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スカム•マハーパンニャーパーラムイター

ブッダ=サン ガ オシエテクダサッタ オヒガンニ辿ク着ク偉大ナ オシエ エッセンス
イクヨ——-?!

サンハイッ

先ずな、、
形あるものは実体がないと同じく、実体がないものは形があると同じなのです。
即ち、目に見えるようなものこそ存在せず、目に見えないようなものこそ存在するというこなのです。

ナンデ⁈

「肉体」というものはそれ一つ存在しない。
それは血、骨、筋肉、細胞、菌、ウィルス、遺伝子、分子、原子の集合体である。
形、肉体、物体として認識しているものは単なる物体の集合体である。それは存在しないと同義と言えるのではないか。

テストに出ないヨゥ…

一方、形がない「こころ」は存在する。
親切な行い、世俗一般で云う愛というものは心だと。見えるじゃあないか。というだろう。見えるものだから形があると。形がないというのは嘘だと。
それは単に心という形のないものが物理的な「肉体」に宿っている、ように見えるものであり、それが物質世界に干渉影響を与えた事実を目や耳、感触で観測しただけであるのだ。


ただし、「肉体」に付随したものであり、「肉体」を保存し生命活動を継続するためのシステム、アプリケーション、ソフトウェア或いは、OS。
そのシステムは複雑化を、繰り返し、やがて自分はある、存在すると幻想させるにいたる。
世界を自他に峻別し、これはおれの、あれはあなたの、あたしのとする。生命活動を維持するためだけに。これは俺のものだから俺が食べる。ここは私の場所。安全に快適に過ごすことができる。快と不快によって判断する。そうして生命を維持する。それだけのシステムなのだ。

よって形ないものは存在する。

それだけのシステムであるが、それは存在する。但し特別な価値を見いだし、特別なもので大切なものであると幻想している。つまり存在しない。

やはり形があるものしか信じられないが心は見ることで現出している。心は形ある、故に信じるというスタンス崩せないかもしれないね。

いいかい。

「こころ」=「ジブン,自我,自己意識そんなたぐいの諸々」とすると、

自分は(存在する。が、)存在しない。

量子のもつれで重なり合っているといえるのかもしれないね。
現代の量子力学が2500年前のブッダ•ファクトにやっと辿り着いたってことサね。

形あるものや形ないものは常に変容していく。今この瞬間だけ存在する。を繰り返す。ワカルネ?

…ショッギョムッジョ…

あるけど、ない
ないけどある。イイネ?

アッハイ!

それでも生きて生きてオージョーしたものこそオヒガンに辿り着くのだ。

最後に善きチャント•モージョーを教えよう…

ギャァテー•ギーャアティ
ハーラーギャーテイ
ハラ僧ギャーテイ
ボージィソワカァ
ハンニャ=シンギョウ

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