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「ゆ」ゆらゆら帝国と音の隙間が生まれた10年代音楽について

 昨日、友達の結婚式がありまして、日々独身仲間が少なくなっていく私です。どうも、みなさん。

今回はゆらゆら帝国を軸として10年代以降の邦ロックシーンの方向性についてお話したいと思います。世代によってどんな音楽が印象的だったかという言葉が変わるバンドそれがゆらゆら帝国であると考えています。そんな中、自分自身は彼らの「空洞です」に違和感を懐きながら、今作品によって自身の音楽の聞き方が変わっていったということを紹介できたらと思います。

ぜひ、みなさんもこの「空洞です」がリリースされた2007年くらいに戻っていただいてから終わってしまった10年代の音楽シーンを振り返っていただければと思います。

ロックバンドなゆらゆら帝国

ゆらゆら帝国
坂本慎太郎 (Guitar/ Vocal)
亀川千代   (Bass)
柴田一郎   (Drums)
1989年、リーダーである坂本慎太郎が“日本語のオリジナルロック”というコンセプトのもとに『ゆらゆら帝国』を結成。当初は坂本と現メンバーである亀川千代にギター、ドラムスを加えた4ピースバンドとして活動を開始。
92年にはメンバーチェンジにより3ピースバンドとなりサウンドもポップでストレートなロックへと変化して行く。その後何度かドラム交代があったが97年現メンバー柴田一郎が加入しバンドとして急速に生まれ変わり98年4月、初のメジャーリリースとなったフルアルバム『3×3×3』を発売。ほとんどの音楽誌から取材が殺到する。
その後このアルバムに対して各媒体、ミュージシャンから絶賛の声が大量 に上がり、急遽マキシシングル『発光体』を発売。さらにウワサがウワサを呼び、西日本のFM局を中心にオンエアされまくり、一般 チャートで次々上位を獲得。
(中略)
11月マキシシングル「ゆらゆら帝国で考え中」を発売。
2001年2月久々のフルアルバム「ゆらゆら帝国」」発売。
夏は2000年に続きFUJI ROCK FES(GREEN STEGE)RISING SUN ROCK FES(SUN STEGE)に出演。数万人の観客の度胆を抜いた。
(中略)
9月16日 2枚組BEST ALBUM「1998ー2004」発売!!
2005年4月初のフリーコンサート「LIVE2005FREE」を
東京日比谷野外大音楽堂、大阪服部緑地野外音楽堂で開催。
そして5月18日、2年3ヶ月ぶりとなるオリジナルアルバム「Sweet Spot」をSony Music Associated Recordsより発売!!
5/25からは全国ツアーがスタート!       

公式サイト

https://www.sonymusic.co.jp/artist/YURAYURA/profile/

より引用

この無機質な感じもゆらゆら帝国らしいというかなんというか。しかも更新が最高傑作と名高い「空洞です」の前で終わっているあたりも彼ららしいというべきなのだろうか。

まあ、バイオグラフィーを読むより一曲聞いてほしい。イントロなんかはジミヘンからの王道のロックサウンドに、歌い始めると不思議と歌詞が頭に直撃してくる文学的体験の日本語的ロックでしかなし得ない到達地点に達している。ちゃんぽん的なのにくどくないのは彼らのサウンドがソリッドであったからだろう。

緑の液体とか映画好きならB級映画だったりでだいたい光っていたりしますもんね。私はこの曲を聞くといつもこれを思い出します。

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引き算のロック

 先程、彼らのサウンドがソリッドである述べたとおりに、彼らは常に新しいことに挑戦しつつも軸をしっかりと持ちつつ、前まで良いとされていたものさえ削ぎ落としながらバンド活動を続けてきていた。解散のコメントでもこのように述べている。

