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寂しさで賑やか(『おらおらでひとりいぐも』)

2020年も、もう11月中旬。今年はどんな年だったかなと考えれば、間違いなくコロナによって生活を変えられた年だった。1月後半あたり「中国でやばいウイルスが流行っているらしい」から始まり、あれよあれよと日本にもウイルスが上陸。2、3月と猛威を振るいはじめ、緊急事態宣言も発令された。自粛要請により、4月はまるまる、5月も前半まで、ほとんど誰にも会えず家にいた。たとえ近所のコンビニに出かけることでさえ、なんとなく悪いことをしている気がした。マスクがなけりゃ白目で見られる。ソーシャルディスタンス。アルコール消毒。

ネットニュースやテレビで流れてくる「今日の感染者数」や芸能人の誰々が感染した、志村けんさんが亡くなった、岡江久美子さんが亡くなった。心の健康を崩す要因なんて溢れるほどあった。そうなれば必然的に、ひとりでどう楽しく過ごすことができるかが重要だった。ラジオを聴いたり、近所の散歩をしたり、フィルムカメラで何気ない風景を撮影したり。

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仕事で忙しかったころには気が重かったことも、膨大な時間が生まれたことで取り組むことができた。スパイスカレーはたくさん作ったし、角煮やローストビーフとか、手の込んだ料理にもチャレンジした。コーヒーは1日に5、6杯も淹れていたし、頻繁にミスドに行っていろんなドーナツも食べられた。

今思えば、よくあれほどの孤独を耐えられたなあ、頑張ったなと自分を褒めたい。その頃心配してくれた母親がちょくちょくLINEをくれていたけど、「まあ、だいじょうぶ〜」くらいの返信しかしていなかった。能天気で楽天家、のんびり、一人でも楽しめる性格でよかったとつくづく思う。

#沖田修一 監督の最新作『おらおらでひとりいぐも』は、夫に先立たれた年配の女性・日高桃子さんの、孤独の寂しさと、ひとりであることの自由を描いた映画。

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桃子さんの心の中にいる3人の寂しさと、桃子さん自身、つまり「こうすれば」「いや、でも」「いいじゃん」という揺れ動く自分の内面に浮かぶ独り言の対話に沿って物語が進んで行く。物語の起伏はほとんどない。半歩ずつ、明るくなったり、昔と今を比べては寂しくなったり。でも手に入れたひとりの時間。図書館に行っては地球46億年の歴史の本を読んで、絵を描いて。HONDAの営業マンに息子のように話し相手になってもらったり。病院の診察の順番待ちで1日が終わったり。

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派手な高ぶりもなければ、どん底の落ち込みもない。平々凡々な暮らしの中にあるちっちゃい楽しみと少しの寂しさが、自分の、特に自粛期間の感情とオーバーラップしたんですよね。でもこれは、何も、自粛期間だけに限った話ではなく、日常的に起こることだなと。あー、洗濯日和の青空だな、とか。ひとりで食べる手の込んだご飯の美味しさってそこそこだな、とか。

「おらおらでひとりいぐも」は、東北地方の言葉で「わたしらしくひとりでいきていく」。寂しさを超えた先にある自由を生きるってことなんでしょうか。映画館にいる他のお客さんは、結構高齢の方が多くて、「俺とは違う感じ方をしてるんだろうな。どんなことを思っているのかな」と気になった。きっと他のお客さんも、それぞれの人生に重ねているところがあるだろうし、昔の恋とか、離れた故郷を思ったりもしていたんだろうな。

沖田修一監督の作品は、やっぱり良い。普通の人の、普通の人生を肯定してくれる。そして主題歌のハナレグミも良い。

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『寂しさで 賑やかだ』はまさしくこの映画を端的に表現しているフレーズ。3月に東京から横浜に引っ越して、まだ一人暮らしを模索中だった4月の我が家も、もしかしたら、寂しさを紛らわす独り言で賑やかだったのかもしれないし、だからこそ、今日も明日も明後日も1週間後も、もしかしたら1ヶ月後も変わらなかった自粛期間を楽しめていたのかも。


そうはいっても、やっぱり、好きな人と一緒にいろんな時間を過ごしたいよね。映画終わり、親しくしてくれる同じ新潟出身の方々と、水炊きをつついたんですけど、やっぱりみんなで食べるご飯は楽しかった。ひとりで生きる自由を悟る前に、何気無い幸せを誰かと共有したいよね〜、トホホ、、と思った1日だったのでした。おわり。


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