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男ですいません(『泣く子はいねぇが』)

「男ですいません」は、日本コカ・コーラが、これまでジョージアの大半の顧客層であった40,50代から、缶コーナーの訴求ターゲットの若返りを図り2011年に打ち出した新広告キャンペーンのコピーである。この、「男ですいません」というキャッチコピーには、謝罪というより「男なんだからしょうがない」というニュアンスが込められているそう。

高校生、大学生、社会人。年齢を重ね、生きる環境も社会的ステージも、求められる責任も増えながら、"いい歳して"馬鹿げたことしてるなと感じる時、「男ですいません」を思い出して「男って最高!」と自分を許し(甘やかし)てきた。

自分も27歳。十分にアラサー。有名でおしゃれなコーヒー屋勤務という環境の恩恵がなけりゃ、自尊心だけは一丁前の、ただのフリーター。地元や大学の同級生の「入籍したよー!」、インスタに投稿される「【ご報告】私事なのですが云々…」には、祝福反面、少しの焦りを感じてしまう。みんなしっかりしてるなぁ〜!と呑気に感心してる場合ではない。いい加減大人にならなきゃなと思いつつ、「大人ってなんだろう」という考えが尽きない、年齢だけ重ねた大きな男子なのである。「男ですいません」以前に、「ガキんちょですいません」です、完全に。

今日11月20日に公開された映画『泣く子はいねぇが』は、秋田県の男鹿半島が舞台で、伝統行事のナマハゲに扮する青年を通して、「大人になるとはどういうことか?」「父親になるとはどういうことか?」を描いた作品である。

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以下は映画の公式ストーリーの引用

たすくは、娘が生まれ喜びの中にいた。一方・妻・ことねは、子供じみて、父になる覚悟が見えないたすくに苛立っていた。大晦日の夜、たすくはことねに「酒を飲まずに早く帰る」と約束を交わし、地元の伝統行事「ナマハゲ」に例年通りに参加する。しかし結果、酒を断ることができずに泥酔したたすくは、溜め込んだ鬱憤を晴らすように「ナマハゲ」の面をつけたまま全裸で男鹿の街へ走り出す。そしてその姿をテレビで全国放送されてしまうのだった––––。それから2年の月日が流れ、たすくは東京にいた。ことねに愛想をつかされ、地元にも到底いられず、逃げるように上京したものの、そこにも居場所は見つからず、くすぶった生活を送っていた。そんな矢先、親友の志波からことねの近況を聞く。ことねと娘への強い想いを再認識したたすくは、ようやく自らの愚行と向き合い、地元に戻る決意をする。だが、現実はそう容易いものではなかった…。

この映画が自分の興味を引いたのは、「生き方に迷うすべての大人たちに贈る、青春グラフィティ」というフレーズがきっかけ。なんせ、生き方迷い中のガキんちょなので、、、。

見終わって、感想。

まず、何より仲野太賀と吉岡里帆の表情が最高。作品を通して、セリフと言うよりも表情や間で魅せる映画だなと感じた。何も言えず苦笑いしかできなかったり、言い返す言葉もなく黙り込むしかないときの表情にとてもリアリティがあった。

そして、たすくの母親役の余貴美子さん。俺の中で「母親×方言=余貴美子」が成り立ちました。横道世之介では、長崎の世之介の母親役で、抜群の母親感だった。この映画でも秋田弁?で話す母ちゃん役が最高だった。予告に出てくるセリフ「凪ちゃんの父親におめぇ以外でもなれるんだや」だったり、飽きれた表情だったり。義理の娘のことねを何度も「大丈夫だ。大丈夫だ」と励まし、手を振るシーン。

強烈に心に残ったのが、物語終盤でたすくとことねが車中にいる場面での、ことねの「もう決めたの」。ああいう場面でのこの言葉、実際に身に覚えがあったので、ドキッとして、ちょっと笑っちゃった。

そしてダメ押しが主題歌、折坂悠太の『春』。エンドロールで流れるこの曲で、映画が完結するのだと思う。「確かじゃないけど春かもしれない」っていうフレーズ、不安定だけど少し希望が見えているかもしれないたすくを表現しているんじゃないかな、とか。いや、たすくだけじゃなく自分たちにとっても春かもしれない、とか。余白を残し、解釈を委ねられている、とても心地の良い曲。

あと、『おらおらでひとりいぐも』もこの映画も、エンドロールの後に意味ありげなシーンが一瞬流れた。意味があるのか、無いのかわからないけど、そのシーンがあるということには、少なくとも何か思いあってのことだろうから、エンドロール中に席を立つのはめちゃくちゃもったいない。

「男ですいません」はほどほどに、ちゃんとしなきゃだめだな、と思わされた映画でした、おわり。

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