 ゆらゆら帝国は、結成当初から「日本語の響きとビート感を活かした日本独自のロックを追求する」という変らぬコンセプトを基に活動を続けてきました。同時に、アルバムごとに過去のイメージを払拭し、更新し続けることを自らに課し、時にはバンド形態すらも壊すことによって、常に自分達の演奏に向かう新鮮な気持ちや、緊張感を保ってきました。
そしてアルバム「空洞です」とその後のライブツアーで、我々は、はっきりとバンドが過去最高に充実した状態、完成度にあると感じました。
この3人でしか表現できない演奏と世界観に到達した、という実感と自負がありました。しかし、完成とはまた、終わりをも意味していたようです。

2007年に発表されたアルバム「空洞です」は異質な存在だった。音数も少なくリズムよれている。なのに聞き馴染みがどんどん良くなる。親戚の家にずっとあったような親近感を覚える一枚である。そのアルバムから代表曲をば。

比較しやすいように当時の2007年ロックシーンでいわゆる「売れたバンド」(嫌な表現になってすみません。このバンドもコピバンしたり大好きです。)を挙げていこう。どれだけゆらゆら帝国だけが先を歩んでしまっていたのか。潮流の先の先を感じていたのかということも考える糧として。

チャットモンチー/シャングリラ

曲自体は2006年発表ですが大ヒットしたアルバム「生命力」から一曲として。ポップ、そしてバンド。みんながこんな明るいサウンドを追い求めていましたね。今なお、ジュディマリ、チャットモンチーの影響ってガールズバンドのメロディに影響がえげつないとついつい考えてしまうのは、ロックを素直に聞けなくなっているんですかね。。。。

公式からアップロードされておらずこちらで失礼します。

メタルやメロコアが台頭しており、ギターサウンド的にはドンシャリの極みのような時代でしたね。その中の、「空洞です」をご想像ください。みんな、カツ丼やオムライス、二郎系で勝負してきてる中に出汁の効いたお茶漬けで勝負を挑んできたんです。今では「ああ、出汁効いてるねえ。」なんて言えますけど、当時は出汁より、ケチャップマヨネーズが若者は欲していたんです。その中で、ケチャップもマヨネーズも変則的に取り入れてきた店がとうとう出汁だけで勝負してきたと。

料理で例えすぎてカオスになったので割愛します。

つまりは、パンク、メタル効いてたやつ(当時の自分)からしたら味がしなかったんですよ。でも、周りが「良い」「良い」いうから聞くみたいな扱いでした。いや、その時聴いていた自分。ありがとう!!

ほんとに蛇足ですが、ホルモンが昨日おもしろ動画公開していたのでぜひご覧ください。ココ最近で一番笑いました。


そういえば、テクノ的なサウンドも流行っていましたね。

今聞くとなんとなく受容されてしまいそうですが、ギターの歪んだ音とエイトビートが蔓延していた音楽シーンに置いてパヒュームってものすごく異質だったと思います。しかし、ポップだ。のようにフックを効かせているのに要所は従来の音階をうまく使ってみんなを引き付ける。中田ヤスタカの全盛期ですね。ここらへんからボカロの萌芽が始まっていると個人的には考えております。

今なおフォローされる

 私が今回紹介した「空洞です」は今なおいろんな方に影響を与えている。日本を拠点として活動しているモデルの方がカバーしている。それも去年ににだ。

とてもカルチャーに明るい方らしくこの曲でデビューをしている。

また、中国語版でも歌っている。

この開けたサウンドとの相性で言うと中国語のほうがマッチしているように感じた。それは彼女に流れる大陸の血のせいなのだろうか。それはそれで魅力となるのがカバーの良いところ。

今の音楽シーンを見てみるとメタルもメロコアも廃れてしまった。このような音の隙間を楽しむような音楽を嗜む人が増えてきてるように感じる。ギターサウンドの話になってしまうが、リバーブという音を残響させるエフェクター、機器がある。それの良さが10年代以降のアーバンな音楽の根源であると私は考える。音の響きは湿度や電圧によって変わる。それは隣の県に行ったって変わる。そして、隣の国行ったって変わる。

それを楽しめるようなSpotifyのようなプラットフォームが登場した。

これの影響で20年代の音楽は変わらないようでいて、革命が起きていると思う。

コロナ後の今後の海外とアジア、日本の音楽シーンの繋がりに楽しみを込めて。

それでは、また。

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