られるようになる以前から、小津に似たような演出をしている。例えば、『勝手にしやがれ』においてベルモンドがセバーグに男性用のハットを被せるという可憐な主題は、小津の『その夜の妻』が提示している主題と全き似通っているし、初めて小津を観るものを毎回驚かせてやまないあの切り返しシークエンスも、『勝手にしやがれ』でセバーグがカレンダーで作った筒の穴からベルモンドを見ると彼がセバーグの方を見ているという感動的な主観ショットを彷彿とさせる。

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(ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』,1959)

また『アルファヴィル』においてホテルで「愛」という言葉の定義を探偵がカリーナに教えようとする美しいシークエンスや、『気狂いピエロ』における逃亡生活に退屈しきったカリーナを地中海らしい透明な太陽光と共に捉えるクロースアップを、人に思い出させてやまない。ゴダールは彼自身が「僕にはもしかしたら、フォードと同じくらいの才能があるかもしれない」と言ったのが全く大げさではないほどに、小津と同じだけの「映画性」への強い感性の持ち主なのである。ゴダールが小津と同じような、「見える」人々の操作手であるとするならば、彼が『軽蔑』の冒頭でカメラのレンズにまがまがとカメラを向けたということに、一体どんな動機があるのだろうか。長編処女作『勝手にしやがれ』ですでに、登場人物AとBとの「見る見られる関係」を超越し、カメラと登場人物Aとの関係に到達していたゴダールは、感性が著しく強い人にありがちな、飽きっぽさを併せ持っている。だから四年も経てば「カメラ目線」などには飽きてくるのが性である。では次は何をすべきか。人間と人間、人間とカメラをやり尽くしたなら、残るは1つしかない。カメラとカメラである。思えば『軽蔑』とは、その全編が亡霊にカメラを向けることの映画であったように思える。ドイツ映画界の「亡霊」(当時はアメリカで映画を撮り、スタッフの殆どが彼の偉大さを知らなかったという。)、フリッツ・ラングにカメラを向け、主人公ポールは「芸術家」ラングと「資本家」パランスの間を「亡霊」のように行ったり来たりするし、この映画での妻・カミーユ(ブリジットバルドー)の立居振舞は「亡霊」のように浮遊している。そして夫・ポールの「亡霊」性を軽蔑しきったカミーユは、彼を捨てパランスと共に去る。その後2人は大型車との接触事故で死ぬのだが、そこで描写される2人の死体は、明らかにペンキと分かる血で塗りたくられており、本当に死んでいるようには到底見えない。

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2人の死の知らせを聞いたポールは、美しさはそのままに暗い雰囲気に包まれたカプリ島のロケ地に戻っていく。 しかしそこで彼を横移動で追っていくカメラは、「亡霊」ラングが監督している『オデュッセイア』のエキストラ俳優たちがポールの失望も知らずに彼とカメラの間を横切っていく姿さえ捉えていく。この、黒沢清の『ドレミファ娘の血は騒ぐ』にも影響を与えた美しいショットは、ポールがラングと撮影スケジュールについて話している様子を横目に「永遠」を思わせる太陽と海とが溶け合った水平線へとパンしていく。『軽蔑』とはまさに、カメラとカメラとが、つまり「亡霊」と「亡霊」とが、互いを見つめ合うことで織り成されていった物語に他ならないのである。

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