すきまノズルだけ、ない

すきまノズルだけ、ない。

人は生きていると、不意に深く心を打つ言葉に出会う。それは偉人の名言かもしれないし、教師が卒業式で行った言葉や、あるいは小説の一節かもしれない。これは、私が出会った、妙に心を打たれた言葉の話だ。

先日、家電量販店に行ったときのことである。

私は、庭掃除用のバキュームクリーナーを買おうとしていた。ちょうど目の前の棚にちょうどいい値段のそれが売られてあり、店員さんに在庫を確認する。60は超えているであろう、小太りで、若干頭が寂しくなっている人だった。

彼によれば、今、私の目の前にあるものが最後の一つだという。ただ、彼は不安そうな顔をする。

「部品がすべて揃っているかわからないので、裏で探してきていいですか」

どうやらこのバキュームクリーナーには色々な部品がついていて、それが全部揃っているかわからないのだという。

店内放送が3度リピートで流れた。探しに行ってからどれぐらいたっただろうか、店員が走って戻ってきて、息を切らしながら、こう言う。

「すきまノズルだけ、ない」

すきまを掃除するための、細いノズルだけが、どこを探してもないのだという。呆然とする私をよそに、店員は飾ってあるバキュームクリーナーの裏や、商品棚のスキマを必死で探しながら、ずっと「すきまノズルだけ、ない」と言い続ける。
そして、私に向かってこう呼びかける。

「一緒に、すきまノズル、探してもらえますか」

私も仕方なく、すきまノズルを探す。商品の裏側や棚のスキマを、なぜか客の私がくまなく探す。一向にすきまノズルは出てこない。やがて、最初の店員と同じぐらいの年齢の、今度は女性の店員が小走りでやってきた。

「すきまノズル、ないんですって?」

大の大人が三人、昼下がりの家電量販店で、形も正確にわからない「すきまノズル」を探している。

結局、すきまノズルは見つからなかった。ただ、もはや私にとってすきまノズルがあろうが、なかろうが、どうでも良くなっていた。

「すきまノズルだけ、ない」

そういった、あの初老の店員の言葉と表情と雰囲気が、私を強く惹きつけたのである。ちなみに、その、すきまノズルは店側がそれだけ発注してくれて、後日自宅に送られるという。そのとき、私はこう言うつもりである。手元にはその部品だけ入った段ボールがある。

「すきまノズルだけ、ある」

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